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教育史研究と邦楽作曲の生活

一人の教育学者(日本教育史専門)が日々の動向と思索をつづる、個人的 な表現の場

(成果紹介)日本学術会議「教育学参照基準」に基づく教育史教育の役割と課題

2025年03月20日 10時17分00秒 | 教育研究メモ
 今年度の成果①について。
 拙稿「日本学術会議「教育学参照基準」に基づく教育史教育の役割と課題」は、『教育学研究―広島大学大学院人間社会科学研究科紀要』第5号(広島大学大学院人間社会科学研究科、2024年12月、165~174頁)に掲載されました。
 本学大学院人間社会科学研究科紀要の一つ『教育学研究』は、すべてオープンアクセスの論文で構成された紀要です。第5号は38もの論文が掲載されております。もともと4分冊に分かれていた『教育学部紀要』や『教育学研究科紀要』を一つにまとめたタイトルですので、それを一つにまとめるとこれだけの数の論文が集まるのですね。
 さて、拙著の内容構成は以下の通りです。

 はじめに
1.教育学参照基準の定義する教育学
2.教育学参照基準が求める教育史の役割
(1)教育史教育を通して身に付けるべきことが明らかな素養
(2)教育史教育を通して身に付けることが可能な素養
3.教育学参照基準に基づく教育史教育の方法
4.教育学参照基準に基づく教育史教育の単元構想
 おわりに

※恥ずかしながら、校正が十分できなかった箇所があります(特に表1・2の一部)。本文は校正済みですので、表は本文と対応させてご参照いただきますようお願いします。

 「教育学参照基準」とは、日本学術会議の心理学・教育学委員会教育学分野の参照基準検討分科会「報告 大学教育の分野別質保証のための教育課程編成上の参照基準 教育学分野」(2020年8月18日)の略称として本稿で使った言葉です。拙稿は、この基準から教育史教育に関わるものを抽出して、私なりの実践も踏まえながら教育史教育の単元を構想しようとした試みです。ここで抽出した身に付けるべきことが明らかな素養をすべて取り扱えるように、教職コアカリキュラムの「教育の理念並びに教育に関する歴史及び思想」における「教育に関する歴史」の3つの到達目標に準拠した単元(全5回分)を立ててみました。
 「教育学参照基準」は、様々な教育学領域の第一人者が集まって作っただけに、現代教育学の基礎的内容をしっかりおさえていて、基礎的な基準としてはよくできていると思います。教育学としての教育史教育については、まずこの基準の求める素養を育てられるように再編成していく必要があります。拙稿で枠組みとその実現に向けたおおよその方策は示せたかなと思うので、次は具体的な教材開発が必要です。教材・教科書づくりですね。これからは、教育史のどんな事実や研究成果が教育学としての教育史教育にふさわしいか、その選択と排列を具体的に考えていかなければなりません。
 なお、これからの大学の教育学・教員養成における教育史教育は、教職コアカリキュラムと「教育学参照基準」の二つを踏まえながら計画する必要がありますが、その先にある人間・国民・市民育成や教育学研究者養成にどう接続するかは大きな課題です。「教育学参照基準」の参考資料1にもあったように、教員養成(およびその背後にある国家の要求)と一つの学問分野としての教育学の間には緊張関係が必要です。また、教員養成に限らず、人間・国民・市民育成と教育学の間にも緊張関係があるべきでしょう。教員養成を含む様々な人間の教育と教育学の間に緊張関係があることで、教育と教育学は、ともに高め合うことができます。その緊張関係を前提として教育学教育のカリキュラムを編成していかなければなりません。
 私は教育学研究者養成を担う立場にいますので、この課題を形にしていく責任があります。講義・演習はもちろん、ゼミ(広大教育学では「特研」といいます)、卒論、修論、博論のあり方。正規の教育課程はもちろん、研究会や学会、読書会などの課外の課程も含めて、どうしていくべきか考えていきたいと思います。
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故野地潤家氏旧蔵資料の救出

2025年03月16日 12時25分00秒 | 教育研究メモ
 広島大学の教員になってよかったことの一つに、史料救出事業に積極的にかかわり、各部署にいる専門家を巻き込んで取り組むことができるようになったことがあります。史料はひっそりと処分されることが多いので、救出の機会はめったにないのですが、「廃棄前に残すべき資料がないか見てくれ」と声がかかることがまれにあります。京都などのように教育関係の歴史的資料専門の博物館がある地域はそこにつなげばいいのですが、地方では教育関係の資料に関する専門性をもつ機関があるところは多くないので、私のような教育史研究者の役割がとても大きいと考えています。一点もののそこにしかない資料が廃棄されることはもちろん避けたいところですが、そのほかにも、所蔵のある資料でも資料群にとって大事な資料だったり、まとまって所蔵されることで研究調査上利便性を高める資料だったりと、救出すべき場合はたくさんあります。
 一番(研究者やアーカイブの立場から)理想的なのは、判断を任されたすべての資料をそのままの形で救出・保存することなのですが、保存場所の確保の可能性だったり、所有権をもつ側の都合だったりと、様々な理由ですべてを救出することはなかなかできません。「すべてを残した方がよい」と所有者に伝え、「ではどこに保存するのか」と返される。博物館や公文書館、教育委員会などの公的機関につないでも、すべてを保存することはできないと判断されることも多々あります(または、保存する場所が確保できないと受付すら断られることもあり)。それぞれいろいろな事情があって仕方ないことも多いのですが、かかわったからには少しでも救出することを考えます。救出できる量は限られているので、選別する必要のある場合がほとんどでしょう。選別の猶予期間もあまりないことが多いので、すばやい調査と判断が必要になります。そうなると、知識不足でその価値を判断できないことや見落としを誘発します。救出・保存の判断を任された側は緊張感のなかで判断し、救出作業を進めていくことになります。少しでも救出できる貴重な資料を増やすために、私たちは資料そのものの理解と救出・保存技能の研鑽に務める必要があります。

 さて、このたびの2024年12月から2025年2月にかけて、広島大学(最初は広島高師)と鳴門教育大学で活躍された国語科教育学の大家、故野地潤家氏の旧蔵資料の救出にかかわることができました。広大にとってとても大切な先輩の旧蔵資料でしたので、気合を入れてかかわってきました。例によって限られた期間のなかでしたので十分やれたとはいえないのですが、精いっぱい関わらせてもらいました。
 野地先生の関係資料は、すでに鳴門教育大学と広島大学国語文化教育学講座の2つ文庫があって、かなりの点数の資料が整理されて残っています。それでもなお、ご自宅にたくさんの資料が残っておりました。広島市に残されていた野地先生のご自宅には大きな4つの資料室とご自身の書斎があり、そこにたくさんの資料が収められていました。2008年から12年まで広島大学国語文化教育学講座が取り組んだ資料保存の事業について、詳細な報告が残されています(こちら)。このあとも関係者の間で資料の分配が続けられ、私がかかわったのは2024年12月が最初でした。ご自宅を解体するために、最後に、日本教育史研究者の立場から何か貴重な資料がないか確認してくれ(あれば譲渡する)、という依頼でした。2025年3月には解体完了するということでしたので、何度もご自宅に通って急ピッチで作業を進めました。
 そのため私がかかわったのは救出作業の末期でしたが、それでもたくさんの資料が残されていました(下の写真は作業開始時の野地先生の資料室の一つの一角です。実際にはこの何倍もありました)。野地先生は国語科教育史研究者でしたので、日本教育史の視点からも重要な資料をたくさんお持ちでした。私の目から見ても、ご自宅解体にともなって瓦礫とともに失われるわけにはいかない資料がたくさんありました。主に私の車に乗せて救出を続けましたが、途中から広島大学文書館の職員や教育学部教育学コースの教員・院生の協力も得られ、たくさんの資料を救出できました。

 

 問題はそのあとの作業です。野地先生の旧蔵資料のうち広大文書館が持ち帰ってくれた資料は一任していますが、受け取り先が他になく白石が救出したものは私が何とかしなければなりません。今のところ、とりあえず故野地潤家氏旧蔵資料(または歴史資料として野地潤家旧蔵資料)と仮に名付けて、私が管理を任されている広島大学日本東洋教育史研究室の資料室(教育学部A棟教育学第二資料室)に一時保管しております。
 私が救出した資料群だけでも段ボール箱およそ40箱程度もあり、一人でどうにかできる量ではありません。来年度以降に予算が組めないか算段し、保存作業と目録作成に取り組んでいくつもりです。私が救出した主な資料は、明治から戦後までの教育雑誌や学校関係の資料です。多くは一度公開・公刊された資料を中心としますが、中には一次資料にあたるような貴重なものもあります。研究に利用できるようになれば、国語科教育史研究に限らず、近代日本教育史研究を一層進展させ、かつ進めやすくなるでしょう。

 利用のために念書が必要そうな資料も一部あるので、公開までには時間がかかりそうですが、私がすべてを抱えておくべきではないので、記録に残しておくこととしました。今後、進捗状況は学会その他の方法で報告していこうと思います。
 貴重な資料群を残してくださった故野地潤家先生と、その救出・保存の機会をくださった関係者の方々、実際に救出作業を手伝ってくださった方々に感謝申し上げます。
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高校無償化と市場競争原理のつながりを見直し、公立高校のテコ入れを望む

2025年03月12日 23時55分00秒 | 教育研究メモ
 高校無償化について与野党三党合意が議論になっていますが、ここにきてようやくその目的を明瞭に語る政治家が現れました。


 記事からは、日本維新の会が高校無償化を競争原理によって提唱していたことがわかります。予想通り、やっぱりそうだよねと、高校無償化の原理を見極めることができました。与党も市場競争原理による新自由主義的方向性を強くもっていますので、微妙な差異はあるにしても、この線で高校無償化策に合意したといったところでしょう。高等教育無償化も議論されていますが、今の日本で合意に達するとすれば競争原理によるものと予想されます。彼らがそのように考えるのは各党の基本理念を考えれば納得できます。

 ただ、それでも私は、教育政策を市場競争原理のみで考えるべきか、と問わざるを得ません。上の記事で、前原氏が「高校教育に関しては、(無償化によって)私学を選ぶ子どもが増え、公立の地盤沈下につながるというふうに言われることも多いのですが、僕はそれでいいじゃないか、と思うんです。」と語っているところに、私は議論の余地が大いにあると思います。私は、義務教育ではない高校の政策であっても、私立偏重・公立淘汰の方向に極端に舵を取ることはよくない、と考えています。
 必要な私立高校が増えるのはよいと思います。また、公立高校が統廃合されるのも少子化・人口減少社会ゆえに致し方ない部分はあります。しかし、市場競争原理によって公立高校が淘汰されればよいという考えには賛同できません。公立高校は、私立高校にはできないこと、とくに市場競争原理では大事にできないことをできる貴重な制度です。公立高校と私立高校の設置廃止再編を市場競争論理のみで判断すべきではありません。

 問題は高校教育の質の良し悪しを判断する規準にあります。現在の市場競争原理の視野に入っている主な規準は、学力テストの平均点や有名大学への進学数、部活動の大会出場数などです。これらの規準はいずれも「有用な人材になり得る生徒」を評価するものでしかなく、その規準に当てはまらない生徒を評価するものではありません。むしろ規準に当てはまらない生徒は排除したほうがよいとすら考えられてしまうきっかけをつくってしまいます。私立高校が規準に当てはまらない生徒を十分包摂できるならばよいのかもしれませんが、現在の私立高校は市場競争原理にさらされざるを得ないので、利益の得にくい事業に取り組める学校法人をそう多くは望めません。高校無償化がそういう学校法人を支えるように機能すればよいかもしれませんが、そういう目的での無償化ではなかったようです。
 もちろん、現実の公立高校のうち、「有用な人材になり得る生徒」だけでなく、その規準に当てはまらない生徒を十分に包摂できている学校が実際にどれだけあるか、という問題もあります。高校教育の多様化が進められている現在において、公立高校の質を判断する規準は複雑化していますが、市場競争原理から自由ではいられません。市場競争に打ち勝てる公立高校もありますが、そうはいかない公立高校もたくさんあるでしょう。無償化によって市場競争原理にますます絡めとられやすくなるので、これから公立高校の正念場は続くでしょう。公立高校の在り方はもっと多様な観点から議論されるべきであり、もっと多様な規準を想定すべきです。高校関係者や教育学者はもちろんですが、政治家や国家・地方行政官の教育認識・教育観が問われます。
 進学者数や学力テスト等の実績は教育成果を測る唯一の指標ではありません。教育条件を整えることは教育政策上の重要課題ですから、親の経済的事情に配慮して進学先の選択の自由を保障することももちろん大事ですが、公教育の課題はそこで終わりではありません。その先にある本当に応えなければならない課題は、例えば、国民・社会の統合や基本的人権の保障などがあります。公立の授業料は安い、私立は高い、ということが問題の本質ではないのです。

 資本主義経済の原理、人材(労働力)確保の原理のみで教育政策を決めてしまうやり方は、不十分であると考えます。新自由主義や社会経済資本投資型の原理が教育政策を必要とするのは当然ですが、予算が下りるからといってそれのみで教育政策を決めてしまうことの問題を考える必要があります。教育の目的は有用な人材育成のみにはとどまりません。「人材」とみなされえない人々も含む、すべての人の教育を受ける権利や学習権(人権の中核)を保障することも教育の目的です。
 「人材育成」と「人間(性)育成」とでもいうべき目的のバランスを、現実の教育政策においていかにとるべきか。義務教育はもちろん、義務教育でない高校や高等教育でどのようにバランスをとっていくか。このたびの高校無償化策実施をきっかけに、われわれ日本人は改めて考え直すべきだと思います。そのためには、経済学や政治学だけで教育政策を考えるわけにはいきません。教育について幅広く徹底的に考える教育学の視点・考え方がどうしても必要です。

 なお、私がいま最も考えるべきだと思うのは、公立高校のテコ入れです。「高校無償化によって人々は私立高校を選ぶはずで、公立高校は淘汰されていく」という認識自体がおかしいと思っています。公立高校にしかできないこと(地域によって異なるはずです)を見据えると同時に、そのために実践できる高校教員を確保し、大事に育てる必要があります。優秀な高校教員を公立高校に引き留め、誘致し、採用、配置する必要があります。長い目で見た育成・採用計画が必要です。
 いま、公立高校から教員が続々と流出しています(運営の厳しい私立高校から公立高校へ教員が流れる事実も一部にあるようですが)。「職場環境として学校より企業の方がよい」とか、「職場環境として公立より私立の方がよい」という認識は、当然視するべき絶対的なものではなく、この数十年のうちにできてしまった歴史的に相対的なものです。事実、かつて優秀な教員は公立高校に勤めたがったのです。
 いま必要なのは、優秀な教員が長く勤めたくなる公立高校づくりです。自治体や地方議会は、無償化によって得られるはずの財政的安定をもって財源を公立学校以外に回すのではなく、さらなるテコ入れを公立学校に向けてほしいと思います。各教育委員会が教員確保(魅力向上)策として「やりがい」の強調や採用試験前倒ししか選択できない現状を変えてほしいものです。








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口頭発表業績一覧

2025年03月05日 23時55分55秒 | 研究業績情報

 この記事は、口頭発表の一覧です。発表後、何らかの形で活字化しているものが多いです。




1.白石崇人「明治初期における教育会の結成に関する研究 ―東京教育学会の活動実態を中心に」中国四国教育学会第54回大会、高知大学、2002年。
2.白石崇人「東京教育会の活動実態」全国地方教育史学会第26回大会、金沢大学サテライトプラザ、2003年6月1日。
3.白石崇人「大日本教育会主催の全国教育者大集会に関する研究」教育史学会第47回大会、同志社大学今出川キャンパス、2003年9月21日。
4.白石崇人「『大日本教育会雑誌』における外国教育制度情報 ―情報の使用形態に注目して」中国四国教育学会第55回大会、広島大学、2003年11月9日。
5.白石崇人「大日本教育会機関誌における外国教育情報に関する研究」国際研究集会、中国浙江省杭州市、2004年4月3日。
6.白石崇人「大日本教育会の地方会員に関する研究 ―全国と地方との関係」全国地方教育史学会第27回大会、熊本大学、2004年5月23日。
7.白石崇人「大日本教育会および帝国教育会における組織的研究活動の展開」教育史学会第48回大会、法政大学、2004年10月10日。
8.白石崇人「19世紀末の大日本教育会・帝国教育会機関誌にみる西洋・東洋教育情報」アジア教育史学会2004年度第二回例会、広島大学、2004年11月6日。
9.白石崇人「明治三十年代の帝国教育会における組織的研究活動の展開」中国四国教育学会第56回大会、鳴門教育大学、2004年11月28日。
10.白石崇人「大日本教育会および帝国教育会の地方会員の履歴に関する研究」全国地方教育史学会第28回大会、福島大学、2005年5月22日。
11.白石崇人「大日本教育会および帝国教育会に対する文部省諮問」教育史学会第49回大会、東北大学、2005年10月8日。
12.白石崇人「大日本教育会および帝国教育会における研究活動の主題」中国四国教育学会第57回大会、安田女子大学、2005年11月26日。
13.白石崇人「明治期における教育会の情報交換」全国地方教育史学会第29回大会、広島大学、2006年5月21日。
14.白石崇人「明治期大日本教育会・帝国教育会像の再構築」教育史学会第50回大会、大東文化大学、2006年9月16日。
15.白石崇人「明治期帝国教育会における道徳教育研究活動」中国四国教育学会第58回大会、岡山大学、2006年11月。
16.白石崇人「結成時における大日本教育会の根本的目的」教育史フォーラム・京都 第20回研究会、京都大学、2007年9月2日。
17.白石崇人「明治30年代・帝国教育会学制調査部の「国民学校」案」中国四国教育学会第59回大会、広島大学、2007年11月23日。
18.白石崇人「全国教育者大集会の開催背景 ―帝国議会開設前の大日本教育会における「東京」と「関西」の問題」教育情報回路研究会第7回全体研究会、東北大学、2008年5月17日。
19.白石崇人「明治10年代後半の大日本教育会における教師像」中国四国教育学会第60回大会、愛媛大学、2008年11月30日。
20.白石崇人「1940年代末結成の日本教育協会―日本連合教育会改称までを視野に入れて」1940年体制下における教育団体の変容と再編過程に関する総合的研究第1回研究会、東北大学、2009年7月18日。
21.白石崇人「大日本教育会単級教授法研究組合報告の内容―高等師範学校編『単級学校ノ理論及実験』との比較から」日本教育学会第68回大会、東京大学、2009年8月28日。 ※訂正:題目「…組合報告の報告の内容」→「…組合報告の内容」
22.白石崇人「明治後期の教育者論―教員改良のためのErzieher概念の受容と展開」中国四国教育学会第61回大会、島根大学、2009年11月21日。
23.白石崇人「明治30年代初頭の鳥取県倉吉における教員の問題意識―地方教育雑誌『東伯之教育』を用いて」全国地方教育史学会第33回大会、九州大学、2010年5月23日。
24.白石崇人「明治30年代初頭の鳥取県倉吉における教員集団の組織化過程-師範卒教員と検定教員との衝突・分離・合流」日本教育学会第69回大会、広島大学、2010年8月22日。 ※訂正: PDF320頁 下から3行目「79,298」→「79,299」
25.白石崇人「明治20年代初頭の大日本教育会における教師論―教員の地位向上と専門性」中国四国教育学会第62回大会、香川大学、2010年11月20日。
26.白石崇人「明治20年代前半の大日本教育会における教師論―「教育者」としての共同意識の形成と教職意義の拡大・深化」中国四国教育学会第63回大会、広島大学、2011年11月19日。
27.白石崇人「明治13年東京教育会の教師論―普通教育の擁護・推進者を求めて」教育史学会第56回大会、お茶の水女子大学、2012年9月22日。
28.白石崇人「明治30年代帝国教育会の中等教員養成事業―中等教員講習所に焦点をあてて」(コロキウム報告)、教育史学会第56回大会、お茶の水女子大学、2012年9月23日。
29.白石崇人「明治20年代半ばの大日本教育会による夏季講習会の開催」中国四国教育学会第64回大会、山口大学、2012年11月10日。
30.白石崇人「「教育情報回路」概念の検討」教育情報回路研究会、東北大学、2012年11月25日。
31.白石崇人「帝国教育会結成直後の教員講習事業―指導的小学校教員の学習意欲・団結心・自律性への働きかけ」教育史学会第57回大会、福岡大学、2013年10月13日。
32.白石崇人「明治期大日本教育会の教員講習事業の拡充―年間を通した学力向上機会の提供」中国四国教育学会第65回大会、高知工科大学、2013年11月3日。
33.白石崇人「1900年代鳥取県教育会における小学校教員批判ー教育研究態度の改良に向けて」全国地方教育史学会第37回大会、早稲田大学、2014年5月18日。
34.白石崇人「明治期大日本教育会・帝国教育会の教員改良―資質向上への指導的教員の動員」教育情報回路研究会、立教大学、2014年7月21日。
35.白石崇人「明治期大日本教育会・帝国教育会における教育勅語解釈―指導的教員・教育行政官の動員構想」教育史学会第58回大会、日本大学、2014年10月5日。
36.白石崇人「明治期帝国教育会における教員講習の展開―中等教員程度の学力向上機会の小学校教員に対する提供」中国四国教育学会第66回大会、広島大学、2014年11月15日。
37.白石崇人「「研究」する教師・保育者の誕生-学び続ける明治期の先生たち-」広島文教女子大学教育学第31回定期総会、広島文教女子大学、2015年5月22日。
38.白石崇人「日本教育会解散後における中央教育会の再編―日本教育協会・日本連合教育会成立まで」(コロキウム報告)、教育史学会第59回大会、宮城教育大学、2015年9月27日。
39.白石崇人「明治30~40年代における「教師が研究すること」の意義」中国四国教育学会第67回大会、岡山大学、2015年11月14日。
40.白石崇人「新鳥取県史編さん事業における教育史研究者」全国地方教育史学会第39回大会、東洋大学、2016年5月22日。
41.白石崇人「明治30年代半ばにおける教師の教育研究の位置づけ―大瀬甚太郎の「科学としての教育学」論と教育学術研究会の活動に注目して」教育史学会第60回大会、横浜国立大学、2016年10月1日。
42.白石崇人「教育学術研究会編『教育辞書』における「研究」概念」中国四国教育学会第68回大会、鳴門教育大学、2016年11月6日。
43.白石崇人「教育史研究者が教員養成改革に向き合うには」中国四国教育学会第68回大会ラウンドテーブル、鳴門教育大学、2016年11月6日。
44.白石崇人「明治期師範学校・小学校における授業批評会―明治20年代以降の東京府・鳥取県の事例」中国四国教育学会第69回大会、広島女学院大学、2017年11月26日。
45.白石崇人「教育史研究・教育の発展に寄与する教職教養の視点」(シンポジウム指定討論)教育史学会第62回大会、一橋大学、2018年9月29日。
46.白石崇人「明治末期の教育研究における教育品展覧会」中国四国教育学会第70回大会、島根大学、2018年11月17日。
47.白石崇人「明治日本における教育研究―教育に関するエビデンス追究の起源を探る」第13回教員養成と教育学に関する研究会、博多市、2019年1月12日。
48.白石崇人「岡山県後月郡教育会による地域教員の組織化と学習奨励―明治・大正初期(1893~1917年)を中心に」教育情報回路研究会、東洋大学、2019年2月24日。
49.白石崇人「1886~1929年鳥取県の小学校教員検定制度について」小学校教員検定科研費研究会、神戸大学、2019年3月17日。
50.白石崇人「1975 年における日本教育会の結成―世話人会・各全国校長会・森戸辰男の動向に注目して―」教育情報回路研究会、オンライン、2020年6月27日。
51.白石崇人「1880~1930年代日本の教育学における科学的基礎づけ問題」中国四国教育学会第72回大会ラウンドテーブル、広島大学(オンライン)、2020年11月22日。
52.白石崇人「明治期鳥取県の小学校教員試験検定制度―有資格教員確保政策・免許状授与数・受験者養成・教育学的知識」小学校教員検定科研費研究会、オンライン、2021年8月30日。
53.白石崇人「沼田良蔵・實文書について―幕末三原の漢学者から明治大正昭和公立学校長への転身」中国四国教育学会第73回大会、山口大学(オンライン)、2021年11月27日。
54.白石崇人「日本教育学史をどう描くか?―1880~1930年代における科学的基礎づけ問題とその後の展望」教育学史研究会、オンライン、2022年3月22日。
55.白石崇人「明治末期の小学校正教員に求められた教育学的知識―鳥取県小学校教員検定試験問題の分析」日本教育学会第81回大会、広島大学・オンライン、2022年8月24日。
56.白石崇人「20世紀初頭日本の中等教員養成における教育学の役割―東京帝国大学の吉田熊次による「大学に於ける教育学研究」論に注目して」日本教育学会第81回大会ラウンドテーブル、広島大学・オンライン、2022年8月24日。
57.白石崇人「日本教育協会結成における信濃教育会の役割―1948・49年度の信濃教育会所蔵資料を中心に」教育史学会第66回大会コロキウム、埼玉大学・オンライン、2022年9月25日。
58.白石崇人「日本教育史研究における「教育学としての教育史」」コンピテンシー重視の時代における教師教育と教育学の在り方に関する日独比較研究成果中間報告会、九州大学博多駅オフィス、2022年11月13日。
59.白石崇人・井上快「沼田家文書にみる漢学知と近代教育の展開―日本東洋教育史の一断章」中国四国教育学会第74回大会、香川大学、2022年12月4日。
60.白石崇人「現代日本における教育史教育の課題―歴史教育・高大接続・教員養成を意識した「教育学としての教育史」の教育の模索」日本教育学会第82回大会、東京都立大学・オンライン、2023年8月24日。
61.白石崇人・井上快・三時眞貴子「沼田家文書にみる知と近代教育―エゴ・ドキュメントによる教育史研究の可能性」中国四国教育学会第75回大会ラウンドテーブル、広島大学、2023年11月26日。
62.白石崇人「沼田實日記にみる20世紀初頭の広島県師範学校・東京高等師範学校生の生活―近代的時間規律の訓練を支えた師範教育制度と師範生の感情・習慣・主義」中国四国教育学会第75回大会ラウンドテーブル、広島大学、2023年11月26日。
63.白石崇人「戦前日本の教員養成に対する教育学の役割(試論)」日独ミニシンポジウム・教育学と教員養成を見直す、オンライン、2024年1月10日。
64.Takato Shiraishi, 'The Position of "History of Education as Educational Studies in Japan"', International Workshop on the Development of Educational Science in Japan and Germany, on-line, 2024/3/21.
65.白石崇人「1900年代後半の師範学校教育科における実地授業から教育実習への移行―教育学の視点変容と師範学校の反応に注目して」教育学史研究会、オンライン、2024年5月28日。
66.白石崇人「日本学術会議 心理学・教育学委員会 教育学分野の参照基準検討分科会「報告 大学教育の分野別質保証のための教育課程編成上の参照基準 教育学分野」から考える教育史教育の役割と課題」日本東洋教育史研究会、広島大学、2024年7月6日。
67.白石崇人「1900年代における師範学校学科課程の模索―師範学校学科程度取調から師範学校教授要目の訓令化まで」日本教育学会第83回大会、オンライン、2024年8月29日。
68.白石崇人「20世紀初頭における教育学に対する社会的要請とその対応に関する分析の構想―日本教育史の立場から」WINE科研研究会、琉球大学・沖縄コンベンションセンター、2024年9月22日。
69.白石崇人「1910年代前半東京高等師範学校の教育学教育―沼田實作成波多野貞之助講義ノートの分析」教育史学会第68大会、東京学芸大学、2024年9月29日。
70.白石崇人「1947年度信濃教育会役職員会議の教員団体一本・二本化論争―戦後長野県の教育会存続を再考する」教育史学会第68回大会コロキウム、東京学芸大学、2024年9月29日。
71.白石崇人「明治日本の辞典における「研究」概念―教育学研究と教員の教育研究の関係史序説」中国四国教育学会第76回大会、岡山大学、2024年11月23日。
72.白石崇人「教育学の国際比較史への挑戦―20世紀初頭における実証科学と中等教員養成の影響に注目して」WINE科研研究会、愛媛大学、2025年2月27日。
73.白石崇人「メアリー・ジョー・メインズ/アン・ウォルトナー著(三時眞貴子訳)『家族の世界史』(ミネルヴァ書房、2023年) について」第1回広島大学日東西教育史合同研究会、広島大学、2025年3月4日。

 
 
 
 
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