東京里山農業日誌

東京郊外で仕事のかたわら稲作畑作などをしていましたが、2012年4月に故郷の山口県に拠点を移して同活動をしています。

楽しかった 柳井市 伊保庄ウォーキング(5/5)

2017年03月30日 | 歴史探訪他ウォーキング

 天満宮の次に小烏神社に行くことにしました。小烏と書いて「ことり」と読む人がいるようです。地元では「こがらす」と呼んでいるようです。鳥と烏は字が良く似ているので間違えやすいようです。小烏神社の鳥居は、江戸時代以前は広大な海に面していたはずです。江戸時代の干拓によって、今は鳥居の前は民家となっています。

  右側の旧道を通る      鳥居からの長い階段     まだまだ続く階段
  

 さて、鳥居から小烏神社に向かうことにしました。いったん舗装道路を渡った後からの、長ーい長ーい石階段を登りました。登れども登れども神社につきません。下見時に数えた石段数は確か315段だったと思います。息を弾ませながら、やっとの思いで小烏神社に到着しました。ある方は神社本殿前に座って息を整えていました

             やっとの思いで登り着いた小烏神社


 休みながら小烏神社のご神体と思われる巨石に触って元気をもらいました。そして、白井小介の記名を読みました。その記名が刻んである石柱二本には小烏神社の由来のようなものが書かれていました。烏のことも書かれていました。一休み後、またまた長い階段を下りました。足が少し、がぐがくになりました。

  慈徳地蔵尊を拝む       通行不可の旭橋   霊場〇番 由来不明のお堂
  

 小烏神社の鳥居に戻ると、その隣にある慈徳地蔵尊を拝みました。大きな字で南無阿弥陀仏と刻まれた石が立っています。慈徳地蔵尊を過ぎると、旭橋に行きました。この橋は5年位前に通行不可となりました。それ以前は、車不可で徒歩通行だけが認められていました。旭橋を見た後、「霊場〇番」とかすかに読める板が打ち付けてあるお堂を見学しました。その後、土穂石川を上流に向かってどんどん歩きました。

          土穂石川を上流に向かって右岸をどんどん歩く


 土穂石川をどんどん上流に向かって歩くと、田布路木橋に着きました。田布路木橋を渡って20m位柳井駅側に進むとお堂があります。このお堂がこのウォーキング最後の見学地です。「南陽大師堂 霊場第三十六番札所」と書かれています。

  南陽大師堂 霊場第三十六番札所      終点のユメタウン柳井
 

 このお堂、元々は防陽霊場第四番古開作大師堂だったはずです。しかし、今はその記名板がありません。防陽霊場は江戸に起源があるようですが、明治期にすたれてしまいました。その後、南陽霊場に切り替わったのではないかと思います。南陽大師堂を見学し終わると、終点のユメタウン柳井に急ぎました。15分位歩くとユメタウン柳井に着きました。今回はいつもより少しきつめの史跡巡りウォーキングでした。参加された方々、お疲れ様でした。

                 今回歩いた、柳井市伊保庄方面のウォーキングルート

コメント
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