ブログ 「ごまめの歯軋り」

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兵藤裕己 著 「後醍醐天皇」 岩波新書(2018年6月)

2019年12月09日 | 書評
シクラメン

鎌倉時代から南北朝動乱へ、室町期における政治・社会・文化・思想の大動乱期  第6回

序(その6)

そこで本書がカバーする時代の政治史を見通すため、1318年~1367年の主要な事項の年表を略記する。
1318: 後醍醐天皇践祚
1321: 院政廃止
1329: 討幕計画発覚(正中の変) 日野資朝・俊基殺害。文観流刑
1331: 討幕計画発覚(元弘の変) 後醍醐天皇は廃帝、隠岐へ配流。 光厳天皇践祚し北朝開始。
1332: 護良親王吉野へ至る。楠木正成赤坂城で活躍。
1333: 鎌倉幕府 吉野、赤坂、金剛寺を攻撃。足利尊氏上洛し六波羅探題を陥落させる。新田義貞鎌倉を攻め幕府滅亡。後醍醐天皇還幸
1334: 足利尊氏の讒言で征夷大将軍護良親王失脚
1335: 足利直義が護良親王を殺害、足利尊氏征夷大将軍を僭称する。 新田義貞、尊氏追討の宣旨をうける。
1336: 尊氏、新田を山崎の戦いで破り、京を焼く。後醍醐天皇坂本へ逃げる。尊氏、新田・楠正成に大敗、九州へ逃げる。尊氏、東上して新田・楠正成軍を打つ。湊川の戦いで楠正成兄弟戦死。後醍醐天皇吉野へ逃げる。
1337: 越前金崎城で新田義貞破れ敗走 恒良親王、尊良親王殺害される。北畠顕家奥州で挙兵、鎌倉を攻める。
1338: 北畠顕家、新田義貞討死。南朝後村上天皇践祚。南朝側の小競り合いはあったが、勢力は急速に縮小した。
1339: 後醍醐帝 崩御 52歳
1345: 足利幕府は比較的安泰の時期、足利直義天竜寺建立。
1349: 楠正行四条縄手の戦いで高師直と戦って戦死。高師直のクーデターで足利直義失脚。
1350: 足利直冬九州で反乱、高師直・尊氏連合軍、直冬を破る。、直義は南朝に下る。足利氏兄弟が分裂し戦う。
1351: 足利直義が高師直・尊氏連合軍を破り、高師直兄弟戦死。尊氏・義詮・直義の和睦なるが、尊氏、直義追討の宣旨を受け鎌倉で破る。
1352: 南朝の北畠顕能、手薄を狙って京の義詮を襲う。北朝の光厳・光明上皇と崇光天皇、賀名生へ逃げる。南朝新田義興兄弟挙兵するも武蔵で敗戦、南朝は敗退し、北朝に後光厳天皇践祚。
1353: 南朝 山名師氏・時氏親子 京の義詮を襲うを襲う。義詮と北朝後光厳天皇は美濃へ遁れる。
1354: 将軍尊氏上洛し、足利幕府勢力を持ち直す。
1355: 尊氏、山名親子・足利直冬連合軍を破る。北畠親房逝去 62歳
1358: 足利尊氏逝去 54歳、義詮第二代征夷大将軍となる。
1360: 将軍義詮と畠山国清、南朝の赤坂城を討つ。 後醍醐の寵妃阿野康子 逝去
1361: 南朝軍一時入洛するが、将軍義詮これを反撃する。
1367: 関東管領足利元氏没、二代将軍義詮没  三代将軍義満就任 細川頼之これを補佐する。
1392: 南朝の後亀山天皇京都に戻り、北朝の後小松天皇に神器を返還し南朝消滅。

(つづく)