教育史研究と邦楽作曲の生活

一人の教育学者(日本教育史専門)が日々の動向と思索をつづる、個人的 な表現の場

夢と研究

2006年11月30日 23時55分55秒 | 教育研究メモ
 本日16時、某学会投稿論文の投函完了です。
 まぁ、いろいろありましたが、なんとかできあがりました。私にしてはめずらしく図表がありません(笑)。今後はひたすら勉強する予定です。Y先生に書いてくるように言い渡されている課題をやりながら。ともかく明日は、フィンランドの教育に関する講演会に出なくてはいけないけど。

 さて、昨日、いままでの私が否定されたので、不安定な状態に陥ってしまいました。そこで、今までの私とこれからあるべき私を再構築してみる必要があると感じます。ということで、私が将来実現したい「夢」から、私が教育会研究そして日本教育学史研究をする意味を再確認してみます。これから私自身が、よりよく生きていくために、考えざるをえないことだと思います。公表する必要はないのですけど、表現したいので私はここに書きます。

 私は、よりよい教員を養成する仕事に携わりたい、という夢を抱いているが故に、論文を書いています。教員養成に携わるには大学教員にならないといけないし、そのためには論文を書いて業績が必要とされます。私が論文を書く理由は、就職のためだ、ともいえます。しかし、それならば何を書いてもいいわけで、教育会の研究をする必要はありません。私が教育会研究の論文を書く理由は他にあります。またその理由は、就職活動のための論文執筆という理由には収まらないものです。
 私が教育会研究の論文を書く理由は、つきつめれば、普段様々な教育問題に直面する学校教員たちをサポートする体制を作りたいと考えているからです。私が考えるよりよい教員とは、普段起こる各種問題を的確に解決できる教員です。教員は万能ではありませんし、教育問題は学校だけで収まる問題は存在しませんから、教員たちが直面する問題の解決をサポートする体制が必要です。その体制づくりのヒント(利点・問題点ともに)になるのが、戦前の教育会だと私は思っています。
 教育会は、一つの学校の団体でなく、一つの職業の団体でなく、教育学会でもなく、学校教員だけの団体でもなく、行政の外郭団体でもなく、雑多な一般人の寄り合いでもなく、「教育」という仕事に関わるという意味で共通する、多様な教育関係者を組織化した団体です。教育問題は、学校だけ、社会だけ、家庭だけの問題ではなく、政治・経済・社会・文化等の様々な要因があって成立してくる問題です。このような土台の下に成立する教育問題は、単なる職員団体や行政当局だけでは解決できないし、期限付きの「○○会議」を突然政府内に作っても解決できるものではありません。肝心の教員を始めとする教育関係者たちが、その教育問題に向き合わなくては、どんなすばらしい解決策を練っても意味はないのです。教育会が万能だったというつもりはありませんが、教員たちが自ら教育問題に向き合い、かつ多様な教育関係者が会員という同じ立場で教育問題の解決策を練る団体組織こそ、多様な要因・結果を生む教育問題の解決には重要なんだ、と考えています。それこそ教育会に学ぶべきことなんだと思っています。だから、私は教育会の研究を続けてきたし、これからも続けたいのです。
 でも、よく考えてみると、教育行政官と教育学者と学校教員は、同じ立場で教育問題に向き合うことができるのでしょうか。最近はそういう実践が現れてきたと思いますが、それでも、今の教育行政官と教育学者と学校教員は、「役割は違っていても同じ教育に携わる者である」という同業者意識を持ち得るのでしょうか? 長い時間をかけて専門分化してしまったこの三つの職業は、本当の意味で同じテーブルにつき、意見を交わし、教育問題の解決策を練り上げることができるのでしょうか? 私も教育学者になりたいと思う人間ですから、とくに教育学者側から見て、教員や教育行政官と同業者意識を持つことができるか、という問題に非常に興味があります。
 教育学者を一つの職業にするのは、教育学の存在がある故です。そのため、上述の問題意識に到達した私は、日本教育学史へ興味を持っているのかもしれません。明治期、今の目で見て教育学者と目される人々(たとえば伊沢修二や能勢栄など)は、当然のように、教育会に入って教員や行政官と意見を交わし合っていました。彼等をそうさせたのは何だったのだろう。それを考えるために、ひとつ日本教育学史を本格的に研究してみよう、と思うわけです。
 さて、新しいスタートを切ってみるか。
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〆切直前に受け取ってはいけないもの

2006年11月29日 23時55分55秒 | Weblog
 今日は運動する気にならず、そのまま登校。論文執筆にかかるも、なかなか集中できず、いくらか修正はできましたが、非常に苦労しました。というのも、〆切直前に受け取っては行けないものを受け取ってしまったからです。
 → 8月に投稿した論文の不採用通知。

 今回はいつも以上に凹んでしまいました。採用されるのが難しい学会だとはいえ、内容について面白いと自ら思い、自信があっただけに、凹みます。まぁ、自信がある内容でも不採用になる経験は今まで何度もあったわけですし、後々自分でその論文を見直してみると「これじゃあ落ちるよな」と思った経験も何度もあるわけですから、今更凹む必然性はないのですが。
 でも、今回の投稿は、今までとは異なる点が2点あったのです。第1点は、かつて某先生にこのテーマなら大丈夫、と太鼓判を押されていた論文だったこと。それだけに、某先生まで否定されたような気になってしまい、さらに凹みます。第2点は、落とされた学会が、私が最も重視する学会だったこと。審査評を見る限り、「あー、この分野では、教育会メインの内容ではダメなんだなぁ」ということがひしひしと考えられる。いや、教育会が悪いのではなく、私のテーマ設定が悪かっただけなので、また出直せばいいのだけど。しかし、今の研究スタンスでは絶対に採用されないな、とハッキリ感じました。今までのスタンスに自信を持って取り組み、教育会をメインテーマにすることを研究者としてのアイデンティティ形成の拠り所としていただけに、ショックが大きいです。
 教育会研究のテーマは、教育会と教育勅語、教育会と郷土教育、教育会と教育情報、教育会と教育政策、教育会と教員養成、教育会と教員研修などが今のところ目に付くテーマですが、私がこれらと同じテーマを扱っても私が研究する意義はそれほどない。だから、教育会と教育研究、というテーマを確立しようとしてきました。でも、今のところ活字化できた論文は、みなこのテーマをやる基礎研究として書いた、教育会の組織構造に関する論文だけ。肝心の教育研究に関する論文、とくに自分が自信を持って世に送り出したい内容の論文は、すべてボツにされて活字化できないでいます。その根本的な理由は、やはり「教育研究」または「教育学研究」のテーマの大きさ・深さに、私が対応できていないからなのはわかっています。そして、教育研究・教育学研究のテーマは、そちらに軸足を移さなくては対応できるものではない、ということもわかっています。
 よく考えてみれば、他の教育会をテーマにしている方々は、教育勅語、郷土教育、教育情報、教育政策、教員養成などについて造詣の深い方々であり、それらに関する知識を土台にして教育会をテーマにしているわけです。私のような、教育会から始まり教育会に終わるような研究者はいないのです。だから「貴重」なのだと言われるのかもしれないけど、このままでは私は前に進めない。このままではいけない。このままでは私の夢はかなわずに終わってしまう。それでは困るのです。
 今年こそは論文を書くことに執着しない、勉強そこそこ論文だけ書くようなことはしない、勉強するんだ、と言い聞かせていたつもりだったのに、気がついたら学会発表含めて7本も書いている(しかも今年度中に1本しか活字化できそうにない)。そして今日と明日中に、もう1本書こうとしている。博士論文を今年度中または来年度中に書くんだ!という「執念」がそうさせるわけだけど、結果、この執念が実現するのは無理そうだ。それは学会のせいでもないし、指導者のせいでもない。結局は自分の力不足。そして、自分が力不足なことは具体的に自覚しています。
 論文を書いちゃいけないわけじゃないし、書いている過程でずいぶん問題意識や知識が深まったので、無駄手間ではない。でも、このまま論文を書き続けても、決定的な結果に結びつかないのも事実。ここは一旦、論文を書くのをやめて、勉強し直すことが大事なんではないか。D4審査が2月に迫り、不採用に終われば私は院生ではなくなってしまいます。現実を考えれば「勉強し直す」なんていう悠長なことを言っていられない時期なわけです。でも、今までのやり方では、同じ事の繰り返しになるでしょう。院生でなくなっても、研究者でなくなるわけではないから、無理を通そうとして焦る必要はない。

 今書いている論文は、教育会で始まり教育会で終わる形の論文です。そして、出来からして、今までの私の集大成にしてもよさそうな内容の論文です。このような形で論文を書くのは、これで最後にしよう。
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広島大学邦楽部定期演奏会が近い

2006年11月28日 20時19分32秒 | Weblog
 来る12月2日(土)、東広島市にて、広島大学邦楽部定期演奏会が開催されます。会場は、東広島サンスクエア・アザレアホール。開場17:30・開演18:00です。最近の印象では、箏のレベルがかなり高くなってます。大合奏はド迫力です。期待していいかも!
 某邦楽部OB&OGの方々へ。この際聴きに行きましょうぜ!
 演奏曲目などはこちらを参照。

 さて、今日は運動してから登校。運動後、なんだか元気になってきました。
 さあさ、投稿論文仕上げなくちゃ!夜になって、「おわりに」以外できあがり。分量には収まったものの、「おわりに」が3行しか書けない…(笑)。持ち帰って読み直し、もう少し削ってみたい。
 次の課題(Y先生提出の課題、明治の知)の準備も着々と進めつつあり。だいぶ本を読まないといけないのが、ちょっと不安。今年度中にできるんかいな。
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月末までにもう1本

2006年11月27日 21時27分08秒 | Weblog
 今月末までに1本論文を仕上げないといけないので、今日は出校。
 学会発表準備のため途中になっていた論文を、ひたすら修正する。なんとか間に合いそう。そして、先生にまた事前に渡せず、コメントをもらえなさそう(苦笑)。出来はかなり自信ある。ただ、また分量オーバー気味。いつものことだけど、分量に収める努力も特別しなくてはならないなぁ。
 21時過ぎまで論文執筆・修正。論文は間に合いそうだから良いのだけど、学会前にひいた風邪の調子が良くない。頭がボーっとしてきて、耳が聞こえにくくなってきました。これ以上悪化させないため、もう帰って休むべきだな~。
  
 どうでもいいけど、読者には見えないがブログ作成の際に見えてしまう小梅太夫(gooブログの広告)がうっとおしい…(笑)。
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学会二日目in岡山

2006年11月26日 16時39分13秒 | Weblog
 中国四国教育学会二日目。
 今日は午前中で終わりです。私の発表は11時ごろからありました。
 今年の同学会大会における個人研究の部会編制は、「他流試合」がテーマだったらしいです。私は今までずっと日本東洋教育史の部会に配置されてきましたが、今回は歴史系の部会ではなく、「道徳教育」の部会に配置されました。結果、教育哲学研究室のOBから質問があり、さらに学習開発講座の教員からも感想をもらえました。今回、論文と資料集を作って配布したのですが、ある先生からは、日本の道徳教育史が教育勅語だけでないことがよくわかるから、この資料集を授業の参考にしたい、とまでいってもらえました。恐縮至極、かつ、とてもうれしいです!
 準備中に感じたこのテーマの重要さは、他分野にも重要だと感じてもらったようです。今後の課題も少しずつ見えてきましたし、博士論文のテーマにも反映させられそうな予感がしています。
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学会初日in岡山

2006年11月25日 23時55分55秒 | Weblog
 今日は中国四国教育学会初日。
 午前中は岡山大学教育学部にて個人発表を聞く。私の発表は明日。
 風邪の具合が悪く、頭はクラクラ、体はフラフラ。午後のシンポジウムはまともに聴けそうにないし、明日に備えて無理するわけにはいかないので、昼から一旦ホテルに戻って休む。夕方、懇親会の時間になったので、ふたたび岡山大学へ。懇親会は初めて学会参加して以来、欠席したことはめったにないので、出てきました。
 懇親会後、ホテルに戻り、発表練習。準備した内容では、平気で15分の発表時間をオーバーしていたので、かなり訂正しなくちゃいけなくなりました。面白いと思っているところを削らなくちゃいけないのは、苦痛ですよね。
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健康って大事だとかみしめつつ、岡山行き。

2006年11月24日 17時06分48秒 | Weblog
 今日の風邪は昨日よりひどいです。ノドが痛い。
 でも、学会準備を今日中に完了しないといけないので、登校。配付資料(論文)および15分発表の原稿の訂正をして、昼過ぎにようやく完成。ノドのはれと痛みがひどくなり、頭がクラクラするので、学内の保健管理センターへ行って薬をもらってくる。今日やったことは何でもないのに、風邪ひいてるだけでこんなにつらいとは。健康って大事です。
 配付資料の印刷・ホチキス止め等、完了。出発まで少し時間があったので、本のコピーをする。17時半ごろ、岡山へ向けて出発。
 明日明後日は、岡山で学会参加であります。
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風邪ひいてしまいました

2006年11月23日 19時39分00秒 | Weblog
 風邪をひいてしまいました。ノドが軽くはれて少し痛いです。
 なかなか動く力が湧いてこず、起きあがるのは昼過ぎになってしまいました。とはいえ、明日金曜日は体育館が祝日翌日の休館日であり、明後日以降土日は学会のため岡山にいるので、今日はなんとしても運動へ行きたい。ということで、体育館へ向かいました。ただ、館は空いていたものの、駐車場が空いていない。調子も悪いし、時間も遅くなったし、今日は運動をやめました。
 その後、登校。遅い昼食を摂った後、学会発表用読み上げ原稿(15分)を作り始めました。昨日作った論文と資料集と見合わせながら、原稿を作成。論文と資料集の中で見つけた誤字や体裁不一致、文意の通りにくい文章などを直しながら、日が暮れたくらいに完成したので、プリントアウト。あとは、配布資料の論文をもう少し直して、学会発表準備は完了、ということになろうかと思います。
 しかし、ノドのはれが強くなり、熱っぽくなってきてしまう。今日は雨が降っていて、ただでさえ寒い研究室がさらに寒くなってしまったので、これが悪かったかも。論文は持って帰って眺めるに止めよう。
 うーん、少ししんどい。偶然とはいえ、運動やめておいて正解だったかもなぁ。
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学会発表準備ほぼ終了~

2006年11月22日 21時56分35秒 | Weblog
 今日も運動行ってから登校。最近、リバウンドの原因である激しい食欲はなくなった気がします。とりあえず減量の一段階前に進んだかな、という感じ。もちろん油断すれば必要以上に食べるのは間違いないですから(笑)、油断は禁物。今回の目的は、適正体重まで減量することなのだけど、これは相当遠い道のり。11月1日開始時から30㎏減量が必要なので…(ぎゃっ、恥ずかしい!(*◎_◎*;)) 1~2㎏はその日によって普通にしてても増減するので、現在開始時から3㎏減がカタいところかな。まだ十分の一を過ぎたところに過ぎないのであります。ま、すぐにはできないことだし、気長にいきますか(^^;)。
 さて、登校後、学会発表の準備。21時ごろ、ようやく配布資料(論文・資料集)が完成。また絵入りの資料集ができあがって、趣味的になってしまった…(笑) あとは読み上げ原稿(15分)を作って、論文の誤字脱字を確認して、40部ほど印刷するだけだ。「ほぼ終了」といいながら、まだやることは残っているのではありますが、気分的にはほぼ終わった気でいます(笑)。
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なにやら今日はぐだぐだのようです

2006年11月21日 22時48分53秒 | Weblog
 今日は運動行ってから登校。減量は研究の能率を左右する大問題なので、この忙しい時期でも可能な限り行かせてもらいます。本当にヤバかったら行かないし。
 15時からI先輩と特研。いつもながら、興味を持って聴いてくれるので非常にありがたい。アドバイスも的確だし。もっと意味のある発表が出来るようになるアドバイスもらいました。ありがとうございます。しかし、また先生に学会発表レジュメを持っていく日にちが遠のいたなぁ(苦笑)。
 私は〆切ギリギリまで書くタイプです。しかも、ギリギリになればなるほど出来がよくなってく(と思う)。だけど、Y先生にまともに指導を受けるようになって半年が過ぎ、先生は何ヶ月も前からじっくり指導するタイプなのだというのに、気がついています。私も資料調査や構想を考えるのは何ヶ月も前からやっているのですが、書き始めるのは一ヶ月または数週間前ぐらいから。そんな私ですから、先生から、(「まだ」〆切まで一週間あるのに)、今からやっても直すのは無理だろうから、もうそれで出しなさい、と言われたときはビックリしてしまいました。
 論文できたら持ってこいとは言ってもらっているけど、やっぱり未だに〆切基準で動いているので、どうも〆切まで一週間切った時点でも現在進行形状態。持っていけば厳しい指導が待っている。どうせ厳しい指導受けるなら、自分で納得したものを出して受けたいので、結局持っていけない。とまあ、こんな感じだから、今回の学会発表の準備も残り3日しか残ってない状態で、一度も先生からチェックを入れてもらってない状態。何年もこれでやってきたペースなので、先生に合わせるためには、私がじわじわ直していくしかないんだろうけど。持ってこい、と言ってもらっているだけに、本当に申し訳ない気分。今回も見せられなかった~…という気持ち。指導を受けられる残りの期間は、あと数ヶ月になるか一年数ヶ月になるか今はまだわからないけど、早いうちに先生のペースに合わせられるようにならないとなぁ… じゃないと、研究室や資料使わせてもらってるだけじゃ、授業料も機会ももったいない。
 と、現状として学会発表の準備が間に合うのは確実なので、致命的な問題はないものの、指導教員に対して申し訳ない気分がふくらんできた一日でした。余裕があるからこんなこと考えていられるんだろうけどね。
 なにぐだぐだ言ってんだろ俺。
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テンション高いなぁ

2006年11月20日 22時23分52秒 | Weblog
 昨日思いもよらず休みにしてしまったので、今日は学会発表準備を仕上げなくてはいけない。都合のよいことに、今日はめちゃくちゃやる気がみなぎっており、いい感じで学会発表準備にとりかかれます。学会発表用論文は、明日火曜日の特研で検討される予定なので、今日中にやっておかなくてはならない。登校後、さっそくとりかかりました。順調に集中できて、かなりはかどりました。21時すぎ頃、ひとまず完成。徹夜はしなくて済むようになりました。
 論文の出来はかなり良いような気がします。そのため、地方に限られる学会で発表するのではなくて、もっとたくさんの人に見てもらいたい気がします。うーん、学会での反応や先生方の反応によっては、別のところへの投稿も考えてみようかな。
 と、調子に乗っております(笑)。
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思わず休日

2006年11月19日 23時55分55秒 | Weblog
 今日は休みにしました。頭がほとんど働かない状態だったので。
 明日は徹夜だぁ(苦笑)。
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京都にて、私の中の教育と作曲の間を見る

2006年11月18日 23時55分55秒 | 純邦楽
 今日は、花園大学邦楽部平成18年度定期演奏会へ行ってきました。昨日説明した通り、私の自作曲「竹々」が初演されるためです。なんと1曲目だったので、リハーサルも1曲目で10時スタートとのこと。どうしても本番前に聴いておきたかったので、東広島駅から始発の新幹線に乗って京都へ向かいました。京都駅からJR花園駅へ、それから徒歩数分で会場の「右京ふれあい文化会館」に到着。自分の曲のリハが終わったら、私がずっと会場にいる必要はなかったのですが、何だか居心地がよくて、結局本番が終わって片付けが終わるまで、一歩も会場を出ませんでした。なぜかというと、同邦楽部員の方々がよく世話をしてくれたのと、熱心に演奏会準備にいそしむ彼らを見ていると、何だかうれしくなってきたので(笑)。
 演奏会そのものは、とてもすばらしいものでした。花園大学邦楽部は、毎年定期演奏会で様々な演出をすることで有名なようですが、今年の全曲初演・曲順構成・舞台演出(背景・照明等)いずれも質が高く、さらに一曲一曲演奏者によってなんらかの仕掛けやネタがあり、見る者をあきさせない演奏会でした。とくに私事では、「竹々」の演出が非常に凝っていたことに、まず驚きました。「竹々」の基本的なテーマは「人間とくに若者の成長」でして、人間を竹に見立て、仲間とともに(仲間がいてこそ)成長することを竹が群生する様子に比喩して描写した曲です。また、冒頭部で、竹林に降り注ぐ日光を描写しようとしました。本番前、演奏準備ができた舞台を見ると、私が考えていた細かい状況設定を反映するかのように、演奏者の位置の後ろに竹林を見立てた舞台装置(細い節のある植物(何という植物だったんだろ?)がたくさん植えられていた)が設置され、その舞台装置に照明が当てられて天上に光と影が写り、あたかも竹林に降る光の輝きと竹の青葉のように見えました。開場前にセットされたそれらを撮ったものが、その写真です(バタバタしていてこのような形で掲載したい旨を伝えそびれました。まずかったらご一報ください)。とにかく、私のようなポッと出のにわか作曲者の作品が、こんなにすばらしい演出をしていただけるとは…一瞬涙が出そうになるくらい感動しましたよ、マジで。
 写真の真ん中に掲示されている書は、大きく「無」と書かれています(演奏会途中から「空」という書も登場しました)。花園大学は禅宗の学林を前身とする禅学研究所まで持っている学校ですので、その学生もまたその素養を持っているのだと考えると、仏教的な意味が含まれているものだと思いますが、詳しくはわかりません(苦笑)。これを書いたのは、なんと部員の一人の山本蒼翠さんとのこと。私も書は少したしなんできたつもりですが、こんな大作(大きさも質も)とても書けません。これにも驚かされました。
 私の曲の本番では、ちょっとしたハプニング(三絃ではよくあること)がありましたが、ハプニングに負けて崩れそうな中で、彼・彼女らが必死に力を振り絞り、最後まで弾ききってくれました。最後に披露された彼ら独自のパフォーマンスも、私の曲をしっかり受け止め、すばらしい「チーム」になっていたことを示す、非常に意味あるものだったと思います。曲のテーマが、一言で言うと「仲間とともに成長する若者たち」でしたから、私の曲が彼らを「チーム」にするほんの少しのきっかけを与えたのだとしたら、演奏の出来云々よりも遙かに意味あるものだったと思います。私以外の初演曲は、とくに鷲見大眞氏の曲「色即是空」は、2本の尺八がまったく違う音色を表現しながら、互いに違う音色を一体のものとして展開しており、作曲者の構成力・精神性ともに感服しました。また、演奏者の2人がしっかりした技術と精神を有していたので、この曲の観客に訴える力がさらに増したように思います。その他も、いずれも個性的で興味をひく曲でした。今日パンフレットを見るまで詳細を知らなかったので勘違いしていたのですが、履歴を見る限り、大学等で専門的な作曲教育を受けた方は一部の方々だけだったようです。それでも、いずれの曲も、曲への想い、音楽が一曲としてまとまる構成力、メロディの魅力など、私の曲など及ばないくらい、とてもすばらしいものでした。非常に楽しませてもらいました。
 学生邦楽の担い手は、大半が邦楽器を始めて数年の学生たちですから、プロやベテランと比べて技術や表現力は劣ります(私も人ごとではない(笑))。ですから、彼らに技術や巧みな表現力を求めるのは筋違いです。私は学生邦楽を聴くとき、彼らのウリはやはり、何事にも熱中し主張する「若さ」だと思っているので、今回もそれを見ていました。その点で、花園大学邦楽部の部員たちは、演奏の中で、時々のパフォーマンスの中で、すばらしいものを見せてくれました。睡眠不足の中、早朝からわざわざ京都まで出て行った甲斐があったというものです。私は今回の演奏会に対し、単なる観客としてではなく、作曲者として関わりました。その立場からしても、私が曲によって求めようとしたものを、演奏者たちが見事に体現してくれたので、満足していないわけがありません。なお、この満足感の源泉が何かを気づかせてくれたのは、私の曲に対して司会の西耕一さんがおっしゃられた一言でした。
 「この曲は、作曲者の教育論を体現したものではないでしょうか」 (※記憶が頼りなので、正確な発言内容は不明)
 そう、私は、「竹々」の演奏によって、演奏者が仲間とともに高く大きく力強く成長することを求めていました。もちろん反省的に見れば、今回曲の基礎になった私の教育論はまだ「論」というほどのものではないし、今回の「竹々」もまた私の教育論を十分体現できたとはいえないと思います。そう思うからこそ今、また曲を作りたい、と思っているのかもしれません。

 打ち上げの一次会にお邪魔した後、21時12分京都発の新幹線に乗り込む。O君、わざわざの見送りありがとうね! 23時半ごろ、東広島駅に着。
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明日京都で初演があるんです。

2006年11月17日 20時52分22秒 | Weblog
 今日は起床失敗。風邪による鼻づまりがひどく、CPAP治療が効いてなかったもよう? 学会発表まで時間がなく、明日は京都へ行かなければならないので、運動は断念し、いきなり登校。
 資料の製本をした後、学会発表の準備を始める。が、なかなかうまく集中できない。2時間ほどしてようやくノってくる。おお、内容なかなか面白くなってきたぞ。ただ、思った以上に研究対象が重要な問題を含んでいたので、上限13500字・45字×50行6頁の分量という、ちょっと少ない量しか書けない中国四国教育学会の紀要(無審査)に載せられるか、今更ながら心配になってくる(笑)。論文のまとめは時間がないので今日はナシ。
 明日は早朝から京都へ。実は、同日13時半開場・14時開演の「花園大学邦楽部定期演奏会」に顔を出さなくてはならないのです。この日、今年8月まで書いていた花園大学邦楽部依嘱の私の曲「竹々」(尺八2・三絃2、途中から尺八2・三絃1・十七絃1)が、同大邦楽部メンバーによって初演されるのです。なお、私の曲以外の6曲も全て初演曲。大学邦楽部では空前の試みではないでしょうか? 私以外の作曲家は、音楽大学経由で正統的な作曲法を学んだ方々ばかりのようなので、私以外の曲は(笑)安心して聴けるのではないでしょうか。その筋では有名な方もいらっしゃるようなので、ぜひ近郊にお住みの方は聴きにきてください。
 なぜ時間もないのに私が行くのかというと、演奏会中にインタビューしたいので出てきて欲しいとのことだから。私みたいなアマがしゃしゃり出るのはお笑いぐさなので、インタビューは受けたくないのですが、初演は聴きたい。まあ、曲の出来について責任ある立場だし、引っ込んでいるわけにもいかないか、と思い、行くことにしました。私費で行って参ります。邦楽に興味ない方でも、近郊にお住みのお時間のある方、私の恥ずかしい姿でもどうぞ見に来てやってください(笑)。
 それにしても、せっかくの秋の京都なのに、学会準備のために日帰りしないといけないのがとても残念… さぁ、明日は早いので早く寝なきゃ。
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江戸後期儒学の変容と徂徠学・懐徳堂儒学

2006年11月16日 22時36分23秒 | 教育研究メモ
 今日も運動後、登校。が、なにやら研究・勉強に手がつかない。うだらうだらしているうちに、日が暮れてきてしまいました(ぁ…ぁぁ…)。
 日も暮れてしまい、まずいことに、いまさら論文や学会発表準備に手をつける気にならない。さすがに一日何もしなかったというのはイヤなので、中村著のまとめに手をつけました。途中、友人Yがやってきて晩飯を喰らいに行きましたので、一時中断。その後、中村著のまとめを続行。このまとめが本当に必要になるのは、論文投稿・学会発表後なのですが、とにかく早くすませておきたい。広い視野を得ておくことは論文・学会発表の幅を拡げることになるので(この本をまとめるのは、私にとっていろんな意味でタイヘンなため、早く終わらせてスッキリしたいので)、やっておきたいのです(苦笑)。以下、とりあえずまとめたものです。

 中村春作「変容する『儒学知』・『国民』像の模索」(『江戸儒教と近代の「知」』第4章、ぺりかん社、2002年)をまとめよう…と思ったのですが、推論を重ねつつ抽象的な論理が展開していくので、最終的にわけがわからなくなり、またもまとめ切れませんでした。とりあえず、再び数時間かけて書いたまとめを一気に削除し(くぅっ…)、おおまかにまとめたものを挙げておきます。
 江戸後期とくに徂徠以降、反徂徠の中心となった大坂の懐徳堂儒学のなかで、儒学知が、閉鎖的な文人社会の特権的な知から、商人を中心とする社会の日常的な知へと変容したといいます。この懐徳堂の儒学知は、素読の普及とともに広く普及し、儒学知による共同意識を広範に発生させました。江戸後期には、この共同意識は、キリスト教を本質とする西洋文明に対抗するため、無宗旨の我が国においていかに「人心を一致せしめるか」(「民心一致」「民志一」)という問題意識の基礎となりました。また、徂徠などの古学派は、朱子学の宇宙論的な人間把握を排除して、「気質の性」を全うすべき人間観や、外部から人間の集合を「俗」として見いだす視座を生み出し、それが大衆(町人?)に受け入れられました。そのため、福沢諭吉にみられるように「風俗」「気風」の単位として人間が把握することが可能になり、「智」「徳」を備えた国民を、「一人の気風に非ずして全国の気風」という精神的な全体的表象のなかで捉えることができるようになった、ということらしいです。
 うーん、読めていない内容もある気がするなぁ。まとめるにあたって、たくさん割愛したんだもの。
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