東京里山農業日誌

東京郊外で仕事のかたわら稲作畑作などをしていましたが、2012年4月に故郷の山口県に拠点を移して同活動をしています。

周南市 小松原周辺 史跡巡りウォーキング(2/3)

2019年05月05日 | 歴史探訪他ウォーキング

 島田川左岸を歩いていると、去年の洪水時に壊れたと思われる堤防がありました。現在修復中のようでした。下見時よりも工事が進んでいるようで、川側にコンクリート製の板が張り付けられている最中でした。初夏までには修復が完了するのではないかと思います。しかし、堤防自体が砂でできているようで、先日の雨で流れたのか筋のような割れ目ができていました。早く修復工事を済ませないと、割れ目が広がってしまうのではないかと危惧します。修復中の堤防を見ながら歩いていると、黒岩狭入口に着きました。

          山門に向けて続く貞昌寺の石階段


 黒岩狭入口には周北霊場六十七番札所がありました。急な石段の上です。地元の方々が守っているでしょう、とても綺麗に手入れされていました。小松原周辺には周北霊場のお堂がいくつかあります。どのお堂も手入れされているようです。今でも巡礼が行われているのでしょうか。そもそも一番の札所は何処にあるのでしょうか。

 黒岩峡入口の周北霊場   貞昌寺に向かう参道    貞昌寺本堂
  

 黒岩狭入口で立ったまま休憩すると、島田川右岸に向かう橋を渡りました。下見では橋を渡ると、先に毛利元就公歯廟に行きました。しかし今回は昼食とトイレを考えて、先に貞昌寺に向かいました。下見とは逆に回りました。貞昌寺に着くと、さっそく昼食休憩を取りました。私は下見時と同じ場所に座って昼食を取りました。下見時には満開だった桜、すっかり若葉と生え代わっていました。

    宍戸家20~25代の墓所       高速道路沿いの道を1kmばかり
 

  桜の若葉の木漏れ日の下、皆さんと談笑しながら楽しく昼食を取りました。昼食休憩が済むと、貞昌寺の宍戸家墓所をお詣りしました。この貞昌寺、戦国時代以前はこの地域を治めていた大内家家臣のお城だったそうです。そのお城時代の石垣が当時の面影を残しています。宍戸家墓所を出ると、高速道路に沿う道を1kmばかり歩いて、次の史跡である毛利元就公歯廟に向かいました。

    毛利元就公歯廟   宍戸家16~19代の墓所    毛利元政墓所
  

 毛利元就公歯廟は、毛利元就公七男の毛利元政が肌身離さず持っていた歯を納めた廟です。毛利元就公歯廟の次は、毛利家家臣の宍戸家16~19代墓所を訪れました。宍戸家初代の墓所は宍戸家発祥の地、茨城県宍戸にあるのでないかと思います。続いて、毛利元政の墓所に向かいました。宍戸家も毛利元政の墓所も、元々は今は無い仙竜寺が管理していたようです。そのため荒れているのだと思います。

       小松原周辺の島田川に沿うウォーキングコース

コメント
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