こんばんは、みなさん。2017年最終日が終わりますが、みなさんの2017年はいかがでしたか?
私の2017年は、激動の1年になりました。一生のうちで今のところ一番忙しい一年でした。ブログも毎月1回むりやり書かなければ書けないくらいでした。
今年はついに結婚しました。諸事情あって地元広島では挙げられず、海を渡った私の故郷である松山で挙げることになり、しばしばフェリーで戻っていました。挙式の準備は、やってもやってもまだあるのかと思うくらいたくさんあり、空いている休日はほぼ式の準備に費やされました。終わった後も、10月まではやはり休日を費やして後処理をしていました。次から次へと課題・トラブルが発生し、大変でした。投げ出したいと思ったこともありましたが、やり切ることができたのは、妻のおかげでした。
また、5月くらいまでは、昨年末にわずらったぎっくり腰と偏頭痛の後遺症に悩まされていました。なかなか治らず、仕事終わりや休日に接骨整体院に通っていました。その間に、いろいろ腰に悪いことやマッサージの方法について施術を受けながら学んでいました。その後はなんとかだましだましやりながら、体幹の筋肉に少し気を配りながら生活しておりました。その後、いつだったか、MTGさんのスタイルアスリートという骨盤矯正器具に出会ってから、不思議と腰痛はあまり気にならなくなりました。仕事中の姿勢が一番悪いのを知っていたので、研究室の椅子に備え付けています。ちょっと値ははりますが、腰痛に悩む方にはおすすめです。
仕事については、次のようなことがありました。
第1に、学位論文の出版です。学位論文に加筆したものについて科研費の出版助成をいただき、渓水社さんから『明治期大日本教育会・帝国教育会の教員改良』と題して出版しました。知人先輩たちにはたくさん祝福していただき、本当にありがとうございました。
第2には、所属大学の改革に参画していました。まだ継続中です。昨年から実働部隊としてずっとかかわっていたのですが、教職課程の課程認定制度の改革を含む思いもよらない展開がたくさんあり、振り回されてしまう場面も多々ありました。大学運営・政治の仕事の大変さを身にしみて感じています。まだ終わったわけでなく、これから仕上げに向けてまだまだ頑張らなければなりません。1月から再スタートをかけます。
第3には、教育史学会紀要『日本の教育史学』に学術論文「明治30年代半ばにおける教師の教育研究の位置づけ―大瀬甚太郎の「科学としての教育学」論と教育学術研究会の活動に注目して」が掲載されました。大学院生のころからずっと投稿し続け、不採用の連続であった学会誌でしたが、学位論文提出後の新しいテーマでやっと掲載されました。悲願達成でした。まだまだやりたい研究がたくさんあります。研究時間が欲しい…
第4には、『東京府教育会雑誌』の復刻事業が完了したことです。ずっと前の教育史学会で不二出版さんに東京府教育会機関誌の件で声をかけられ、そのあとに猛プッシュをかけて紆余曲折を経た後に、Hさんという編集者を得てようやく実現した復刻事業でした。スケジュールが上の状況とぶつかったため、不二出版にはかなりご迷惑をおかけしましたが、出来上がってよかったです。作った年表を最大限に活用して論文を書けなかったのが心残りですが、近年の教育会史研究のレベルに東京府教育会史研究を押し上げる一つのきっかけになったのではないかと自画自賛しています。復刻してもらった誌面もなかなか質の良い出来です。後継誌『東京教育雑誌』ももちろん復刻したいのですが、これは『東京府教育会雑誌』の売れ行きしだいです。
第5には、『新鳥取県史』資料編の資料選定・解説の追い込みです。資料選定・解説はすでに終えていますが、仕上げは真っ最中です。
第6には、授業教材づくりです。昨年に続いてALを試みるため、手作り教科書を作成しました。『資料から考える教育原理』『資料から考える道徳教育』『資料から考える教育史』の3種(『~教育原理』と『~道徳教育』は上・中・下巻構成なので計7冊)を完成させ、授業で使用しています。どれだけの学生が読んでいるかわからないのですが、勉強家の学生は読んでいるようです。私も「しゃべりすぎ」防止ができて、学生も補足確認や予習復習ができて便利なようです。
そのほかにも、学生生活支援委員長としての学生自治の質向上のための仕事や、引き受けすぎて増えた共同科研の仕事、ゼミ生(4年生8名・3年生10名)の卒論・ゼミ指導など、たくさんやることがありました。
2017年、がんばりました。体調に優れない中で、頭と心をフル活動させて、とんでもないボリュームの仕事をこなしてきました。何度も「これ無理じゃないか?」と思い、燃え尽き掛け、投げ出したくなりましたが、何とかやりきりました。見守ってくれた方々、協力してくれた方々、皆様がいてくれたから何とかできました。本当にありがとうございました。2018年もそこそこ頑張ります。
私の2017年は、激動の1年になりました。一生のうちで今のところ一番忙しい一年でした。ブログも毎月1回むりやり書かなければ書けないくらいでした。
今年はついに結婚しました。諸事情あって地元広島では挙げられず、海を渡った私の故郷である松山で挙げることになり、しばしばフェリーで戻っていました。挙式の準備は、やってもやってもまだあるのかと思うくらいたくさんあり、空いている休日はほぼ式の準備に費やされました。終わった後も、10月まではやはり休日を費やして後処理をしていました。次から次へと課題・トラブルが発生し、大変でした。投げ出したいと思ったこともありましたが、やり切ることができたのは、妻のおかげでした。
また、5月くらいまでは、昨年末にわずらったぎっくり腰と偏頭痛の後遺症に悩まされていました。なかなか治らず、仕事終わりや休日に接骨整体院に通っていました。その間に、いろいろ腰に悪いことやマッサージの方法について施術を受けながら学んでいました。その後はなんとかだましだましやりながら、体幹の筋肉に少し気を配りながら生活しておりました。その後、いつだったか、MTGさんのスタイルアスリートという骨盤矯正器具に出会ってから、不思議と腰痛はあまり気にならなくなりました。仕事中の姿勢が一番悪いのを知っていたので、研究室の椅子に備え付けています。ちょっと値ははりますが、腰痛に悩む方にはおすすめです。
仕事については、次のようなことがありました。
第1に、学位論文の出版です。学位論文に加筆したものについて科研費の出版助成をいただき、渓水社さんから『明治期大日本教育会・帝国教育会の教員改良』と題して出版しました。知人先輩たちにはたくさん祝福していただき、本当にありがとうございました。
第2には、所属大学の改革に参画していました。まだ継続中です。昨年から実働部隊としてずっとかかわっていたのですが、教職課程の課程認定制度の改革を含む思いもよらない展開がたくさんあり、振り回されてしまう場面も多々ありました。大学運営・政治の仕事の大変さを身にしみて感じています。まだ終わったわけでなく、これから仕上げに向けてまだまだ頑張らなければなりません。1月から再スタートをかけます。
第3には、教育史学会紀要『日本の教育史学』に学術論文「明治30年代半ばにおける教師の教育研究の位置づけ―大瀬甚太郎の「科学としての教育学」論と教育学術研究会の活動に注目して」が掲載されました。大学院生のころからずっと投稿し続け、不採用の連続であった学会誌でしたが、学位論文提出後の新しいテーマでやっと掲載されました。悲願達成でした。まだまだやりたい研究がたくさんあります。研究時間が欲しい…
第4には、『東京府教育会雑誌』の復刻事業が完了したことです。ずっと前の教育史学会で不二出版さんに東京府教育会機関誌の件で声をかけられ、そのあとに猛プッシュをかけて紆余曲折を経た後に、Hさんという編集者を得てようやく実現した復刻事業でした。スケジュールが上の状況とぶつかったため、不二出版にはかなりご迷惑をおかけしましたが、出来上がってよかったです。作った年表を最大限に活用して論文を書けなかったのが心残りですが、近年の教育会史研究のレベルに東京府教育会史研究を押し上げる一つのきっかけになったのではないかと自画自賛しています。復刻してもらった誌面もなかなか質の良い出来です。後継誌『東京教育雑誌』ももちろん復刻したいのですが、これは『東京府教育会雑誌』の売れ行きしだいです。
第5には、『新鳥取県史』資料編の資料選定・解説の追い込みです。資料選定・解説はすでに終えていますが、仕上げは真っ最中です。
第6には、授業教材づくりです。昨年に続いてALを試みるため、手作り教科書を作成しました。『資料から考える教育原理』『資料から考える道徳教育』『資料から考える教育史』の3種(『~教育原理』と『~道徳教育』は上・中・下巻構成なので計7冊)を完成させ、授業で使用しています。どれだけの学生が読んでいるかわからないのですが、勉強家の学生は読んでいるようです。私も「しゃべりすぎ」防止ができて、学生も補足確認や予習復習ができて便利なようです。
そのほかにも、学生生活支援委員長としての学生自治の質向上のための仕事や、引き受けすぎて増えた共同科研の仕事、ゼミ生(4年生8名・3年生10名)の卒論・ゼミ指導など、たくさんやることがありました。
2017年、がんばりました。体調に優れない中で、頭と心をフル活動させて、とんでもないボリュームの仕事をこなしてきました。何度も「これ無理じゃないか?」と思い、燃え尽き掛け、投げ出したくなりましたが、何とかやりきりました。見守ってくれた方々、協力してくれた方々、皆様がいてくれたから何とかできました。本当にありがとうございました。2018年もそこそこ頑張ります。