東京里山農業日誌

東京郊外で仕事のかたわら稲作畑作などをしていましたが、2012年4月に故郷の山口県に拠点を移して同活動をしています。

楽しかった周南市 大津島 史跡巡りウォーキング(2/5)

2019年05月23日 | 歴史探訪他ウォーキング

 雨が降りしきる中を急いで頂上に登りました。低い雲がかかっていたため、九州は影も形も見えませんでした。頂上に着く前に、魚雷見張所跡に寄りました。下見時には見張所跡から真下に海が良く見えたのですが、雨模様の今回は見えませんでした。考えてみれば、魚雷の航跡などを見張るためには天候が欠かせません。そのため、好天時に限って魚雷の試験をしたのではないかと思います。

          一時的に雨が止んだ頂上、後ろは徳山方面


 魚雷見張所跡は建物だけが残っていました。天井などを見渡すと、電線を引いたような跡や穴がありました。魚雷の方向や航跡を有線で報告したのかも知れません。ただ、見張所跡は南の方向を向いています。北側の徳山方向にも回天は航行訓練したはずです。北側の方向はどうやって見張りをしたのでしょうか。頂上に着くと、短い時間休憩してすぐに回天記念館に向けて下山しました。

雨宿りした魚雷見張所跡   頂上から徳山方面を見て   山を急いで下山    
  

 小雨の中を回天記念館に着くと別室(講習室?)に行きました。好天ならば回天記念館の外でお昼休憩をしたのですがあいにくの雨です。そのため、その部屋で昼食を取ることにしました。その部屋にはたくさんの千羽鶴が飾ってありました。作った日付も比較的新しいものでした。この部屋で時々、平和教育か何かをするのでしょうか。

  雨の中、やっと回天記念館に到着      別室で静かに昼食休憩
 

 昼食が終わると記念館内を見学しました。一番印象に残ったのは、お嫁さんをもらい受けたいとの手紙と、結婚後に回天に乗って出陣する時のそのお嫁さん宛ての手紙です。そのお嫁さん、ご存命であれば90歳代だと思います。その子供は80歳位になっているはずです。それ以外の手紙も読みましたが、家族を思い国を思う手紙が多かったように思います。回天に乗って出陣する方々は、今の我々には想像もできないほどの葛藤があったことでしょう。嫁や家族を思いやる以上の決意のような何かがないと、とても回天には乗れないと思います。

  実物大の回天や部品    記念館前に集合     回天訓練基地跡に向かう
  

コメント
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