先週金曜、広島大学で開かれた中国四国教育学会大会で研究発表しました。
題目は「明治30年代・帝国教育会学制調査部の「国民学校」案」でした。
この「国民学校」とは、昭和16年から戦時中にあった初等教育機関ではなくて、明治30年代の帝国教育会および全国連合教育会で主唱された初等教育機関です。小学校を「国民学校」と改称し、中等・高等教育中心の国民教育・学校体系を見直そうというのが、帝国教育会学制調査部の「国民学校」案の骨子でした。明治30年代の学制改革問題において、中等・高等教育改革中心の論調のなか、独自の立場として初等教育重視の立場にあった教育会陣営の学制改革論の拠り所として用いられたもの、というのが本発表の結論です。本発表で、小学校(初等)教育重視の利益団体としての帝国教育会像の姿が、より明確になってきたように思います。
この発表は、「今年、学会発表を一切していないから、やっておかないと」と思って申し込んだ発表でしたが、非常勤やバイトの合間に準備するのは、やはり大変でした。激務の合間に研究発表を積極的にされている先生方の苦労が、少しわかったような気がします。本発表は、先々週金曜の特研(ゼミ)で言われたことを踏まえて修正、一部から「なかなか面白かった」とのお言葉もいただきました。同学会の紀要(CD-ROM版)に投稿しようかなと思ってます。
題目は「明治30年代・帝国教育会学制調査部の「国民学校」案」でした。
この「国民学校」とは、昭和16年から戦時中にあった初等教育機関ではなくて、明治30年代の帝国教育会および全国連合教育会で主唱された初等教育機関です。小学校を「国民学校」と改称し、中等・高等教育中心の国民教育・学校体系を見直そうというのが、帝国教育会学制調査部の「国民学校」案の骨子でした。明治30年代の学制改革問題において、中等・高等教育改革中心の論調のなか、独自の立場として初等教育重視の立場にあった教育会陣営の学制改革論の拠り所として用いられたもの、というのが本発表の結論です。本発表で、小学校(初等)教育重視の利益団体としての帝国教育会像の姿が、より明確になってきたように思います。
この発表は、「今年、学会発表を一切していないから、やっておかないと」と思って申し込んだ発表でしたが、非常勤やバイトの合間に準備するのは、やはり大変でした。激務の合間に研究発表を積極的にされている先生方の苦労が、少しわかったような気がします。本発表は、先々週金曜の特研(ゼミ)で言われたことを踏まえて修正、一部から「なかなか面白かった」とのお言葉もいただきました。同学会の紀要(CD-ROM版)に投稿しようかなと思ってます。