ブログ 「ごまめの歯軋り」

読書子のための、政治・経済・社会・文化・科学・生命の議論の場

ミサイル防衛システムは張子の虎  膨大な予算をつけていたのは何のため?

2009年03月24日 | 時事問題
朝日新聞 2009年3月24日13時34分
ミサイル迎撃、外相「難しい」政府筋「当たらない」
 北朝鮮が発射を予告している「人工衛星」が日本に落下しそうな場合、迎撃が技術的に可能かどうかについて、中曽根外相は24日の閣議後の記者会見で「難しい」との認識を示した。政府筋も23日、「当たらないと思う」と発言。政府は近く、弾道ミサイル破壊措置命令を発令する方針だが、足元からそもそもの技術論で疑問が出た格好だ。
 政府筋は「鉄砲をバーンと撃った時にこっちからも鉄砲でバーンと撃って(弾と弾が)当たるか。当たらないと思う。口開けて見ているしかない」との見方を示した。「実験したときは成功したと言うが、それは、『はいこれから撃ちますよ。はい、どーん』と撃ったやつだった。いきなりドーンと撃ってきたら、なかなか当たらない」とも述べた。

無力なミサイル迎撃システム 
上の政府筋の話はぶちまけ論で面白い。今までアメリカのミサイル迎撃訓練は随分やらせ実験で真偽の程は眉唾物だった。日本は政治的には撃ち落とすと脅かすほうに意義があるのであって、実際に撃って当らなかった場合、このシステムの無力を世界に曝すだけ。迎撃命令を出した手前、政府防衛省はどう落とし前をつけるのか。本当は迎撃できる自信はないのだが、迎撃するといっている間に、誰かが(中国)北を説得してくれるのを待っているだけの事だ。

タレントの皆さん 露出は商売ですが、本当に走れるんですか 

2009年03月24日 | 時事問題
朝日新聞 2009年3月24日7時22分
松村邦洋さん救った、国士舘大救護部隊 東京マラソン
 22日に開かれた東京マラソンで、国士舘大の医療救護スタッフが、タレントの松村邦洋さんら2人の男性ランナーの命を救った。心臓に電気ショックを与えて蘇生させる自動体外式除細動器(AED)を携帯したチームを沿道に配置したことが功を奏した。

肥満体と喫煙者、2日酔いは極めて危険です! 甘く見ているのだろうか。24時間チャリティテレビのマラソンはキセルでしょう。

文藝散歩 戦国時代の戦記文学

2009年03月24日 | 書評
大和田哲夫著 「甲陽軍鑑入門」角川ソフィア文庫 第7回

「甲陽軍鑑」の史実の食い違いと山本勘助の実像 (2)

 山本勘助の略歴については「甲陽軍鑑」末書下巻下に「三河牛窪の者、26歳で武者修行し10年間各地を歩く、駿河今川家では雇い入れを断られ、44歳で信玄公に召し抱えられる、62歳で川名島の合戦で討ち死にする」と簡潔にまとめてある。永禄四年(1561年)9月川中島の4回目の戦いで「きつつき戦法」で謙信の籠る妻女山の背後から謙信を追い出す別働作戦を実行するが、見事謙信に読まれており敗北して戦死した。「市川文書」で山本勘助の実在は確かめられるが、本当に信玄の軍師として、七面六肘の戦略家として活躍したのであろうか。戦国時代と云う中世と近世の出会いがしらにおいて、信玄は一、二を争う占筮によって軍事行動を決めていた武将であった。軍師にも2つあって、参謀的軍師(家老が参謀を兼ねる、身分の低い者は参謀になれない)と呪術的軍師つまり軍配者であった。信玄の軍配者には当時小笠原源与斎など数名がいたようである。単なる風水のような方向占いとは違い、陰陽五行説をも取り入れて当時の占筮は複雑になっており、専門的知識がないと複雑な区分を言い当てる事は素人には出来なかった。山本勘助は呪術的軍師であったというのが著者大和田哲夫氏の推測である。山本勘助の築城術の特徴は丸馬出しにあったという。
(続く)


医療問題 「現場からの医療改革レポート」  Japan Mail Media

2009年03月24日 | 書評
絶望の中の希望ー医師は「医療崩壊」の現状をネットに訴える 第50回

医療に関する提言・レポートfrom MRIC(2008年11月23日)「医療と司法の齟齬を克えろー真相究明とは何か」 医療メディエーラー 竹内 治 

 医療裁判で勝訴した側も敗訴した側も、裁判への不満を語ることが多い。その理由の一つが司法側、医療提供者側、患者側の三者における「真相究明」の理解に齟齬があるからだ。裁判の目的は法律上の要件たる事実の有無を明らかにする事である。医者側に「注意義務違反」があるかどうか、患者側に「損害」が発生しているかどうか、そして医師の行為と損害の間に因果関係があるかどうかを明らかにすればいい。医療提供側の真実究明は、再発防止と云う観点からリスクを広く検証することである。患者側の真実究明とは事実を明らかにするだけでなく、事故を受け入れるための裁判経過も重要である。ところが患者は裁判から疎外されている。ということで三者の「真実」は斯くも違うのである。そこで医療ADR(紛争解決代替案)が必要ではないかというのが筆者の主張である。法律関係者は紛争の賠償金で飯を食っているが、そうではなく医療関係者と患者のADRデザインを広く議論したい。
(続く)