錦之助ざんまい

時代劇のスーパースター中村錦之助(萬屋錦之介)の出演した映画について、感想や監督・共演者のことなどを書いていきます。

映画『祇園祭』ノート(5)

2018-10-26 12:40:19 | 錦之助ノート
 竹中労の降板後、京都府議会の決議を経て、京都府から「日本映画復興協会」へ製作費として5千万円が二度、計1億円が貸与されることになった。5千万円の貸付の時期ないし契約内容は不明であるが、67年10月までに一回目の貸付があり、68年夏までに二回目の貸付があったのではないかと思われる。
 『祇園祭』の実際の製作費は約3億円と言われているが、京都府から1億円借り入れたとしても2億円不足している。当初の見積りでは、前売り券(300円)を最低でも50万枚売って、1億5千万円を調達し、借り入れた製作費の返済にあてる予定(竹中労の成算)だった。100万枚売れば3億であるが、そんなに売れたとも思えない。翌年秋、前売り券は350円に値上げしたが、目標の50万枚売れたかどうかは不明。
 68年夏、映画がクランクインしてから、京都市民のカンパもあったと言われているが、現在のクラウド・ファンディングのような方式をとったのだろうか。カンパ資金を集めた団体は、映画のパンフレットに書かれている「映画『祇園祭』製作上映協力会」(会長:湯浅佑一)のようだが、具体的に何をしたのかは不明である。
 また、蜷川知事は完成したフィルムを京都府が買い取ってもよいと言っていたようだが、上映権つきで現像したポジ・フィルムを買うつもりが、結局、著作権ごと映画を買い取ることになった。金額は分からない。それで、現在でも京都府が映画『祇園祭』の著作権を所持しているわけだ。本当なら「日本映画復興協会」(株式会社だったようだ)が映画の著作権を所持するはずだった。
 日本映画復興協会は、『祇園祭』の後も1年に1本は映画を製作する意図を持って設立されたのだが、『祇園祭』だけを製作して、あえなく解散した。会社役員の竹中労が退任し、続いて伊藤大輔が辞めることになっては、会社の存続そのものが無意味になったのだろう。当協会の代表取締役は錦之助(本名小川矜一郎、姓名判断によって錦一から改名していた)で、ほかに役員には兄の小川三喜雄と映画評論家の南部僑一郎がいたようだが、会社解散前後の経営事情についてはまったく分からない。


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