教育史研究と邦楽作曲の生活

一人の教育学者(日本教育史専門)が日々の動向と思索をつづる、個人的 な表現の場

平成29(2017)年の振り返り

2017年12月31日 23時55分55秒 | Weblog
 こんばんは、みなさん。2017年最終日が終わりますが、みなさんの2017年はいかがでしたか?
 私の2017年は、激動の1年になりました。一生のうちで今のところ一番忙しい一年でした。ブログも毎月1回むりやり書かなければ書けないくらいでした。

 今年はついに結婚しました。諸事情あって地元広島では挙げられず、海を渡った私の故郷である松山で挙げることになり、しばしばフェリーで戻っていました。挙式の準備は、やってもやってもまだあるのかと思うくらいたくさんあり、空いている休日はほぼ式の準備に費やされました。終わった後も、10月まではやはり休日を費やして後処理をしていました。次から次へと課題・トラブルが発生し、大変でした。投げ出したいと思ったこともありましたが、やり切ることができたのは、妻のおかげでした。
 また、5月くらいまでは、昨年末にわずらったぎっくり腰と偏頭痛の後遺症に悩まされていました。なかなか治らず、仕事終わりや休日に接骨整体院に通っていました。その間に、いろいろ腰に悪いことやマッサージの方法について施術を受けながら学んでいました。その後はなんとかだましだましやりながら、体幹の筋肉に少し気を配りながら生活しておりました。その後、いつだったか、MTGさんのスタイルアスリートという骨盤矯正器具に出会ってから、不思議と腰痛はあまり気にならなくなりました。仕事中の姿勢が一番悪いのを知っていたので、研究室の椅子に備え付けています。ちょっと値ははりますが、腰痛に悩む方にはおすすめです。

 仕事については、次のようなことがありました。
 第1に、学位論文の出版です。学位論文に加筆したものについて科研費の出版助成をいただき、渓水社さんから『明治期大日本教育会・帝国教育会の教員改良』と題して出版しました。知人先輩たちにはたくさん祝福していただき、本当にありがとうございました。
 第2には、所属大学の改革に参画していました。まだ継続中です。昨年から実働部隊としてずっとかかわっていたのですが、教職課程の課程認定制度の改革を含む思いもよらない展開がたくさんあり、振り回されてしまう場面も多々ありました。大学運営・政治の仕事の大変さを身にしみて感じています。まだ終わったわけでなく、これから仕上げに向けてまだまだ頑張らなければなりません。1月から再スタートをかけます。
 第3には、教育史学会紀要『日本の教育史学』に学術論文「明治30年代半ばにおける教師の教育研究の位置づけ―大瀬甚太郎の「科学としての教育学」論と教育学術研究会の活動に注目して」が掲載されました。大学院生のころからずっと投稿し続け、不採用の連続であった学会誌でしたが、学位論文提出後の新しいテーマでやっと掲載されました。悲願達成でした。まだまだやりたい研究がたくさんあります。研究時間が欲しい…
 第4には、『東京府教育会雑誌』の復刻事業が完了したことです。ずっと前の教育史学会で不二出版さんに東京府教育会機関誌の件で声をかけられ、そのあとに猛プッシュをかけて紆余曲折を経た後に、Hさんという編集者を得てようやく実現した復刻事業でした。スケジュールが上の状況とぶつかったため、不二出版にはかなりご迷惑をおかけしましたが、出来上がってよかったです。作った年表を最大限に活用して論文を書けなかったのが心残りですが、近年の教育会史研究のレベルに東京府教育会史研究を押し上げる一つのきっかけになったのではないかと自画自賛しています。復刻してもらった誌面もなかなか質の良い出来です。後継誌『東京教育雑誌』ももちろん復刻したいのですが、これは『東京府教育会雑誌』の売れ行きしだいです。
 第5には、『新鳥取県史』資料編の資料選定・解説の追い込みです。資料選定・解説はすでに終えていますが、仕上げは真っ最中です。
 第6には、授業教材づくりです。昨年に続いてALを試みるため、手作り教科書を作成しました。『資料から考える教育原理』『資料から考える道徳教育』『資料から考える教育史』の3種(『~教育原理』と『~道徳教育』は上・中・下巻構成なので計7冊)を完成させ、授業で使用しています。どれだけの学生が読んでいるかわからないのですが、勉強家の学生は読んでいるようです。私も「しゃべりすぎ」防止ができて、学生も補足確認や予習復習ができて便利なようです。
 そのほかにも、学生生活支援委員長としての学生自治の質向上のための仕事や、引き受けすぎて増えた共同科研の仕事、ゼミ生(4年生8名・3年生10名)の卒論・ゼミ指導など、たくさんやることがありました。

 2017年、がんばりました。体調に優れない中で、頭と心をフル活動させて、とんでもないボリュームの仕事をこなしてきました。何度も「これ無理じゃないか?」と思い、燃え尽き掛け、投げ出したくなりましたが、何とかやりきりました。見守ってくれた方々、協力してくれた方々、皆様がいてくれたから何とかできました。本当にありがとうございました。2018年もそこそこ頑張ります。
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『東京府教育会雑誌』解説

2017年12月29日 16時13分03秒 | 教育会史研究
 投稿第3弾。

 去る11月30日付で、不二出版と一緒にやってきた『東京府教育会雑誌』の復刻事業が完了しました。これで、明治21(1888)年~31(1898)年の東京府教育会機関誌を簡単に確認できるようになり、明治中期教育史や東京府教育史の研究が少ししやすくなるでしょう。原本を発見できなくて欠号もありますが、この復刻事業がきっかけになって発見できれば幸いです(実際、1~5号はこの事業がきっかけになってその存在が知られるようになったので)。
 また、同日付けで復刻版の別冊として、白石が編集著作しました『『東京府教育会雑誌』解説・総目次・関連年表』(不二出版、2017年)が出版発行されました。解説は私が37ページ書きました。総目次・関連年表もデータを私が作り、不二出版にご協力いただいて校正・編集してもらいました。総目次・年表は、見てもらえればわかりますが、かなり力を入れて作成したものです。本当は、目次・年表作成でわかったことを徹底的にフル活用したかったのですが、私に時間がなくて断念しました。ですが、解説では、東京府教育会の前史や組織構成などについて、新資料を使いながら整理しましたので、先行研究に新しい事実を多少なりとも付け加えることができたかなと思っています。
 とりあえず、『『東京府教育会雑誌』解説・総目次・関連年表』掲載の解説論文「『東京府教育会雑誌』解説」について、論文構成を下記に紹介します。

  はじめに
 1 東京府教育会前史
  (1)東京府教育談会の結成―東京教育会・東京教育学会と普通教育擁護・推進
  (2)東京府教育談会から東京府教育会へ
 2 東京府教育会の組織
  (1)目的と組織構造
  (2)東京府教育会の事業
 3 『東京府教育会雑誌』の傾向
  (1)雑誌の性格
  (2)記事傾向
  おわりに

 注文は不二出版まで(東京府教育会雑誌【復刻版】全9巻・別冊1)。東京府教育会機関誌にはまだ続きがあるので、復刻事業は続かせたいです。
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教育・教師はAIとどう向き合うか

2017年12月27日 19時37分14秒 | 教育研究メモ
 さて、久しぶりの投稿第二弾。

 近年、AIの開発が進み、将来、多くの仕事がAIに取って代わられてなくなる、という見通しが広がりました。中教審答申における学習指導要領の改訂趣旨にも、この見通しが現れ、これから育てるべき資質能力のあり方や問題解決学習の必要性などの根拠になっています。また、なくなるまでの時間は比較的遅めですが、教師もAIに取って代わられて将来なくなる仕事の一つに挙げられています。教育や教員養成の世界にとって、AIにどう向き合うべきかという問題は極めて重要です。
 このAI問題に関して、教育界では、AIは機械である、人間にしかできないことはできない、人間の教師にしかできないことがある、という人間の能力の神秘性を強調する論調があります。守りの論調ですね。私もそう思いますが、実はしっくりこない印象をもっていました。そんな中で、NHKの「超AI入門」という番組を見ていたところ、守りの論調に対するしっくりこない感じが晴れる瞬間がありました。番組ではまとめのところで、AIによって人間の認知や判断が広がる、AIによって何でも出来るようになるよりも、AIによって認知されるものが広がることが、人間の知らないことや考えられることをさらに広げるのではないか、という感じの趣旨のことが述べられました。このやりとりを聞いて、私は、なるほどと思いました。
 人間はこれまでにも幾度となく技術革新をおこし、便利な機械を生み出してきました。それによって人間は考えたり、感じなくなったわけではなく、むしろそれらの機械を使って、これまで知られていなかったことを考え、感じていなかったことを感じるようになりました。例えば、人間は、鉄道や飛行機、TVやインターネットを生み出したことで、これまで見知り得なかった遠い地域の出来事に直接・間接に触れられる機会を増やし、それらを使って楽しんできました。依然として徒歩による旅の楽しみもそれなりに楽しんでいますし、鉄道や飛行機の旅も楽しみ、TVやインターネットの伝える映像を通して仮想的な旅を楽しんでいます。また、その他にも、顕微鏡や電子顕微鏡を生み出すことで、人間は直接見ることのできなかった世界を見ることができるようになり、認知可能になった世界から知りうることを考え続けています。それから、PCやOS、スマートフォンなどのバージョンアップも挑戦し続けられて、人間にできることやしたいことを広げています。AIは、これらの新しい機械・技術革新が生み出してきた世界の広がりを、再び人間に味合わせる機会を提供してくれる可能性があります。AIの発展は、人間が新しいことに気づき、考え、挑戦できるようにしてくれる可能性があるのです。
 そう考えると、AIにはできないことを考えることに意味はあると思いますが、できないことをことさらに強調するよりも、AIによって人間が何をできるようになるのか、ということを考える方が、むしろ教育や教師の将来をより豊かに見通すことにつながるのではないでしょうか。もちろんAIではできないことや、AIを使うことによって感じにくくなることもあるでしょう。そういうものは、AIが発展することによってその良さが逆に再発見されることによって、大事に考え、味わうことができるようなるのではないかと思います。また、AIによってできる新しいことというのは、たぶんいわゆる「汲み尽くせない人間の神秘」と同じもののような気がします。
 これからの教育や教師は、どのようにAIに向き合うべきでしょうか。私は、守りの姿勢ではなく、むしろAIによって人間は何を得られるかについて積極的に考え、教育実践に取り入れていくことが大事ではないかと思うようになりました。AIの進展に応じた教育や教職生活、果たしてどんなことができるようになるのでしょうね!
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広島市安佐北区の三入小学校における防災・災害教育の実践

2017年12月24日 11時11分25秒 | 教育研究メモ
 果てしなく忙しい毎日を毎日過ごしておりますが、久しぶりの更新です。ちょっとしたネタがいくつかあるので、簡単な記事を書こうかなと思いまして戻って参りました。まずは一つ目。

 毎日新聞の記事に興味深い記事が出ていました。
 「自主防災 児童がゲームで「避難所運営」 広島・三入小」(2017.12.20)

 三入小学校というのは、広島市安佐北区の小学校でして、私の勤務校のまあまあ近くにある学校です。2014年、広島市の安佐北区・安佐南区は大雨による土砂災害で大変な目にあいまして、あれ以来よく避難勧告などが出るようになりました。この学校のある三入地区も同様です。今後の広島市には、防災・災害教育がとても大事になっています。
 そんな中、三入小では6年生の子ども達がHUG(避難場運営ゲーム)を通して学ぶ実践が行われました。災害について、災害が起こったときだけでなく避難生活を含めて考え、さらに避難する立場から避難を受け入れる立場に転換して考えることのできる、とても意義のある実践だと思います。三入小ではそのほかにも防災・災害教育が行われていたらしく、5年生は紙芝居を作成して発表する実践を行っています(「広島土砂災害
紙芝居で描く 災害に学ぶ、命の尊さ 安佐北区・三入小児童が披露 「被災者の思い伝わった」 /広島
」2017.11.22)。これらの実践は、三入地区自主防災会の会長さんの協力を得ているようです。たぶん、どちらも総合的な学習の時間の実践かなと思います。
 これからは、災害を多面的・多角的に考え、自分たちのこととして考える実践が大事です。地域で実際に起こった身近な災害を教材にすることで、子ども達が自分たちの事として思考する機会をつくることができます。「地域に開かれた教育課程」や主体的・対話的で深い学び、将来の地域を担う人材育成、学校・地域の連携協働を実現する上でも貴重な実践になるでしょう。
 創造的な実践は時間が経つとやられなくなったりしますが、同校の教員集団で検討・継承しながら進化しながら続いてほしいなぁ、そして近隣地域の学校にも広がらないかなぁ、と思っています。三入小の防災・災害教育の実践は、地域の宝にして大事に育てるべきですね。地域が、学校を、教員集団を育てることにつながればいいなあ。
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