教育史研究と邦楽作曲の生活

一人の教育学者(日本教育史専門)が日々の動向と思索をつづる、個人的 な表現の場

教室内での冷暖房効果を維持しながら換気を行う方法について

2020年08月27日 18時53分44秒 | 教育研究メモ
 まったく専門ではありませんが、教室内での冷暖房効果を維持しながら換気を行う方法について、おもしろい研究成果が公開されていましたので、ご紹介します。
 理化学研究所計算科学研究センターが研究チームを組んで、スーパーコンピュータ「富岳」を使ったシミュレーションを行った結果が、同センターのHP内で公開されています。記者勉強会の講義動画では、通勤電車、オフィス、教室、多目的ホールなどのケースでの感染リスクについて説明されているのですが、どこの窓・扉をどれくらい開けると教室における換気の効率がどのくらい得られるかについて説明があります(動画25分過ぎくらい)。
 その結果によると、すべての窓をほぼ開けたケース1(廊下側欄間窓全開・窓側全窓20cm)と、対角線上に窓・扉を少し空けたケース2(廊下側前扉20cm・窓側後方窓20cm)、扉・窓を少し空けたケース3(廊下側前後扉10cm・窓側全窓10cm)、扉全開・窓側窓をおおよそ開けたケース4(廊下側前後扉40cm・窓側全窓20cm)では、換気の様子がまったく違っていました。ケース1とケース4は一気に換気され、100秒ほどで教室の換気がほぼ進みます。一気に換気するときはやはり扉・窓全開にするのが有効のようです。一方、ケース2とケース3は、ケース1・4の換気効果には及びませんが、それなりに換気は進みます(ケース3の方が比較的換気が進むようですが、劇的な違いはない様子)。
 ケース2は、4つのケースの中では一番換気が進まないのですが、実は、500秒ほどで法令等で決められた換気条件とほぼ同じレベルに達するとのこと。発表者によると、冷暖房効率を考えるとケース2を推奨したいとのことです。

 現在、そしてこれからの学校・大学では、感染対策のため、換気しながら児童生徒学生を学習させなければなりません。とくに現在は猛暑のため、窓を開けていると冷房が利かず、集中力が続きません。これから冬に向けて寒くなってくると、暖房が利かないという声にかわるでしょう。そんなとき、上記の研究成果を踏まえると、効率的な換気・冷暖房の両立ができる可能性があります。
 たとえば、扉・窓全開であれば2分ほどでほぼ換気が完了するのだとすれば、全開放は大休憩の時や子ども達が帰った後などのピンポイントでするに止めることも考えられます。数分以上かけて、ずっと扉・窓を全開にしておく必要はそれほど大きくないのかもしれません。それから、教室の対角線上の扉・窓を20cmだけ開けておけば、8分ほどで十分換気することができるという結果も有益なデータです。授業中もずっと換気しておかなければならないけれども、冷暖房の効果もできるだけ維持したいなら、対角線上の扉・窓だけ20cm開けておくことで、十分換気はできるのかもしれません。

参考: 「教室の換気は「対角開け」で 理研がスパコンで計算」『教育新聞』、2020.8.26記事。
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道徳科の授業展開のヒント―『学習指導要領解説 特別の教科道徳編』の「価値内容の概要」を使う

2020年08月21日 23時55分00秒 | 教育研究メモ
 後期の授業準備のため、時間をつくってテキストを再編集しています。いくらか加筆しなければならないところもあるのですが、それをちょっとだけ公開してみましょう。

***
 道徳授業を計画するときに、『学習指導要領解説』第3章第2節中における「価値内容の概要」は便利である。「価値内容の概要」には指導観や授業展開のヒントがちりばめられている。「正直、誠実」を主題とする道徳授業では、たとえば小学校低学年では「うそをついたりごまかしをしたりしないで、素直にのびのびと生活すること」を目指すことになる。「正直」を常識のみから考えてみると、嘘を言わないで自分自身の考えていることを素直に述べることと解釈することもできる。しかし、そのような解釈は、おそらく子ども達もすでにわかっていることである。また、「のびのびと生活すること」を目指すとはどういうことか。抽象的すぎて授業の展開に生かせる主題・目標を導くことはできない。「正直、誠実」の授業はいったい何をすればよいか迷うばかりである。
  そこで見ておきたいのが、『小学校学習指導要領解説 特別の教科道徳編』である。『解説』の「正直、誠実」の頁(30頁)を見ると、以下のように述べられている。

 過ちや失敗は誰にも起こり得ることである。そのときに,ともするとそのことで自分自身が責められたり,不利な立場に立たされたりすることを回避しようとしてうそを言ったり,ごまかしをしたりすることがある。しかし,そのような振る舞いはあくまでも一時しのぎに過ぎず,真の解決には至らない。このことによって,他者の信頼を失うばかりか,自分自身の中に後悔や自責の念,強い良心の呵か責しゃくなどが生じる。
 それらを乗り越えようとすることが正直な心であり,自分自身に対する真面目さであり,伸び伸びと過ごそうとする心のすがすがしい明るさでもある。このような誠実な生き方を大切にする心を育てていくことが重要である。 [下線白石]


つまり、「正直な心」や「のびのびと生活すること」とは、過ちや失敗に対して、うそやごまかしをしようとしてしまう心や態度を乗り越えようとすることである。そう解釈すると、小学校低学年の「正直、誠実」の授業は、過ちや失敗は誰でも起こりうるということや、うそやごまかしをしようとしてしまう心を誰でも持っていることを確認し、そういう心をどのようにすれば乗り越えることができるかについて考え、話し合うことが必要になる。そうだとすれば、そのための授業展開を工夫しなければならない。
  この例だけでも、価値理解が授業展開に大きな影響を与えることがよくわかるだろう。なお、発達が進めば進むほど、うそやごまかしをめぐる葛藤は深刻になる。学年ごとに教材や授業展開を変えていくことになる。
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オンライン学習さえあれば学校は必要ないか?―これからの学校を展望する前に

2020年08月19日 21時13分00秒 | 教育研究メモ
 オンライン学習が普及すれば、学校に行かなくても授業を受けられるし、いつでもどこでも著名人や名人の授業を受けることができる。では、オンライン学習さえあれば、学校は不要なのだろうか。
  オンライン学習には、深刻な課題が存在する。オンライン学習の普及は、家庭の経済格差や文化格差による教育格差をいっそう広げる可能性があるからである。ICT機器などの購入やWi-Fi環境などの設置ができるかどうかは、無償貸与などの公的な仕組みを整えることによって解消できるので、国や社会の覚悟さえあればそれほど深刻な問題ではない。問題は、家庭環境やその環境によって身に付いてきた学習習慣の差にある。家庭でオンライン教育を受けるには、授業に集中できる環境が必要である。例えば、親が昼間から酒を飲んで大声でしゃべっているような環境で授業を受けていては、とても学習にはならないし、何より苦痛であろう。また、調べ学習を進めようとしたとき、家にいっさい本や資料がない家庭や、親や兄弟が相談相手になってくれない家庭では限界がある。さらに、苦しいときにも継続して学習に取り組もうとする粘り強さや、学習がうまくいかない時に別の方法を試そうとするような柔軟性など、学習習慣は家庭環境のなかで育つところが大きい。オンライン学習は、受講を後回しにしたり、受講しても寝てしまったり、勝手に退席したりしても誰も注意してくれない。そのため、学習習慣が身に付いていない人がオンラインだけで学び続けていくのは簡単なことではない。オンライン学習が普及したとしても、学習に集中できる空間や必要な教材・資料を提供したり、対話のできる他者との出会いを保障する協働的な場や機会を設けたり、さぼりたくなったり苦しかったりするときに支え励ましてくれるスタッフや友人・同級生がいたりする必要がある。このような学習環境は、苦しい家庭の人々はもちろん、そうでない家庭の人々にも必要である。オンライン学習の普及する未来において、そのような形であれば学校は存在意義をもつことができる。
 これまでよく見られたような暗記・再生中心の学習、替えの効く人材を育てようとする画一一斉講義中心の学校は、これから存在意義を急激に失っていく。そのような学習・授業をわざわざ一所に集まって、直接対面でする必要はないからである。これからの学校は根本的に変わらなければならない。
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本田由紀『教育は何を評価してきたか』を読んで、教育社会学と教育史との関係について感じたこと

2020年08月13日 11時24分59秒 | 教育研究メモ
 前期はコロナ禍のために予定していたことがほとんどできませんでした。後期に使う私家版テキストを完成させたかったのですが、ほぼ進んでいない。材料が足りていないので研究もどんどん進めなければならないので、時間を見つけて研究にいそしんできました。今は、日本の教育が将来を見据えて今どんな課題をかかえているか、政策上まだ強調されていないことも含めて考えています。

 さて、いろいろ本を読む中で、未来が現在の延長線上にあるとすれば、現在を形作ってきた経緯を探り、現在の問題を研究する、現代教育史の重要性をますます実感しています。
 本田由紀『教育は何を評価してきたか』岩波新書、2020年を読んだときに感じたことを少し。本書は、教育社会学者の著らしく、社会的な情勢を情勢を踏まえて、「能力」「資質」「態度」などの評価にかかわる言葉を中心に戦前から現在までの日本教育史を描いています。統計はもちろん、代表的な法令・文書や論調、そして実証的な先行研究の成果によって、日本社会の「垂直的序列化」「水平的画一化」というご本人の理論を証明しようとしています。とても面白く読ませていただきました。例えば、新学習指導要領の「資質・能力」について、公的な見解とは違った視点から考えることができました。本書からは、たくさんの刺激を受けました。それと同時に、教育史研究の立場からもっと頑張らないといけないなと思いました。新書なので難しい史料操作を避けたのかもしれませんが、はたしてこれだけの史料でここまで言っていいのか、本書の主張には教育史研究者としては疑問が残ります。今のところ結論に本質的な異論をもっているわけではないのですが、我々の経験上、政策形成過程や様々な言説の研究をもっと詳しく進めて深めていけば、もっとリアルに戦後教育の問題や1990年代以降の現代的課題を認識できる可能性があるのではないかと思いました。理論や統計に沿って歴史を把握しようとする社会科学と、詳し事実・経緯や人間の思想・心情に沿って歴史を把握しようとする人文学とのアプローチの違いといえばよいでしょうか。教育社会学と教育史、もしくは社会科学と人文学の違いかもしれませんが、理論を「実証」する研究姿勢の違いのようなものを感じます。
 いずれにしても、本書の歴史認識と理論は興味深いものです。教育史の分野で鍛えられてきた方法でさらに研究すれば、もっと面白くなるだろうと思いました。社会科学と人文学、教育社会学と教育史。現代教育史の研究は教育社会学の方が教育史よりも先を進んでいると思います。両者の研究を相補的に進めていくことが、現代をより明確に認識し、現在をより豊かに生き、未来をより明確に見通すことにつながるのではないか。教育史の分野では「〇〇年代までが教育史の範囲」などと言うことがありますが、そういう自己規定はあんがい不毛なのかもしれないと思います。
 本田著、とても読みやすく、とても面白いので読んでみてください。
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