アリの一言 

天皇制、朝鮮半島、沖縄の現実と歴史などから、
  人権・平和・民主主義・生き方を考える。
   

「アンネ・フランク展特別講演会」で考えたこと

2014年04月15日 | 日記・エッセイ・コラム

PhotoPhoto_2 福山市にある「ホロコースト記念館」で3月15日から5月3日まで、「アンネ・フランク展『希望の未来』」が開催されています。12日には特別企画の一環として、アンネ研究家の篠光子さん(写真左)の講演「アンネの生涯とユダヤ人大虐殺の深層」がありました。

 篠さんはアウシュビッツ収容所の部屋で独り一夜を過ごすなど、アンネの足跡を追跡調査した日本研究者の草分け的存在です。その篠さんが強調したのは、「ユダヤ人大虐殺はヒトラーによって突然もたらされてものではなく、その根は深い」ということでした。

 篠さんはローマ帝国時代からの歴史をたどり、エルサレムを追われたユダヤ人が世界各国で、銀行家、弁護士、医師などとして活躍したこと、とくにアンネが生まれたドイツ・フランクフルトにはユダヤ人の金融家が多く、「ユダヤ人から借金をしたドイツ人の不平、不満が強かった」という背景があったと指摘しました。

 「アンネの生涯から私たちは何を学ぶべきか」として篠さんは、「闇から希望を。未来に希望を持つこと。そのためにくじけないこと」だと強調しました。

 宗教家でもある篠さんの話は、逆境にめげない人間の心の持ち方、生き方として感銘するものでした。でも、率直に言って、私には物足りないものがありました。
 アンネの生涯、ホロコースト(大虐殺)から、今、日本の私たちが学ぶべきことは何なのでしょうか。
 単純な二分法は禁物ですが、端的に言ってそれは、「迫害・虐殺された側(アンネなどユダヤ人)の精神力・生き方」ではなく、「迫害・虐殺した側の狂気・歴史的責任」ではないでしょうか。
 70年前、私たちの国は、アンネたちユダヤ人を虐殺したナチス・ドイツと同盟を結んで狂気に走った国だったという歴史を思い起こし、再びその過ちを繰り返さないという決意と行動が今、求められていると思うのです。

 戦争遺跡・遺品や語り部、講演はある意味で「中立」です。そこから何を教訓として学び今に生かすのかは、見る側、聴く側の責任にほかなりません。

 今回展示された大型パネル(180㌢×90㌢)29枚(写真右)と、フランク家の遺品など特別公開品は5月から来年3月まで貸し出されます(協力金要相談)。

 <気になる報道>

 「3・11」と「4・11」のこの落差は?


 東日本大震災から3年の3月11日は、数日前からテレビ、新聞などで特集され、大量に報道されました。ところが、1カ月後の4月11日はどうだったでしょう。被災地の報道はピタリと止まってしまいました。NHKはもとより、朝日、毎日、読売各紙も、4月11日付の紙面に被災地のことはまったく載っていませんでした。
 この落差は何なのでしょうか?
 もちろん、「3・11」が特別な日であることは確かです。しかし、「4・11」とのあまりの違いに、日本の「メディア・スクラム」(ブームに乗り遅れまいと群がる一方、潮が引くように手を引く)弊害を感じざるをえません。
 今なお続き、増す被災者の苦しみは、「3・11」も「4・11」も変わりません。
 提案ですが、新聞は毎月11日(月命日)には、1面に、「東日本大震災から〇カ月」の「えんとつ」(縦長の凸版)を立て、関連記事を掲載してはどうでしょう。
 せめて、被災者のみなさんの辛さ、苦しさ、そして私たちの責務を忘れないために。


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