湘南ライナー日記 SHONAN LINER NOTES

会社帰りの湘南ライナーの中で書いていた日記を継続中

湘南ライナーの女

2005-06-07 23:30:48 | あんな人こんな人
和服姿のその女(ひと)は、車窓の外に目をやったまま身じろぎ一つしなかった。
車両故障で朝の東海道線のダイヤが乱れている。
湘南ライナー14号は定刻より40分遅れで東京駅のホームへ、重い足を引きずるようにゆっくりと滑り込むところだった。
リクライニングシートにもたれることもなく、華奢な身体の背筋をピンと伸ばしている。年の頃なら30後半だろうか。少しだけ不幸そうに映る口元のほくろが、かえって欲情をそそる顔立ちである。
電車が止まりかけると、その女(ひと)の視線が初めて動く。
一瞬、頬に赤味が射し、慌てて立ち上がる。摺り足の小走りで通路を急いだ。
そして、電車のドアを降りた向こうには、紺色のスーツをまとった男が待っていた。
髪を几帳面に七三に分けた40代後半、一流企業の課長然としている。
上気した面持ちで二言三言交わすと、二人は並んでホームを歩き出した。
その時、女は手を男の腕にかけようとして、ためらう。
「誰かが見ているかもしれない」
そのしぐさには、男を思い遣るそんな心配りが見て取れた。
着かず離れずの微妙な距離を保ちながら、二人の道行きはいま始まったばかりである。

海端康成著『湘南ライナーの女』より