今回ご紹介するのは「博士の愛した数式」(著:小川洋子)です。
-----内容-----
[ぼくの記憶は80分しかもたない]
博士の背広の袖には、そう書かれた古びたメモが留められていた―
記憶力を失った博士にとって、私は常に“新しい”家政婦。
博士は“初対面”の私に、靴のサイズや誕生日を尋ねた。
数字が博士の言葉だった。
やがて私の10歳の息子が加わり、ぎこちない日々は驚きと歓びに満ちたものに変わった。
あまりに悲しく暖かい、奇跡の愛の物語。
第1回本屋大賞受賞。
-----感想-----
映画化もされたこの作品。
記念すべき第1回の本屋大賞受賞作です。
先日文庫本を購入し、帯には「文部科学省特別選定作品」と書いてあり、期待しながら読み始めました。
家政婦の「私」と、その息子「ルート」、そして「博士」の三人で作る物語。
語り手は「私」。
息子「ルート」は博士が付けたあだ名で、頭のてっぺんが、ルート記号のように平らだったのが由来。
そして「博士」は、交通事故が原因で記憶が80分しかもたない。
博士の背広には、防忘録としてあちこちにメモが貼り付けられている。
家政婦の「私」が仕事を終え、次の日また来ると、既に博士は「私」のことを忘れてしまっている。
また自己紹介からしなくてはいけない。
そんなふうにして過ぎていく日々を、「私」、「ルート」、「博士」はそれぞれのやり方で過ごしていきました。
博士は1975年で記憶がストップしていますが、それ以前の記憶は残っています。
交通事故に遭う前は、数学の博士号を取り数学研究所で働いていたようです。
タイトルからもわかるとおり、この作品では所々に数式が出てきます。
文学に数学を入れるのはどうなのかな。。。と思ったりしたのですが、実際に読んでみると、これが見事に溶け込んでいます。
この世で博士が最も愛したのは、素数だったとあります。
素数とは、2,3,5,7,11,13…のように、1と自分自身以外では割り切れない数字のことです。
その素数なのですが、数が1万、百万、千万と大きくなってくると、素数が全然出てこない砂漠地帯があるようです。
それを語る博士の言葉が良かったので、以下にご紹介します。
「行けども行けども素数の姿は見えてこない。見渡すかぎり砂の海なんだ。太陽は容赦なく照りつけ、喉はカラカラ、目はかすんで朦朧としている。あっ、素数だ、と思って駆け寄ってみると、ただの蜃気楼。手をのばしても、つかめるのは熱風だけだ。それでもあきらめずに一歩一歩進んでゆく。地平線の向こうに、澄んだ水をたたえた、素数という名のオアシスが見えてくるまで、あきらめずにね」
数学のことを語っているのに、何だかロマンチックだなと思いました。
こういう文を読むと、博士が研究者として数学に打ち込んでいたんだなというのを感じます。
何かに打ち込むのは良いことだと思います。
打ち込んでいるうちに新たな発見があるかも知れないし、そうすれば一歩成長出来ますしね。
この作品、タイトルから見ても主人公は「博士」なのだと思います。
語りは「私」ですが、緩やかな物語に事件を起こすのは大抵「博士」なので。
あまり誰が主人公なのか強調していない作品なので、ちょっと考えました。
暖かさに包まれた、読み終わってほのぼのとする作品でした。
良い作品を読んだなと思います
※図書レビュー館を見る方はこちらをどうぞ。
-----内容-----
[ぼくの記憶は80分しかもたない]
博士の背広の袖には、そう書かれた古びたメモが留められていた―
記憶力を失った博士にとって、私は常に“新しい”家政婦。
博士は“初対面”の私に、靴のサイズや誕生日を尋ねた。
数字が博士の言葉だった。
やがて私の10歳の息子が加わり、ぎこちない日々は驚きと歓びに満ちたものに変わった。
あまりに悲しく暖かい、奇跡の愛の物語。
第1回本屋大賞受賞。
-----感想-----
映画化もされたこの作品。
記念すべき第1回の本屋大賞受賞作です。
先日文庫本を購入し、帯には「文部科学省特別選定作品」と書いてあり、期待しながら読み始めました。
家政婦の「私」と、その息子「ルート」、そして「博士」の三人で作る物語。
語り手は「私」。
息子「ルート」は博士が付けたあだ名で、頭のてっぺんが、ルート記号のように平らだったのが由来。
そして「博士」は、交通事故が原因で記憶が80分しかもたない。
博士の背広には、防忘録としてあちこちにメモが貼り付けられている。
家政婦の「私」が仕事を終え、次の日また来ると、既に博士は「私」のことを忘れてしまっている。
また自己紹介からしなくてはいけない。
そんなふうにして過ぎていく日々を、「私」、「ルート」、「博士」はそれぞれのやり方で過ごしていきました。
博士は1975年で記憶がストップしていますが、それ以前の記憶は残っています。
交通事故に遭う前は、数学の博士号を取り数学研究所で働いていたようです。
タイトルからもわかるとおり、この作品では所々に数式が出てきます。
文学に数学を入れるのはどうなのかな。。。と思ったりしたのですが、実際に読んでみると、これが見事に溶け込んでいます。
この世で博士が最も愛したのは、素数だったとあります。
素数とは、2,3,5,7,11,13…のように、1と自分自身以外では割り切れない数字のことです。
その素数なのですが、数が1万、百万、千万と大きくなってくると、素数が全然出てこない砂漠地帯があるようです。
それを語る博士の言葉が良かったので、以下にご紹介します。
「行けども行けども素数の姿は見えてこない。見渡すかぎり砂の海なんだ。太陽は容赦なく照りつけ、喉はカラカラ、目はかすんで朦朧としている。あっ、素数だ、と思って駆け寄ってみると、ただの蜃気楼。手をのばしても、つかめるのは熱風だけだ。それでもあきらめずに一歩一歩進んでゆく。地平線の向こうに、澄んだ水をたたえた、素数という名のオアシスが見えてくるまで、あきらめずにね」
数学のことを語っているのに、何だかロマンチックだなと思いました。
こういう文を読むと、博士が研究者として数学に打ち込んでいたんだなというのを感じます。
何かに打ち込むのは良いことだと思います。
打ち込んでいるうちに新たな発見があるかも知れないし、そうすれば一歩成長出来ますしね。
この作品、タイトルから見ても主人公は「博士」なのだと思います。
語りは「私」ですが、緩やかな物語に事件を起こすのは大抵「博士」なので。
あまり誰が主人公なのか強調していない作品なので、ちょっと考えました。
暖かさに包まれた、読み終わってほのぼのとする作品でした。
良い作品を読んだなと思います
※図書レビュー館を見る方はこちらをどうぞ。