教育史研究と邦楽作曲の生活

一人の教育学者(日本教育史専門)が日々の動向と思索をつづる、個人的 な表現の場

目次詳細(子どもの主体的活動を引き出す 第8~14章・結章・補章)『教育の理論①教育の思想と歴史―教育とは何かを求めて』Kindle版

2022年04月29日 23時55分49秒 | 目 次
 テキスト第1巻を、2022年3月31日にKindle版電子書籍として出版しました。先日よりKindle版電子テキストの目次詳細を公開しておりますが、今回は第8章から最後まで。
 第8章~14章から成る第2部は、教育の歴史を通して教育とは何かについて考える内容です。一部に日本教育史を含みますが、主に欧米教育史(西洋教育史)を取扱います。日本教育史は第2巻以降でたくさん取り上げますし、日本の学校教育は欧米の影響なしには成立していないので、まずは第1巻では重要な欧米の教育思想史を論じました。第2部に登場する主な思想家は、コメニウス、ルソー、カント、汎愛派、ペスタロッチー、フレーベル、モンテッソーリ、デューイです。いずれも教育史を語るうえで絶対に欠かせない思想家たちです。本人たちの学説をできるだけきちんとふまえて書いたつもりです。
 第8章では近代学校教育の歴史とくに義務教育の歴史がなぜ始まったか明らかにし、第9章ではなぜ教育において子どもの主体的活動に注目するようになったか明らかにし、第10章では知識伝達にとどまらない「教えること(教授)」の思想がどのように始まったか明らかにし、第11章では子どもの主体的活動の極みともいうべき「遊び」について、どのようにその教育的意義を引き出されるにいたったか明らかにしました。第12章では子どもが自ら知的に発達するそのあり方と支援法について明らかにし、第13章では主体的活動を前提とした子どもの教育がどのような社会的意義をもつかについて明らかにしました。最後に、子どもがただの大人の愛護を受ける受け身の存在から権利の主体になっていった経緯をたどります。こうして、第2部では、人類が子どもの主体的活動に注目し、それを方法的にも制度的にも引き出そうとしてきた教育の思想と歴史について明らかにしています。第2部を読むことで、第1部で論じてきた現代日本にとって重要な教育思想について、その歴史的意義が深く理解できるようになります。
 また、結章のあと、補章として教育史教育について教師教育上のその意義を論じています。教師を目指す方や学校教育に何らかの形でかかわろうと思われている方は、補章も読むことで、本書の学習経験を専門的知識の習得にとどめず、教育者として成長するための糧にしてほしいと思います。


白石崇人『教育の理論①教育の思想と歴史―教育とは何かを求めて』Kindle、2022年。

・・・
 第2部 教育の歴史
第8章 なぜ人類は子どもを学校に行かせるようになったか?―義務教育の歴史
 1.義務教育の基本的な考え方
 (1)保護者・行政の義務と子どもの権利
 (2)義務教育の性質
 2.なぜ人類は子どもを学校に行かせたか?
 (1)子どもと労働
 (2)すべての子どもを学校で教育する
 3.義務教育の必要性
第9章 なぜ人類は主体的活動に注目したか?―啓蒙の教育思想
 1.啓蒙思想の目指したもの
 2.ルソーによる子ども期の問題化
 3.汎愛派による教育技術の追究
第10章 「教えること(教授)」とは?―ペスタロッチーの教育学
 1.ペスタロッチーの生涯
 (1)貧民教育の理想と執筆活動
 (2)学園の教育実験―メトーデ、基礎陶冶の理念、「生活が陶冶する」
 2.ペスタロッチーの教育方法論
 (1)人間の発展モデルと教育方法
 (2)メトーデ(教育方法)の開発
 (3)「生活が陶冶する」
第11章 「遊びの教育的意義」とは?―フレーベルの幼児教育思想
 1.ペスタロッチーの批判的継承
 2.遊びを保護・指導する方法
 3.一般ドイツキンダーガルテンの設立
第12章 「知的発達」とは?―モンテッソーリにおける障害・発達・教育
 1.子どもの科学者
 2.モンテッソーリ・メソッド
 (1)健常児に対する障害児教育法の応用
 (2)感覚教育
第13章 「教育の社会的意義」とは?―デューイの民主主義教育
 1.デューイは教育をどう定義したか?
 (1)人間社会と教育
 (2)思考を導く環境による教育
 2.民主主義社会を実現する教育
第14章 「子ども」とは?―権利の主体としての子どもの思想の誕生
 1.子どもらしさの保護と伸長
 (1)愛護対象としての子ども
 (2)子ども期への注目
 2.子どもの権利の保障
 (1)働く「小さな大人」
 (2)子どもの権利を保障する国家
結 章
補 章 教職課程における教育史教育の意義
 1.教育史教育とは何か?
 2.教職生活に役立つ原理的・批判的思考力の育成
 3.専門職になるための教育観の問い直し
以上

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目次詳細(学校教育の目的と方法を考える 第4~7章)『教育の理論①教育の思想と歴史―教育とは何かを求めて』Kindle版

2022年04月27日 19時43分00秒 | 目 次
 拙著を、2022年3月31日にKindleの電子書籍で発行しました。目次はこちらのサンプルで見ることができますが、ここではより詳細な目次を公開しております。
 今回は第4~7章について。先日の第1~3章と合わせれば、第1巻第1部の目次詳細を把握できます。第1巻第1部は、教育の思想を通して教育とは何か、どうあるべきかを考えていく内容になっています。とくに、現代日本の教育を考える際に重要な思想について検討しています。第1章では「教育」という言葉のそもそもの意味について語源に見られる思想から考え、第2章では知識技能の一方的伝達に止まらずに「わかる」ことを目指す教育について学習の思想から考え、第3章では学校教育に止まらない様々な教育の領域分野について生涯学習の思想から考えています。第1~3章は、いわば現代日本の教育が目指す方向性について、学校教育を含みつつそれを超えた広い範囲で考えることができるように構成した内容になっています。
 一方、第4~7章は、学校教育の思想について深く掘り下げています。第4章では公教育の目的について法律条文に見られる思想から考え、第5章では学力形成について学習指導要領と人間形成の思想から考え、第6章では授業について授業づくりの基本的な考え方を捉え、第7章で「主体的・対話的で深い学び」の実現に向けた教育について主体的学びと対話的学びが交差する学習集団論を例にして考えています。第4・5章では、法律上の学校教育の目的(教育全体の目的に対する意味も含め)と現代日本の教育行政・経営において重要目的に位置づけられている学力形成を取り上げ、これまでの教育が何を目指し、これから何を目指していくかに焦点をあてて考えます。その後、第6・7章で学校教育の中心である授業のあり方について考え、とくに個人の学びと集団での学びの両面をバランスよく見ていく視点から授業について考える、という仕組みになっています。なお、このあたりの内容は、私もまだ満足しているわけではないので、もっと研究していきたいところですが、とにかく現代日本が目指すべき学校教育について、中心的な思想を踏まえて考えることはできる本になっていると思っています。


白石崇人『教育の理論①教育の思想と歴史―教育とは何かを求めて』Kindle、2022年。

第1部 教育の思想
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第4章 公教育の目的とは?―学校教育法・教育基本法・日本国憲法の教育思想
 1.目的とは何か
 2.教育全体の目的
 (1)教育基本法における教育目的
 (2)教育目的の達成によって目指すもの
 3.法令上における学校教育の目的
 (1)幼稚園・小学校・中学校教育の目的
 (2)高等学校・大学・高等専門教育・専修学校教育の目的
 (3)義務教育学校・中等教育学校・特別支援学校・高等専門学校教育の目的
第5章 学力形成とは?―人間形成としての教育
 1.多様な学力観
 (1)「確かな学力」と「三つの柱」
 (2)「新しい資質・能力」観
 2.学力形成の道筋をつくる―教育課程の編成
 (1)国の教育課程―学修指導要領・幼稚園教育要領
 (2)PDCAサイクルと学校・教師・保育者
 3.「学力形成」と「人間形成」
第6章 「授業」とは?―授業の深みと広がり、そして前と後
 1.授業とは何か
 (1)授業と教材
 (2)授業・保育の過程
 2.授業づくりの基盤
 (1)教材研究と子ども理解
 (2)授業とそれ以外の教育活動
第7章 「主体的・対話的で深い学び」とは?―個人の学びと学び合い
 1.「主体的・対話的で深い学び」についての中教審の定義
 2.主体的学びと対話的学び―みんなでわかり合うための学習集団
 (1)集団活動を取り入れた授業
 (2)集団思考を導く問答
 (3)学習集団の指導者としての教師
・・・
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目次詳細(第1~3章)『教育の理論①教育の思想と歴史―教育とは何かを求めて』Kindle版

2022年04月25日 23時59分00秒 | 目 次
 大学で使用してきた自作テキストについて、Kindleの電子書籍化を始めました。3月31日、ぶじ第1巻を刊行しました。分類上は私家版になるようなので、研究業績としては「その他」にとどめるしかないようなのですが、今年で14年目の大学教育経験の集大成としていったん発表してしまおうと思い、公刊しました。全4巻で、2022年4月25日現在、第1巻・2巻が既刊です。
 第1巻は『教育の思想と歴史―教育とは何かを求めて』と題し、教育について1から学びたい(学びなおしたい)人向けの本に仕上がりました。価格は新書版程度に抑えました。手に入れやすい金額になったかと思います。Amazonの購入ページ(こちら)でサンプルが見られますので、一度見てみていただければ嬉しいです。また、Kindle Unlimited会員だと追加料金なしで読み放題です(ひと月に単行本や雑誌を2~3冊買う人はこちらのほうがお得かも)。
 目次は、サンプルやAmazonの購入ページで見られますが、興味を持つ人が増えればいいなと思うので、もう少し詳細な章節構成を本ブログで何回かにわけて紹介させてください。目次を見ると、いくつかの章が、社会評論社発行の拙著『幼児教育とは何か』『保育者の専門性とは何か』と似ていることに気づかれる方もいるかと思います。しかし、それらの章も、社会評論社発行の2著の原稿を基礎にしつつ、かなり加筆修正していますので、まったく同じ原稿ではありません。前2著をお持ちの方は、見比べるなどして遊んでみてください。

 なお、表紙の作者は妻です。私のアイディアをさらにアレンジしてくれて、素晴らしい表紙を作ってくれました。本当に多才な人で、尊敬しています!


白石崇人『教育の理論①教育の思想と歴史―教育とは何かを求めて』Kindle、2022年。

序 章 教育の思想と歴史を学ぶこととは?
 第1部 教育の思想
第1章 「教育」とは何か?―語源から考える
 1.「教育」の語源
 (1)「教(おしえる)」の語源―交流の文字に着目する
 (2)「育(そだつ)」の語源
 (3)教育が成り立つには―「教育する者」と「教育される者」との関係
 2.「学習」の語源
 (1)「學(まなぶ)」の語源
 (2)「習(ならう)」の語源
 (3)学習と教育との不即不離・表裏一体な関係
第2章 「わかる」とはどういうことか?―学習の思想
 1.「わかる」とは?
 (1)意図的な行為としての「見ればわかる」
 (2)新しく「わかる」こと、すでに「わかっている」こと
 (3)「わかる」と「おぼえる」
 2.「わからない」とは?
 (1)何が問われているか、がわからない―自分で必然性を補う必要
 (2)なぜわからなければならないか、がわからない―価値を味わう必要
 (3)わかる気がない―やる気を出すには?
第3章 学校教育とは?―生涯学習における教育
 1.生涯学習の中の学校教育
 (1)生涯学習と学校教育の関係
 (2)生涯学習の基盤としての「生きる力」
 2.学校教育を考える枠組み―学校の内と外
 (1)学校教育/非学校教育
 (2)学校教育を詳細に考えるための枠組み
 (3)教育学の諸分野
 ……
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後月郡教育会史研究会編『後月教育をきり開いた枝益六』

2022年04月09日 10時18分00秒 | 教育研究メモ
 岡山県井原市に後月郡教育会史研究会という研究会があります。後月(しつき)とは、岡山県後月郡、現在の井原市のことを指します。井原市内の学校を退職された先生方が集まって、地元にあった後月郡教育会やその周辺の関係する教育史について、熱心に研究されています。2018年に会長のT氏が周りに声をかけて結成され、昨年5月、いったん研究成果をまとめて『後月教育をきり開いた枝益六』を発行されました。
 私は同研究会結成以前から研究に関わっておりましたので、同著に以下の祝辞を寄せさせていただきました。発行からしばらく経ってしまいましたが、せっかくなのでここで紹介させていただきます。

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 このたびは出版おめでとうございます。本書は、後月郡教育会史研究会の先生方による努力と情熱の結晶です。枝益六は、阪谷朗盧(素)・坂田警軒に並んで後月教育をきり開いた大人物の一人でした。枝が活躍した明治期は、日本初の公教育制度創立の時代であり、各地にその大事業に尽力した人物が登場しました。枝益六はその一人です。
 枝の業績の一つに、後月郡教育会の創立があります。教育会は、明治期に全国各地に誕生し、地域の公教育普及・改良に取り組んだ団体でした。その多くは戦後直後に解散しましたが、地域の公教育を自分事としてつくっていくために地域の人々にとって欠かせない「よりどころ」でした。後月の地にその「よりどころ」を創ったのが枝益六です。枝益六研究は今後の後月郡教育史研究に大いに資するでしょう。後月郡教育会史研究会には、枝研究にとどまらず、いっそう研究を進めていただくことを願います。私も微力ながら助力させていただければ幸甚です。
 令和の世になり、明治・戦後直後に続く公教育の大転換が迫っています。この激流に向き合うためには、自らの地域の歩みを確認することがまず大事です。この後月の地で、江戸期の教育遺産を継承しながら前人未踏の公教育制度を立ち上げた枝の歩みは、今を生きる我々にとって貴重な知的財産となることでしょう。読者の皆さんが、本書によって「史心」をかきたてられることを望みます。
 (後月郡教育会史研究会編『後月教育をきり開いた枝益六』私家版、2021年に寄せた拙文より)
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 本書でクローズアップされた枝益六(1847~1909)は、福山藩士の子で、1871年に備後国大門村啓蒙社(窪田次郎の建議から始まった啓蒙所の一つ)で教師に就いて以降、39年間教職を勤め続けた教育者です。1874年に福山誠之館で井出猪之助から小学校教授法を授かり、1875年に小田県伝習所(現井原市興譲館)で伝習証書を得て元之小学(現井原小学校)の首座訓導となって以降、後月郡教育の中心人物になりました。当時は1872年の学制による公教育制度がまだ未発達のころです。まさに枝は、後月郡の公教育実践の元を作った、井原市の教育史には欠かせない重要人物の一人です。
 枝は、後月郡の巡回訓導や小学督業をつとめながら、後月中学の教頭や精研高等小学校長を務めています。また、私立後月郡教育会の初代会長をつとめ、外部との連絡にも積極的につとめており、地域に外部の情報を、県外・県内に後月郡の情報を伝える役割を果たしました。よく言及される枝の業績の一つには、岡山県内二番目の幼稚園として1886年に元之小学附設幼稚保育場(現井原幼稚園)を設置したことです。また、音楽教育にも注目して、1889年に県教育会雑誌に寄稿しています。誰でもできる子守の延長としてしか幼児期の教育が認識されていなかった当時、そして小学校の音楽教育もまだ必須ではなく「加えることのできるもの」でしかなかった時代に、枝は早々に幼稚園を創設し、かつ小学校における音楽教育の工夫を県内全域の教育者に問いかけたのです。そのほか「後月の地理」の制作や人類学(考古学)研究にも取り組みました。枝は、1896年に福山尋常小学校・福山女子尋常高等小学校の校長に転出し、広島県の比婆郡・世羅郡の視学を歴任しました。1904年からは愛知県の安城農林学校の教師を務め、同職在任中に死去しています。枝は、岡山県はもちろん、広島県・愛知県の教育史にもかかわる重要人物といえるでしょう。
 『後月教育をきり開いた枝益六』は、枝の愛知でのことや、実弟の枝徳二(1863~1932、台南庁長で嘉南大圳などの灌漑工事を進めた)のこと、元之小学の後任校長であった平野恒吉のこと、そして後月郡教育会などについても詳しく記述され、周辺人物・組織も含めた枝のことがよくわかる伝記になっています。

 後月郡教育会史研究会のことも少し。同研究会のT会長は、2004年に井原小学校でまとめて見つかった『私立後月郡教育会報告書』第1~60号(1893~1917年)の研究を志し、長年研究されていました。私は2011年頃からT会長に教育会史研究のことで相談され、2015年から時々、直接・間接に関わってきました。自分でも研究させてもらいましたが、やはり「地元の教育史は地元の人間が研究していくのが望ましい」という思いから、T会長に研究会の組織化を何度か持ち掛けるうちに、同研究会が結成されました。もちろん、T会長にもお考えがあってのことですが、かつて全国各地に存在し、地域の公教育を作りあげてきた地方教育会の研究を、地元の方々が自らの手で進めていかれていることが、私にはとてもうれしく思います。
 後月郡教育会史研究に私が直接かかわるきっかけになったのが、2015年に井原市教育センターの自主事業で私が講演した「明治期における研究する教師の起源」でした。その内容は、博士論文に関する研究(のちの『明治期大日本教育会・帝国教育会の教員改良』)と鳥取県教育会の研究(『鳥取県教育会と教師』)を組み合わせた文脈のもとに、『私立後月郡教育会報告書』の歴史的意義を指摘したものでした。地元の校長先生や歴史に関心のある先生などが聴きにいらしたのですが、後になっても「あのときのことは覚えていますよ」と言っていただけることがあります。それが今の研究会につながっているので、話した甲斐、教育会の研究をしてきた甲斐がありました。
 後月郡教育会史研究会は、今は『現代語訳で読む私立後月郡教育会報告書』上巻・下巻をまとめていらっしゃるとのことです。教育会雑誌を現代語訳する活動はおそらく史上初めてのこと。コロナ禍以降、井原市にまったくうかがえていないので、不義理を重ねております。2019年の拙稿「岡山県後月郡教育会による地域教員の組織化と学習奨励―明治・大正初期(1893~1917年)を中心に」(科研費中間報告書所収)以降、研究課題がたくさん残ったままなので研究を進めたいですが、はたして…。
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大事にしたい言葉として「受け止める」が出てきたことについて

2022年04月07日 19時57分00秒 | 教育研究メモ
 2022年度が始まりましたね。
 今年度は再び1年生チューターに戻り、新入生のガイダンスと来週からの授業準備に挟まれて忙殺されております。さらに、その他いろいろな仕事が合流し、重圧にさらされております。昨年度は精神的に参っていてどうしようもなかったのですが、新年度は物理的にさばききれるか不安で仕方ありません。

 今年の新入生は真面目そうだなという印象です。広島市の最北にある大学の教育学部をわざわざ選んでくださった人たちですから(遊びたいならいくらでも他はあるわけで)、納得なのですが。さて、この真面目さを学びや多様な経験に仕向けていくのが我々の役割。うまく学びに向け、適切な機会を与えられれば、学生たちはぐんぐん伸びます。連日続くガイダンスの中で、個性も少しずつ見えてきました。しっかり育てていきたいと思います。
 上級生が用意してくれた新入生歓迎行事の中で、インタビュー付きの教員紹介がありました。私には「大事にしたい言葉はありますか?」という問い。一番鮮明に浮かんだ言葉が、「受け止める」でした。私の授業を受けてきた人は何のことかおそらくわかると思います。インタビュアーの上級生も、「それ!」という反応だったのでうれしいです。
 「受け止める」は教育方法としても重要な概念ですが、自分の人生においても、とても大事な言葉になったことを実感しました。学生を、同僚を、友人を、妻を、娘を、出会ったすべての人々を、いったんまず「受け止める」こと。相手をどうこうしようとする前に相手を「受け止める」ことの大事さ。ほんらい幼児教育・保育の概念ですが、教育一般や人間関係の根本概念だと思って大事にしてきました。行きがかり上のことでしたが、教育学一般にとどまらず、幼児教育を学んでよかったなと思っています。
 今年度も、新入生たちの「学びたい気持ち」を受け止めて、しっかり返していきたいです。

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