癌春(がんばる)日記 by 花sakag

2008年と2011年の2回の大腸癌手術
   ・・・克服の先に広がる新たな春を生きがいに・・・

「開拓使三角測量函館助基線」絡みウォーキング

2017年08月28日 | 街並み・歴史探訪・ドライブ

 「開拓使三角測量函館助基線」・・・数日前に「山歩人・吉克の山楽日記」で初めて目にした言葉である。

 調べてみたら、北海道開拓使は正確な北海道地図を作成するため、明治6年(1873)3月、米人ワッソンを測量長に三角測量事業を開始、勇払と鵡川間の約14,860mの基線を画し、その両端の基点に標石を建て勇払基線を設定した。
 翌7年、米人デイがワッソンに代わって測量を行ったが、勇払基線を検証するため、明治8年、函館に助基線を設定することとなった。同年5月デイは荒井郁之助とともに函館付近の地勢を調査した結果、亀田郡亀田村(現函館市田家町)と亀田郡一本木村(現北斗市一本木)の間に基線を画すことに決定。10月下旬に勇払基線の測量を終えた村田千万太郎の一行が函館に戻り、11月中に亀田村と一本木村の基点に標台と標塔を建て、基線の予備測量を終えた。精密な測量は翌9年6月になされたが、その測定値は2里1町15間2尺3寸4分(約7,990.819m)といわれている。
・・・とのこと。このような史実は全く知らなかった。
 
 しかも、この勇払基線と函館助基線は、平成28年度(昨年度)土木学会選奨土木遺産に認定されたそうだ。

 我が家のすぐ近くにある大称寺(田家町)の境内に亀田基点の標石が、北斗市の一本木稲荷神社の境内に一本木基点の標石があるという。それらをこの目で確かめて、カメラに収めたいと思った。しかし、ただ車で往復するのでは面白くない。地形図上に函館助基線を入れて、なるべくその近くの道をウォーキングを兼ねて往復することにした。

 我が家からまず大称寺へ行き、その後、助基線になるべく近い道を選んで、一本木稲荷神社まで歩いた。帰りは、幹線を歩いてきたが、往復で約20kmだった。時間は4時間25分。 

◎亀田基点の「亀田村基標跡」の石碑(田家町・大称寺境内)

 昭和45年に発掘調査され、標石は北海道開拓記念館(現北海道博物館)に保管されているそうだ。


 もともとはこの場所でなく、道路を挟んだ向かい側の墓地にあったという説もある。


◎一本木基点の標石<北海道指定有形文化財>(一本木稲荷神社境内)

 この残存する標石1基は、上辺30.1㎝四方、底辺45.0㎝四方、高さ96.5㎝の安山岩製で、昭和45年(1970)北海道開拓記念館の調査で、標石の土台石の下に函館測候所の創設者である福士成豊(続豊治の5男)の名の刻まれた石柱が確認された。


 一本木稲荷神社の裏手の広い敷地の一角に、説明碑とともに設置されている。


 一本木稲荷神社

◎その他関連資料
 
苫小牧と函館間を結ぶ三角網   北斗市分庁舎の大野郷土資料館にある三角測量の櫓の1/6の模型。
(共に、他サイトから借用)