教育史研究と邦楽作曲の生活

一人の教育学者(日本教育史専門)が日々の動向と思索をつづる、個人的 な表現の場

論文「1975年における日本教育会の結成―全国校長会と教育改革・教職プロフェッション化のための公共空間の要求」

2021年01月08日 23時55分55秒 | 教育研究メモ
 続いて投稿しております。昨年6月に教育会史(教育情報回路)研究会で発表したものをもとに、拙稿「1975年における日本教育会の結成―全国校長会と教育改革・教職プロフェッション化のための公共空間の要求」(『広島文教大学紀要』第55巻、2020年12月、73~89頁)を書きました。今回はその内容を紹介します。
 最近の教育会史研究会は、戦後研究に軸足をおいておりまして、私もその関係で研究をしています。教育会は戦後すぐに解散したと通説では言われがちなのですが、中央教育会や一部の地方教育会はまだ現役で、中央教育会は日本連合教育会と日本教育会の2つが現役で活動しています。前著である梶山雅史編『近・現代日本教育会史研究』(不二出版、2018年)で日本連合教育会の結成までを論文にしましたので、今回は日本教育会の結成を取り上げました。なお、今回取り上げたのは戦後生まれ、1975年結成の日本教育会です。戦前の大日本教育会の後身団体も日本教育会なので紛らわしいのですが、別の団体なので、区別するときは「旧日本教育会」と称することにしました。論文構成は以下の通りです。

「1975年における日本教育会の結成
 ―全国校長会と教育改革・教職プロフェッション化のための公共空間の要求」
 はじめに
1.日本教育会の結成まで
 (1)世話人会と教育8団体
 (2)職能団体を目指す動きとその課題
 (3)教師・学校中心の教育改革構想
2.日本教育会結成大会の成果と課題
 (1)職能団体のなかの校長とPTA
 (2)日本連合教育会・文部省・校長会の関係
3.森戸辰男会長の教育会再建構想
 (1)教育会再建への意欲と世話人会路線への批判
 (2)ILO・ユネスコ共同勧告に基づくプロフェッション論
 おわりに

 日本教育会は、2000年には5万人を超える会員を有したことのある、現役の全国教育団体です。しかし、旧日本教育会や日本連合教育会とは異なる歴史をもっており、なぜ多くの教育会が解散した後にわざわざ「教育会」を名乗って結成されたのだろうか、と長年疑問に思っていました。その疑問は本論文で解くことができたと思っています。これまでの教育会史研究は主に1940年代の教育会解散までを射程にしてきたのですが、本論文の取り組みはそれを乗り越えることになりました。そのカギになったのは校長会です。副題にある「全国校長会」というのは便宜的につけた用語であって、実際は、全国連合小学校長会と全日本中学校長会、全国高等学校長協会といった全国規模の校長会を主に指しているつもりです。また、1970年代にこれらの校長会に協働していた、全国国公立幼稚園長会と全国国公立幼稚園PTA連絡協議会、日本PTA全国協議会、全国高等学校PTA協議会、全国公立学校教頭会についても言及しました(1970年代には、前3校長会とこれら5団体を合わせて「教育8団体」といいました)。また、副題の「教育改革」というのは、1971(昭和46)年に中教審が発表した、いわゆる「四六答申」に沿った「第三の教育改革」を念頭に置いていると思ってください。それから「教職プロフェッション化」というのは、最初は「教職の専門職性」と題したかったのですが、初代会長の森戸辰男が用語として「専門職」ではなく「プロフェッション」を使っているためこのようにしました。
 1950年代以降の教育会史はこれまであまり日本教育史の研究対象になってこなかったのですが、今回の研究を通して、それは戦後教育史の研究を貧しくしてしまうもとだなと感じました。拙稿では、職能団体結成における校長会の主導性、そして教頭会の葛藤、PTAの位置づけの難しさ、日本連合教育会の存在、自民党・文部省との関係、森戸辰男の存在感と理念、これらの面白さに触れることができたと思います。また、教育8団体の教育運動やそれぞれの団体の活動など、面白そうなテーマを派生して発見することができました。よくある文部省・中教審中心史観や日教組史観などを乗り越えて(もちろん文部省・中教審・日教組研究は重要ですが)、これから戦後教育史を豊かに描くには、やはり教育会史研究の進展も欠かせないな、と思いを改めているところです。

 なお、本論文はPDFでネット公開されました(こちら)。
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教材「国民教育の始動―明治期の教育」

2021年01月07日 18時56分13秒 | 教育研究メモ
 昨年のことになりますが、貝塚茂樹・広岡義之編『教育の歴史と思想』(ミネルヴァ教職専門シリーズ2、ミネルヴァ書房、2020年9月)の第8章「国民教育の始動―明治期の教育」(115~130頁)を担当執筆しました。
 このところ教育史教育について考えるようになって、既存の教育史の教科書叙述に不満を感じることが多くなりました。教師教育・教員養成の教材として考えたとき、単に年表を書き下したような叙述では不十分です。どのような事実を選択し、どのように解釈・構成するか。もっともっと考えなければならないと思っています。そんな問題意識をかかえながら執筆しました。論文構成は以下の通り。

 第8章 国民教育の始動―明治期の教育
1 明治教育の出発点
 (1)江戸から明治へ
 (2)「教育」とは何かをめぐって
2 国民教育制度の形成
 (1)共通年限の義務教育を目指して
 (2)普通教育の模索
 (3)普通教育と人材養成
3 国民教育の影響
 (1)就学慣行の定着と臣民教育
 (2)立身出世主義と良妻賢母主義
 (3)学校・地域・家庭
4 国民教育始動の意義

 明治期の教育史をどう描くか考えたとき、まず一度まとめておきたかったものが「国民教育」でした。明治以前(江戸期)の教育と明治期の教育とが異なることは何か。明治期の教育が明治以後に残したものは何か。そして、その中で教職課程で取り上げるべきテーマは何か。明治期が、江戸期になかった国民教育の原型を形成し、それを実際に始動させた時期であることは間違いありません。そして、今の教職課程で育てている学生たちは、教師になれば、国民教育の制度の上で国民教育を実践する立場に立つことになります。そう考え、章を貫くテーマを「国民教育」にしました。なお、国民教育というテーマは国民国家論から得ています。国民国家論自体はやや使い古された感のある理論ですが、我々の生活において国民意識の意義が失われない限り、我々の教育制度が国民教育をあきらめない限り、有効な理論の一つだと思っています。
 今回、明治期の国民教育史を描くときに私が心がけたのは、明治期の教育は江戸期から引き続く教育の伝統を基礎に作られた事実を無視しないこと、それから義務教育制度を国民教育制度の中心にすえて、中央や法令のレベルだけでなく周辺的な位置づけにあった地域のレベルをも意識しながらその形成過程を明らかにすること、普通教育制度と人材養成制度を区別してそれらの交錯と接続の形成過程をとらえること、社会や国民生活の中に国民教育制度の影響をとらえること、立身出世主義と良妻賢母主義を男女それぞれの生き方に関わるものとして明確に位置付けてその分離状態に注目すること、国民教育の始動が学校のみならず地域・家庭・社会のあり方を変えたことに触れること、国民教育始動の意義を課題とともに批判的にとらえようとしたことなどです。私の専門である教育会についても、教育社会の形成史の中に位置づけました(江戸期には教育社会はなかったので、明治期の教育社会の形成は歴史上画期的な出来事です)。章末の問いにも、学生が教育史を身近に感じるように、本文から得た国民教育の視点を用いて教育制度や社会のありようを理解・解釈する練習の機会を得られるように工夫をこらしました。
 本論文の出来は個人的には満足しています。特に、義務教育制度の形成過程を中央だけでなく地域(山間・島しょ部や植民地含む)をも意識して描けたことや、国民教育史を普通教育理念と人材養成理念の交錯と接続という視点に基づいて描けたこと、立身出世主義・良妻賢母主義に基づく教育制度が国民の生き方を男女に分けたことを指摘できたこと、教育社会の形成は国民教育始動が日本社会に与えた影響の一つであったこと(その代表的な現象の一つとして教育会の結成・活動があったこと)を指摘できたことなど、日本教育史研究者として書きたかったことも多く書けました。ぜひ読んでいただければ幸いです。
 書けなかったと思っていることもたくさんあります。いつか機会があれば、また挑戦してみたいです。
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歴史を学ぶこととは?―時間を認識する力を育てる

2021年01月06日 18時40分13秒 | 教育研究メモ
 歴史は時間の認識を可能にする。我々は、1分1秒の時間を日常的に認識できる。しかし、1日以上の時間を認識するには、いったん記憶を呼び戻し、それらを思考・解釈しなければならない。1年単位、10年単位、100年単位というように、時間の単位が大きくなればなるほど、我々は時間を認識することが難しくなる。それを可能にするのが歴史である。
 大きな単位の時間を隔てた記憶や、自分が実際に経験しなかった他者や社会の記憶は、歴史家の編集・解釈した歴史の物語や、史料を手掛かりにしなければ認識できない。自分の記憶や思い込みに頼るだけでは、長い時間を経てしまった真実に近づくことはできない。適切な物語や史料を適切に用いれば、事実をより詳しく深く認識し、真実に近づくことができる。歴史を学び、様々な過去の物語を理解し、史料操作の方法と資質能力を身につけることによって、我々はより長い時間を認識することが可能になる。
 我々は「今」という時間を認識することができるが、我々が生きている世界は「今」だけで構成されていない。世界は、1年、10年、100年を経た時間すなわち「過去」によって構成され、これから1年、10年、100年と経ていく時間すなわち「未来」を構成していく。「過去」を認識することは容易ではないが、歴史を学ぶことによって可能になる。1年、10年、100年の単位で時間を認識できるようになることは、「未来」を認識(予測)するために重要なことであろう。1年、10年、100年前を認識する能力は、1年、10年、100年先を認識する能力と関係しているのではないか。今を生きる人間は、歴史を学ぶことによって時間を認識する力を育て、過去と未来を見通すことを可能にするのではないか。
 歴史は、過去ー現在ー未来という時間を見通しながら、よりよく生きるために学ぶのだ。
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他人事ではない歴史―教育史ははたして?

2021年01月04日 23時55分55秒 | 教育研究メモ
 歴史は史料に基づく論争を容認する。歴史は我々のアイテンデンティに関わる物語であり、真実を追究する学問である。歴史は他人事ではないからこそ、論争も激しくなる。
 歴史は、完全のように見える我々のアイテンデンティに関わる物語を、我々がいつでも誰でも語り直すことのできるものにするために、議論を容認しなければならない。歴史をめぐる議論は、歴史研究者に事実の探究を促し続ける。歴史をめぐる議論・論争と歴史研究は、「歴史の絶えざる民主化」(リン・ハント『なぜ歴史を学ぶか』岩波書店、2019年)を促す。歴史の議論や研究は、歴史をみんなのもの(民主的なもの)にするために必要である。
 歴史を国民・市民のためのものにするには、議論・論争を容認しなければならない。フェイクニュースや歴史の政治化が止まない現代において、このことは益々困難になっていく。こんな現代だからこそ重要なことは、議論の作法を国民・市民が身につけておくことである。例えば、議論の相手を尊重する姿勢をはじめ、感情を吐露するのではなく史料に基づいて根拠ある解釈を示す力、論点を論理的に理解して適切に反応する力などを、我々は身につけなければならない。人々にこれらの資質能力を育成することこそ、初等・中等教育ならびに高等教育における歴史教育の使命であろう。

 上と同じ事を、教育史についても言えるはずだ。特に近代教育史は、教育が国民形成の仕組みの一つとして働く歴史であり、国民にとって他人事ではない。地域や一国の教育史も、そこに住む市民にとって他人事ではない。教員養成の文脈では、自らの職場・システム・職能の歴史であり、教員にとっても他人事ではないのだ。しかし、現在、国民・教員の間で教育史の論争が起こっているかというと、そうとはとても言えない。教育史は、我々の人生において、それはそういうものとして、議論を生むことなく過ぎ去っていく。
 これからの我々には、教育史を自分事にする教育機会が必要だ。それから、議論の論点を探り、整理することも必要だ。おそらく、国民一般にとっての論点と教員にとっての論点とは、あるいは重なり、あるいは異なる。初等・中等教育、高等(教養)教育、教員養成、現職教育、それぞれの違いを意識しながら、論点を整理していくことが必要である。
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教育は資質能力の育成にどう関わるか

2021年01月03日 23時55分55秒 | 教育研究メモ
 教育は資質能力の育成にどのように関わるか。
 資質能力は特定の個人に備わるもので、それだけを切り離して譲渡することはできない。教育は資質能力を育成することが可能だが、教育者の資質能力が被教育者に直接伝達されるのではない。教育者が提供する教材(知識や技術、価値観などを含む、教えるべき価値ある文化財)を学習者が自らの学習材として学習する過程で、学習者は自らの様々な資質能力を刺激され、働かせる。こうした過程で、学習者のもともともつ資質能力が、目覚め、開発、強化、変質する。つまり、資質能力は、学習を通して学習者が自ら育成するものである。被教育者が教育の客体であると同時に学習の主体であるからこそ、資質能力の育成は可能になる。
 資質能力育成が学習の結果だとはいえ、教育者は資質能力育成に対して関わることはできる。教育者が資質能力育成に関わるには、被教育者=学習者の可能性を見極め、被教育者=学習者の個性に応じてそのの資質能力育成を支援することが可能である。教育は知識や技術、価値観などの伝達だけを介して成立可能だが、それだけでは資質能力の育成を支援するには不十分である。まずもって、資質能力育成を支援しようとする意欲が必要である。
 育成すべき資質能力は、学習者が今、そしてこれからどのように生きていきたいかに応じて決まる。教育者は、すべての学習者の欲求に応じる支援を準備することはできないが、一般的な傾向を把握して、調整しながら実践することは可能である。教育者の学習者の欲求は、その生きる文化や時代に影響を受けて形成されるから、文化や時代を理解することで学習者の一般的な欲求を推し量ることは可能である。
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教育を関係として認識してみる

2021年01月02日 23時55分55秒 | 教育研究メモ
 教育とは何か。ここでは、因果関係・能動受動関係をもつ事実としての側面と、その言葉に付随する感情的反応に注目して論じる。
 教育とは、教育者と学習者との知的・感情的関係である。教育者(教育の主体)が被教育者(教育の客体)に関わり、知識や技術、価値観などを様々な手段で伝える。それを、被教育者が受け止め、学習し、自らの知識や技術、価値観などとする。被教育者は学習の主体でもある。教育において、被教育者は受動的立場にあるが、学習者としては能動的立場にある。
 教育者と被教育者との関係は、教育者が他者に対して教育したいという欲求、および学習者が教育者から学習したいという欲求によって成立する。また、学習者が、以前に比べて、その保持する知識や技術、価値観などを変容させることで成立する。教育は、教育者の教育欲求と学習者の学習欲求を原因として、学習者の学習を結果とする人間関係の一つである。
 また、教育は、以上のような現象・事実を指すとともに、一定の感情的反応を付随する言葉である。例えば、教育によって学ぶ楽しみを味わったり、何らかの利益を得たりした者には、肯定的な感情を引き起こす。逆に、教育によって学ぶ苦しみばかりを味わったり、自我を抑えつけられたりした者にとっては、否定的な感情を引き起こす。これらの反応は、個人だけでなく、集団・社会においても起こる。集団・社会における教育に対する反応は、輿論(言説)や世論となって集団・社会の文化や教育制度を動かす力となる。教育は、個人や集団・社会の感情的反応を引き起こし、その制度や文化、構造を動かす、教育者と学習者との人間関係である。したがって、教育とは、単に知識や技術、価値観などの個人的で即時的な学習では終わらない。学習の経験やそれに付随して感じ、感じ続ける感情によって、その後学習者がたどる人生の過程に影響し、その所属する集団・社会の行く末やあり方に影響する。
 以上のように、教育とは、個人・集団社会のあり方に継続的に影響する人間関係の一つである。教育を認識するには、教育の目的や内容、方法を明らかにする必要があると一般的には考えられるが、これらは時代や文化によって多様である。そのため、これらを明らかにするだけでは教育の原理を認識することはできない(帰納だけでは原理の認識はできない)。教育をより原理的に認識するには、被教育者=学習者における受動的かつ能動的立場という二面性と、原因としての教育者・被教育者の欲求、学習者の学習という結果、そして教育という言葉に個人や集団・社会が抱く感情的反応を捉えなければならない。これらの視点によって教育を認識する学問は、教育学である。
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