教育史研究と邦楽作曲の生活

一人の教育学者(日本教育史専門)が日々の動向と思索をつづる、個人的 な表現の場

教育学のディシプリンの在りか

2023年10月23日 23時55分55秒 | 教育研究メモ
 かつて、戦後教育学は教育的価値を経済的価値に対比させて位置づけようとしてきた。教育は人間の成長・発達をそのまま価値と認め、その価値を承認する社会的立場を作ろうとしてきた。その立場の向かい側には、「教育自体は価値を有しない」として、経済的価値、または政治的価値によって教育を進める立場があった。
 教育学研究は、経済的・政治的価値に向けての教育の研究も当然含むが、同時に教育的価値に向けての教育の研究を意識しなければならない。経済・政治も人間に必要なものだから、教育が経済・政治に貢献することは意義のあることである。しかし、人間としての成長・発達につながらなければ、その教育は十分な教育とは言えないのではないか。教育の立場から見ると、経済・政治が発展したとしても、人々から人間性を失わせ、人間として成長できない教育では意味がないのではないか。教育は、経済・政治に役立つだけでは不十分で、人間の成長・発達と両立する必要があるのではないか。
 他の学問・科学のディシプリンに回収されない教育学のディシプリンはおそらくこのあたりにある。私は戦後教育学を全面的に肯定するわけではなく、歴史化し、批判的に乗り越えていくべきものだと思うが、このような教育分野固有の価値を明らかにし、一定の社会的立場を実際に形成したその歴史的意義は大きいものだと思う。

 教育学は、教育課程や教育技術・技能を科学的に開発研究していく領域をもつ。これも、単なる経済に役立つ人材の育成や政治的統制をしやすくするための効果的・効率的な教育課程や技術・技能を開発することでは、教育学として十分ではない。教育学は、教育の歴史的な発展や失敗を明らかにする領域ももつ。これについても、学校がどのように設置されたかや、教師や思想家がどのような実践・思想をどのように形成したかについて詳細に事実を明らかにするだけでも、教育学として十分ではない。学校や教師、教育思想を研究しないと教育学ではないのではなくて、たとえ学校や教師、教育思想を研究したとしても、人間の成長・発達をいかに促し、または妨げたかなどの問いにつないでいかなければ教育学にまで届かないだろう。教育学と教育現場の連携がうまくいき、教育理論と教育実践の往還ができたとしても、その教育が人間の成長・発達を促すものでなければ、往還したとて無価値または有害なものかもしれない。
 教育学にとって、人間の成長・発達を価値と見る見方・考え方は、とても大事なものだと思う。

 問題は、経済的価値による教育も、政治的価値による教育も、教育的価値による教育も、現代においては、同じく「教育」と呼んでいることである。これらを「教育」以外の言葉で呼ぶことは、かなり難しいし、それぞれの立場の独善ともみられる可能性があり、教育を探究する際の多様性が失われるおそれもある。そのあたりをどう考え、どうすべきか…

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