教育史研究と邦楽作曲の生活

一人の教育学者(日本教育史専門)が日々の動向と思索をつづる、個人的 な表現の場

発表は明後日。

2007年08月31日 22時07分07秒 | Weblog
 更新が止まっててすみません。
 さて、発表が明後日に迫ってきました。
 大学で配付資料を印刷できるのが今日までなので、発表ネタの論文はとりあえずできたこととして、数時間前に決断を下しました(笑)。今は発表レジュメを作っております。1時間ほどありそうな発表時間に論文を延々と読むのは、聴き手にあまり優しくないかなと思いまして。レジュメ完成より先に時間切れになった場合は、論文のみになりそうですが…
 ともかく、バイトの打合せに行く15時半ごろまでには、印刷終わらさなきゃ。
  (2007-08-31 03:58:09)

 レジュメ作成も配布分の印刷も、ようやく終わりました。あとは時間配分など発表の構成を考えるだけ。ただ、今日はもう疲れました~。今日は、打合せだけの予定のバイトでなぜか1時間ほど働くことになり、病院に行くのが遅れそうになりました。病院というのは、毎月一回の無呼吸症候群の定期診断です。
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結成時における大日本教育会の根本的目的

2007年08月24日 21時57分02秒 | Weblog
 今日は研究に打ち込みました。
 9月2日発表のもとになる論文第1稿が、ようやくお目見え。以後は、他人の目にも耐えられるように磨き上げる作業が続きます。使う資料を増やそうかな…と思っているので、どうなるかはわかりませんが。設定されている発表時間は1時間を越えそうなので、どうやって発表するかも考えなくてはいけません。
 9月2日の発表は、京都大学で開かれる「教育史フォーラム・京都」研究会でのもの。題目は「結成時における大日本教育会の根本的目的」です。15:20から、京都大学百周年時計台記念館2階・第3会議室にて。研究会そのものは、9:30から同じ場所で開催されます。「翼賛団体」とされてきた大日本教育会像を批判的に検討することができたら、と思っています。「大日本教育会ってそもそも何なの?」「翼賛団体って何?」というような問題意識で聞いてくれると嬉しいです。教育学史については…私の中では「教育会史→教育学史」の道筋は立っているのですが、今回の内容では到達するのは勿論、触れるのも無茶デス。まずは、教育会の歴史像を明確にしないとね。
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東の雲、甲子園閉幕

2007年08月22日 23時55分55秒 | Weblog
 大学から東側に見た風景。暗いのは夕方だから(笑)。写真下に見えるのは、多分、左から文学部・政経学部・理学部。
 今日でようやく夏のバイトが終了。今晩、家庭教師へ行けば、しばらく研究に打ち込める。
 そういや、高校野球。私が夏の甲子園の試合を見て、毎回涙をぼろぼろ流しているのは内緒である。試合中の本気と、勝った側の喜びと負けた側のくやしさに感動しているのも内緒。さて、広島代表の広陵が準優勝しましたね。優勝逃したのは残念。8回裏で満塁ホームランで逆転って。何というドラマ。甲子園では、終盤間近での逆転がしばしばありますが、逆転された側はたまらないだろうなぁ。広陵は準決勝で愛媛代表の今治西に勝っていたので(私の生国は伊予国)、ぜひ優勝してほしかったけど。勝った佐賀北は、1996年の松山商以来10年振りの公立校の優勝を成し遂げたそうです。私立の強豪校が多い中、すごいなぁ。しかし、前の優勝公立校が松山商業(愛媛では「まっしょう」と略す)とは、何とも(笑)。
 この酷暑の中、ホントに高校球児たちはよくやりましたよね!おつかれさま!
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15分で現状を分析する(笑)

2007年08月20日 18時54分28秒 | Weblog
 今日はバイトばかりの一日。これから家庭教師へ行ってきます。
 バイトをすると研究時間が減りますが、金をかせがないと生活費も研究費も仕送りだけでは足りません。親は定年退職したし、兄に頼るわけにもいかなさそうだし、これ以上の収入を得るにはバイトするしかないわけです。昨年度まで日本学術振興会の特別研究員に採用されていたのですが、そのときはバイト禁止でしたし、その必要もありませんでした。バイトと親からの仕送りなしで、すべてがまかなえていたのです。
 採用が始まった平成16年度から昨年度までは、本当に研究に集中できました。ただ、その間にいろいろあって研究の方針が紆余曲折し、研究を効率的に進められたわけではありません(もちろん他人のせいではありません。私の方針がぐらついていたことは間違いないのですから)。そんな不安定な中でも研究を何とか前に進められたのは、日本学術振興会が特別研究員に採用してくださっていて、生活が安定していたからです。
 研究を進めるには、研究環境をよくしなければいけないと、改めて思います。とくに、生活費や研究費をある程度安定させることは、最も重要なことです。生活費・研究費不足に関する最も心配な要素は、学費(授業料)です。学生または学校関係者でなければ、図書館も研究室も資料も十分使えないという現実がある限り、学費を払い続けなければならないのですが、これが一番生活費・研究費を圧迫しているのです。考え方を変えれば、学費も研究費の一部だと考えることもできますが…
 ともかく、研究を進めるには、バイトをして生活費・研究費をかせがなければならない。しかし、バイトをすると時間がなくなって、研究にかける時間が少なくなる。何ともやりきれないジレンマです。
 さて、家庭教師へ行ってくるか… (執筆所要時間15分(笑))
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沈む夕日と雲

2007年08月18日 19時45分23秒 | Weblog
 今日も変わったことはできませんでした。
 本山編『明治教育世論の研究』の読書と、バイト(準備も含む)のみ。
 夕方、バイト帰りに大学へ行くと、駐車場から面白い景色が見られました。
 沈みかけた夕日と雲が重なり、面白い感じに光っていました。
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かなり前に視た映画

2007年08月17日 19時38分31秒 | Weblog
 今日は午前中に登校。本山幸彦編『明治教育世論の研究』(福村出版、1972年)を読んでいました。午後からバイト。バイトは、今日を除いて明日と20~22日に行けば、9月までしばらくお休みです。暑さでバテ気味。とくに面白いこともなかったので、かなり前に視てメモしていたDVDの感想でも。このところDVDも映画も見てないな~

「いぬのえいが」
 犬を題材にした短編集(?)。しょっぱなの話で停止ボタンを一度押し、視聴を中止するかどうか悩みました(笑)。言いたいことはわかるけど、やりすぎじゃない!?(笑)。しかし、その後続く話はおもしろく、ポチのはなしとマリモのはなしには大泣きでした(笑)。

「シザーハンズ」
 映像も音楽も、ティム・バートンの世界一色。愛する人を傷つけないように、抱きしめられないせつなさが何とも痛ましい。主役2人の純粋さがとてもかわいかったので、せつなさが増幅され、たまらなくなりました。
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研究発表に向けて再始動

2007年08月16日 20時39分14秒 | Weblog
 今日はバイトもないので、昼前まで寝て旅の疲れをとる。
 昼過ぎから研究室へ。主に、伊藤光利・田中愛治・真渕勝『政治過程論』(有斐閣、2000年)を読みながら、研究会での発表(および博論)の構想を練っていました。『政治過程論』については過去の記事を参照してください。発表は、そこそこしっかりしたものができそうです。
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百日紅

2007年08月15日 23時55分55秒 | Weblog
 昨日までの疲れが出たのか、今日はバテバテでした。
 空は青空、毎日暑いです。写真は、実家の裏に咲いていた、百日紅(サルスベリ)の花。岡山でも咲いているのをよく見かけました。猿が滑るほど木の幹がすべすべしているのでサルスベリという名前で、約三ヶ月間ピンク色のかわいらしい花を咲かせます。結構好きだったりする。
 夕方には実家を出て、広島へと帰りました。今回の旅は、東広島→岡山→松山→東広島と、なにやら長い旅路になりました。研究に関係ない旅をしたのは、結構久しぶりかも。9月2日の発表へ向けて、十分な「充電」になったと思います。
 さー、やるぜ!
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備中の高地

2007年08月14日 23時55分55秒 | Weblog
 今日は午前中に松山へ帰るつもりが、成り行きで岡山の美星(びせい)町へ。美星町は緑がいっぱいのすばらしいところでした。その帰り、何やら観光モードになり、山中鹿之介の墓と備中松山城へ。
 山中鹿之介の墓は、高梁市落合町にあります。山中鹿之介(幸盛)は戦国時代末期の人で、出雲国(島根県)の尼子氏に仕えた武将です。尼子氏が滅亡していく中で、御家再興を願って「我に七難八苦を与えたまえ」と三日月に誓った逸話は有名です。鹿之介は講談の題材に取り上げられ、江戸時代を通じて悲劇の忠臣としての「山中鹿之助」像が形成されていきました。明治以降には、武士道を支柱とした国民教育の教材として見出され、教科書で取り上げられたということです。(Wikipedia参照)お墓は、墓石(鳥取の幸盛寺にもあるようですが)と1枚の説明の板があるだけでした。
 その後、備中松山城へ。松山へ帰らず備中松山城へ行くとは(笑)。備中松山城は、日本「最高」の城。天守閣の建ってるところが、最も高いということなんですけどね。駐車場に車を止めて、急斜面の山道を歩くこと25分。全力疾走したくらいに息切れ、汗だけでシャツがずぶ濡れに。単に年をとっただけではなく(笑)、まぢで半端ではない道のりでした。頂上に天守閣がありましたが、何かのレースのゴールに見えました。途中、「もう勘弁してくれ…」「まだ登るのか…」と何度も思いましたが、天守閣に到着した時には、運動後のすがすがしい気持ちになっていました(笑)。写真は、絶壁の上に建てられた石垣と白壁。天守閣の写真は公式サイトで見られますし、私としては、この城の一番おもしろいところは天守閣ではなく、このところだと感じたので。
 16時ごろ、岡山駅に戻り、電車に乗って松山へ。瀬戸大橋を渡る際、夕立が降った後に虹がかかっていました。斜め上から見る虹は初めてで、貴重な体験をしました。19時すぎ、ようやく松山に到着。親父とビールを酌み交わして寝ました。
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岡山・後楽園の清流

2007年08月13日 23時55分55秒 | Weblog
 今日は旧友2人と岡山で会いました。
 まず後楽園へ行きました。後楽園というと私は中華料理屋を思い出すのですが(そういう名前の店が実家の近所にあった)、岡山な後楽園は、旧岡山藩の庭園です。貞享4(1687)年に池田綱政の命により着工、元禄13(1700)年に一応完成しました。江戸時代を代表する庭園の一つで、太平洋戦争中に大きな被害を被りましたが、戦後に復旧されたものです。文化財保護法による特別名勝に指定されており、正門から入って開けた庭に出た景色はすばらしいの一言に尽きます。
 私が一番感動したのは、旭川の上流から引いているという用水でした。全体よりも一部分に感動する様に、私の本質的な性格がちょっと見出せます(笑)。この用水は物凄い透明度で、底まではっきり見えます。写真は、「観騎亭」という建物の近くで、その用水を写したものです。用水には景色が映り込んでおり、この写真では、周りの林が映り込んでいます。何だかわかりにくい写真になってしまいましたが、この映り込みがすばらしいと思い、撮った次第。
 その後、すぐ隣りにある岡山城へ行きました。別名「烏城(うじょう)」とよばれる岡山城は、黒塗りの壁板がとても印象的でした。岡山城は、秀吉の五大老の一人・宇喜多秀家が慶長2(1597)年に建てた城で、壁が黒塗りなのは、戦国時代末期に建てられた城の特質だそうです。岡山城を見た感想を正直に言うと、再建された外観が真新しすぎて歴史的建物の印象がなくなっているように感じてしまい、若干なえました(苦笑)。すみません(^_^;)。
 岡山には、昨年学会で、何年か前資料調査でやってきましたが、まったく観光してなかったので初めての岡山堪能です。後楽園・岡山城観光のあとは、友人たちと飲んだくれてました。
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朝焼けとともに

2007年08月12日 19時52分55秒 | Weblog
 昨晩、「少し」寄るつもりで研究室へ行ったのですが、少しどころか空が白むまで居てしまいました。必要のない徹夜をしてしまうと、いいようもない後悔の念が押し寄せますね(苦笑)。経験上、不必要な徹夜などのムダな時間を過ごしてしまうのは、まだ集中した時間を過ごす準備が出来ていない証拠。できないときにダラダラやるよりも、できるときに集中してやったほうが質のよい作業ができるのは、私の場合、真理だったりする。もう少し英気を養う必要があるか。
 今度こそ家へ寝に帰ろうと帰路につく途中、面白い色で空が朝焼けになっているのに気づきました。日の出前に起こる「薄明」(はくめい?)という大気現象のようです(参照:自然の気象科学館)。暗がりの中、ぼんやりと赤・オレンジ・青・空色にグラデーションがかかっている空は、きれいなような、怖いような、何とも不思議な様子。朝焼けとともに去りぬ。携帯の写真でどこまで伝わるかわかりませんけど、どうぞ~
 昼から再び研究室へ。まー、徹夜明けでは集中できませんわな。本山幸彦編『帝国議会と教育政策』(思文閣、1981年)を読むはずが、視点がフラフラして進まない。何度も目を通している本なので、比較的読みやすいはずなのですが、遅々として読書は進まない。今日の読書の課題としていた「初期の帝国議会における教育政策過程の原理」について、何とか少しつかめたので、まあいいとするか。
 徹夜してしまったのでぶり返しを心配していましたが、体調はホントによくなった気がします。咳もノドの腫れも鼻の詰まりもなくなり、体が軽くなりました。よーしこれからだっ!…と意気込んでがんばりたいところですが、まだ質の良い作業ができる気はしない。明日は旧友に会うため岡山行きの予定が入っているし、14・15日はお盆のため実家へ帰らなくてはならない。丁度いいので、やる気(やらなければならない気、とも)を充電しながら、並行して読書中心に研究をジワジワ進めよう。
 今は朝焼けの時期。太陽がもうすぐ顔を出す。
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地上の星

2007年08月11日 23時55分55秒 | Weblog
 今日でようやくバイトの毎日も一段落。
 バイト以外には、9月2日の研究会発表に向けての、12日以降のスケジュールを作っておりました。うーん、ギリギリ間に合うか、な。
 移動中、とんでもなく夜景のきれいな場所に出くわす。写真には撮ってみたものの、うーん、肉眼で見た10分の1も良さが出ていない。夜景はさすがに無理か。一人で見るのももったいないくらいの絶景ですが、一緒に見る人もいないので、独り占めするしかないのが残念(笑)。
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バイトも終わりが見えてきた

2007年08月10日 18時39分28秒 | Weblog
 今日は寝不足。バイト後、いつも以上に疲れがたまってるのがわかる。やっぱり寝不足は、次の日の生活に大きな影響を与えるなぁ。
 無理はしないで、というありがたい声もいただいているので、気をつけているつもりですが、私としては無理はしていないつもりが結局無理しているというバカな結果になっているようです(苦笑)。
 ようやく明日でバイトも一段落。あとは盆明け後に何日か行ったら、9月までバイトは休み。終わりが見えていると気が楽になります。9月になったら夏の間抜けていた人も戻ってくる…? 9月以降は普通のシフトに戻るので、やるべきことに打ち込めるはず。
 写真は、いつも私が詰めている教育学部の某研究室からの風景。正面左側で夕焼けに照り映えているのが、工学部の棟。
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夕日

2007年08月09日 23時55分55秒 | Weblog
 移動中に撮った夕日。
 今日は暑いけど、雲が高くてすがすがしい日でした。
 風邪はなかなか完治しませんが、気力は充実してきています。
 時間は相変わらずありませんので、うまく時間を使う術を編み出さなくては。
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教育学とは?

2007年08月08日 20時47分51秒 | 教育研究メモ
 体調はぼちぼち良好。10代の頃は「治った/治らない」がハッキリしていたような気がしますが、20代後半の今では治ったかどうかハッキリわからないので困ります。10代ってやっぱり貴重な時期ですね。10代の人は、どうか満喫しておくようにね(笑)。
 現在、皆様のおかげで、このブログを定期的に読んでくれている読者が100名以上(120名ほど?)に達したようです。ちなみに、今年の5月頃は70~80人くらいでした。専門外の読者も少しずつ増えているようなので、私が突然「教育政策過程」などを語り出すととまどいを感じる方もいるのかも、と思いました。私が昨日「教育政策過程」を語ったのは、タイトルにもある教育史研究を進めるために必要だったからですが、そもそも教育史って何?という人もいるのではないかと。教育史については私のホームページ該当ページ「教育史研究の意義について」を参照していただきたいですが、よく考えると教育史の上位学問である教育学について、説明したことはあまりないように思います。ということで、以下、私のつたない知識に基づき、長文でざっくばらんに説明してみました。

 私の専門は、教育学です。一般の人にこう言うと、必ず「先生になるの?教科は何?社会?理科?」などと言われます。一般の人の感覚では、教育=学校教育であり、教育=教科教育なのです。しかし、教育学は学校や教科だけに限られた学問ではありません。
 教育学とは、一言で言うと、「教育とは何か」という問題を追求する学問です。ただ、現在、「教育」という概念に含まれる内容は多様化・複雑化しており、もう少し視点を絞っていかなければ追求できません。そのため、教育学はさらに細かく専門分化されています。
 教育学の専門分化の仕方は、主に「場所」「関わり方」「研究方法」という3種類の方向性に従って分かれているように思われます。教育が行われている場所に注目して分けると、教育学は「社会教育学」「学校教育学」「家庭教育学」(最後のはあまり見かけませんが)の3つに分けられます。今も昔も、日本の教育学の中心的な領域は、「学校教育学」であると言っていいと思います。また、教育との関わり方に注目して分けると、「教科教育学(国語科教育学、社会科教育学…)」「教育行財政学」「教育方法学」「教育(学校)経営学」などに分けられます。研究方法に注目して分けると、「教育哲学」「教育史学」「教育社会学」「比較教育学」「教育心理学」などに分けられます。また、「教育」をもっと広い意味で捉え、「人間形成」という概念から教育を捉えなおそうという動きもあります。
 学問の専門領域を示す基準は、大学研究室・学会・研究会などが組織されているかどうかという基準があります。教育学の分野では、学会の数だけでも教育学一般・学校教育関係の学会は100団体以上あります。現代日本では、「教育とは何か」という問題を様々な種類の専門領域から追求しているわけです。私は、その中のごく一部、「近代日本教育史」という領域から追求しています。もう少し言うと、私は、近代日本(主に明治時代)の教育を、歴史学の研究方法を利用して研究しています。
 学問には、その学問だけの範囲内で行われる、「研究」と「教育」という2つの機能があります。「研究」は、学問そのものを内容的に発展させるものであり、新しい知識・視点や技術を開発する機能です。教育学研究が進んで、内容が深まれば深まるほど、教育学は専門性を高めます。専門性が高まれば高まるほど、教育学に関わる人々や教育学そのものは社会の中で地位を高め、重要視されるようになります。教育学の「教育」機能とは、この教育学の「研究」機能を担う人材を育成することです。
 なお、学問は、長い歴史の中で独自の社会的な役割を身につけています。教育学の場合は、学校教員が身につけるべき基礎的な知識・技術としての役割を持っています。昔から、教育学を社会科学などの純粋な学問として位置づけようという動きがありますが、学校教員の「教養」としての役割は重要な役割として位置づけられ続けてきました(教育学の中心が学校教育学になるのも無理はありません)。現代日本の教育学は、具体的には、学校教員になるために必要な科目「教職の基礎理論に関する科目」(「教育の理念並びに教育に関する歴史及び思想」「幼児、児童及び生徒の心身の発達及び学習の過程」「教育に関する社会的、制度的又は経営的事項」)」)の中に位置づいているのが普通です。
 教育学が専門性を帯びれば帯びるほど、その教育学を身につけた学校教員の専門性を高め、社会の中での教員の地位を高めることができると、理論的に私は考えています。ちなみに、私が教育学を専門にしているのは、この教育学の役割に注目しているからです(「先生の先生」になりたい、というのはこの視点からの発言です)。ただ、おそらく、実際の社会では、理論の通りにはなっていません。実際の教育学の専門性はどれほどのものか、本当に学校教員が必要とするような「教養」になり得ているか、政治的な綱引きの中で教育学や学校教員が正当な地位を得ているか、などなどいろいろな問題が残っているでしょう。この辺りは、学者一人で解決できる問題ではありません。今後、教育学者たちがみんなで立ち向かっていく問題になると思います。
 ともかく、教育学とは、「教育とは何か」について様々な角度から考える学問であると同時に、学校教員を養成するために重要な学問だと言えます。
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