ブログ 「ごまめの歯軋り」

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読書ノート 柄谷行人著 「憲法の無意識」 (岩波新書 2016年4月)

2017年06月29日 | 時事問題
悲惨な戦争体験によって日本人は内発的に普遍的価値である憲法9条を選んだ。これは誰にも変えられない日本人の無意識となった。 第5回

2) カントの平和論―哲学的平和論 (その2)

柄谷行人著「世界共和国へ」〈岩波新書 2006)には政府形態を比較して、その進むべき方向を述べています。1990年ごろから資本主義のグローバリゼーションということが言われるようになった。旧ソ連圏が崩壊し、資本主義的な市場経済がグローバルになって、そしてロシア・東欧・中国をも巻き込んだ世界市場が出来た。もはや外部がなくなったのだ。このグローバリゼーションによって国民国家の影が薄くなったかといえば、そんな事はおきていない。国連が世界政府になるなんて夢のまた夢である。欧州統合も経済だけのことで、欧州政府・憲法はまだ現実には拒否されたままである。ではなぜ経済の統一によって国家はなくならないのかというと、国民国家は資本主義のグローバリゼーションのなかで形成されてきたからである。資本主義経済は放置すれば、かならず経済格差と対立を生む。国民(ネーション)は共同性と平等を要求するから、経済格差は是正されなければならない。国家は規制・税・再配分(福祉)によってそれを実現しようとする。資本と国民、国家は別の原理で動いているが、その3要素は堅く結びついている。たとえば福祉国家においては、資本=国民=国家は三位一体で最もうまく機能している状態である。国家は内向きだけで存在するわけではなく、国の間の関係はいつも緊張をはらんでいる。国がなくなったら戦争や経済競争にも負けるのである。では国とは何かというと、官僚と軍隊をさす(頂点に天皇がいなくてもいい)。これは政権や社会や時勢にかかわらず国の自律性を保つ「ホメオパシー」であるらしい。これは20世紀後半、資本主義体制が社会主義国に対抗する危機感からとった形態が福祉国家であった。ところが1990年以降社会主義圏が消えると、福祉国家への動機がなくなった。そして「安い政府」(小さな政府)が主張され、自国の労働者が失業しても構わない、資本の利潤を優先する「新自由主義」の時代になった。ここに著者はノーム・チョムスキー「未来の国家」(1971年)から4つの国家形態を持ち出す。その分類の特徴を示した。リバタリアン社会主義は現実には存在しない。いわばカントの「統整的理念」といえるものなのだろう。1848年の革命では国家社会主義運動もアソシエーショニズム運動も敗退した。そしてフランスのボナパルトとプロシアのビスマルクの福祉国家資本主義が勝利したといえる。イギリスの圧倒的な経済的ヘゲモニーに対抗するには、大陸は福祉国家資本主義を選択した。イギリスでも対抗上福祉政策は急速に進んだことはいうまでもない。国家資本主義で力をつけたフランスとプロシアが1870年晋仏戦争を起こし、勝利したプロシアはアメリカと組んでイギリスの自由主義帝国に対抗した。帝国主義時代は実質的1870年から開始された。日本はプロシアに倣って近代国家と産業化を成し遂げ、この帝国主義時代に参加する。晋仏戦争に敗れたフランスでは1871年パリコンミューンが起き、アソシエーショニズム最後の革命であったが、もろくも崩壊した。このときマルクスはどこにいたかというと、マルクスはプルードンの理念の近くにいたのだ。決して国家社会主義の立場ではなかった。マルクスはプルードンとともに、共産主義を「自由なアソシエーション」と呼び、パリコンミューンを支持した。国家社会主義者ラッサールの「ゴータ綱領」を批判した。プルードンは経済的な階級対立を実現すれば国家は消滅すると考えた。それに対してブランキの戦略は「一時的に国家権力を握りプロレタリア独裁によって資本経済と階級社会を揚棄する」ということであった。社会運動の主流でなかったマルクスの非現実性は、国家の自立的存在ををみないアナキズムにあった。1870年までのプロレタリアとは職人的自由労働者であり、重工業の進展による大規模産業労働者は未だ成立していなかったからである。職人の気質は自由でアナキズム・反抗者である。19世紀末の大規模産業労働者の時代から社会主義運動は社会民主主義(福祉国家主義)かロシアのマルクス主義(ボルシェヴィズム)に分かれた。レーニンはこの上なく官僚主義的国家社会主義を創設し、スターリンに受け継がれた。アソシエーショニズムは資本・国民・国家を否定するが、それが強固に存在する事を理解していない。従って本書は、新自由主義独りがちによって経済格差が進み社会福祉が放棄される中で、新自由主義を超える社会を作る事を目的とする。しかしその前に資本・国民・国家が出来た道筋を明らかにし、「世界共和国へ」の道筋を考えることにある。 資本主義の20世紀は帝国主義が顕著になる。レーニンなど社会主義者は帝国主義は「資本主義の最高段階」とよび、産業資本に替わって金融資本が支配を確立した段階と捉える。グローバル資本が世界を支配しても国家はなくなっていない。どうしてかというと国家の自律性を見逃しているからだ。国家と資本が結合したのは、絶対主義国家(主権国家)においてであり、帝国主義はそこに始まっている。主権国家は膨張して他の主権国家を侵すことが宿命であり、多民族統治の原理(オスマントルコのような統治して侵さず)が働かない。ハンナ・アーレンは国民国家の延長としての帝国主義は、古代の世界帝国(中国・ローマ・マホメットイスラム帝国など)にような法による統治形態をもたず、国民国家は絶対主義国家の時代から、国民の均質性と住民の同意を厳しく求めるものであるという。アメリカの「人権」という干渉(非寛容性)は国民国家の典型である。古代世界帝国は税さえ納めれば国家・民族の慣習には無関心であった。またアーレンは「国民国家は征服者として現れれば必ず被征服者の民族意識と自治を目覚めさせる」という帝国主義のジレンマを指摘している。イギリスなどの帝国主義がオスマントルコ帝国を解体し、アラブ民族を「解放」したと称したが、それが今日の中東の民族国家分裂とイスラエル問題を引き起こした。アラビアのローレンスが中東問題の元凶である。ナポレンオンは欧州に「フランス革命」を輸出したが、それがプロシアの興隆をもたらしたのである。こうして帝国主義は世界各地に国民国家を作り出した。

(つづく)


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