体調はぼちぼち良好。10代の頃は「治った/治らない」がハッキリしていたような気がしますが、20代後半の今では治ったかどうかハッキリわからないので困ります。10代ってやっぱり貴重な時期ですね。10代の人は、どうか満喫しておくようにね(笑)。
現在、皆様のおかげで、このブログを定期的に読んでくれている読者が100名以上(120名ほど?)に達したようです。ちなみに、今年の5月頃は70~80人くらいでした。専門外の読者も少しずつ増えているようなので、私が突然「教育政策過程」などを語り出すととまどいを感じる方もいるのかも、と思いました。私が昨日「教育政策過程」を語ったのは、タイトルにもある教育史研究を進めるために必要だったからですが、そもそも教育史って何?という人もいるのではないかと。教育史については
私のホームページの
該当ページ「教育史研究の意義について」を参照していただきたいですが、よく考えると教育史の上位学問である教育学について、説明したことはあまりないように思います。ということで、以下、私のつたない知識に基づき、長文でざっくばらんに説明してみました。
私の専門は、教育学です。一般の人にこう言うと、必ず「先生になるの?教科は何?社会?理科?」などと言われます。一般の人の感覚では、教育=学校教育であり、教育=教科教育なのです。しかし、教育学は学校や教科だけに限られた学問ではありません。
教育学とは、一言で言うと、「教育とは何か」という問題を追求する学問です。ただ、現在、「教育」という概念に含まれる内容は多様化・複雑化しており、もう少し視点を絞っていかなければ追求できません。そのため、教育学はさらに細かく専門分化されています。
教育学の専門分化の仕方は、主に「場所」「関わり方」「研究方法」という3種類の方向性に従って分かれているように思われます。教育が行われている場所に注目して分けると、教育学は「社会教育学」「学校教育学」「家庭教育学」(最後のはあまり見かけませんが)の3つに分けられます。今も昔も、日本の教育学の中心的な領域は、「学校教育学」であると言っていいと思います。また、教育との関わり方に注目して分けると、「教科教育学(国語科教育学、社会科教育学…)」「教育行財政学」「教育方法学」「教育(学校)経営学」などに分けられます。研究方法に注目して分けると、「教育哲学」「教育史学」「教育社会学」「比較教育学」「教育心理学」などに分けられます。また、「教育」をもっと広い意味で捉え、「人間形成」という概念から教育を捉えなおそうという動きもあります。
学問の専門領域を示す基準は、大学研究室・学会・研究会などが組織されているかどうかという基準があります。教育学の分野では、学会の数だけでも教育学一般・学校教育関係の学会は100団体以上あります。現代日本では、「教育とは何か」という問題を様々な種類の専門領域から追求しているわけです。私は、その中のごく一部、「近代日本教育史」という領域から追求しています。もう少し言うと、私は、近代日本(主に明治時代)の教育を、歴史学の研究方法を利用して研究しています。
学問には、その学問だけの範囲内で行われる、「研究」と「教育」という2つの機能があります。「研究」は、学問そのものを内容的に発展させるものであり、新しい知識・視点や技術を開発する機能です。教育学研究が進んで、内容が深まれば深まるほど、教育学は専門性を高めます。専門性が高まれば高まるほど、教育学に関わる人々や教育学そのものは社会の中で地位を高め、重要視されるようになります。教育学の「教育」機能とは、この教育学の「研究」機能を担う人材を育成することです。
なお、学問は、長い歴史の中で独自の社会的な役割を身につけています。教育学の場合は、学校教員が身につけるべき基礎的な知識・技術としての役割を持っています。昔から、教育学を社会科学などの純粋な学問として位置づけようという動きがありますが、学校教員の「教養」としての役割は重要な役割として位置づけられ続けてきました(教育学の中心が学校教育学になるのも無理はありません)。現代日本の教育学は、具体的には、学校教員になるために必要な科目「教職の基礎理論に関する科目」(「教育の理念並びに教育に関する歴史及び思想」「幼児、児童及び生徒の心身の発達及び学習の過程」「教育に関する社会的、制度的又は経営的事項」)」)の中に位置づいているのが普通です。
教育学が専門性を帯びれば帯びるほど、その教育学を身につけた学校教員の専門性を高め、社会の中での教員の地位を高めることができると、理論的に私は考えています。ちなみに、私が教育学を専門にしているのは、この教育学の役割に注目しているからです(「先生の先生」になりたい、というのはこの視点からの発言です)。ただ、おそらく、実際の社会では、理論の通りにはなっていません。実際の教育学の専門性はどれほどのものか、本当に学校教員が必要とするような「教養」になり得ているか、政治的な綱引きの中で教育学や学校教員が正当な地位を得ているか、などなどいろいろな問題が残っているでしょう。この辺りは、学者一人で解決できる問題ではありません。今後、教育学者たちがみんなで立ち向かっていく問題になると思います。
ともかく、教育学とは、「教育とは何か」について様々な角度から考える学問であると同時に、学校教員を養成するために重要な学問だと言えます。