錦之助ざんまい

時代劇のスーパースター中村錦之助(萬屋錦之介)の出演した映画について、感想や監督・共演者のことなどを書いていきます。

『宮本武蔵』(その四)

2007-03-30 11:10:58 | 宮本武蔵
 タケゾウが死線をくぐって故郷の村へ帰って来たのは、お通さんに一目会いたかったからだ。関が原は現在の岐阜県南西端にあり、故郷のある美作(みまさか)の国は岡山県北部であるから、落ち武者となって飢えをしのぎながら、かなりの距離をテクテク歩いて帰って来たのだろう。タケゾウは、村の近くの検問所を突破し、役人を撲殺したためお尋ね者になってしまうが、村に忍び込んでまず真っ先にお通さんの様子をうかがいに寺へ行く。お杉ばあさんに又八が無事であることを告げることも、心配しているたった一人の姉に会うことも、村に帰った目的ではあったが、タケゾウはどうしてもお通さんに会いたかったのだと思う。
 故郷の村では、青木丹左衛門(花沢徳衛)配下の取り締まりの役人たちに追われ、村人たちの冷たい仕打ちに会って、タケゾウの心は傷つき、猛り狂う。お杉ばあさんにも騙され、姉は捕縛されてどこかに幽閉されたことを知り、タケゾウは、凶暴な狼のように暴れ回り、はからずも罪に罪を重ねてしまう。
 山の中に逃げ込み、タケゾウは叫ぶ。「オレは獣(けだもの)じゃないぞー!」
村人はみな自分を厄介者扱いし、誰も自分のこと分かってくれない。そんな絶望的な叫び声である。そのやるせなさ、無念さで心をいっぱいにして、食べ物にも愛情にも飢えたタケゾウは山の中をさまよう。
 
 沢庵和尚(三国連太郎)とお通さん(入江若葉)がたった二人だけでタケゾウを捕らえるため山に登るところからが、『宮本武蔵』第一部後半の文字通りの「山場」であった。ここから、最後にお通さんが千年杉に縛られたタケゾウを救って、一緒に村を逃げ出すまでの40分あまりは、まさに息もつかせぬ面白さで、映画の醍醐味がたっぷり詰まっている。この部分は何度観てもスゴイと思う。
 まず、沢庵和尚とお通さんが山の中腹で焚き火をし、鍋で雑炊を作り、語り合いながらタケゾウが姿を現すのを待っているシーンがあるが、内田吐夢の演出は心憎いほどうまい。離れた向こうから二人の様子をうかがっているタケゾウのカットを時折入れているので、観客にはタケゾウが立ち聞きしているのが分かっている。が、観ているうちにわれわれ自身が徐々にタケゾウの身になって耳をそばだてるように仕向けられていく。カメラを固定し、沢庵和尚とお通さんの二人のショットをタケゾウの視点から長回しで撮っているから、観客もタケゾウと一体化したような気になって来るわけだ。
 「あなたはタケゾウさんを憎みますか」というお通さんの問いかけに対し、それに答える沢庵和尚の厳しい言葉が胸に響く。「憎むとも!生命を無価値に見なすような男を野に放っておけるものか!」と急に怒ったように語気を荒らげて言うので、観ているこっちも心臓が縮まる。この生臭坊主、どうするつもりでいるんだ、と思ってしまう。

 三国連太郎の沢庵和尚は憎たらしいほどうまく、完全に役に成りきっている。生臭坊主なのか、名僧なのか、ともかく一癖も二癖もある得体の知れぬ怪僧ぶりなのだ。三国の演技力は抜群である。
 入江若葉は当時新人で芳紀十七歳、ご存知のように大女優入江たか子の娘である。祖父は貴族院議員の東坊城(ひがしぼうじょう)子爵で、いわば血統書付きのお嬢様だった。内田吐夢に請われて映画デビューしたわけだが、期待にたがわぬ好演だった。もちろんセリフ回しにたどたどしさはあるものの、一生懸命演じているのに自然体な感じで、純粋さがにじみ出ていた。ういういしい魅力にも溢れ、心根も優しそうで、入江若葉のお通さんを好きにならない男はいないはずだと思う。

 戻って、さきほどのシーンの続きだが、思わず笑ってしまう箇所もある。沢庵和尚がすでにタケゾウがそばに来ていることを確信しているかのように、「今そこらあたりで、疑心暗鬼に惑うて、卑屈な目を輝かせているかもしれぬ」と言う。するとすぐにタケゾウのカットが入り、錦之助が本当に疑り深く卑屈な目を輝かせた表情をしているのが面白い。
 次にお通さんが笛を吹く。ここはたっぷり一曲演奏し終わるまで映し出す。斜め横から撮ったお通さんの笛を吹くアップが良い。入江若葉のなんと可憐なことか!観客もタケゾウと同じ気持ちになって笛の音に耳を澄ませ、お通さんの表情をうっとり見とれてしまわずにはいられない。タケゾウはだんだん近寄っていく。
 このあとの演出も細かい。「そこのお人!」という沢庵和尚の呼びかけに、呆然と突っ立っていたタケゾウは、あわてて草むらに首を引っ込める。この短い挿入カットがまた観客を笑わせる。タケゾウが逃げ出そうとすると、沢庵和尚が大声で「待て!」と一喝。するとタケゾウが動けずに固まってしまう。「こっちへおいで」という沢庵和尚の優しい誘いに、どうしようかと迷ったようなタケゾウの表情が映し出され、やっと焚き火のそばへやって来る。
 タケゾウはお通さんの側にちょっと離れて座り、両手を伸ばし火にかざして暖める。そして、お通さんがよそおってくれた雑炊をフーフー吹きながらかっ食らう。あっという間に一杯目を平らげ、もう一杯お代わりして食べると、タケゾウはやっと人心地がつく。横では沢庵和尚が「ん、うまい」と言って(コマーシャルにも使えそうなほど実感がこもっていた)、雑炊をゆっくり味わいながら食べ、食べ終わるとお椀をきれいに舌で舐めている。箸もしゃぶる。この場面は、錦之助と三国連太郎の雑炊の食べ方の競演なので、お見逃しなく!
 さて、ここまで錦之助のタケゾウのセリフはまったくなく、表情と動作だけの演技だったが、セリフがなくても錦之助は見せてくれる。ここで初めて言葉を発する。「お通さん、ここへ何しに来た?」お通さんはドキッとして黙ってしまう。沢庵和尚がきっぱりと言う。「実はのー、おぬしを召し捕りに来たのじゃ!」(つづく)




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