今日もなかなか起きられず。昼前に起きて、仏壇の掃除。ほかの家族は神さんにお供えする供物とおかざりを作ってました。供えて掃除して昼食。
その後、さらに手伝わされそうでしたが、なんか無理矢理考えてくれているみたいなので(笑)、「考えなくていいよ~」とやんわりと拒否(笑)。そして、勉強のような研究に取りかかる。今日は、中山茂『歴史としての学問』(中央公論社、1974年)のまとめです。年内に仕上げたかったので、やりはじめました。しかし、まとめ残した部分は第三章~六章までの200頁以上。一日で全部はやっぱり無理でした(笑)。結局、第四章の途中まで。第三章「紙・印刷と学問的伝統」は全部まとめ終わりました。中国とヨーロッパの学問的伝統の違いを、学問伝達メディアである紙や印刷の視点から説明した部分です。
とりあえず写真は、晩飯の猪(しし)鍋でーす。ちょっと味が濃かったけど、めちゃめちゃうまかったっす。
そもそもこの中山著を読み出したのは、先日自分の中で勉強を完了したつもりの橋本鉱市論文を読んで、「学問の制度化」の理論を書いた本であることを知ったのが始まり。この本を読んで、そもそも「学問の制度化」というのは、学問が創造的性格を失って、あるパラダイムにのっとった通常科学的研究(端的に言えば、先行研究に何らかの新知識を加えていく研究)を続ける研究者の再生産の制度を形成することをいうみたい。とくに学問の制度化を達成するために、教育は重要な意味を持っているという意味で、教育は取り上げられています。教育は、学問的伝統(学問の歴史)を形成する決定的で重要な役割を果たすわけ。橋本鉱市氏は、そこのところに関心をもって、「学問の制度化」をテーマにいくつかの論文を書いていたのでした。
でもまてよ、これでは教育史は学問史(科学史)に従属するテーマになるわけで。そうであれば、教育史研究者は、例えば英語教育史研究者は英語学者、数学教育史研究者は数学者でないといけなくなる。教育学者などという職業は、実はありえないものになってはしまわないか。そもそも教育学という学問は、実は独立して存在しえない学問になってはしまわないか。
学問分野というのは、歴史を経て形成された人為的な制度です。教育学の存在は、自明ではないのです。
その後、さらに手伝わされそうでしたが、なんか無理矢理考えてくれているみたいなので(笑)、「考えなくていいよ~」とやんわりと拒否(笑)。そして、勉強のような研究に取りかかる。今日は、中山茂『歴史としての学問』(中央公論社、1974年)のまとめです。年内に仕上げたかったので、やりはじめました。しかし、まとめ残した部分は第三章~六章までの200頁以上。一日で全部はやっぱり無理でした(笑)。結局、第四章の途中まで。第三章「紙・印刷と学問的伝統」は全部まとめ終わりました。中国とヨーロッパの学問的伝統の違いを、学問伝達メディアである紙や印刷の視点から説明した部分です。
とりあえず写真は、晩飯の猪(しし)鍋でーす。ちょっと味が濃かったけど、めちゃめちゃうまかったっす。
そもそもこの中山著を読み出したのは、先日自分の中で勉強を完了したつもりの橋本鉱市論文を読んで、「学問の制度化」の理論を書いた本であることを知ったのが始まり。この本を読んで、そもそも「学問の制度化」というのは、学問が創造的性格を失って、あるパラダイムにのっとった通常科学的研究(端的に言えば、先行研究に何らかの新知識を加えていく研究)を続ける研究者の再生産の制度を形成することをいうみたい。とくに学問の制度化を達成するために、教育は重要な意味を持っているという意味で、教育は取り上げられています。教育は、学問的伝統(学問の歴史)を形成する決定的で重要な役割を果たすわけ。橋本鉱市氏は、そこのところに関心をもって、「学問の制度化」をテーマにいくつかの論文を書いていたのでした。
でもまてよ、これでは教育史は学問史(科学史)に従属するテーマになるわけで。そうであれば、教育史研究者は、例えば英語教育史研究者は英語学者、数学教育史研究者は数学者でないといけなくなる。教育学者などという職業は、実はありえないものになってはしまわないか。そもそも教育学という学問は、実は独立して存在しえない学問になってはしまわないか。
学問分野というのは、歴史を経て形成された人為的な制度です。教育学の存在は、自明ではないのです。