ブログ 「ごまめの歯軋り」

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平成経済 衰退の本質

2021年04月24日 | 書評
京都市中京区麩屋町通三条上がる 「旅館 俵屋」

金子勝 著 「平成経済 衰退の本質」 

岩波新書(2019年4月)

第3章 転換に失敗する日本 (その1)

① 振り子時計と「失われた30年」

日本は、先進諸国の政策と政治構造の変化に、いつも10年から20年遅れで似たような政策を取り、そしていつも失敗するようになった。成功のキャッチアップ型はよく議論されるが、失敗とその対応のキャッチアップ型で日本はいつからか失敗するようになった。それは無責任体制で、誰も自分の責任と考えて痛みをもって真摯に対応して来なかったためである。その分岐点はやはり90年代の銀行の不良債権処理のあり方からである。97年の北海道信託銀行や山一証券などの経営破綻が起きても経営者や監督官庁も責任が問われることは無かった。2011年3月東電福島第1原発事故でも経産省も東電経営者も責任逃れが続き、国民はこんな無責任国があるのかと唖然とした。新自由主義と結びついた主流経済学の無責任はさらにたちが悪い。度重なる金融危機に対して予測も対応もしなかった。不良債権を査定し貸倒引当金を積み、自己資金不足には公的資金を準備するか、銀行を国有化して不良債権を切り離して、再民営化する政策は主流経済学の教科書には載っていない。銀行システムが「脆い信用」の上に成り立っているにもかかわらず、新自由主義イデオロギーは銀行の自己責任論を展開して、公的資金注入に反対した。金融危機への対応にブレーキをかけたのである。むしろ大蔵省の「護送船団方式」に原因があるとして大蔵省の規制緩や組織改革を前面に出した。そのため不良債権処理策は後回しになった。「新自由主義」が「無責任体制」と親和性を持ち、すべては市場原理が解決するという論理は、何もしないという「不作為の無責任」を正当化した。日本政府の規制緩和や小さな政府を軸とする「構造改革」路線は当然行き詰まった。今度は景気対策として「マクロ経済政策(拡張的財政政策と金融緩和政策)」がとられた。92年宮沢首相は公的資金注入による不良債権処理策を説いたが、財界・官僚・政治家の反対に遭って、公的資金注入はタブーとされた。したがって宮沢首相は経済拡張対策だけを行った。93年新生党の細川内閣は「例外なき規制緩和策」を取り減税政策を採用した。村山連立政権や橋本首相も省庁再編成の構造改革を取ったが、97年不良債権問題が再燃し山一證券、北海道拓殖銀行が経営破綻した。小渕首相および森首相は99年財政出動の経済拡大政策を取り、「構造改革」から再び「拡張的マクロ経済政策」に振れた。01年小泉首相は再び「構造改革」・規制緩和という新自由主義政策に振れた。

(つづく)



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