東京里山農業日誌

東京郊外で仕事のかたわら稲作畑作などをしていましたが、2012年4月に故郷の山口県に拠点を移して同活動をしています。

柳井市 伊保庄ウォーキング再下見(2/2)

2017年03月08日 | 歴史探訪他ウォーキング

 専称寺を出ると、人麻呂神社に向かいました。この頃になると大雨になってきました。それまで合羽の上着だけを着ていましたが、たまらずズボンを履きました。人麻呂神社に着いた頃、時間的にはお昼でした。そのため、雨風や雨だれの音を聴きながら本堂前に座って昼食休憩をしました。

 休憩した人麻呂神社     山の隙間から見えた海    屏風岩に到着
  

 雨宿りしていると雨が少し緩んだため、人麻呂神社を出発しました。次に前回の下見で分からなかった天満宮を探すことにしました。下り坂の道を歩いているとT字路に着きました。平生町宇佐木方面へ行く道とは反対側の道を降りました。しばらく歩いていると、右下に大きな岩とその岩の上に安置された祠を見つけました。

         すっぱり切れた屏風岩とその上に安置された祠


 その大岩を目指して畑道を降りました。岩の上に安置された祠には「天保十二年」と刻まれていました。今から176年前の江戸時代後期(1841年)です。その頃にはすでに祠があったことになります。当時の人にとっては神々しい大岩だったのでしょう。今でも不思議な威圧感がある大岩です。さらにその岩にまといつくように松が生えているのです。盆栽の松をそのまま大きくしたような光景です。

    金毘羅社跡、荒神様跡とも          天満宮の石鳥居
 

 屏風岩を出ると次に天満宮を探すことにしました。この天満宮を探すのはとても難儀でした。天満宮を探して山に分け入ると、なんと金毘羅社跡を発見してしまいました。社名板の裏に、ヤモリが何匹も群れて団子のようになっていました。どうしても天満宮を探すことができず、いったん山を下りて何軒かあたってみました。すると、ある方が天満宮の場所を教えてくれました。なんでも参道でイノシシに襲われて怪我をした方がいたそうです。そのため、天満宮には行かないようにしているとのこと。そこをなんとか教えていただきました。

            ひっそりと鎮座していた天満宮


 その頃、A君がやってきました。そこで、私を先頭に3人でイノシシを気にしながら天満宮に向かいました。そして、天満宮に無事着きました。これで本番ウォーキングで行く予定のすべての史跡を探し当てることができました。天満宮を降りると、近くに停めたA君の車に乗ってユメタウン柳井に戻りました。今回の再下見も雨に降られて往生しました。しかし、不明だった史跡を見つけることができてほっとしました。お疲れさまでした。

        再下見ウォーキングした伊保庄小田地区周辺のコース


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