教育史研究と邦楽作曲の生活

一人の教育学者(日本教育史専門)が日々の動向と思索をつづる、個人的 な表現の場

2015年の振り返り

2015年12月31日 16時16分32秒 | Weblog

 今年はほとんど書き込みをすることができませんでした。忙しさはいつもどおりだったのですが、公にできる話が少なかったので(^^;)

 さて、今年は前半・後半で落差のある年でした。前半は、忙しい上に心のバランスを崩して苦しんでおりました。「他人に愛してもらいたければ、自分で自分を愛することが大事である」ということを改めて再確認したのが前半期でした。そして、後半期は、他人からの愛を素直に受けとめることの大事さを実感しました。与えられる愛情に溺れたり、慢心したりしないように、自分も他者も大事にしていこうと思います。

 今年は、研究面では今までと少し違った形で実績を残すことのできた年でした。まず、教員史・教育団体史研究に関する書評2本。研究書はそこそこ読んでいますが、内容をまとめて評価することを通していろいろなことに気づくことができます。次に、単著『鳥取県教育会と教師ー学び続ける明治期の教師たち』(鳥取県、2015年)を出版できたこと。学位論文より先になってしまいましたが、長年やってきた教育会史研究のノウハウを存分に生かして、なお読みやすく、今を生きる教師を励ますことを目指した教育史研究の書を上梓できたことはとても嬉しいことです。3つ目には、教師の教育研究に関する歴史研究を本格的に開始したことです。3月に活字化した帝国教育会の教員講習の研究はもちろん、これまでの学位論文や鳥取県史研究を含む成果を総まとめしました。その結果を5月・8月に機会をいただいて、学生や初任者研修で報告し、教師教育に役立てられたのは望外の幸せです。また、9月や11月の学会ではそれらに関する研究を発表できました。4つ目は、『日本教育史研究』における教育会史研究の課題と展望を見通す仕事に加われたことです。その前にも、数年前にやった教育情報回路研究の総括の仕事も、ひっそりと評価されたこともうれしいことでした。5つ目は、教育史教育に関する論文をまとめられたことです。活字化はまだですが、これは何としても活字化したいと思っています。

 教育面では、まず、『保育者の専門性とは何か』改訂版を出版できました。教科書に採用してくれた先生にありがとうを言いたいです。私に印税は入りませんが…(笑) 次に、1年生チューター主任の業務を経験しました。自ら学び、ともに励まし合う主体的・協導的な学生集団を形成することを目指し、他のチューターの先生方と協力しながら結果を残すことができました。3つ目には、アクティブラーニング的授業を模索・実践しました。学生を思考停止させず、主体的・協導的学びに導く大学の授業について、少し自分なりのあり方をつかめたように思います。4つ目には、初めて、教職課程担当教員志望の大学院生の教育実習を受け入れました。激務の中でしたので十分考える余地がなかったのですが、状況が変わればまだまだできることがあるなと思いました。5つ目には、新しい授業や教材の研究開発を進めました。教育原理・教師論・保育者論・道徳教育の授業について、少し進化改善できたと思います。6つ目には、卒論指導の改善です。昨年度に初めての4年大ゼミ生を卒業まで導きましたが、最後の一年間だけの指導だったので、いろいろ悔いの残るものがありました。その反省を生かして、2・3年生からの卒論指導を見越した教育課程を組み上げ、ある程度教員集団内で共有し、実施に移しました。

 そのほか、10月末にぎっくり腰をやって、何もかも予定が狂ったこともありました。11月には、中四国保育学生研究大会で、開会式・閉会式の主担当をやりました。実行委員の先生方・職員方、そしてボランティア学生諸君のおかげで、1000人もの参加者相手に満足していただける式を実施することができました。それから、教員養成改革や学習指導要領改定、保育士代用制度、保育者の低待遇、道徳教育、早期教育などの諸問題に関心をもって、少し学内外に情報提供や意見を紹介することができました。

 あと、4月にこのブログ「教育史研究と邦楽作曲の生活」が10周年を達成したり、7月に家のベランダにハチが大きな巣をつくってたので駆除してもらったりしていました。

 こうしてまとめてみますと、意外にたくさんのことを達成していたようです。来年は何を成し遂げられるかな。

 さあ、今から松山に帰ります。

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幼稚園・小学校教諭による保育士の代用について

2015年12月18日 20時13分15秒 | 教育研究メモ

 平成27年12月4日、厚生労働省保育士等確保対策検討会が「保育の担い手確保に向けた緊急的な取りまとめ」をまとめました。10日、厚生労働省のHPで公表されたので、本文はこちらで確認してください。
 これは、以前から問題になっている「保育士を幼稚園教諭・小学校教諭免許状所有者で代替する」という方針の最終版です。問題は、とりまとめの2の、一定の条件付きで保育士に代えて幼稚園教諭・小学校教諭・養護教諭を代用できるという方針です。無条件で保育士の代用ができるというような噂がちまたでは広がっていますが、いちおう条件がついたようです。幼稚園教諭は3~5歳児のみ、小学校教諭は5歳児のみ、養護教諭は現行の看護師等と同様の取り扱い(乳児対象)にするということです。たしかにやるとすればこうするしかないでしょう。また、恒常的な措置ではなく、緊急措置であるという但し書きがついています。これらは、省令などの改定によって実行される見込みです。

 さて、ここでは幼稚園・小学校教諭の件について限定して問題にしたいと思います。
 無期限・無条件の代用という最悪の事態が避けられたのは不幸中の幸いでした。しかし、まったく問題は解消していません。保育所で保育士が正規に保育できる立場にあるのは当然です。幼稚園・小学校教員は代替要員として保育所に入ります。そうすると、幼稚園・小学校教員は今の保育士より低い立場で職務にあたることになります。今の保育士より低い地位・待遇で、小免・幼免を活用できる立場にある人が保育現場に入ると、当局は本気で思っているのでしょうか。自発的にはありえないことです。保幼小の人事交流を意図しているのならわからなくもありませんが、それで今の保育士不足を解消できるほどの見込みがあるのでしょうか。
 3~5歳児に対する保育士の専門性を幼小の専門性と同一視することで、今後の保幼小(とくに幼保)の免許制度改革の伏線にしようとしているなら、大したものですが。(ただし0~2歳児に対する専門性が置き去りですがね)

 なお、本件の影響で保育者養成校の教員として気になるのは、学生の動揺です。保育士資格を取得するために必死で勉強しているのに、他の免許でもかまわないと言われては、自分たちのやっていることは何なの?と思うのも当然です。実際そう思っている者は1名や2名程度の小さいものではありません。今、保育士になる意欲を多くの学生が減退させれば、保育士のなり手がさらに減って大変なことになります。特に、こういう問題に敏感な学生は、様々な状況を見通す力を持つ優秀な学生であることが多いのです。そういう学生に余計な心配をさせないでもらいたいです。

 今、保育者養成校が増えていますが、新卒者を増やすことでは辞めていく保育士数を補充することしかできず、ベテラン保育士の数は増えず、保育士の専門性 は高まっていきません。経験年数3~5年でベテランと言われるようでは、いけないと思います。保育士の専門性が高まっていかないのは、乳幼児にとって不利 益ですし、その保護者だけでなく、国民・国家・社会にとっても不利益です。

 臨時措置は臨時措置ですから、時間をかせいでいる間に保育士不足を打開する有効な対策をうたなければなりません。
 保育士不足の有効な対策は、決まっています。保育士の待遇改善しかありません。待遇改善が行われることにより、保育者の資質を上げる強力な誘因になり、それが有効に働けば職場改善も徐々に進みます。断言します。

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教員養成における教育史教育

2015年12月14日 18時34分25秒 | 教育研究メモ

 13日、広島文教女子大学内で教員養成と教育学に関する研究会が開かれ、「教員養成における教育史教育」と題して発表しました。この研究会は、小さい内輪の研究会です。今回の参加者は、私以外、教育史ではない若手の教育学者でした。その中で、教育史教育が教員養成にどうかかわることができるのかについて発表しました。もともと、2015年の教育史学会大会シンポジウム「教育史研究と教師の教養形成」について報告してくれと頼まれていたのですが、前後の状況や教育哲学会の動向も含めて考えたいな、「こう考えた」ではなくて実際に行った実践とあわせてまとめたいなと思い、下のような構成でまとめました。

 教員養成における教育史教育

 はじめに
1.教員養成における教育哲学の「役立ち」の模索
2.教育史学会大会シンポジウムにおける教育史教育の問題
 (1)現実の教育問題や学生に応じた教育史教育の模索―1970年代
 (2)教員養成を超えた教育史教育の可能性―1993年
 (3)教職教養の形成役割に対する再注目―2015年
 (4)教育史教育論に残された課題
3.教員養成における教育史教育の試み
 (1)原理・理論系科目における問題史教育の実践
 (2)問題史的通史教育の模索
 おわりに

 こんな構成です。教育哲学会の議論も、教育史学会の議論もきわめて多様で、ひとつのテーマに収まるものではないのですが、教員養成における教育史教育に注目してまとめることに意義はあると思ってまとめました。議論は多様な問題意識・事実認識で行われてきていたため、かなり乱暴にまとめることになってしまいました。しかし、教員養成における教育史教育の問題があまりに問題にならない現状に対して、私は強く危機感を感じており、批判覚悟で誰かがまとめないといけないと思って、思い切ってやりました。
 作成中および発表後の質疑応答を通して、大なり小なり発言の取りこぼしや議論の単純化をしてしまうことに迷いを感じました。しかしそういった迷いは、今後の研究課題として残すことにしました。まとめられるものではないというあきらめは思考停止にすぎないですし、当事者たちの反論・訂正・補足や、新たな研究を引き出すことができれば意味はあるんじゃないか…と思っています。1970年代以来の議論をまとめてみて強く思いましたが、未展開な論点があまりに多く残されており、それらを放置して議論が止むのがもっともまずいことだと思っています。無視されなければいいな…。
 教育史教育、または、少なくとも教育史教材は教員養成にはなくてはならないものだと思っています。そこにもっと関心が集まって議論が深まってほしいと思います。

 来年3月くらいに活字化できるようにがんばります。

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教員・保育者養成についてまとまらないメモ

2015年12月08日 19時47分18秒 | 教育研究メモ

 ごぶさたしております。授業・授業準備や会議出席、学生指導であっという間に日が過ぎる毎日を過ごしております。

 そんな中、書きたい論文があり、いろいろ時間繰りをして時間を確保して書きまくっております。先ほど、ようやく一番重い論文を最後まで書ききりました。出来にはあんまり満足していませんが、あとは微調整程度にして、いったんこれで筆をおこうと思います。他にもしないといけないことが山積みなので。

 さて、今度の13日に同世代の研究者が内輪で集まって、広島文教女子大で教育学と教員養成に関する研究会を開きます。上の論文は、ここで発表するためのもの。「教員養成における教育史教育」と題して発表します。隣接領域の教育哲学会の動向をきっかけに、教育史学会シンポジウムの教育史教育論議を整理しながら、今後、教員養成における教育史教育について何を考えなければならないかと明らかにします。また、思弁的にならないように、自分の教育史教育の実践例も提供します。
 なお、私の発表のほかに、後輩たちが教育におけるエビデンス(根拠・明証性)問題について発表してくれます。正直言うと、恥ずかしながら今までこの議論の聞き方がわからなかったのですが、今回、教育史教育・研究の有用性を模索する中で、なんとなく聞き方がわかってきました。こういう機会を提供してくれた先輩・後輩に感謝です。

 以下、まとまらない頭で、もしゃもしゃ考えていること。

 エビデンスは内部(現場や政策形成の場)から評価したり捉えなおすことは難しい。様々な教育問題に対して「確からしい」答えを提供する教育政策・実践について、それらをしっかり評価・捉え直しをするには、多様な意味連関や文脈の中でその機能・帰結を評価できる教育学が必要である。そのうち、歴史的視点から評価するのが教育史研究であり、そのような歴史的視点を養うのが教育史教育ではないか。教育哲学も、教育社会学も、比較教育学も同様のことが言えそうだ。
 教師には、教育研究(実践だけでなく政策・制度・思想・方法の研究も含む)する際に、教育問題を評価・分析するために多様な情報を収集・選択・評価・構成する力が必要である。教員養成における教育史教育は、教育史教材を通してそのような力を養い、教師候補者たちに教育問題を評価・捉え直す教育学的立場を形成することができるのではないか。教育問題への向き合い方を教えるのが、教育学教育であり、教育史教育ではないか。そこで具体的に育てられていくものは、批判的思考力とか、問題解決力とか言われるものなのかもしれない。
 研究会の事前学習を通して、こんなことを妄想しています。飛躍のある話なので、論文・発表には反映させていませんが、今後の課題を考える時のアイディアになりそうです。

 今、本学初等教育学科幼児教育コースの2年生の研究的態度を「保育者論」と「幼児教育学演習Ⅱ」で徹底的に鍛え、同3・4年生中の白石ゼミ生の研究的態度も卒論指導の中で鍛えているところです。私は「研究する教師・保育者」を育てたいと思って育てていますが、私の実践は上のような捉え方もできるのかもしれません。

 とかなんとか。

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