癌春(がんばる)日記 by 花sakag

2008年と2011年の2回の大腸癌手術
   ・・・克服の先に広がる新たな春を生きがいに・・・

苔の回廊「楓沢」~風不死岳~北尾根(周回)

2017年08月15日 | 登山・旅行

 この楓沢は、支笏湖畔道路の紋別橋の下からスタートする涸れ沢ではあるが、まさにみごとな「苔の回廊」である。ちなみに、昔からの観光名所だった「苔の洞門」は崩落の危険性から数年前に閉鎖されているが、こちらの方が距離も長いし、苔もずっと美しい。その後、テレビや新聞等で報じられたこともあり、最近人気の出てきたルートである。ネット上でも非常に多くの記録が見られるようになった。

 自分は15年前の02年に大沢ルートから風不死岳に登り、この楓沢を下りている。当時はまだ登山のホームページが少なかったこともあり、ネット上にこのコースを掲載したのは、多分自分が最初かも知れない。

 今回は、15年前との違いをこの目で確かめたくて、楓沢から登り、風不死岳を経由して北尾根コースを下って周回する計画を立てた。8/8に登るつもりだったが、ずっと悪天候が続いて、1週間も足踏みを余儀なくされていた。

 非常に多くの登山者に歩かれているようで、足跡も非常に多かった。2ヶ所の高巻き道も赤テープが細やかに設置され、しっかりとした登山道になっていて、15年前のように迷う心配はまったくなかった。
 倒木は多くなっていたが、何よりうれしかったのは、苔の美しさがまったく損なわれていなかったことだ。観光化して観光客が入るようになれば、「苔の洞門」のように削られたり、落書きされたりする。なんとかそうならないことを願いたい。


GPSトラックログをもとにしたコース図


 7:15、紋別橋の200mほど美笛寄りの路肩に車を停めてスタート。

 紋別橋の欄干に「楓沢」の表示板が設置されていた。その橋の右端から楓沢に下りる。


広い砂地の沢床を進む


10分ほどで、両側が崖になった「苔の回廊」が始まる






沢に下り立って25分ほどで、大岩が崩れたF1にぶつかる。この手前の左側手前に巻き道が付けられている。
急な所にロープが設置されている。15年前の時より、高巻き道の少し大回りをして距離が長くなっていた。


巻き道の下りの上から、第2章の苔の回廊の沢床を見下ろす




苔に似合うシダ


 倒木をロープで固定し、左の木には登攀用具まで設置されて、安心して登れるようになっていた。
15年前に、アルミの梯子があったのはここかも?




穴が開いているF2。昔はもっと穴が大きかった気がする。
この手前に左から巻き道があり、林の中の登山道状態の所をかなり歩いてから、再び楓沢に合流。
15年前は、設置されていたロープを伝って、すぐに沢に下りたような気がする。


第3章の始まり。規模は大だいぶ小さくなってくる


1時間20分ほどで、苔の回廊は終焉を迎える


沢型から離れ、高山植物帯に出る。正面に樽前山の斜面と溶岩ドームの頭が見える


右手にこのあとに登る風不死岳を見ながら、高山植物帯の踏み跡を辿る


 8:55、1時間40分で、樽前山7合目ヒュッテから続く登山道に合流。振り返ると支笏湖が見えた。


10分ほど休み、ヘルメットから帽子に換えて風不死岳への登山道を進む


新しい分岐標識が立っていた


岩場が続く急な登りが続く


ナキウサギ岩と呼ばれているらしい。確かにそのように見えなくもない


手前ピークの下りから頂上を見上げる。タイミング悪く、ガスが広がって来た


 10:35、2人の先客に迎えられて頂上到着


かろうじて、支笏湖の一部の湖面が見えた。左に見えるはずの恵庭岳はガスに遮られている。


樽前山もガスに覆われ、わずか東側の斜面だけが覗いている


11:00下山開始。北尾根の下り口から支笏湖を見下ろす

 やはり15年前の初冬のロックサムルートから登った時に一度下っているが、7合目辺りまでは急な下りが続くことに驚いた


 12:00、わずか1時間で北尾根登山口に到着。多くの登って来る人と出会ったが、車も多かった。
 ここから湖畔道路を15分歩いて、スタート地点に到着。

 大滝ふるさとの湯は、定休日だった。同じ無料の北湯沢湯のさと館の共同浴場で汗を流し、疲れを癒して、帰路に就いた。17:00、11日ぶりの我が家に無事帰宅。

 もっと多くの写真と詳しい山行記録は、下記でどうぞ!
 http://sakag.web.fc2.com  (アップ完了)

霧雨の支笏湖周辺逍遙

2017年08月14日 | 登山・旅行
    
 札幌で朝を迎えたら、青空が覗き、1週間ぶりの太陽も雲間から顔を出している。ひょっとしたらと淡い期待で支笏湖湖畔を目指した。しかし、楓沢から登るつもりの風不死岳はおろか、樽前山も恵庭岳も紋別岳など湖畔の主な山々は低いガスで覆われ、霧雨まで降っている。

 しかたなく、支笏湖付近の観光名所巡りにシフト変更。まずは、途中まで戻って恵庭渓谷沿いの道々117号へ。紅葉時の名所である白扇の滝、ラルマナイの滝、三段の滝が目的。

    
    白扇の滝

    
10月中旬に行ったときの白扇の滝

    
    ラルマナイの滝

    
    三段の滝

 再び支笏湖へ戻る途中から、今年になって数年ぶりに開通したオコタンペ湖展望台への道へ。

    
 霧に煙る感じの北海道三大秘沼のオコタンペ湖。ほかの2つは、雌阿寒岳麓のオンネトーと然別湖畔の東雲湖。
 2000年には、湖畔までのアップダウンの激しい道があって下り立つことができたが、今は禁止され、その道も分からなくなっている。

    
 今年になって整備された恵庭岳登山口。
 この写真を撮っていたら、駐車している車からこちらに向かってくるご夫妻がいる。「坂口さんですよね」とご挨拶される。初対面の方だったが、いつも拙サイトを参考にしてくださり、拙著まで購入されているご夫妻だった。大変感激いただき、こちらこそ恐縮至極である。それにしても、顔を見ただけで良く分かるものだ。

     
 次に、二度泊まったことのある「日本の秘湯を守る会」の丸駒温泉へ。

     
 裏の遊歩道へ回り、湖畔の船着き場から露天風呂を眺める。

     
 ポロピナイキャンプ場へ寄ったら、「史跡太平山」の石碑を見つけた。
 検索してみたら、大正4年、秋田県雄勝郡岩崎知事 佐竹義理が、燐寸の製造に必要な硫黄の採鉱を恵庭岳へ求め、この仕事の安全と成功を祈願するために立てられたものだそうだ。秋田県を代表する信仰の山「太平山」(先月登ってきたはかり)の名を刻んだらしい。
 恵庭岳頂上付近に銅製の直径1メートルの大釜を設置し、採鉱した硫黄に温度を加え粉末にして輸送しており、今でも恵庭岳噴気孔付近に整地されたと思われる跡が見られるらしい。            
     
 支笏湖ビジターセンター。支笏湖の成り立ちや自然に関する展示が充実している。

     
 「山線鉄橋」~これは、明治32年に北海道官設鉄道上川線に「第一空知川橋梁」として空知川に架けられていたものが、大正12年に王子製紙の専用軽便鉄道として現在の場所に移設された。英国製ダブルワーレントラス橋。

     
 山線鉄橋の下を支笏湖から流れ出す千歳川

     
 支笏湖畔から野鳥の森への遊歩階段。野鳥の森には展望台があったが、見えたのは湖面だけで周りの山はガスの中。

 次に、冬に一度行ったことがある「七条大滝」へ。第一縦断林道ゲートから片道30分以上の林道歩き。

     

     
 ここは、冬の方が人気がある。秘密はこれ⬇
     
 周りの崖から染み出る地下水が氷瀑となる。コース等も含めて、詳しくは下記でどうぞ!
 2012年冬の七条大滝の氷瀑

      
 家族連れに人気のモーラップキャンプ場。ここも本来であれば恵庭岳の眺めが美しいところ。

 このあと、もうひとつのどちらかと言うと大人に人気の美笛キャンプ場へ寄ろうとしたら、駐車場に入れない車の列が長かったのでパス。

      
 2回目の美笛の滝へ向かったら、昨年の水害で美笛の滝駐車場への道がなくなってしまったとのこと。しかし、1kmほどの厳しい山道かが200m長くなっただけなので、川岸の新しい踏み跡を辿った。ところが、霧雨に濡れた背丈より高い笹薮を漕がなくてはならないので止めて戻った。

     
 2011年夏に初めて目にしたときの美笛の滝

 予定したところは全て見終わったので、美笛峠を越えて大滝のきのこ王国へ

     
     激混みのきのこ王国駐車場

      
     
 おにぎりと一緒に昼食に食べた、きのこと野菜が10種類以上も入った「大滝鍋」

 ここで、ブログを打ち終え、これから無料の大滝ふるさとの湯へ。

 今晩はここのきのこ王国の駐車場で夜を明かし、明日も風不死岳が見えなかったら、楓沢の往復だけでもして帰ろうと思っている。

孫たちとの再会

2017年08月13日 | 日常生活・つぶやき
     
     
     
 亡妻が50歳で逝って以来16年間のお盆はこちらが札幌へ出掛ける。札幌在住の子どもたちの家族と89歳になる義母が、亡妻の実家の菩提寺に集合してお墓参りをし、ホテルのレストランで昼食会をするのが習わしとなっている。

 ここ数年は、孫たちとの再会が楽しみである。3ヶ月後には、17回忌法要でまた会うことになる。   

     
 今年の昼食会は、京王プラザホテル22階にある和食処「みやま」の「四季の小懐石」
     
     

札幌でも有名な亡妻の実家の菩提寺「大覚寺」
     
 東区にある曹洞宗の寺院。 1920年(大正9年)に建てられた山門は、北海道内で最大といわれ、「元村街道と大覚寺の山門」としてさっぽろ・ふるさと文化百選No.089に選定されている。

     
 左奥の本堂は1914年(大正3年)建立。右は檀家の納骨檀のある納骨堂。ここに義父と亡妻の遺骨が一緒に眠っている。

     
    五百羅漢堂

今日も雨…

2017年08月12日 | 登山・旅行
    
 3連泊となった恵庭道の駅は、朝から雨。昨日からの3連休やお盆休みのせいか、朝5時半の段階で、車中泊の車がびっしり。まったく空間が見当たらない。

 暇なのでざっと隅から隅まで数えてみた。100台以上はあった。札幌に一番近い道の駅ということもあろう。それにしても凄い数だ。

 6:35から、自分が出演したHBCラジオの「山ガール温泉ガール」を聴く。悪声の上、早口なことを改めて再認識した。視聴者には聴きづらかったと思う。
 また、大千軒岳に咲く花の名前の紹介で、ミヤマキンバイをチシマキンバイと間違って話していた。来週の編集に間に合えば、訂正を入れてくれるようにお願いのメールを送っておいたが、果たして?

 朝食後、コインランドリーへ。連日の雨模様なので、家で洗濯物が乾かないせいか、6台ある乾燥機だけがフル回転していた。洗濯が終わってから、乾燥機の順番待ちまで30分以上も要した。

 明日は札幌で子どもたちの家族とお盆の予定なので、今日も恵庭での停滞を決めた。ちょうど高校野球は北海道の2校の試合があったので、車の中や温泉のTV でそれを観て過ごした。

 第1試合に登場の北北海道代表の滝川西は、相手が悪かった。仙台育英とは実力差があり過ぎた。エラーも多く、7回の2アウト満塁のチャンスに走者一掃の3点を取ったとき以外は見せ場もなく、3対15と惨敗だった。

 第3試合の南北海道代表の北海は、昨年の準優勝校なので、期待して観ていた。7回までは優位に進んだが、その裏に逆転3ランが飛びして、そのまま4対5で負けてしまった。残念。

恵庭フットパス全コース踏破~その2「歴史を歩く旧島松駅逓とクラーク博士コース(11km)」

2017年08月11日 | 登山・旅行
 山の日なので、本来は山に登りたかった。しかし、どんよりとした低い雲が広がり山の姿すら見えない。

 そこで、昨日に引き続いて恵庭フットパスの残りの4コースを歩くことにした。結局、全コースを歩くことができ、今日1日のトータルで32.5km、歩数計は5万歩だった。

 最初は、島松駅を発着点とする2コースにした。

   
 島松軟石でつくられた旧農協倉庫が見られるJR島松駅前を出発。丘のようになった田園地帯を横切り、南部橋から島松川沿いに歩くコース。谷間の里、島松沢を抜けるとそこは旧島松駅逓所。クラーク博士記念碑や寒地稲作発祥の碑もあり、まさに歴史の交差点。最後は2012年5月にオープンの<ルルマップ自然公園ふれらんど>を思いっきり楽しむコースとのこと。

     
 7:00、島松駅前を出発。

     
 駅前にある島松軟石で造られた旧恵庭農協倉庫。現在はイベントハウス?「夢創館」。

     
 線路を越えて、広い畑地の中の農道を南下。

     
 島松川沿いの農道を進む。

     
 やがて、一度来たことのある旧島松駅逓。

     
 その隣には、クラーク博士が見送りに来た学生たちに「青年よ大志を抱け」と呼び掛け、別れた場所の碑。

     
 その後ろには、「北海道稲作の父」と呼ばれる中山久蔵の復元された水を温める水路と田んぼと作業小屋。

     
 この辺りは清水沢と言われ、中山久蔵が一番先に開拓に入ったところで、古い石碑が多い。

     
 やがて、広大な敷地に広がる「ルルマップ自然公園ふれらんど」のサッカー場

     
 パークゴルフ場も凄い広さだ。

     
 公園入口に建つ島松軟石で造られたサイロと人家(釣りキチ三平記念館)

     
 公園から続くウッドチップの遊歩道を歩く。

 8:45、島牧駅でゴール。

恵庭フットパス~その3「柏木川・田園風景コース(7km)」

2017年08月11日 | 登山・旅行
   
 小鳥のさえずりを聞き、川面に遊ぶ水鳥を眺めながら河畔を歩くコース。さまざまな草花が見られ、カワセミの観察ポイントもある。180度広がる田園風景、その向こうに山々が見える。余湖農園ではバーベキュー、そば打ち・ピザづくり体験などができるほか、年中無休の農産物直売所で特別栽培野菜が買えるコースとのこと。

 9:30、島牧駅をスタートし、駅前通りを北上し、柏木川を目指す。

     
 道沿いの花壇で、初めて目にした不思議なキキョウの花を目撃。内側の蕾状のものが割れると、中から八重咲きの花弁が出現する。

     
 柏木川の橋を渡ったら、案内標識が立っていた。しかし、矢印の向きが逆だったので、直して写真に収める。このあと、この先の堤防の上の道をひたすら進む。

     
 このような快適な白樺並木の満ちも。

     
 島松小学校。この学校名を目にして、ずっと忘れていた50年前の淡い思い出が蘇った。
 当時、この学校と私が勤めていた亀田小学校は、毎年教育研究会を公開する全道的にも有名な学校だった。私が新卒3年目のときの研究会で、この島松小学校のエースNo.1の女性教員が私の授業を観てくれて、その後の研究討議で非常に誉めて下さった。
 そのお返しでもないが、それからひと月ほど後の島松小学校の研究会に参加し、その先生の授業を参観した。授業が終わったら、溢れんばかりの参観者とクラスの子どもたちに、私を紹介して、私のクラスの子どもたちの素晴らしさを話してくださった。さらに、その先生の授業の感想まで求められた。
 すっかり忘却の彼方だったうれしい青春時代の思い出である。そのときの私のクラスの素晴らしかった子どもたちも、昨年で60歳になった。

     
 道端に、最近目にしなくなったガマの穂がたくさん。

     
 柏木川から離れる角地の広大な敷地と工場のような作業場を持つ余湖農園。従業員の車が30台以上にもあった。

     
 柏木川から少し車道を進み、今度はルルマップ川沿いの道を戻る。左側には田園風景が広がる。

     
 ルルマップ川から離れ、市街地へと入る手前の島牧寺。お寺にしては、レンガの門と建物が珍しい。

     
 島牧神社に寄って、11:15島牧駅でゴール。

     
 その後、道の駅へ戻り、昼食にレストランで一番人気の甘辛唐揚げ丼を食べる。

恵庭フットパス~その4「花のまち恵み野と漁川コース(6km)」

2017年08月11日 | 登山・旅行
     
 水と緑あふれる恵み野中央公園から漁川の堤防を遠くの山々を眺めながら歩くコース。ガーデニングで有名な恵み野の住宅街を突っ切る回廊のような中央公園。春は桜、秋は紅葉が楽しめる。恵庭郷土資料館の手前には素敵な白樺の小径が。漁川橋から道の駅までは、遊歩道として整備された土手を歩く。秋にはサケの遡上があちこちで見ることができるコースとのこと。

 この説明とは反対回りに回った。道の駅の横のスタート地点に、HPのコースマップとは後半のコースが違って、個人宅のガーデニングを見ながら道の駅に戻ってくるコースマップが設置されていたので、それをカメラに収めて、それを見ながら歩いた。

     
 12:00、道の駅の横から漁川堤防上の広い遊歩道を北上する。ジョギングやウォーキングの人が多い。

     
 堤防の上や河川敷には、広く快適な遊歩道が続く。

     
 漁川から離れて、恵み野の市街地の方へ進むと、右手に開拓記念公園が広がる。

     
 公園内には郷土資料館も。

     
 開拓記念公園の遊歩道は、そのまま人工の清流が流れる恵み野中央公園の中へと続く。街中の川なのに、バイガモがびっしり生えているのに驚いた。
 恵み野は、都市計画に基づいて造成された住宅地で、中央公園が真ん中に南北に配置されている。

          
 人工の滝の向こうには恵庭図書館も

     
 庭園風の大きな人工的な池の向こうには専門学校

     
 中央公園を抜けて、住宅街に入ったら、曲がり角ごとに案内標識が設置されていて、非常に助かった。

     
     
     
 コースマップに掲載されていた個人住宅のガーデニング。

 13:15、道の駅に戻る。5コースの中で最も快適で、市民に愛されているようなコースだった。

恵庭フットパス~その5「茂漁川・えこりん村コース(6km)」

2017年08月11日 | 登山・旅行
     
 最後のコースは、小鳥のさえずりを聞きながら自然林が残る茂漁川河畔を歩くコース。こんなにも川面と緑が調和している川も珍しい。茂漁川(もいざりかわ)は漁川に合流する一級河川。アイヌ語 の「モイチャン」(鮭が産卵する小川の意)に由来する名のとおり、秋には鮭が遡上する。可憐な白い花をつけるバイカモ(梅花藻)のほか、小魚を補食するカワセミを目撃することもあるコースとのこと。

 14:25、道の駅をスタートして漁川沿いの遊歩道を南下する。

     
 まもなく、漁川への合流地点から茂漁川沿いの道へと進む。水量の多い川で、水中にはバイガモが繁茂し、水面に花を咲かせている。街中を流れる川で、これほどバイガモが生えている川は初めて目にした。
 この前に歩いた恵庭中央公園を流れる人工の小川にもバイガモが繁茂していたので、この水を引き込んでいるものと思われる。

     
 水面近くで見ると、見事なバイガモの花に驚く。まさに、名前の由来となっている梅花そのもの。

     
 この川は、改修整備された川で、遊歩道も充実しているし、小公園などもある。

     
 「水と緑の回廊」の看板を挟む茂漁川と整備された遊歩道。

     
 やがて温水溜池の橋を渡って、茂漁川と離れる。畑地の中の車道を歩き、ゴールのえこりん村を目指す。

     
 えこりん村への車道の分岐に、このコース唯一の案内標識が立っていた。

     
 昨日とは別の道からえこりん村へ入っていく。家族連れが虫取に興じていた。

     
 14:35、ゴールとなる銀河庭園に到着。そばの「緑の牧場」には、アルパカがのんびり草を食んでいた。

 14:45の循環バスで、昨日と同じ恵庭駅まで行き、そこから2km歩いて、15:35、道の駅にゴール。
 このあと、3日連続となる恵庭温泉ラフォーレへ。ここは、夕食も摂れるし、23時まで営業しているので、非常に助かる。

     
 夕食に食べた冷やし担々麺。とても美味しかった。

恵庭フットパス~その1「恵庭公園・長都川コース」

2017年08月10日 | 登山・旅行
    
    恵庭公園・長都川コースマップ

 恵庭市には、「恵庭フットパスを作る会」が整備したフットパスが5コースもある。今日は、その中の「恵庭公園・長都川(おさつがんわ)コース(11km)」トライ。さつぽろビール庭園駅をスタートして、長都川沿いから田園風景の中を通り、?恵庭公園を通過し、漁川沿いの道からえこりん村をゴールとするコースである。

 札幌のHBCでラジオの収録を終えて恵庭に戻った。スタート地点となるさつぽろビール庭園駅に車を置いてスタートしたのは、13時だった。

     
 広大な敷地を持つさつぽろビール庭園を横に見て、国道36号線を進む。この庭園の中にも遊歩道やいろいろな施設があり、以前にゆっくり歩いたことがある。

     
 国道36号線から長都川沿いの道へ下りる所には、標識があり、その後も川沿いまでの分岐に立て続けに4本もあり、心強い思いで進んだ。
 
     
 長都川は思ったより細い川だったが、自然豊かな感じである。ところが、川沿いの道から高台にあるガーデンカフェ駅へ抜ける道の分岐を見落としたらしく、先に進んでしまった。戻ったが標識も見当たらず、スマホでガーデンカフェ駅を検索し、経路案内で進んだ。

      
 コースとは違う道から「ガーデンカフェ駅」に到着。着いたは良いが、正しいコースは不明のまま。なぜ駅なのか不思議だったが、JR列車を設置した庭園のカフェだった。しかし、定休日だった。その後も、案内標識はずっと見当たらない。

     
 コースマップを参考に、高速道路の上を渡り、不安ながらも畑地や牧草地の中の農道を進む。

     
 「ミルクのアトリエ寺田」の前を通り、ホッとして恵庭公園を目指す。

     
 恵庭公園の南側の車道を歩いていると、突然案内標識が出現。しかし、そこは笹薮で、いくら探しても進むべき道はない。しかし、その先の笹薮の先にも標識が見える。そこまで藪を濃いで行こうと思ったが、藪濃きスタイルでないので止めた。

     
 恵庭公園を斜めに通過するコースなので、少し先へ進んだら、公園内を横断する遊歩道があった。
 恵庭公園は、サッカー場や野球場ほかのスポーツ施設の他に遊園地などが整備された広い公園だった。

     
 公園を抜け、漁川(いざりがわ)の橋を渡ると「市民スケート場」があった。しかし、ここから漁川沿いへの道が分からず、スケート場の奥から草原を濃いで住宅地の道路へ出だ。そこにも突然標識があったが、絶対にコースマップとは違う道だった。

 その道から左折して漁川方向へ進むと、標識はないが、コースマップ通りの川沿いの農道が続いていた。

     
 漁川には、魚道が設置された堰堤があった。
 高速道路にぶつかり、右折して高速道路沿いの農道を進む。さらに右折して、高速道路の上を通る車道を進んだ。ここまでも標識はなかったがコースマップでも分かりやすい道で助かった。

    
 高速道路の上を越えてまもなく、ゴールの「えこりん村」の入口だった。

    
 広大な敷地のえこりん村の中を通り、突き当たりの「銀河庭園」がこのコースのゴールである。あちこち行き過ぎちて戻ったり、迷ったりしたが、予定通りの約3時間だった。

 これまでずいぶん多くのフットパスを歩いてきたが、コース途中や道路分岐の標識が少ない気がする。これでは、自分のような地元民でない者は安心して歩けない感じだった。
 
 えこりん村は、2012年に妻と一緒に来たことがある。広大な敷地の中に、大人から子どもまで楽しめる動物とのふれあいができるミニ動物園やガーデニングなどの庭園が充実している。自分的には、今日は入口までしか行かなかった銀河庭園の中がお勧めだ。
 
 無料の循環バスで恵庭駅まで戻り、JRに乗り換えて、さつぽろビール庭園駅へ戻った。その後、昨日に引き続いて恵庭温泉ラ・フォーレへ。今夜も恵庭道の駅で車中泊予定。

HBCラジオ収録取材

2017年08月10日 | 登山・旅行
     
 10時過ぎに、HBC本社へ出向き、毎週土曜日の朝6:35~6:45に放送されるラジオ番組「山ガール温泉ガール」の収録取材を受けてきた。収録は基本的には電話取材らしいが、こちらの希望で、直接収録にさせていただいた。

       
 担当は、山ガールでもある堰八(せきはち)沙也佳アナウンサー。「Sayaka's Life」というオフィシャルブログも公開していて、拙著も購入いただいている。

 スタジオの中での収録で、美人の堰八アナウンサーと対面して話すのは、非常に緊張した。
 主な収録内容は、1、登山を始めることになったきっかけ 2、一番印象に残っている山 3、最近の山でのエピソード 4、登山や一人歩きの魅力などであった。

 2回に分けての放送となるらしい。放送日は、今週の土曜日8/12と来週の土曜日8/19とのこと。ネイティブな函館弁の放送にお付き合いいただきたい。

 またパソコン、スマホでも「radiko(ラジコ)」というインターネットでラジオが聴けるシステムがある。
 この中には、「タイムフリー」という、1週間内の番組を遡って聴ける機能もあるらしい。

恵庭道の駅で停滞

2017年08月09日 | 登山・旅行
     
 朝は雨が降っていなかった。山は無理だが、恵庭にもフットパスがあるので、そちらへ向かった。しかし、途中から雨が降ってきた。

 今夜は、恵庭道の駅で泊まる予定だったが、ここで停滞することにした。札幌に最も近い道の駅でもあり、いつも混んでいる。9時過ぎに着いたのに、広い駐車場なのに、停める場所を探すのが大変だった。

     
     
 その多くの客の目当ては、別棟の農畜産物直売所「かのな」で、ここは、年中いつも混んでいる。

     
 「花のまち恵庭」にふさわしく、ガーデニングの整備が行き届いている。

     
 広々としたベーカリーとレストラン

     
 えびすかぼちゃを原料とするスイーツの種類が豊富である。

     
 夕方から恵庭温泉ラフォーレ(400円)へ。

HYML納涼懇親会

2017年08月09日 | 登山・旅行
     
 昨夜は、北海道の山メーリングリスト(HYML)の納涼懇親会が、いつもの狸小路の居酒屋瑠玖を会場に開催された。

     
 
 前回は、4月の拙著の出版記念祝賀会だった。そのときも50名近い参加者だったが、今回も36名の参加者だった。今回の特色は、6名もの初参加者がいたことである。そういう意味でも、新鮮な盛り上がりがあった。

 新たに入手して手元に残っていた拙著6冊を持ち込んだら、完売してしまった。

     

 最初の乾杯はあるが、最後は自由解散である。いつも楽しい時間はすぐに過ぎる。気が付いたら、22:30になり、最後のグループになっていた。会場を出て、3人で二次会へ行って、どこでもホテルに戻ったら、久しぶりの0:30だった。

 次回は、夏山や沢登りの納会を兼ねる11月の予定。

南幌町フットパス「幌向運河コース」

2017年08月08日 | 登山・旅行
  
 発着地点となる「ふるさと物産館ビューロ」の展望台から、市街地とフットパスが続く郊外を望む。

 きれいな碁盤の目状の町並みを斜めに横切る道路と倉庫が目を引く。これはかって江別と夕張を結んだ夕張鉄道の名残。このビューロの建物は旧南幌駅跡。

  
フットパスのコース案内図。

 今日は楓沢から風不死岳の予定だったが、支笏湖畔は朝から霧雨が降っていた。諦めて、かねてから考えていた南幌町のフットパス「幌向運河コース」を歩くことにした。

 南幌町は札幌の西側に位置する人口8000人ほどの町である。町内を貫くように流れる1本の運河と網の目のように広がる用水路が、未開の泥炭地だったこの地を見渡す限りの田園地帯へと変えた。

 幌向運河は、泥炭地の排水と、道路がわりに物資の輸送を目的に、明治25年から工事が始まった。

 その運河に沿ったフットパスを歩きながら、明治から戦後にかけて続いた開拓の歴史を感じることができた。歩行距離は16km、歩数計で約23000歩。時間は昼食時間を入れて約4時間。

     
 発着地点となったふるさと物産館ビューロを背にスタート。

     
 新しい建物が並ぶ中央通りを正面の役場を目指して進む。

     
 南幌小学校と南幌中学校の横に続く歩道を進む。

     
 防風林を兼ねる幅広の国有保安林の中の遊歩道へ。しかし、夏草が繁っていて、クモの巣が多く、すぐに横の農道に出た。

     
 運河に向かう農道から保安林を眺める

      
 幌向運河の橋を渡り、右に続く農道へ

     
 運河の右岸の農道を進むが、この先は、夏草が深く、クモの巣が凄かった。この間は往復する部分だったが、帰りは車道を歩いた。

       
 運河と用水路の合流地点の施設。このあと、道路改良工事で通行止めの所があり、遠回りをした。

     
 運河から外れた防風林沿いの農道を進む。泥炭の地層を見ることができる。

     
 やがて、支笏湖を源流とする千歳川の堤防に出る。この先で石狩川に合流。

     
 運河の最後は、湖のようになり、親水公園になっている。

     
 幌向運河揚水場。ここで運河の水を汲み揚げて、千歳川へ流している。

     
 親水公園のシンボルタワー「ふきの塔」。展望台からは、親水公園の全体や周りの展望が広がる。

     
 親水公園内の中心施設・なんぽろ温泉ハーフ&ハーフ。ここで昼食タイム。

     
 開田碑など

     
 使わなくなった昔の農機具を道路沿いに並べている農家

     
 帰りの後半の快適な運河沿いの農道

     
 江別へ抜ける国道337号沿いに残る旧南幌駅逓跡。このそばに運河の船着場があった。洪水対策に高床式になっているのが特色。

 基本的に農道や遊歩道を利用したフットパスはうれしいが、一部運河沿いの道や林の中の遊歩道は、夏草の手入れがほしいところがあった。

 もともとは一面水田が広がる田園地帯だったのだろうが、最近の減反政策で、畑作への転作多く目に付いた。

 ゴール後、なんぽろ温泉でゆっくりし、今夜のHYML納涼懇親会へ出席のため札幌へ。

有珠山登山学習会ジオツアー(銀沼火口~小有珠)

2017年08月07日 | 登山・旅行
     
      〈銀沼火口底に降り立つ〉

 1977年有珠山噴火40周年記念フォーラムの一環としてのこのツアーに参加。

 40年前の当日の噴火開始時刻(9:12)の時報と共にロープウェイ展望台を出発し、洞爺湖有珠火山マイスターのガイドで、活動当時の銀沼火口や活動を続ける小有珠に登るガイドツアーである。参加料1,500円(ロープウェイ代、輸送バス代ほか)。

      
 8:30、昭和新山をバックの有珠山ロープウェイ駐車場集合・開会式

      
 8:52、ロープウェイ乗船(※ロープウェイは乗船ということを初めて知った)

      
 9:12、1977年8月7日噴火開始時刻の時報と共に、42名が4班に分かれて、ロープウェイ展望台を出発。

      
 9:30、火口原展望台へ登り、大有珠を見上げる

      
 10:10、650段ほどの階段を下り、コル付近から入山禁止区域の藪の中へ進入

      
 10:15、立ち枯れになった木の穴から蒸気が吹き出している地帯。この現象はここだけらしく、いくつかの穴があった。蒸気の温度を測定したら97℃。

      
 10:50、オガリ山の一番下のコブに登る。右側は1977年の噴火後、1年でオガリ山が180mも隆起し、左側の有珠新山と繋がった。手前の崖は断層崖とのこと。この時登った下のオガリ山北側との間が、マグマに押し上げられて2つに割れた断層崖を形成していた。

      
 11:25、銀沼火口(火口クレーター)の縁から火口底を見下ろす。下に見えるグループは室蘭の高校生の学習会登山。向かい側は小有珠。

      
 11:40、銀沼火口底へ下る。横の堆積物は1977年噴火の火山灰や火山礫の層

      
11:50、火口底へ降り立つ

      
小有珠側の根元から吹き上がる蒸気帯

      
 12:10、銀沼火口底から小有珠の根元へ登る 

      
 12:20、小有珠の根元の火口原で、I火口をバックに記念撮影。

      
 12:25、現在、最も地熱の高いI火口。地熱を測定したら230℃以上もあった。

      
 12:30、小有珠と有珠新山とのコルを目掛けて登る。

      
 多く目にしたウンラン

      
 12:40、小有珠と有珠新山のコルで、昼食タイム

      
13:00、小有珠山頂から見下ろす銀沼火口やその周りの展望

      
小有珠山頂から見下ろす洞爺湖

      
小有珠山頂から見下ろす昼食場所のコルと向かい側の有珠新山山頂斜面

      
 13:30、立ち枯れの木を眺めながら、下の西山林道を目掛けての下山

      
 13:45、西山林道へ迎えに来てくれたバスに到着。
 このあと、バスで移動し、14:15、ロープウェイ駐車場に到着し、流れ解散。

 随所随所で、有珠火山マイスターや岡田弘氏らの丁寧な説明があり、普段は進入できない所を歩き、非常に貴重な学びの多い登山学習会であった。

      
      
 夕方のNHKテレビの「ホットニュース北海道」に自分が映っていた。(妻から送付)

 もっと多くの写真とGPSトラックログや詳しい説明等は、帰宅後にHPの方にアップ予定。

 明日は、17年ぶりの苔の回廊・楓沢から風不死岳に登る予定なので、大滝ふるさとの湯(無料)に入り、車中泊予定の大滝きのこ王国の駐車場まで走った。

1977年有珠山噴火40周年記念フォーラム

2017年08月06日 | イベント鑑賞・参加
     
 1977年の有珠山噴火からの40周年記念フォーラム「今後の備えと火山との共生」が、壮瞥町地域交流センター「山美湖」で14:00から開催された。

 実は、これとセットとなっている明日の「有珠山登山学習会ジオツアー」に優先的に参加できることがきっかけであった。

      
 会場となった壮瞥町役場隣の地域交流センター山美湖

      
 ロビーのパネル展

      
 フォーラムのプログラム

第1部 記念シンポジウム 14:05~
「1977噴火と私」
 当時実際に現地で観測などに当たった専門家や住民の代表として、伊藤和明氏(現NPO防災機構会長)、横山泉氏(現北大名誉教授)、荒巻重雄氏(現東京大学名誉教授)、石原和弘氏(現火山予知連絡会会長)、三松三朗氏(現NPO法人有珠山周辺地域ジオパーク友の会代表)の5氏によるミニ講演。
 
 5氏の話からすると、30年周期で噴火する火山である。
 この噴火をきっかけに日本の火山研究は急速に発達した。
 このとき以外は山麓からの噴火が多いので、今後温泉街から噴火しても不思議ではない。
 火砕流は実際に起きなくて助かったが、当時火砕流については箝口令が敷かれた。
 今後の噴火では十分可能性が大である。当時温泉街を洞爺湖の対岸の仲洞爺に移転すべきという意見も出された。
 噴火後に驚異的な地殻変動起こす火山である。
 3日前から有感地震があったのに、前日に火祭りの花火大会のイベントが実施されたのは、当時の火山の知識が希薄だったからである。
 避難所の施設や対応が非常に粗悪であった。
 今後も有珠山総合観測班の対応が不可欠であるなどなど。
 2000年の噴火で犠牲者を出さなかったのは、1977年の教訓が生かされた。

第2部 フリーディスカッション 15:40~ 17:15
「1977噴火とこれから」
 有珠山の主治医と言われる岡田弘氏(元有珠火山観測所長、北大名誉教授)の基調講演の後、田鍋敏也氏(壮瞥町教育長、内閣府火山防災エキスパート)の司会で、1977噴火を経験した方など会場の参加者から、当時を振り返り、 これからの災害対応についてどう向き合う意見を出してもらった。

 いろいろな意見が出されたが、総合すると、住民・行政・研究者・報道機関がバラバラに動くのではなく、連携して動くこと。火山と共生していくためには、常に適切な情報を正しく伝えていくこと。ハザードマップを生かすことと、それを超える被害もあることも考慮しておくこと。平常時にできることをきちんと進めていくこと。次の世代の研究者へ繋げていくことや学校での子供たちへの教育をしっかり進めること。などが出された。

 明日は、40年前の噴火当日に合わせた「有珠山噴火学習会ジオツアー」である。普段は立入禁止の所も案内してくれるらしい。

 今夜は、壮瞥町営温泉ゆーあいの湯でのんびりし、壮瞥道の駅で車中泊。