教育史研究と邦楽作曲の生活

一人の教育学者(日本教育史専門)が日々の動向と思索をつづる、個人的 な表現の場

落ち着いた一日

2006年07月29日 17時25分19秒 | Weblog
 今日は午前中には起きたかったのですが、眠くて目が開かない。鼻づまりのせいで睡眠失敗かな? 午後になってなんとか起き出し、15時少し前に家を出ました。昨日も飲んで帰ったので、車は学校におきっぱなし。なので徒歩で登校。バスの便数があまりないところに住んでおり、2年くらい前に自転車が行方不明になって以来、車がないと登校手段は徒歩しかないのです(笑)。
 徒歩で登校すると、自然のあれこれを堪能することができます。青い空と雲、そして風になびく青々として稲の葉。
 まさにこれこそ「穂波」の世界。
 一時間後、登校。教育史学会大会発表要項の原稿を仕上げ、投函の準備。
 さて、帰りに郵便局に寄って帰るか。
 久しぶりに落ち着いた一日になりました。
 写真は、30日にアパートの前の田んぼを撮ったもの。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

審査会終了

2006年07月26日 20時44分45秒 | Weblog
 極めて凹んでおります。
 悪口を言っていれば、すっきりできるかもしれません。しかし、悪口からは何も生まれない。その場しのぎの気分転換にしかなりません。言われたこと、やってしまったことについて反省しなくては、時間も受けた傷も意味のないものにしかなりません。私は、その場しのぎの気分転換ではなく、今日の出来事を反省して、研究者として人間として少しでも成長したい。
 だから、以下は反省文です。

 15:30ごろ審査会終了。結果は、修正後に再査読ということになりました。
 審査会での議論は惨憺たる結果でしたが、先生方の意見には刺激を受けました。議論が惨憺たる結果だった、というのは、私は先生方から出された意見は自分の意図が伝わっていないから出されたのだと考え、紀要論文・博論構想にこめられた私の意図を伝えることに必死になってしまい、先生方が本当に知りたいと思っていたことは答えることができず、質疑応答の体をなさなかった、ということです。そのため先生方に根強い不満感を持たせてしまいました。Y先生が、審査会冒頭で、今日の審査会の場は「意見をもらう場」「指導をもらう場」だということを確認されていたのに、私は自分の意図が伝わっていない、無茶ばかり言うなよ…と思ったばかりに、あの場にそぐわない対応をしてしまいました。そのような対応をした背景には、とてもこの論文(博論でも)では示すことはできないと思ったため、論文で可能な範囲と自分の意図を伝えることで済まそうとした、という打算がありました。自分の我を通そうとした結果、自分にも先生方にも不満を残す質疑応答になってしまったのです。私が我が強いのは前からですが、自分の理想としても研究論文が評価されるためにも、居直ることはできません。私は、今日のことで心底反省しなくてはなりません。
 なお、先生方の意見は、今までY先生との議論した中で出てきた内容と、基本的に変わらないものでした。そのため、目新しい考え方が出てきたわけではありませんが、これらの意見に応えなくては、博士論文など、はかない夢に過ぎないということを確信させられました。これらの意見に応えられれば良い論文になる可能性がある、との言葉もいただいたため、希望はあります。今後は、一層深く考え、その考えを文章にし、論文として伝えるべきことを明確にしていくことを心がけようと思います。
 なお、精神的に一番こたえた言葉は、「君は人の言うことを聞いていない」という言葉でした。恥ずかしながら、この言葉がとてもくやしくて涙が出てしまいました。自覚があるだけに、これまで何とか人の言うことを理解しようと努めてきただけに、そして今日はうまく先生方の意見をメモ書きできて的確に答えられたと思っていただけに、ショックだったのです。これだけ言われてもなお、「審査会だからといって、なんで先生方の意見をただ聞いているだけしかできないんだ! あなたたちだって、私の意見を聞こうとしてないじゃないか!」と思ってしまうところが、なかなかこの性格を改善できない一番の理由でしょう。このように思っている限り、いつまでも「君は人の言うことを聞いていない」と言われ続けるでしょう。Y先生に後でたしなめられたのですが、相手は私の言いたいことを理解している、ということを前提にして質疑応答をしないといけないのだな、と感じました。相手は自分よりも遙かに年齢も上で、知恵を有した人物であることを、私はもっと尊重しないといけないのです。私の心のどこかには、そんなものどうでもいい、自分の意図を受け止められない相手が悪い、と思う身勝手な気持ちがくすぶっています。私はこのことについて、強く反省しなくてはなりません。くやしさの涙は、自分の至らなさを恥じる涙にしなくてはなりません。

 先生方は、いずれの先生も極めて真摯に論文の評価をしてくださいました。真摯に論文を読んでくださったのでなければ、的を得た、一番重要な内容をつくことはできません。実際にいただいた意見は、すべて的を得た、重要な意見でした。私は、先生方の誠意に応え、御意見をふまえて、論文内容を改善していく責任があります。論文内容についての反省はこれからです。〆切は8月末とのこと。某論文〆切と重複してしまいましたが、まあ、このくらいはいつものことですから、あわてません。
 がんばれ、俺!
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

教育会研究の基本文献(独断偏見)

2006年07月18日 20時37分59秒 | 教育研究メモ
 今日は久しぶりに登校。ていうか、たった4日間登校していないだけで、「久しぶり」という言葉が出るのに驚き(笑)。車がないのでバスを利用しようと思ったら、すでに数時間後までバスがないことを知り、愕然としながら徒歩で登校。便数少なすぎ(仕方ないか)。登校後、25日〆切の原稿と月末〆切の教育史学会大会発表要項について執筆・修正などをやりました。
  
 先日まで教育会に関する研究会に行って来ましたが、そこで少し思ったことは、教育会の歴史に関する共通知識が必要なのではないかということ。共同研究において共通知識が不在なのは、あまりいいことではないと思うので、教育会研究の基本文献をはっきりさせておく必要があるのではないかと考えました。…なんて、偉そうなことを言えるほど勉強できていないですけど…
 教育会に関する先行研究は、梶山雅史・竹田進吾「教育会研究文献目録1」(東北大学大学院教育学研究科編『研究年報』第53集第2号、2005年)を見ればわかりますが、これはちょっと点数が多すぎて何を読めばいいのかわからない。ですので、私の独断で教育会研究の超基本文献を、以下に挙げてみました。

1.石戸谷哲夫『日本教員史研究』野間教育研究所、1958年。
2.佐藤秀夫「高等教育会および地方教育会」海後宗臣編『井上毅の教育政策』東京大学出版会、1968年。
3.本間康平「地方教育会と教職」『教職の専門的職業化』有斐閣、1982年。
4.梶山雅史「京都府教育会の教員養成事業」本山幸彦編著『京都府会と教育政策』日本図書センター、1990年。
5.渡部宗助『府県教育会に関する歴史的研究-資料と解説』平成2年度文部省科学研究費(一般研究C)研究成果報告書、1991年。
6.梶山雅史・竹田進吾「教育会研究文献目録1」東北大学大学院教育学研究科編『研究年報』第53集第2号、2005年。
 ※ あと『長野県教育史』(1978~1983年)と『岐阜県教育史』(1998年~)の教育会に関する部分を読んでおけばもっとよいかな。『山口県教育史』(1986年)や『島根県近代教育史』(1978~1979年)も、教育会を否定的に評価して無視せずに、ちゃんと叙述されていてなかなか良いと思います。

 1は教育会に関する歴史的背景をきちんと押さえておくために重要。2は教育会の前史と中央教育行政との関係から教育会を性格づけた基本文献。3は地方教育会の職能団体的性格がわかりやすく整理された研究で読みやすい。4は教育情報回路としての地方教育会像を提唱する梶山氏の教育会研究の出発点。本山幸彦氏の「まえがき」も読んでおきたい。5は地方教育諮問機関(御用団体)・職能団体としての府県教育会像を問い直した研究で、基本資料も豊富。6は今までの教育会研究が総括され、かつ今後の展望が示されているため重要。
 以上6点が教育会研究のポイントを比較的押さえており、教育会研究の基本文献だと思います。思いっきり絞りました。当然この他の論文も大事です。なお、これらに加えて研究対象である教育会の活動地域に関する地方教育史を読む、というのがセオリーかな。あと、何度も申し上げますが、この基本文献は私の独断と偏見によって構成されています。

 「これも重要だよ」という情報、大歓迎です。m(_ _)m
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

休日

2006年07月17日 23時55分55秒 | Weblog
 今日は休日。長旅で疲れていたので、思いっきり休みました。
 仙台行のため車を大学に置いており、自転車も盗られたままなので、どこにも行けず(笑)、家にいました。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

教育情報回路教育会研究会二日目

2006年07月16日 23時55分55秒 | Weblog
 研究会二日目。
 今朝は昨日とはうってかわってカラッと晴れました。時間が経つにつれて曇ってきましたが。写真は研究会会場の窓から見えた温泉の湯煙?
 研究会は、もともとの予定では午後まであったのですが、午前中で終わる日程に変更になりました。
 今日の報告は、T大のS水先生の「地方教育会成立事情-群馬県における自由民権運動と教育会の発足」、S大のS藤先生の「地方教育会の終焉と教職員組合の発足-教育研究の側面から」でした。まとめると、S水先生の報告で郡教育会の成立と自由民権運動の関係を捉え、S藤先生の報告で戦後の地方教育会廃止から教職員組合発足までの経緯を把握した、というところでしょうか。S藤先生の「民間教育研究団体は教育会の再生ではないか」という仮説は、非常に興味深く聞きました。というのも、私は前々から、大日本教育会・帝国教育会を教育研究団体として捉え直そうとしていたためです。「大日本教育会・帝国教育会は教育研究団体だ!」と言い切ることは、いろいろあって二の足を踏んできたので、活字化はされてませんが… S藤先生は従来から宮城県教育会の教育研究活動・研修活動に注目されていただけに、教育会を「教育研究団体」と定義するのに迷いはないですね。
 さて、昼食後、解散となりました。14時に鳴子温泉駅を出発し、22時半ごろ西条駅に到着。バスがもうないので歩いて帰宅。タクシーは1千円以上かかるので。幸い本格的に雨には降られなかったので、助かった~。次の研究会は、来年1月初旬とのこと。K先生から次回の報告を求められた先生方はお忙しいようで言葉がつまっていましたが、非常に楽しみなことです。
 ちなみに、少しの間でしたが、帰りの電車でK大のS先生、R大のM先生、K大の院生Nさんと話ができたのがうれしかったです。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

教育情報回路としての教育会研究会

2006年07月15日 23時55分55秒 | Weblog
 今日は研究会一日目。
 写真は研究会会場の窓から見た鳴子温泉街。なお、写真は16日朝に撮ったもの。15日当日は雨。昨日ものすごい暑かったのに対して、今日は雨のおかげで涼しくなりました。
 研究会の名称は、事務局では「教育情報回路研」と呼ばれているようです。基礎となるのはT大のK先生の科研「近代日本における教育情報回路としての中央・地方教育会の総合的研究」です。私も研究協力者として参加させていただきました。
「教育会研究会」と呼ばないのは、K先生が元々開催していた研究会の名前がそうだから?
 会場は鳴子温泉にあるT大研修所の鳴子会館でした。T大の院生が車で早めに行くということなので便乗させてもらい、9時前に会場へ出発。途中、私の恩師S先生の別荘の近くを通り、いまさらながらびっくり。余裕を持って早めに出たわりに、到着はちょうどいい時間になっていました。そこで少しですが、私も会場設営のお手伝いをしました。
 14時少しすぎに研究会開始。予定されていた参加者は、研究担当者の先生方とそのお手伝いをする先生・院生等を含めて、全部で27名(このうち数名欠席者あり)でした。研究報告は、K先生の「共同研究の課題と展望」、W先生の「教育会と『外地』」、I先生の「山形県教育会成立前史」の報告がありました。粗くまとめると、K先生の報告でこの研究会が有する課題の全体像をつかみ、W先生の報告で旧植民地の教育と教育会の関係をつかみ、I先生の報告で幕末明治初期にあった教育関係の会議から地方教育会への発展可能性を見いだした、という感じでしょうか。どれも興味深い報告でした。
 19時少し前ぐらいから懇親会。T先生を中心に盛り上がりました(^^)。なお、宿泊の部屋は共同。I大のY田先生とK大のY本さんといっしょでした。懇親会の二次会の会場が我々の宿泊部屋だったので、懇親会を最後まで堪能しました(笑)。
 24時ぎりぎりに鳴子会館備え付けの風呂へ。普通の風呂かと思いきや、温泉。肌がつるつるです(笑)。
コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

日本音楽コンサート

2006年07月09日 23時55分55秒 | Weblog
 今日は日本音楽コンサート当日。
 朝少し寝坊してしまい、少し遅刻。東区民センター到着後は、ほぼすぐにリハーサルの開始。私はコンサートの企画者兼演奏者でしたので、まったく休む暇なく動いておりました。ようやく一息ついたかと思えばすぐに本番が始まり、結局16時少し前にコンサートが終わるまで息のつけない忙しさでした。わざわざ松山から母(たぶん父も来ていたと思う)が来てくれたけれど、数十秒もしゃべらないうちに次の仕事をしなくてはいけなくて、ほとんど話もできませんでした。終演後の見送りの時も、もっと話したい人がいても中途半端にしかはなせなかったのは残念です。
 ただ、もっと残念だったのは、演奏の音がほとんど観客に届いていなかったらしく、観客のみなさまに不満の残るコンサートになったようであった点です。終演後、知り合いから残念だったと言われたり、一部のアンケートに書かれていたので気になっていたのですが、後で録音を聴いてみたところ、本当にそうだなと思いました。準備期間1年と裏方を見てきたところ、一番の原因は出演者が音楽以外に持っている仕事からくる「疲れ」のようです。でも、「疲れで演奏を曇らせること」は、せっかく来てくれる観客のみなさんに対して許されることではないので、なんとか仕事と演奏を両立できる道はないか、と考えてしまいます。まあ、永遠の課題かもしれませんが…
 まあともかく、細かいことはいろいろあれど、最終的にはコンサートは盛大に終わりました。なかでも、一般公募者(+賛助者)を募って演奏した、最終曲目の「秋の一日」は、大成功だったと思います。今回、「一般公募」にこだわってコンサート企画をし、山あり谷ありでやってきた私としては、感無量でした。ちなみに、演奏中感激で涙が出そうになりました(笑)。
 打ち上げでは、明日の論文〆切を気にしながら、ビールと焼酎を飲みました。コンサート衣装は和服だったのですが、湿気もあってものすごく蒸し暑くて汗だくになっていたので、ものすごくお酒がおいしかったです。なお、打ち上げでは皆思い思いに話をし、音楽とは何かやどうすればいい演奏・作曲ができるか、といった濃い話もできました。
 飲み過ぎからくる頭痛と吐き気を抑えながら、日付変更の少し前に帰宅。さぁ、明日は紀要論文を仕上げないと…
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

不眠と風邪

2006年07月06日 19時26分30秒 | Weblog
 今朝は体の重みも解け、ノドのはれもひきました。鼻水とくしゃみがひどいですが、少し楽になりました。
 昨夜は(も?)うれしくない状態だったのでひとまず安心。実は、このところうまく眠れないのです。「不眠」の症状には、なかなか眠れない「入眠障害」、眠れるけど熟睡した気がしない「熟眠障害」、夜中に目が覚めて眠れなくなる「中途覚醒」、朝早く目覚めて再び眠るのがむずかしい「早朝覚醒」の4種類があるそうです。これによれば、昨夜の私は入眠障害の状態でしたし、昨夜は違いましたがよく夜間覚醒の状態になって夜中に学校へ行ったりします(笑)。不眠の原因になるのは、精神的ストレスが最も多いようです。医者にかかったほうがいいらしいですが、まあ、根本的な原因はわかってて、最低あと半年は続くでしょうから(笑)、しばらくどうにもならないのではないかと~。
 三味線の練習を30分ほどしてから、登校。
 今日はY先生はお忙しそうで、紀要論文についてのお返事はナシ。うぅーん、〆切は来週月曜日だけど、大丈夫だろうか…。心配でなかなか集中できませんでしたが、今日は7月下旬〆切の原稿をひとまず仕上げました。この原稿は私の研究の紹介みたいなもので、研究論文ではないのですが、おもしろく書くか、理論的に書くかで、ちょっと悩む。まあ、私みたいな若輩者がおもしろく書こうとしたところで、説得力のあるものを書けるわけがないので、選択肢にもならないのですが。
  
 九州は雨で大変なようですが、今日の東広島は曇で雨がパラついた程度。台風三号が気になる私。
 9日コンサート当日(しかもコンサート中)、台風直撃しそうだなぁ。やだやだ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

履歴の分からない重要人物

2006年07月05日 19時51分01秒 | Weblog
 頭が痛い~…
 風邪が治りませぬ。治るどころか、入れ替わり立ち替わり違う症状が出てきて、大変。今日も昼頃出校。なんとか紀要論文の修正をし、Y先生にお渡しする。今日は返事ナシ。残念。
 頭痛に悩まされながら、紀要論文の続きになる部分の論文を書く。いつものごとく役員の履歴を調べているのですが、「木寺安敦」という人物の調査でつまずく。『東京都教育史』によると、東京市京橋区学務委員だったということではあるけど、手元にはまんまの資料はなく、手元の資料では確認できない。東京府教育談会の結成期から役員を務め、東京府教育会の役員も務めており、東京府の大物教育関係者であることは間違いないのですが、学務委員しかしていなかったのかなあ? 明治20年代前半の大日本教育会でも役員を歴任しており、私にとっても重要人物。それでも履歴がわからないのはツラいなぁ。『京橋区史』を見てみたいが、広島ではすぐ見ることができない。文部省や府県の官吏は、『職員録』を見ればだいたいわかるのだけど。
 収穫の少ない資料調査を終えると、すでに外は暗くなっている。頭痛と体の重さは相変わらず。もう帰ろう…
コメント (6)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

学振特別研究員と金

2006年07月03日 17時00分15秒 | Weblog
 風邪ひきました。
 ノドが痛いです。
 午前中意識的に休んで少し楽になりましたが、仕事はまったくはかどりません。
 もう帰りたい…
 そうそう、実家の母いわく「はよぅ支払わんと除籍にするど」と催促状がきたそうなので、前期の授業料をようやく支払いました。日本学術振興会特別研究員(DC)は金を持っている印象があるようですが、学費と健康保険料・年金を払うと奨学金と大して変わらない額しか残らず、バイトもできませんので、思われているほどあんまり金は持っていません。とくに、毎年4月は2年目・3年目でもお金が振り込まれないので、4月は極貧です。科学研究費がつくので資料調査・学会参加は気兼ねなくできますが、予算の関係だかで7月くらいまで研究費は使えません。申請すれば研究費の内定が出た6月末ごろから使えるようになります。ということで、4月~6月の資料調査・学会参加等の費用は自分の懐から立て替えないといけません。そのため、4月~6月は、学振DCにはお金がありません。よっぽどため込んでいないと、半期27万近くの授業料は振込〆切を過ぎないと払えねーので、大学さま〆切オーバーは堪忍してください。m(_ _)m
 学振特別研究員は、学費や保険料を払って研究生活を送るため、バイトしなくてもいい、というところにメリットがある。間違っても金持ちにはなれません(笑)。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

散漫

2006年07月01日 20時34分36秒 | Weblog
 今日は寝起き悪し。9時からTさんと合奏練習の予定でした(もともと午後1時からの予定でしたが、昨日夜予定変更)。が、40分寝坊。Tさんの電話で起床、すぐにTさん宅へおじゃまする。寝起き(しかも悪いときの寝起き)の頭のため、譜読みが追いつかない+頭が動かない+手が動かない、の三拍子。しかも、雨で湿気が高く、楽器の調子がよくない。三味線は、皮と木と糸でできているので、湿気が高いと変質してしまうのです。指も湿気でふやけてしまい、うまく演奏できない。
 そんなこんなで演奏はうまくいかず、さらに偶発的な某理由(笑)が起こったため、まったく集中できませんでした。気分散漫。合奏の感覚はだいぶ取り戻してきたので、なんとか本番までには間に合いそうですけどね。本番まで、コンディションを良くしていかないとなぁ。
 練習後は登校、といきたかったのですが、強い虚脱感と疲労感のため、いったん自宅で休養。しかも、鼻風邪の鼻づまりも加わって、何かをしようという気力がいっこうに湧いてこない。結局夕方までダラダラと伏せっておりました。
 夕方から、コンサート打ち合わせと当日に必要な資料を作成。
 あぁ、一日が終わってしまった…
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする