1977年の有珠山噴火からの40周年記念フォーラム「今後の備えと火山との共生」が、壮瞥町地域交流センター「山美湖」で14:00から開催された。
実は、これとセットとなっている明日の「有珠山登山学習会ジオツアー」に優先的に参加できることがきっかけであった。
会場となった壮瞥町役場隣の地域交流センター山美湖
ロビーのパネル展
フォーラムのプログラム
第1部 記念シンポジウム 14:05~
「1977噴火と私」
当時実際に現地で観測などに当たった専門家や住民の代表として、伊藤和明氏(現NPO防災機構会長)、横山泉氏(現北大名誉教授)、荒巻重雄氏(現東京大学名誉教授)、石原和弘氏(現火山予知連絡会会長)、三松三朗氏(現NPO法人有珠山周辺地域ジオパーク友の会代表)の5氏によるミニ講演。
5氏の話からすると、30年周期で噴火する火山である。
この噴火をきっかけに日本の火山研究は急速に発達した。
このとき以外は山麓からの噴火が多いので、今後温泉街から噴火しても不思議ではない。
火砕流は実際に起きなくて助かったが、当時火砕流については箝口令が敷かれた。
今後の噴火では十分可能性が大である。当時温泉街を洞爺湖の対岸の仲洞爺に移転すべきという意見も出された。
噴火後に驚異的な地殻変動起こす火山である。
3日前から有感地震があったのに、前日に火祭りの花火大会のイベントが実施されたのは、当時の火山の知識が希薄だったからである。
避難所の施設や対応が非常に粗悪であった。
今後も有珠山総合観測班の対応が不可欠であるなどなど。
2000年の噴火で犠牲者を出さなかったのは、1977年の教訓が生かされた。
第2部 フリーディスカッション 15:40~ 17:15
「1977噴火とこれから」
有珠山の主治医と言われる岡田弘氏(元有珠火山観測所長、北大名誉教授)の基調講演の後、田鍋敏也氏(壮瞥町教育長、内閣府火山防災エキスパート)の司会で、1977噴火を経験した方など会場の参加者から、当時を振り返り、 これからの災害対応についてどう向き合う意見を出してもらった。
いろいろな意見が出されたが、総合すると、住民・行政・研究者・報道機関がバラバラに動くのではなく、連携して動くこと。火山と共生していくためには、常に適切な情報を正しく伝えていくこと。ハザードマップを生かすことと、それを超える被害もあることも考慮しておくこと。平常時にできることをきちんと進めていくこと。次の世代の研究者へ繋げていくことや学校での子供たちへの教育をしっかり進めること。などが出された。
明日は、40年前の噴火当日に合わせた「有珠山噴火学習会ジオツアー」である。普段は立入禁止の所も案内してくれるらしい。
今夜は、壮瞥町営温泉ゆーあいの湯でのんびりし、壮瞥道の駅で車中泊。