監督ジョン・カーニー、出演グレン・ハンサード、マルケタ・イルグロヴァ、『ONCE ダブリンの街角で』、DVDにて鑑賞。
というわけで(どういうわけなのかは昨日の日記を参照のこと)『ONCE ダブリンの街角で』を鑑賞しました。
自分は鑑賞する前はこの映画、[ダブリンの街角で音楽を通じて知り合った男と女が、様々な困難を乗り越えた末に結ばれるお話]なのかと思ってました。
が、違ってました。それも思いっ切り。
まぁでもそれはよくよく考えてみればタイトルからまるわかりなんですけどね。
主人公はしがないストリート・ミュージシャンです。(驚くべきことに役名が“GUY”)。本当にしがないミュージシャンで、作中彼の歌を立ち止まって聴こうとする通行人は(ヒロインと置き引きを除いて)一人もいません。
そんな彼がプロモーション用のCDを製作するためにレコーディングをする際、ベテランと思われるミキサーから、「すごい」と手ばなしで褒められます。
たった一人の通行人すら立ち止まらせることの出来なかった男が、ベテランのミキサーから認められたのは何故か?
通行人に彼の音楽のよさを理解するだけの耳を持っていなかったのか?それともミキサーの趣味が特別に変わっていたのか?
自分は単純に主人公の音楽が、そして歌が、ヒロインと出会ったことによって目に見えない、けれど劇的な、何かしらの変化をしたからだと思いました。
ぶっちゃけヒロインと出会う前の主人公は十人並みの才能しか持たず、ヒロインの存在があってこそ彼の音楽は認められたのだと思います。
つまりヒロインがいなければ、悲しいかな、主人公はやはり凡庸なミュージシャンでしかない。
ここらへんまでの、売れないミュージシャンが一人の女性と出会うことによって才能を開花させるという展開は、お気楽なハリウッド映画である『ラブソングが出来るまで』に通じるものがある、と思いました。
違うのはここから先、主人公がヒロインに求愛をしてからです。
「一緒にロンドンに行こう!もちろん娘さんも一緒に!」
ヒロインは寂しげに微笑んでこう言います。
「母も呼び寄せていい?」
彼女の言葉に男は一瞬固まって、二の句が接げません。
どうしてかなぁ?どうして「もちろんお母さんもだよ!」といえない?
凡庸なミュージシャンである主人公が一流のミュージシャンになるためにはともかくヒロインの存在が不可欠なのだから、子持ちだろうが、こぶつきだろうが、ともかくヒロインがそばにいなければダメだろうに。
この後ヒロインは「夫がチェコから来ることになった」と主人公に打ち明けますが、元々そういう話があったとしても、最終的にそれを決断させたのは主人公の(中途半端な)求愛だった、ヒロインは主人公に自分を諦めさせるために敢えてそう言ったのではないか、自分はそう考えます。
でなければレコーディング最中の二人の睦まじさが説明出来ないからです。
物語はロンドンへ旅立つ主人公と主人公からプレゼントされたピアノを楽しげに弾いているヒロインという、一見ハッピーエンドっぽい終わり方を迎えます。
しかし自分にはそれがハッピーエンドには到底見えませんでした。
ヒロインのいない主人公が音楽で成功するとは到底思えないし、またヒロインはヒロインで、子供が出来たからという理由で(愛もないのに)結婚したに過ぎない夫と結婚生活が上手く行くとは思えません。しかも夫は異国で仕事もなく、さらには言葉も不自由なのでしょうから(直接的な説明はないですが、そうとしか考えられません。それ以外に夫がチェコにとどまっていた理由がないからです。我が物顔でテレビを見に来る同じアパートの住人の存在がそれを裏付けます。)。
何だか自分がこの作品を嫌っているかのようですが、そうじゃないんです。
自分は主人公とヒロインに結ばれて欲しかった。主人公にはロンドンで成功して欲しかったし、ヒロインには主人公のそばで幸せになって欲しかった。
しかし安易なハッピーエンドでないところがこの作品が多くの人に支持されている所以なのでしょうね。
タイトルからわかると書きましたが、『ONCE ダブリンの街角で』は、「ONCE」、つまり「かつて一度」ダブリンで出会った男と女の物語であり、「かつて一度」ダブリンで才能を開花させようとした男の物語であり、「かつて一度」ダブリンで幸せを手に入れようとした女の物語なのだと思います。
お気に入り度は★★★、お薦め度は★★★★(★は五つで満点、☆は★の半分)。
というわけで(どういうわけなのかは昨日の日記を参照のこと)『ONCE ダブリンの街角で』を鑑賞しました。
自分は鑑賞する前はこの映画、[ダブリンの街角で音楽を通じて知り合った男と女が、様々な困難を乗り越えた末に結ばれるお話]なのかと思ってました。
が、違ってました。それも思いっ切り。
まぁでもそれはよくよく考えてみればタイトルからまるわかりなんですけどね。
主人公はしがないストリート・ミュージシャンです。(驚くべきことに役名が“GUY”)。本当にしがないミュージシャンで、作中彼の歌を立ち止まって聴こうとする通行人は(ヒロインと置き引きを除いて)一人もいません。
そんな彼がプロモーション用のCDを製作するためにレコーディングをする際、ベテランと思われるミキサーから、「すごい」と手ばなしで褒められます。
たった一人の通行人すら立ち止まらせることの出来なかった男が、ベテランのミキサーから認められたのは何故か?
通行人に彼の音楽のよさを理解するだけの耳を持っていなかったのか?それともミキサーの趣味が特別に変わっていたのか?
自分は単純に主人公の音楽が、そして歌が、ヒロインと出会ったことによって目に見えない、けれど劇的な、何かしらの変化をしたからだと思いました。
ぶっちゃけヒロインと出会う前の主人公は十人並みの才能しか持たず、ヒロインの存在があってこそ彼の音楽は認められたのだと思います。
つまりヒロインがいなければ、悲しいかな、主人公はやはり凡庸なミュージシャンでしかない。
ここらへんまでの、売れないミュージシャンが一人の女性と出会うことによって才能を開花させるという展開は、お気楽なハリウッド映画である『ラブソングが出来るまで』に通じるものがある、と思いました。
違うのはここから先、主人公がヒロインに求愛をしてからです。
「一緒にロンドンに行こう!もちろん娘さんも一緒に!」
ヒロインは寂しげに微笑んでこう言います。
「母も呼び寄せていい?」
彼女の言葉に男は一瞬固まって、二の句が接げません。
どうしてかなぁ?どうして「もちろんお母さんもだよ!」といえない?
凡庸なミュージシャンである主人公が一流のミュージシャンになるためにはともかくヒロインの存在が不可欠なのだから、子持ちだろうが、こぶつきだろうが、ともかくヒロインがそばにいなければダメだろうに。
この後ヒロインは「夫がチェコから来ることになった」と主人公に打ち明けますが、元々そういう話があったとしても、最終的にそれを決断させたのは主人公の(中途半端な)求愛だった、ヒロインは主人公に自分を諦めさせるために敢えてそう言ったのではないか、自分はそう考えます。
でなければレコーディング最中の二人の睦まじさが説明出来ないからです。
物語はロンドンへ旅立つ主人公と主人公からプレゼントされたピアノを楽しげに弾いているヒロインという、一見ハッピーエンドっぽい終わり方を迎えます。
しかし自分にはそれがハッピーエンドには到底見えませんでした。
ヒロインのいない主人公が音楽で成功するとは到底思えないし、またヒロインはヒロインで、子供が出来たからという理由で(愛もないのに)結婚したに過ぎない夫と結婚生活が上手く行くとは思えません。しかも夫は異国で仕事もなく、さらには言葉も不自由なのでしょうから(直接的な説明はないですが、そうとしか考えられません。それ以外に夫がチェコにとどまっていた理由がないからです。我が物顔でテレビを見に来る同じアパートの住人の存在がそれを裏付けます。)。
何だか自分がこの作品を嫌っているかのようですが、そうじゃないんです。
自分は主人公とヒロインに結ばれて欲しかった。主人公にはロンドンで成功して欲しかったし、ヒロインには主人公のそばで幸せになって欲しかった。
しかし安易なハッピーエンドでないところがこの作品が多くの人に支持されている所以なのでしょうね。
タイトルからわかると書きましたが、『ONCE ダブリンの街角で』は、「ONCE」、つまり「かつて一度」ダブリンで出会った男と女の物語であり、「かつて一度」ダブリンで才能を開花させようとした男の物語であり、「かつて一度」ダブリンで幸せを手に入れようとした女の物語なのだと思います。
お気に入り度は★★★、お薦め度は★★★★(★は五つで満点、☆は★の半分)。