ブログ 「ごまめの歯軋り」

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読書ノート 柄谷行人著 「憲法の無意識」 (岩波新書 2016年4月)

2017年06月28日 | 時事問題
悲惨な戦争体験によって日本人は内発的に普遍的価値である憲法9条を選んだ。これは誰にも変えられない日本人の無意識となった。 第4回

2) カントの平和論―哲学的平和論(その1)

 本書には柄谷氏の好みかもしれないが、無意識を表現するためにフロイトを持ち出し、平和を述べるためにカントが出てきます。人間の所作で会う限り、歴史、政治、経済行為に心理学を持ってくることは不自然ではない。しかし科学的研究に自然を主体とみた心理学をもってきたら、「進歩主義的進化学」や「利己的な遺伝子」のように擬人的と言われて笑われるだけであるが、動物行動学では結構人間の心理学が目的意識的な説明に使われている。しかしそれは理解しやすい説明というだけで、科学的事実であるかどうかはわからない。しかし私にはフロイトの精神病理学を政治や歴史の「深層」として捉えるのは、似ているかもしれないだけで、納得できない。だから本書はフロイトを冒頭から持ち出すが、オカルトめいて私はその説は採用しなかった。フロイトの学説は無くても著者の言いたいことは分るからである。では18世紀末に書かれたルソーやカントの平和論は、第2次世界大戦前後の世界情勢に適応出来るのかと考えると、思想の歴史的価値は揺るがないつぃても、実際その状況でカント説を公言して動いた政治家がいて、その効果があったかというとが問われなければ、政治理論を哲学で潤色するだけの著者の衒学的姿勢かもしれない。日本の戦後憲法の前文には「我々は平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めている国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思う」という言葉があります。この前文の背景を考えるについてカントが1795年に書いた「永遠平和のために」が見えてくると著者は言います。カントが言う永遠平和とは戦争をもたらす一切の敵対状態が無くなることを意味します。そのためにカントは諸国家間の連合によって創出する智う構想を述べたのです。カントの平和論が日本の憲法9条に結実するに至った過程を検討しようとするのが本章の目的です。明治の段階で西洋の平和論はかなり普及していた。横井小楠、小野梓、植木枝盛、中江兆民、北村透谷らがいました。中江兆民はルソーの「釈迦契約論」を翻訳しました。また「三酔人経綸問答」を書き、サンピエールからルソー、カントに至る平和論を紹介しています。サンピエールは欧州諸侯による国家連合体を構想しました。ルソーは民主革命なしには国家連合が達成できるわけはないと言いました。明治時代初期に自由民権運動の闘士は、帝国主義の時代には「国権論」(民権ではない国家主義)に転じていました。帝国主義の時代に、民権論から社会主義と平和の思想に向かったのはアナ―キスト幸徳秋水です。日本で最初のカントの平和論を取り上げたのは詩人北村透谷でした。彼は自由民権論の活動家になりましたが、政府の弾圧の下、「政治から宗教・文学へ」転向しました。キリスト教徒として平和運動の中心的存在でしたが、同時に「文学界」のリーダでした。日清戦争、日露戦争に対して戦争廃止論を訴えましたが、惜しくも日露戦争の三か月前に自殺しました。25歳でした。カントが「永遠平和論」を書いた1989年はフランス革命と干渉してくる諸国に対する祖国防衛戦争の時期であった。まもなく台頭してくるナポレオンは世界戦争を7引き起こしますが、そんなことはカントの目には映っていなかった。これまでの平和条約はいわば休戦条約であって、戦争を廃止するようなものではない。カントは平和条約に代わって平和連合を提起したのです。国家間の敵対性を解消する連合アソシエーションによってのみ可能だと考えました。彼は世界政府を目指すのではなく、諸国間が戦争を防止する連合を目指すものです。革命防衛からナポレオンは世界戦争を起したのです。ナポレオンの啓蒙主義は欧州各地にフランス革命を輸出するようなもので、それは国民ネーションを各地に生み出しました。ヘーゲルがナポレオンを評価します。それはナポレオンの戦争によって結果的に諸国民に普遍的な理念を実現したという評価です。ヘーゲルはカントの「永遠平和」で提起した諸国民連合について、1821年にカントの平和論は諸国民の国益の前にはリアリティがないと批評しました。こうして19世紀の間カントの平和論は忘却されました。むしろ大国間の覇権争いが普遍的概念を実現するというヘーゲルのリアリティ論が主流となった。20世紀初頭にはカントの平和論、国際連邦論はある程度浸透したかに見えましたが、第1次世界大戦後にできた国際連盟は極めて無力でした。国連もいつも非現実的な理想主義として嘲笑されてきました。カントは1784年に書いた「世界市民的見地における普遍史の理念」では、人類史は「世界共和国」に向かって進むと述べています。戦争という悲惨な国家エゴの結果が世界連合をもたらすのだということです。ヘーゲルとどう違うのかというと、世界連合は無力で国家エゴがリアリティ現実的な力を持つとするヘーゲルに対して、そういう争いの結果人類は世界共和国に向かって行くのだという観点です。二人とも違ったことを言っているのではなく、カントは世界の歴史的普遍化を言っているのです。これを「自然の狡知」と呼ぶ人もいます。フランス革命以前に書いた「普遍史」で、カントが考えたのは「平和」よりも「市民革命」です。カントは「普遍史」では、ルソーの市民革命と平和に関する理論を検討して、サンピエール説の王侯連合は期待できないとしました。それゆえ永遠平和は、諸個人の社会契約によって形成された国家間の契約でしかあり得ないのでルソーは革命が不可欠であると結論しました。ルソーは革命と永遠平和については懐疑的でした。しかしカントの考えは、そもそも一国の革命派他国との関係を離れて考えられないとしました。革命を封じ込める諸侯連合の干渉とフランス革命政府の「恐怖政治」は表裏一体の関係です。市民革命の土岐はカントの永遠平和論は全くの無力でしたが、世界戦争が起きる19世紀末の帝国主義時代になってカントの平和論は市民革命とは切り離されて、異議を持つようになったのです。

(つづく)


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