教育史研究と邦楽作曲の生活

一人の教育学者(日本教育史専門)が日々の動向と思索をつづる、個人的 な表現の場

2022年の振り返り

2022年12月31日 23時55分55秒 | Weblog
 皆々様、2022年もお疲れ様でした。
 私の方は相変わらず忙しくしていた1年でしたが、いろいろ新しいこともありました。このブログについても、なかなか進まない学校の働き方改革に業を煮やして春ごろまでその関心から比較的更新し、たくさんコメントをいただき、充実した議論・意見交換をする機会をいただきました。勉強になりました。
 5月以降、更新頻度がガクンと落ちましたのは、単純に多忙ゆえでした。Kindleテキストの編集・発行作業に時間を食ったことや、隔年開講の新規2科目が始まったこと、学会・研究会発表が集中したこと、重めの論文執筆が2件あったこと、沼田家文書保存のために奔走していたことなどが重なって、必死に作業を進めておりました。その上に、全学の教務委員長の仕事でも難しい調整の必要なこと(オンライン授業制度の運用、所属学園が新設した海外の大学への留学に関する制度整備、附属高校との連携科目の根本的再検討など)が積み重なり、神経をすり減らしておりました。昨年は公私ともに大変で大いに精神を病みかけましたが、幸い、今年は家庭内が落ち着き、心を壊すことなく何とかやり抜くことができました(腰は一回壊しました)。

 2022年は、これまで私家版で配付していた授業用テキストを加筆修正・再編集して、Kindle版テキスト全4巻にして発行することができました。私の担当科目を履修した学生はもちろんですが、それ以外にもたくさんの人に読んでいただいております。ありがとうございます。(第4巻の紹介が遅れていてすみません)
 なお、Kindleダイレクトパブリッシングをやってみたきっかけは、Twitterで自著を電子図書のみで出版している人のつぶやきを見て、どんなものか試してみたいなと思ったことでした。出版社にお世話になっての出版はすでに何冊か経験してきましたし、私家版・自費出版もずっとやってきたので、電子書籍の自費出版はどんな感じなのか経験してみたいという、軽い気持ちで取り組みました笑。テキストになったのは、たまたま手元に公刊していない私家版のデータがたくさんあったからです。やってみてどうだったかというと、思った以上に簡単でしたが、同時に思った以上に大変でもあり、変わった経験ができました。大変だったのは、自分ひとりでデータを管理するので、何度やっても不具合が出てくるのに対応していると湯水のように時間が失われていくことでした。また、おおよそ私一人のアイディアで事が進むので、楽な反面、多様な立場からの仕事・アイディアが反映されないことも気になっております。私の感想としては、Kindleのみの自費出版は、通常の本の出版とはかなり異なる仕事だなと思いました。どちらにも良さと難しさがあり、「これはこれ、それはそれ」という感じですね。

 教育史の研究もたくさんやりました。ありがたいことに、いろいろな方から呼んでいただき、求められるままに書きまくった感じです。特に、6月の日本教育学会編『教育学研究』掲載の特集論文「澤柳政太郎『実際的教育学』の実証主義再考」は自分で投稿したものですが、学会の取り組みと自分の今の仕事がかみ合って、投稿する機会を得られたのは幸運でした。私の手元でも、ピアレビューでもなかなかの「難産」でしたが、活字化後にたくさんの方から「見たよ」の感想をいただきましたので、書き切ってよかったです。日本の教育学史を19・20世紀という長い期間でとらえるという、2020年ごろから続けてきた研究の成果の一つが形になりました。
 そのほか、明治末期の鳥取県小学校教員試験検定問題(小学校本科正教員・尋常小学校本科正教員教育科)の研究や、20世紀初頭における東京帝国大学の中等教員養成課程の改革を吉田熊次の「大学に於ける教育学研究」を核とした中等教員養成論の立場から分析した研究、信濃教育会所蔵資料をもちいた日本教育協会・日本連合教育会研究、1870年代から現在までの日本における教育史研究の歴史をたどって「教育学としての教育史」という立場を相対化した研究、広島大学教育学独特の「日本東洋教育史」という立場を意識した研究について、各学会・研究会で発表しました。活字化の予定が結構先なものについては、広く読んでいただけるようになるのは先になりますが、私自身の研究はかなり進んだ実感があります。今後の研究に生かしていきます。
 また、広島県三原市にあった沼田家文書の選定・保存作業を完了させたことも、今年の重要な仕事になりました。H大のI先生とH短大のI先生のご助力をいただきながら、ついに8月に広島県立文書館に主要な資料群を引き取っていただくことができました。一部は沼田家と三原小学校に譲渡されました。いろいろありましたが、多くの重要な資料を散逸・損失から救うことができて、ひとまずほっとしております。作業過程では、2021年の拙稿「沼田良蔵・實文書について」が保存のカギになったので、歴史資料保存に対する研究論文の重要性を実感しました。沼田家文書は本当に面白い資料群です。最新の研究成果については、2023年3月発行予定の中国四国教育学会『教育学研究紀要』(CD-ROM版)で公開する予定ですが、沼田家文書の可能性はまだまだ汲み尽くせていません。私の気づいていることだけでも明らかにしたいので、もうしばらく研究を続けていくつもりです。

 大学人・教職科目担当者としての仕事、教育学者としての仕事、教育史研究者としての仕事。テキスト執筆、論文執筆、歴史資料の保存。多様な仕事をした1年になりました。
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給特法改正の動きと教員の働き方改革、そして教育学・教員養成の責任

2022年12月16日 20時11分00秒 | 教育研究メモ
 学校教員の働き方改革は急務である。働き方改革が進まなければ、教員数が不足して労働条件が悪化し、経験豊富で力のある教員が別の職種に流出する。すでにこの状況は各地で現実に起こっており、その結果、子どもたちによい教育機会や安全安心な環境を提供できず、保護者たちの不安は高まり、国家社会は次代の見通しに現実感をもてなくなり始めている。教員の働き方改革は各地で関係者の努力により徐々に進んでいるが、地域差・学校差が大きい。私は教員養成の現場で働く者だが、数多くの学生の意見や判断を見聞きする中でわかるのは、働き方改革の地域差・学校差が確実に学生を不安にさせており、そこに事実もデマも誇張も混じった虚実が入ってきて学生たちを動揺させ、学生たちの教員志望の気持ちを揺さぶっている。各地域・各学校の努力に頼ったこれまでの取り組みを超えて、全国・全学校の働き方改革をさらに加速させる必要がある。そのためには国の動きが重要になってくる。
 全国の改革を加速するには、どうしても働き方改革の法的根拠の一つである給特法(公立の義務教育諸学校等の教育職員の給与等に関する特別措置法)の再検討抜きでは話にならない。2019年の改正時に導入された変形労働時間制は抜本的な働き方改革につながらなかった。実態調査や採用試験前倒し案などでお茶を濁す状況が続いていたが、今年度の教員採用試験の状況を踏まえて、やっと国会政党や文部科学省が具体的な動きを見せ始めた。
 教育新聞20221118記事(自民党令和の教育人材確保に関する特命委員会11/16第1回会合+同委員長インタビュー)
 教育新聞20221212記事(給特法のこれからを考える有志の会12/12院内集会)
 教育新聞20221214記事(自民党令和の教育人材確保に関する特命委員会12/14第2回会合)
 yahooニュース20221215読売新聞(文科省有識者会議開催12/20初会合予定)

 どうしてもせざるを得ない時間外労働が教員の仕事に存在するのは事実である。給特法を改正するのであれば、調整額と手当の出し方を現状を改善するために見直し、適切に保障できるようにすることがまず必要である。そして、手当や調整額の見直しが同時に、長時間労働の改善と教育目的の達成の両方に寄与する仕事量の見直しにつながるようにしなければならない。少なくとも、2021年10月の埼玉地裁の教員長時間労働裁判のような判決が必然的に導かれるような現状を変えられるように、改正しなければならない。ただし、教員の働き方改革は給特法改正だけでは終わらない。さらに進んで、労働条件や働き方そのものを幅広く見直すことを法的に支える改革案が望まれる。
 給特法改正の問題だけだと、教員調整額の引き上げや時間外手当の給付有無が目立った論点になりがちだが、調整額の引き上げだけでは長時間労働を容認することになりかねないし、予算が十分でない場合は手当の不払いや勤務時間の過少報告の強要などの問題状況を誘発することにもなりかねない。そんなことでは、現在最も解決すべき問題である「ブラック」イメージを払拭することはできない。調整額引き上げだけ、時間外手当給付だけ、の単独の手立て、つまり給特法改正だけでは解決できない。2019年の給特法改正時に両院で附帯決議が出たが、給特法改正だけでなく、より広い範囲で教員の労働条件に関する法的・行政的な再整備が必要だろう。

 私は、教員の働き方改革を通して、外注できることはきちんと連携協働の仕組みをつくって外注し、外注できないことは早番・遅番のような教員同士の分担・連携協働の仕組みを整えて、その中で物事を進めて行けるようにすることが重要だと思っている。教育の仕事は、9時5時できっちり終わることができるようなものではない。このことを前提とすると、そもそも、教員が早朝から夜遅くまで一人で全部対応するような仕組みを改めなければ、教員の長時間労働問題はいつまでも解決しない。しかし、外注できない仕事もあるし、外注すべきでない仕事もある。外注することが子どもたちの教育環境の質を下げることにつながってはいけない。外注できる仕事なら、教育の質を保障するために教員と他職種・多様な人々とが連携協働できる仕組みが必要だし、教員がしなければならない外注できない仕事なら、教員同士が連携協働できる仕組みが必要である。早朝から教員が学校で子どもたちを出迎える必要があるのなら、早番の制度を整えるべきである。夕方から暗くなるまで部活動や補習を教員が世話する必要があるなら、遅番の制度を整えるべきである。早番・遅番の教員が情報共有してスムーズにバトンタッチできる仕組みが必要である。
 このような視点からの教員の働き方改革は、現場や行政だけの問題ではない。教員の長時間労働は、教育に関わることすべてを教員が処理すべきと考えてきた、教職の専門性の考え方そのものが引き起こしたと考えることも可能である。そういう考え方には、これまでの教育学や教員養成のあり方が深く関わっている。教育学や教員養成もまた、教員の働き方改革に対する責任を重く受け止める必要がある。
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歴史とは何か

2022年12月13日 23時55分55秒 | 教育研究メモ
 現在と共通する過去の考えや仕組みは、我々の関心を引きつける。そのとき歴史は我々の鏡となり、我々は歴史から自分の来し方を知ることになる。そこにある歴史は我々の思考の産物であり、真実や真理のようなものではない。しかし、我々は歴史によって過去の人々と一体感や関わりを得ることができ、自らのアイデンティティを確立することができる。我々は歴史によって我々になることができる。
 現在と異なる過去の考えや仕組みもまた、我々の関心を引きつける。そのとき歴史は他者となり、我々は歴史から自分の限界と可能性を知ることになる。そこにある歴史は我々の思考に制限され、過去にあったすべてではない。しかし、我々は歴史によって他者がいることに気づき、他者とどのように折り合いをつけていくかを学ぶことができる。また、自らの限界と可能性を正確に見通すことで、自らの思考をより広くより深くするきっかけをつかむことができる。
 歴史研究とは、現在から過去をみる行為であり、現在の人間の思考の枠の中で行われる人間の研究である。そこに現在との共通点に注目するにしろ、相違点に注目するにしろ、人間は自らを知ることになる。人間は、歴史の共通点に注目することで自らの存在を確かめ、歴史の相違点に注目することで他者の存在を認めることができる。歴史は、私を時間を超えて他者とつないで我々にし、私を自分の枠と現在にとらわれる思考から自由にしてくれる。

主要参考文献
〇E・H・カー(清水幾太郎訳)『歴史とは何か』岩波書店、1962年(原著1961年)。
〇サム・ワインバーグ(渡部竜也監訳)『歴史的思考―その不自然な行為』春風社、2017年(原著2001年)。
〇リンダ・S・レグィスティック、キース・C・バートン(松澤剛ほか訳)『歴史をする―生徒をいかす教え方・学び方とその評価』新評論、2021年(※抄訳、原著2015年)。
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