ブログ 「ごまめの歯軋り」

読書子のための、政治・経済・社会・文化・科学・生命の議論の場

学校のいじめに向かい合った23年 親父の真摯な努力

2009年03月21日 | 時事問題
朝日新聞 2009年3月21日15時1分
「おやじの会」解散 いじめから学校立て直した23年
 東京都中野区の区立中野富士見中学校で、86年に起きたいじめ自殺事件がきっかけで生まれた「おやじの会」が22日、活動を終える。少子化で学校が統廃合されるのを機に、解散を決めたためだ。事件から23年。学校を立て直そうと、取り組んできた地域の父親たちの活動は、全国に広がっている。
 「このままじゃ『生きジゴク』になっちゃうよ」 遺書を残し、同中2年の鹿川裕史君が命を絶ったのは86年2月のことだった。生前に級友が「葬式ごっこ」をし、その際使った追悼の色紙に担任ら4教諭が署名していたことも分かった。
 学校に「廃校にしろ」などという抗議、批判が殺到した。学校の中はもちろん、保護者も疲れ切った。当時、PTA会長だったのは矢口正行さん(67)。「学校は地域の核。学校を守りたい」と、矢口さんが、周囲の父親たちに「おやじの会」の立ち上げを呼びかけた。

日本の自殺といじめの風景 向かい合う大切さ

 日本は自殺大国で北欧や東欧を超えているらしい。鬱陶しい北欧の鉛色の空と違って、日本は気候的には明るい日差しのもとでなぜ自殺が多いのだろうか。それはまちがいなく日本人の生き方と文化的な問題をはらんでいそうだ。時代とともに生活は変わっているが、なお日本人の背景を貫く生きにくい雰囲気の精神文化があるのだ。几帳面で働き者で頑張り屋さんで通してきた人が、やがて経済的・健康面・家族問題などで思い通りにはゆかないことに直面する。どうしょうもない焦燥感の矛先が自分に向かって、自責・逃避・無力感・罪悪感から自己嫌悪のような抑うつ感情になる。日本人は急いで姿を消すことで自己イメージを美しく保つという美意識があるようだ。

 日本では「いじめ」はなかった事にして不問に付すという、教師の罪意識の欠如が露骨である。そもそも「いじめ」は教師といじめた側の罪という倫理・道徳も文化も全く存在しない。それを感じたら「負け組み」に入れられるようだ。こんな無反省な国はない。それが教科書問題や歴史問題で他国と軋轢を生むのである。政治家の厚顔無恥、官僚の「無誤謬神話」などは為政者の罪意識の欠如であり、何度失敗しても恥も責任もないという為政者天国であり、塗炭の苦しみをなめるのはいつも弱き者でる。

北朝鮮ミサイル発射問題と6カ国協議  中国に調整できるのか

2009年03月21日 | 時事問題
朝日新聞 2009年3月20日23時18分
ミサイル破壊命令、月内にも発令へ 防衛相、対北朝鮮
 【北京=石松恒】北朝鮮が4月4~8日の間の「人工衛星の打ち上げ」を予告していることに対し、浜田防衛相は20日、打ち上げ失敗で日本に落下する場合に備え、自衛隊法82条の2に基づく「弾道ミサイル等破壊措置命令」を月内にも発令する考えを明らかにした。発令されれば、同条項の初適用になる。
 破壊措置命令には、ミサイルなどが(1)「日本に飛来する恐れがある」ときに閣議決定を経て防衛相が命じる(2)「日本に飛来する恐れがあるとは認められない」が、事態の急変に備え、あらかじめ防衛相の判断で原則非公表で命じる――の2種類ある。

朝日新聞 2009年3月20日23時36分
日本に冷静な対応呼びかけ 中国国防相、ミサイル問題で
 【北京=石松恒】浜田防衛相は20日、北京市内で呉邦国(ウー・パンクオ)全国人民代表大会常務委員長、梁光烈国防相と相次いで会談した。浜田氏が弾道ミサイルの発射準備を進めていると見られる北朝鮮に自制を促すよう求めたのに対し、中国側は「北朝鮮が撃たないのが一番良い」(梁氏)との認識を示したうえで、日本側に冷静な対応を呼びかけた。

要注意! 北朝鮮が本当に核放棄をしているとは思えない。オバマ政権への揺さぶりに次の緊張策としてミサイルを持ち出した。北の「ミサイルを打ち落としたら、米韓日へ宣戦布告」脅迫に屈する事はない。中国に期待するのは、北朝鮮を属国化する中国の思う壺

文藝散歩 戦国時代の戦記文学

2009年03月21日 | 書評
大和田哲夫著 「甲陽軍鑑入門」 角川ソフィア文庫 第4回

「甲陽軍鑑」本編・末書の構成と内容 (2)

 武田信玄は1521年に生まれ、天正元年(1572年)53歳で死亡した。信玄の幼名は勝千代、16歳で元服の時内裏より勅使が立ち、三条殿の姫と結婚、将軍家御公方義晴より名を貰って「晴信」となった。父信虎は弟信繁を嫡子と考えていたようだが、信玄は廃嫡される事を恐れて重臣岡部貞綱と、同盟関係にあり信虎の娘を嫁に貰っている駿河の今川義元と共謀して、信虎を騙して駿河を訪問させた留守を狙って無血クーデターに成功し、甲斐の国を相続した。因果はめぐるというように後に信玄の長男義信が、その傳役飯富虎昌、長坂源五郎、曽根周防守らと共謀して信玄の暗殺を謀るという「義信事件」が永禄8年(1565年)に起きた。永禄3年(1560年)今川義元が織田信長によって桶狭間の戦いで敗れたため、甲相駿三国同盟の一翼が欠けた。信玄は主不在になった駿河の国を奪う三国同盟を破棄し南進策へ傾いていた。ところが義信の妻は今川義元の娘であったので、義信と信玄の間に軋轢が生じたことがこの事件の真実ではなかろうかといわれている。信玄は飯富虎昌を殺害、長男義信を監禁した。義信は3年後に切腹した。躑躅ヶ崎館にあった義信の御殿を破壊して、そこに毘沙門堂を建設した。

 「勝頼記」は、信玄公が天正元年(1572年)53歳で死亡したことから始まる。執筆者は春日惣次郎である。信玄死亡により周辺の戦国大名が攻め込む可能性や盟友北条氏政が裏切る事も考えて、3年間は喪を隠す事になった。死ぬ前に800枚の白紙に信玄の花押だけを書いておいたとされる。「死んだ信玄、戦国大名を走らす」ように信玄の偽文書が死後も発令されていたようだ。これには北条氏政の家臣板部江雪や将軍家足利義明らもまんまと騙されて信玄は健在だと信じた。信玄の遺書は3年後に「具足を着せて諏訪湖に沈めよ」ということと、家督を継ぐのは勝頼ではなくその息子の信勝(当時7歳)とし、元服するまで勝頼を陣代とするというものであった。
(続く)


医療問題 「現場からの医療改革レポート」  Japan Mail Media

2009年03月21日 | 書評
絶望の中の希望ー医師は「医療崩壊」の現状をネットに訴える 第47回

医療に関する提言・レポートfrom MRIC(2008年11月11日)「医療現場と国会が直結して、役人主導の医療行政を変えましょう」 民主党参議院議員 鈴木寛 

 '08年10月4日脳内出血を起こした妊婦の受け入れ拒否によって妊婦が死亡する事件が発生した。最初受け入れを断った都立墨東病院では「医師不足で土日は母体搬送を受け付けていない」と云う状況であった。10月24日の厚労省の発表では産科医は3名しかいないということである。都内には9つある「総合周産期母子医療センター」のひとつである都立墨東病院さえ、このような医師不足であった。この事件は産科医の不足問題と、脳内出血と云う緊急医療問題の二つが絡んでいる。最初からの脳外科に搬送すればどうだったのかとか命は救えたのかどうかは分らない。かかりつけ医の判断だけでなく産科と緊急医療の連結問題は空白であった。

これにはお産と云うのは医療なのかどうかも絡んでいる。なぜなら出産分娩には健康保険は適用できず、個人支払いである。厚生労働省では出産は「雇用均等・児童家庭局母子保健課」が担当する。そして最近少子対策担当大臣が設けられ「安心して生める環境作り」で出産分娩費用補助金制度も絡んでいる。厚生労働省では縦割り行政の旧弊そのもので、今回の事件を緊急医療として扱うのか、医師不足対策として医政局が担当するにしても、行政の壁は厚くて、ちぐはぐである。10月30日日本産婦人学会「産婦人科医療提供体制検討委員会」が「勤務医在院時間調査」第2回中間集計を発表した。月当たり平均301時間、最大428時間勤務の労働基準法をはるかに超える長時間労働の実態が明らかにされた。東京都も厚生労働省も多くのお金を使いながら対策は後手後手で今日の事件を招いたといわざるを得ません。それだけでなく厚生労働省では分娩費の診療報酬への枠組み編入して分娩費用を固定化するとか、今回の医療事故を警察へ届けでると云う規範作りを考えているようだ。規範では医師にはインセンティヴは働かず、医師は萎縮するばかりで「立ち去り症候群」は解消されるべくもない。10月31日日本産科婦人科学会が厚生労働大臣に「周産期救急医療体制と母子救命体制整備に対する緊急提言」を行った。厚生労働省はこれを受けて11月5日懇談会を立ち上げた。

現場から当局への要望に対する対応が当を得ない場合でもあきらめることなく、医療現場と患者さんが粘り強く発信することが必要だ。厚生労働省はこれまで「医師不足はない、医師偏在があるだけだ」といって医師不足を一貫して認めてこなかったが、今年6月18日舛添厚生労働大臣の判断で「医師不足」を認めて医学部定員を増やした。厚生労働省の行政を効果的に正すために、国会議員超党派の「医療現場の危機打開と再建を目指す国会議員連盟」も力になる。また政府の福祉予算削減という小泉流新自由主義政策の見直しも必要である。
(続く)