五稜郭の築造当時の建物としては唯一現存している建物。
大正期には「懐旧館」という箱館戦争の展示資料館として利用されてた。平成13・14年度(2001・2002)の修理工事の際には,文献資料や発掘調査成果から,庇屋があったことが判明し,現在に姿に復元された。
もともとは「土蔵」として造られたが、箱館戦争の記憶から,いつしか「兵糧庫」と呼ばれるようになったようだ。
8月中だけ無料公開されているので、観に行ってきた。
2つの部屋からなっていて、これは右側の部屋の内部
建築当時の五稜郭の目論見図(赤丸は兵糧庫に自分が付けたもの)
昭和47年の解体修理工事写真
五稜郭出土の生活用品
五稜郭出土の輸入品
左側の部屋の内部
五稜郭出土の建築用材
新政府軍艦 朝陽の竜骨の一部(旧幕軍艦 蟠龍に七重浜沖で撃沈された)
亀田川から五稜郭内に引きこんでいた上水道管
旧橋(一の橋、二の橋)の橋脚や敷板の一部