ブログ 「ごまめの歯軋り」

読書子のための、政治・経済・社会・文化・科学・生命の議論の場

失業率10%時代は来るのか

2009年03月23日 | 時事問題
朝日新聞 2009年3月23日
雇用安定・創出、政労使が合意 日本型ワークシェア推進
 麻生首相と御手洗冨士夫日本経団連会長、高木剛連合会長らが23日朝、首相官邸で会談し、「雇用安定・創出の実現に向けた政労使合意」に署名した。雇用をめぐる3者合意は7年ぶり。雇用不安の解消を「喫緊の課題」と位置づけ、日本型ワークシェアリングや職業訓練の推進などについて、それぞれの立場で取り組む内容を記した。  政府の雇用対策をめぐっては、舛添厚労相が1兆5千億円規模の対策を打ち出すことを表明。与党も1兆6千億円規模の緊急雇用対策をまとめている。(諸麦美紀)

掛け声だけのきれいごとの確認ではなく、政府と労使は具体的な実施を企業ごとに確認する必要がある。

今日も 雨が上がって すごい春嵐です 洗濯モノは飛び自転車は倒れる

2009年03月23日 | 時事問題
朝日新聞 2009年3月23日11時29分
強風で首都圏の鉄道乱れる 30万人影響、体調崩す人も
 強風の影響で23日朝、千葉方面を中心に首都圏の鉄道ダイヤが大幅に乱れた。混雑した車内で乗客が体調を崩すなど、午前11時現在、影響は30万6千人に及んでいる。


文藝散歩 戦国時代の戦記文学

2009年03月23日 | 書評
大和田哲夫著 「甲陽軍鑑入門」 角川ソフィア文庫 第6回

「甲陽軍鑑」の史実の食い違いと山本勘助の実像 (1)

 「甲陽軍鑑」が偽書だといわれる所以は年月日の間違い、名前の間違いが随所にでてくる事から来ている。幼名勝千代をつけた所以の飯田河原の合戦の日時が誕生後となること、元服のお祝いの朝廷からの勅使が転法輪三条ではなく正親町公叙であったこと、そして朝廷から頂いた官名が大膳大夫ではなく左京大夫であった事、元服の初陣が海ノ口攻めであったとするが、その時にはそのような戦いはなく、初陣はでっち上げ臭い事、長坂釣閑の長篠の闘い参戦など信頼性ある史書との食い違いが著しい。父信虎の狂乱、碓氷峠の合戦、信玄・謙信の川中島の決選における「三刀斬り」の立ち回り、山本勘助の活躍はどう見ても文学的虚構と言わざるを得ない。それらは「甲陽軍鑑」の執筆の動機からして頷ける事である。信玄の英雄化や長坂釣閑の悪者化にあるからだ。また「甲陽軍鑑」の最期の編纂者小幡景憲が徳川家康の禄を食んでいることから来る、記事中の徳川家康へのおべっかが見え見えである。合戦の年月日の間違いはいたるところにある。特に山本勘助からみの合戦記述には史実との食い違いが大きい。ととえば戸石崩れの戦いは6年もずれているし、信玄側の完敗に終わっている。天文15年の碓氷峠の戦いでは山本勘助が勝鬨の法螺貝を吹いたとされるが、翌年16年の小田井原の戦いを下敷きにした虚構ではないかと疑われる。なぜ山本勘助の記事に虚構が多いのかというと、「甲陽軍鑑」の執筆者に別の人間がいたのではないかと言われる。その一人が山本勘助の子供で僧であった人間らしいという説がある。「山本勘助を信玄の軍師」として活躍させる意図があったのではないか。では山本勘助なる人物の実像はどうか。
(続く)



医療問題 「現場からの医療改革レポート」  Japan Mail Media

2009年03月23日 | 書評
絶望の中の希望ー現場の医師は「医療崩壊」の現状をネットに訴える 第49回

第18回(2008年11月19日)「メデァが報道しない都立墨東病院事件の背景」 第2回 「国立病院に生き続ける陸海軍の亡霊」 東京大学医科学研究所 上昌広 

 首都東京都の病院医療問題の脆弱性が指摘され、東京都と国厚生省間の争いまで進展した。さらに先週二階経産大臣の「医師のモラル」発言や11月19日には麻生首相の「常識のない医師」発言があり、日本医師会をいたく刺激した。閣僚の政策のなさが憂さ晴らしに医師攻撃になっているのだろう。都立病院が貧者救済と衛生対策から明治大正期に創立されたが、23区内の国立病院、国立がんセンター・国立国際医療センター・国立成育医療センターの三つは陸海軍が設立した病院であった事を知る人は少ない。明治建国以来の「富国強兵」政策のなかで首都東京には多くの陸海軍施設がつくられ、兵士戦力を維持するため医学施設も設立された。海軍兵学校を置いた築地の地が今の国立がんセンターである。太平洋戦争後は陸海軍は解体され、陸海軍が保有していた146の軍施設が厚生省に移管され、国立病院や国立療養所に変わった。国立病院の職制やしきたりが軍隊官僚組織に類似しているのはそのせいである。本論の題名「国立病院に生き続ける陸海軍の亡霊」とはその文学的表現である。

良き伝統とともに、国立病院には陸海軍官僚システム独特の組織や慣例を引きずってきているのである。 たとえば国立ガンセンターの組織は、総長、病院長、研究所長、運営局長の4職が並びで存在する。運営局長は厚生省のキャリアー官僚で、厚生大臣に総長人選の意見を具申する。すなわち下の組織がトップを決めるのである。人事権を厚生労働省医政局が握っている。医師は自分のプロフェッショナリズムの使命感で動くはずが、この病院は厚生省の政策や組織の都合で動く面がある。臨床試験の成績を上げるため、治り易い優良な患者を選択するのは常識になっている。患者切捨てが日常的に行われてきた。これに対して新院長土屋了介氏は「患者相談窓口の重点化」、「緩和ケア-・通院ケアーの整備」、「スタッフの地方勤務必須」な改革を進めている。土屋氏に対して厚生労働省官僚の抵抗は個人攻撃に及んでいる聞く。中央の命令を聞かず、地方で勝手な行動をされては組織の「しめし」がつかないのだろう。
(続く)