錦之助ざんまい

時代劇のスーパースター中村錦之助(萬屋錦之介)の出演した映画について、感想や監督・共演者のことなどを書いていきます。

映画『祇園祭』ノート(1)

2018-10-13 00:12:03 | 錦之助ノート


朝日新聞の記事(1967年8月23日

(見出し) 「祇園祭」を自主製作
(小見出し) 錦之助、独立後初の作品
(囲み) 中村錦之助主演、伊藤大輔監督の時代劇映画「祇園祭」が、京都府・市の全面的な協力を得て、十一月から撮影を開始する。
 
 この作品は、京都府政百年の記念事業の一つとして製作されるもので、内容は、西口克己の小説をもとに、十六世紀、応仁の乱によって焦土と化した京都から町衆が再建に立上がり、自治体制をつくりあげ、祇園祭を復活させるという民衆の歴史を描くもの。伊藤雄之助、小沢昭一、石坂浩二、加賀まりこ、中村勘三郎、中村賀津雄らが出演し、色彩、二時間半の大作になる。
 中村錦之助は、東映を離れて一年四カ月になるが、その間一本も映画出演がなく、これが久しぶりの映画の仕事。伊藤大輔監督らと「日本映画復興協会」(代表・中村錦之助)という名の独立プロを設立し、その第一回作品として「祇園祭」の自主製作にのりだしたわけ。
 映画評論家の南部僑一郎、瓜生忠夫、竹中労氏らがバックアップし、五十万枚(一枚三百円)の前売券をカンパの形でさばいて製作費にあてるという。上映方法はまだ決っていない。
 同協会は広く映画人に門戸を開放し、日本映画復興の情熱と知恵を集め、年一本の劇映画製作を続けてゆくという。


 
 錦之助、伊藤大輔、竹中労たちが揃って、東京の帝国ホテルで記者会見を行い、映画『祇園祭』の製作発表をしたのは1967年(昭和42年)8月21日だった。朝日新聞の記事はこれを伝えたもの。この日の前後3か月(すなわち1967年5月~11月の6か月)の経緯を知る資料としては、竹中労が「キネマ旬報」(1969年1月上旬号)に寄稿した「まぼろしの祇園祭」に書かれてある竹中自身のメモが唯一無二である。
 
 映画『祇園祭』の企画がどのように進められていったかに関しては、三つの段階に分けて知る必要があると思う。
 一、伊藤大輔の腹案段階
 二、錦之助が加わって、伊藤と二人で西口克己の小説「祇園祭」の映画化権を買い、東映に企画を出すが、それが却下されるまで
 三、竹中労が「祇園祭」の映画化を企図し、京都府、京都市の支援を取りつけ、上記の製作発表にこぎつけるまで

 ここではまず、第三の段階から整理しておきたい。竹中労のメモによると以下の経緯をたどったという。

 1967年5月16日 西口克己の京都宅を訪問、映画化について意見をきく。
 *竹中は監督に大島渚を考えていたが、西口は大島には反対で山本薩夫を強く推す。
 *西口の小説「祇園祭」の映画化権は数年前(刊行時の1961年か?)に伊藤大輔と錦之助に譲渡してあった。
 *町衆の蜂起によって自治体制をつくりあげ、民衆自らの手で祇園会を執行したことがテーマである「祇園祭」の映画化は革新京都が催す「府政百年記念行事」にふさわしいことで意見が一致。
 *西口は京都府関係に働きかけ、実現のための工作を開始しようと確約。

 5月17日 大阪労音(大阪勤労者音楽協議会)の杉岡事務局長に会う。オペラ「祇園祭」を上演した大阪労音の協力をとりつける。
 *大阪労音が創立十五周年記念としてミュージカル「祇園祭」を上演したのは1966年(昭和41年)2月。主演は島倉千代子、立川澄人。
 
 5月18日 京都で東映俳優労組の宮崎博委員長と会い、映画革新運動の作戦を練り上げる。
 *東映俳優労働組合の運動に対し署名を寄せた支援者を基盤にして「祇園祭」製作の運動体を構築しようと企図。その支援者は450名を超える映画人、文化人、ジャーナリストで、映画俳優では錦之助、伊藤雄之助、三船敏郎、勝新太郎、小沢昭一、三国連太郎など。

 6月8日 大島渚と会う。松竹京都撮影所にて。
 6月9日 山本薩夫と会う。あまり興味を示さず。
 同日 西口、X氏(京都府議会の有力者)と打合せ。伊藤大輔監督、錦之助主演、脚本鈴木尚之で最終的に合意。

 6月12日正午 歌舞伎座楽屋で錦之助と会い、初めて「祇園祭」製作の計画を打ち明ける。

*竹中の申し出に錦之助快諾。ただし、役者として主役を演じること以外の製作実務にはタッチしない意向だった。
 6月15日 社会党幹部と会う。
 6月19日 にんじんくらぶ代表・若槻繁と会う。
 7月初め 『祇園祭』製作の「目論見書」を京都府庁へ提出する。
 7月18日 蜷川虎三知事と会談。伊藤大輔、錦之助も同席。


 8月X日 日本映画復興協会を設立。資本金300万円、代表取締役:小川衿一郎(中村錦之助)。
 *竹中労、伊藤大輔、小川三喜雄が役員になる。本社は伊藤の京都宅の住所。
 *同協会は『祇園祭』の製作母体として、公的な団体を要請されて作ったもの。
 *伊藤大輔が名称を提唱したという。

(*8月16日 淡路恵子が男児(晃廣)を出産)

 8月17日、錦之助入洛。
 8月19日、京都府庁主催の盆踊り大会(府大グラウンド)で挨拶に立った蜷川知事が映画『祇園祭』の製作を発表。富井市長、錦之助も挨拶。
 8月21日 京都府庁で記者会見。錦之助、伊藤大輔、竹中労は午後東京へ移動し、帝国ホテルで記者会見。




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