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アリの一言 

天皇制、朝鮮半島、沖縄の現実と歴史などから、
  人権・平和・民主主義・生き方を考える。
   

東京大空襲と朝鮮人強制連行

2018年03月17日 | 朝鮮半島・在日コリアン差別と日本

            

 「3・11」と「3・10」が1日違いというのは、あまりに悲しい歴史の偶然です。いまでは「3・10」を知る人の方が少ないかもしれませんが、どちらも決して忘れてはならない日です。

 1945年3月10日未明、米軍B29・130機によって無数の焼夷弾が投下され、東京(特に墨田区、江東区など)は火の海となりました。死者は推定10万人以上。東京大空襲です。

 その全容・被害実態は、73年たった今日でも不明な点が多い(というより日本政府が調査してこなかった)のですが、中でも見過ごされているのが、この空襲によって多くの朝鮮人が犠牲になったことです。

 東京大空襲で死亡した朝鮮人は「1万人余」といわれています。「10万人余」の実に10です。

 当時の特高警察の資料(「内地在住朝鮮人戦災者」1945・9・25)によれば、東京在住朝鮮人9万7632人中、戦災者は4万1300人(42・3%)で、「死者はこのうちの多数、少なくとも1万人を軽く超えるとみられる」(李一満・東京朝鮮人強制連行真相調査団事務局長、「季刊・戦争責任研究」2006年秋季号)。

 東京大空襲についての記録・書物は少なくありませんが、実数でも割合でもこれほど甚大な朝鮮人犠牲者について記されたもの(日本人による記録)はほとんどありません。そんな中で、早乙女勝元氏の『東京大空襲』(岩波新書1971年初版)には次のような記述があります。

 「この夜、日本人のみならず、多くの朝鮮人が下町庶民とともに貴重な生命を奪われた。…当時の軍需産業には、相当数の朝鮮人が動員されており、豊洲の石川島造船所には数千をこえる朝鮮人徴用工が働いていた。その上さらに、祖国から無理じいに引っぱってこられた十五歳前後の青少年二百数十名が、同造船所洲崎寮へたどりついたのが、三月九日夜七時のこと。かれらが形ばかりの夕食をすませ、はじめて他国で眠りについた夜は、死の夜だった。生き残った者はわずか四名にすぎなかったという。しかも、その四名とも、二目と見られぬ大火傷を顔に残した。なんと悲惨なことだろうか。二百数十名の朝鮮青少年が、地理もわからぬ場所を逃げまどい、ほとんど全員があっけなく焼死

 なぜ朝鮮人の犠牲者が多かったか。早乙女氏も指摘しているように、多くが軍需産業に動員されていたからです。

 「米軍は軍関連企業・軍需工場を集中的に狙った。…連行された朝鮮人が主に軍需工場で働かされ、渡日した朝鮮人も下町でを形成していたことを考慮すれば、大空襲での朝鮮人被害は日本人より高率と見るのが妥当であろう」(李一満氏、前出)

 「東京大空襲で犠牲になった朝鮮人は、日本による植民地支配と強制連行の被害者たちである」(李氏、同)

 私たちはこの言葉を肝に銘じる必要があります。日本が朝鮮を侵略・植民地支配しなければ、死なずにすんだ人たちです。東京大空襲に限らず、各地の空襲、あるいは戦地で犠牲になった多くの朝鮮人は、戦争自体の犠牲者であるとともに、日本の侵略・植民地支配の被害者なのです。

 「半世紀が優に超え、名前と本籍地はもとより遺骨すらほとんど残っていない現状はまことに厳しい。しかし遺族たちは今尚、肉親の行方・消息を捜しており、遺骨の欠片でも還して欲しいと願っている。死者(遺骨)と遺族に思いを馳せるべきである。日本政府の、関係企業の責任は実に重い」(前出)。こう強調していた李一満さんは、今年1月亡くなられました。

 今月3日、「東京大空襲73周年朝鮮人犠牲者追悼会」が東京都墨田区の東京都慰霊堂で行われました(写真右。朝鮮新報より)。

 会では「強制連行被害者に対し徹底的に謝罪・賠償し、全ての遺骨を探し出し、遺族の意志にそった解決を図るための措置」を要求。朝鮮総連中央会館への銃撃事件や強まるヘイトスピーチにも触れ、「日本政府は差別や嫌悪を助長するような態度をやめ、植民地と戦争犠牲者に対する追悼と歴史教育に取り組んでいくべきだ」などの発言がありました(7日付朝鮮新報)。

 10歳で東京大空襲に遭った体験を語った李沂碩さん(千葉県在住)は、最後にこう述べました。
 「朝鮮人と、日本の人々と、悲しみも、怒りも、真の平和への決意も、共に分かち合いたい」(同)

 私たち日本人はこの声に応えねばなりません。

 

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