つれづれ

名古屋市内の画廊・佐橋美術店のブログ

東山魁夷展

2018年09月25日 | おススメの展覧会、美術館訪問


ブログの更新が遅くなってしまいました。

このところ、ご贔屓を賜ったお客様がお集めになった作品やお道具類を整理なさっていらっしゃり、佐橋がそのお手伝いをさせていただいていますので、店内が度々荷物だらけになってしまっています。


店内に持ち込んだ荷物の分類やお掃除を出来るだけ早く済ませるように心がけておりますが、ご来店のお客様にはごゆっくり作品のご鑑賞をして頂けず、大変申し訳なく存じます。


10月末に予定したしております無眼界展(むげんかい)には、全ての作業を終えることができると思いますので、いましばらく店内の未整理をお許しくださいませ。

勿論、雑然として申し訳ございませんが、店はご来店いただけるように致しておりますのでいつでもお遊びにいらしてください。「待ってました」とばかり、私たちが「お掃除をサボれるチャンス」を期待して、お客様のご来店をお待ち申し上げております。






そんな中ではありますが、日曜日に京都の東山魁夷展に伺って参りました。

やはり、東山人気は衰えを知らず、、大混雑。

チケットを前もって用意しておいて正解でした。





東山魁夷展をご覧になったことのない方がいらっしゃるかもしれません。



作品のポスターや版画などを一目ご覧になって、「東山魁夷作品はどうも苦手そうだ。作品もお高いし、見る必要もないだろう」とお考えの方もいらっしゃるかもしれません。



私自身もどちらかというとそういうタイプでしたので、あまり偉そうにオススメはできませんが、

今は、出来ましたら一度だけでも皆様に東山魁夷展に足をお運びいただきたいと思っています。



東山魁夷さんは決して器用な画家さんではありません。
すごく絵が上手いとか、見せ方を知っているとかそういう気の効いた作品を描かれる方でもありません。

では、東山作品は、何が素晴らしくあんなに人気があるのか?作品があんなにお高いのか?




東山魁夷さんの1番素晴らしいところは、そのこと、、不器用であるとか、絵が抜きん出てお上手ではないということを画家ご自身が誰よりも深く、おわかりになっていらっしゃったといういことに尽きると私は思っています。


「それでも、絵を描いていきたい。」
そして、その意味を問い続けながら描くうちに「上手くても下手でも構わない。絵を描くことは祈ることだ。ひたすら祈り続け、描き続けることこそが美なのだ」という真理に到達されたのだろうと想像しています。



東山作品に接すると、そのメッセージを頭でなく、肌で感じることができます。
絵画がもっとも絵画らしい芸術性を帯びる瞬間です。


ある時は、草間弥生さんのあの無限のドットを連想させるように、ある時は、伊勢神宮の玉砂利を少し音を立てて歩みつづけるときのように、「誠実に生きる」という事をある静けさのなかで、東山作品は日本人に問い直してくれるように思うのです。


東山魁夷展は、京都のあと10月24日より東京新国立美術館にも巡回予定です。

混雑に負けず、ぜひ皆様にお出かけいただきたいと存じます。


生誕110年記念 東山魁夷展 本当の「あお」に出会う 10月8日まで 京都国立近代美術館










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安田靫彦 書 「怡顔」

2018年09月15日 | 【書】

名古屋は雨の一日となりました。

経理作業も最終段階までやってきました。

昨年から確定申告を会計士の先生にお願いさせていただたので、緊張もなく過ごさせて頂いています。



パソコンに向かう合間合間に本棚から画集や図録を抜いて見ています。

今日は、2007年にミホミュージアムさんでに開催された

開館10周年記念  中国・山東省の仏像 ー飛鳥仏の面影ーを 楽しませて頂いています。


この展覧会には伺っていません。見ておけばよかった。。と残念に思うほど美しい仏像が並んでいます。

 

 






釈迦三尊像 北魏時代 天平3年(536年) 石灰石 彩色 青洲市博物館蔵

 

 

 

 

 

 








菩薩半跏思惟像 北斉時代 石灰石 彩色 金箔 青洲市博物館

 




インドに生まれた仏教はシルクロードから長安、洛陽に伝わり、3〜4世紀頃山東省に伝来してきたと考えられているようです。

この展覧会で紹介された仏像は北魏、東魏、北斉、随に渡る4〜7世紀初頭までの山東省の仏像に焦点をあて開催されたものです。

仏像は、原始に近い作品ほど人間味があり、崇高であるように感じています。

人の目に選び抜かれながら、あるいは深い土の静けさのなかで、長い年月を生き延びてきたものの「美」が

ここに宿っているからだと思えます。

 

 

 

 

以前にもご紹介させて頂いたかと思います。青牛居、安田靫彦さんの庵のお名前、靫彦さんの書 「いがん」です。

怡=イ は よろこぶ 心穏やかに和む という意味

顔はお顔のことですので、喜びにあふれるお顔、穏やかな微笑み、まさにアルカイックスマイルのことを指している

ように思えます。歴史画を学んだ靫彦さんらしく陶淵明の詩から抜粋された言葉のようです。

 

どんな時も穏やかに、微笑んで。

きっとそれが幸せの一番近くに居られる方法、真の美しさに近づく方法なのだと思えます。

今日もイライラしてしまったけれど。。今日も食べすぎてしまったけれど。。です。

 




 

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青木繁 「海の幸」に思うこと

2018年09月14日 | お客様よりのお便り

「パソコン等の画面からも出来る限り遠ざかって居りましたが、佐橋様の貴ブログは
愉しく拝見させて戴いて居りました。随分と勉強もさせて戴いて居ります。
特に、先日の長谷川利行の画に関する一見識、心を突かれた気が致しました。」



先回ご紹介させて頂いたお客様から頂いたメールです。


人間というのはとても勝手です。
頂いたメールの中に、自分にとって都合の良いこと、はっとさせて頂いたことをだけを見つけ、それをすぐに記憶に留めます。

当店のブログの長谷川利行の記事について触れてくださったことがとても嬉しくて、私は自分の書いたblogを早速読み直そうとしました。

けれど「あれ?ない。。」


「あぁ、そういえば」と思い出しました。


「利行、再び」というタイトルで記事を書かせて頂いたのはつい最近のことです。

一生懸命に、感じ、考え、夜もほとんど寝ずに、勢い混んで書いた文だったのですが、
そして冷静さが失われていないか?佐橋にも予め読んでもらい、アップさせていただいたのですが。。

数日後、自分の中に 混乱が起きました。

利行作品を店で売りながら、利行作品を気安く買うな!と偉そうに、、あなたは何さま?

自分の記事を読んでとても恥ずかしくなってしまったのです。

そうなると、私はもう止まりません。

さっさと記事を削除してしまいました。



そして、お恥ずかしいことに今度は、削除したことも忘れ、また自分の記事を読み直そうとしていたのです。




先日立ち寄ってくださった後輩のKさんもあの記事を「とても良かった」と言ってくださいました。
私が削除してしまったことをお伝えすると笑って、「勿体無い」とおっしゃてくださいました。


「佐橋さんのブログは美術品を売るとか買うとかを超えているところが良い」と皆様に言っていただくことがあります。とてもとても嬉しく思いますが、


でも、やっぱり売りたいし、買いたいし、、、
それはもうずっと変わりません。



時々その葛藤が文章に表れてしまうことがあり、
そしてその私の葛藤はお客様にはお分かりいただけないことだと思ってしまっていました。

記事を削除したのは、わかっていただけないだろう。。そんな虚しさからのことです。



萬人にわかるはずのない、私だけの尊い美意識 ⇄ 誰かに認めて貰いたい、私だけの孤独な美意識

人間はいつも、この狭間に生きているように思います。

その自分の悲しさと業の強さのようなものを十分わかっていないと、美術品に触れて磨かれてゆくべき魂は思わぬ方向に傾き、自分や大切な人達をも傷つける ようになってしまう

そのような事を削除した記事に書かせていただいたのだろうと思い出しています。






上にご紹介したお客様からのメール、またご披露頂いた御舟の書簡に溢れる画家としての芸術観、後輩の来店、その後のメールの交換を通して気づかさせて頂いたことが有りました。

「もしかしたら、私のそうした生活、葛藤のようなものもお感じくださった上で、皆さまはこのブログをお読みくださっているのかもしれない」そう思えました。






青木繁 「海の幸」

この頃佐橋は「僕たちは家族やお客様方とこうして生きて行くのだね」と言います。




この道を生きてゆくしかないのなら、それぞれの荷物や獲物を引きづりながら、
私達は、同じ方向を向いてとぼとぼと一緒に歩いて参りましょう。

引きづる荷物と獲物は、魚でなくて、お金でしょうか?絵画でしょうか?はたまた美しい女性でしょうか?利行のようにノミ、シラミばかりでしょうか??

一人よそ見をしてこちらを見ているのが、ブログを書く私?良い絵はないかと探す佐橋?

とにかく、これからも皆さまと、前へ進んで参りたいと存じます。




今日もブログをお読みくださりありがとうございます。心より感謝申し上げます。





















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お便り

2018年09月11日 | お客様よりのお便り

週末にはまたとても嬉しいメールをお客様より頂戴致しました。

しばらくお便りをさせていただいておりませんでしたので、私から投函や送信をさせていただくと目の不調でお苦しみの中、丁寧なお返事をお送りくださいました。

以前にもご紹介させていただいたかと存じますが、このお客様は主に画家の書簡をお集めになられていらっしゃるコレクターさまで、そのご見識も広く、それでいらして大変謙虚なお方で、いつもとてもお優しい内容の、そして大変美しい文章のお返事をお送りくださいます。


また、私の無理なリクエストに応えて、ご所有のお作品、各作家の書簡をメールでお見せくださいます。


以前、村上華岳の小さな素描と書簡をお見せくださった際にも「あぁ、華岳の文字だ!あぁこんな小さな挿絵にも華岳が生きている‼︎」ととても感動致しました。

感動という意味では、例えば何千万もする華岳の仏画を鑑賞すれば自ずと深い感動を味わうことができるだろうと思うのですが、

この書簡を拝見した場合の感動は、またこれとは違った種類のもので、どういうわけか、後から後からジワジワと心に沁みてくる。。いえ、違いますね。。後から後から心から湧いてくる感動とお伝えしたほうがいいのかもしれません。。そういった感動が、はじめの感動と少しづつ違って現れてくるのです。


「温かいもの」をお腹に抱えていられる喜び。

目に焼き付いた、例えば華岳の文字が頭からもう離れず、事あるごとにお守りにように幾度も私を救ってくれます。




このお客様は、今回速水御舟の書簡を私にご披露くださいました。

画家中島菜刀に宛てたお手紙です。

この画家の作品に触れ、作品を評価、御舟独特の情熱を込めて、この画家に頑張って欲しいと励ましの言葉を重ねています。

その中に、今の私にとても響く言葉を見つけさせていただきましたので、ここに抜粋させて頂きます。


「善き芸術を生む人はよく自己の生活を噛みしめて居る人に多い様です。

自己を発表することより自己を見つめることが多いときは、本当の力が生るると存じ、またこの「鶏園の図」(中島菜刀の作品)には少しでも貴君だけが知って居る、亦は感じているといふ事が含まれている、これが大きな価値ではないでせうか」


御舟らしいストレートな言葉、しかも31、2歳の若さでありながら芸術の本質を既に感得していたのだということに驚きを覚えます。





このお客様に頂いたメールの内容の続きもまた後日ご紹介させて頂きたいと存じます。



※ お客様ご所有のお作品につき、作品画像を省略し掲載させて頂きました。

ご覧になりにくいかと存じますが、ほんの少し御舟の文字の趣を皆様にもお楽しみいただきたく存じます。

ご所蔵先のお客様、このような掲載をさせて頂きますことどうぞお許しくださいませ。

1週間ほどで画像を削除させていただきます。








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メール交換

2018年09月10日 | お客様よりのお便り

 

土曜日に、佐橋と私が昔勤めさせていただいていた画廊の後輩が、ふと遊びにいらしてくださいました。

私達より20歳もお若い彼は、今は別のお仕事をされていますが、だからこそ、純粋に益々美術品を愛する生活を大切にしてくださっています。


特に室町や、古い日本美術を好んでお集めですが、本当に「忘れた頃に」或いは「どうしていらっしゃるかしら?」と思う頃に店に現れてくれる楽しい、また頼もしい後輩です。

先日の豊橋市美術館さんの岸田劉生展でご覧になった三岸好太郎の風景画に感動され、感動をそのままに当店のブログつれづれの中に好太郎の「パピエコレ」をお見つけくださり、今回実物をご覧にいらしてくださったそうです。

碧南市の長谷川利行展が素晴らしかったこと、高山辰雄の画家となり。。など本当に沢山のことを3人でお話し、最後には最近ピアノの演奏を再開したということもお聞きしましたので、私がこの頃毎朝ピアノの演奏を聴いていること、オススメのピアニストがいたら是非教えて欲しいことなどお伝えしました。



早速、後輩の Kさんが私達にメールをお送りくださったので、ご許可を得て皆さまにそのメールをお読みいただこうと存じます。

お若いコレクター様らしいメールを清々しい気持ちで読ませていただき、私もお返事を書かせていただきました。







今日は長いことお邪魔いたしました。
久し振りでしたので、ついつい話し込んでしまいましたが、お二人ともお変わりなく、楽しいひと時をありがとうございました。


さて三岸好太郎と長谷川利行。
三岸のコラージュは、私にとってすごく分かりやすい作品。
頭の体操のようなものだけれど、確かに三岸を感じさせる。
利行は色彩が美しく、それでいてしっかりとまとまりのある作品。
変な例えですが、家の部屋に飾るのみならず、旅行に一緒に連れて行きたくなるような、そんな感じの作品。


高山辰雄の水彩は伏兵ですが、高山らしくない感じが面白く、作品そのものは捉えどころのない美しさで溢れています。


良いものを見ると、欲しくて頭が火照りますが、その熱が引いた時、これらの印象がどう変わるのか、はたまた変わらないのか、

ある意味楽しみです。

チェンバロの演奏会、楽しみが一つ増えました。
音楽の話題となったところで、私はマレイ・ペライアというピアニストをおすすめ致します。
まだ70才程でご存命ですが、音の美しさに定評があり類い稀なバランス感覚の持ち主で、私も生で聴きたいと思っているピアニストの一人です。今年の3月に公演予定があったのですが、体調を崩されてキャンセルとなってしまいました。また来日されることを願っております。





私達もとても楽しく過ごさせていただきました。

三岸も、高山もご感想の通りだと思いますが、あの利行を旅行にも連れて行きたいと書いてくださったことには少し驚きました。私には、その感覚がありません。けれど、それこそKさんの利行への思い、共感なのだと嬉しく読ませていただきました。

ご感想をありがとうございました。

私達が作品を欲しいとお思いくださるお客様にして差し上げらることは、例えばお値段を考慮すること、分割のお支払いをお受けすること、そして納品の時を迎えるまでに、その作品への思いを深め、美しさに磨きをかけておくことしかありません。

ここからは、Kさんご自身の自己表現の世界。孤独と苦悩を味わいながら、コレクションのご選択を
どうぞ自由にお楽しみください。

ネット上で早速、マレイ・ペライアさんのピアノを聞きました。
素晴らしいと思えました。バッハがいいと思えました。
クラッシック初心者の私は、外食に食べログを頼りにするように、現代ピアニストベスト20というサイトをお持ちのかたのページに従い、いまピアノを聞くようにしていますが、ちょうど最近ベスト5までを聞き終えたところで、次のベスト6に挙げられているマレイ・ペライアさんを貴方にもおススメ頂いたということになりました。


しばらく聞いてみてまた感想をお知らせ致しますね。
また時々、音楽のこともお教えください。




御返信ありがとうございます。
ブログの件、楽しみにしております。

利行に関する思いは、私自身も初めてあのように感じたので、少しイレギュラーかもしれません。ただ単純にいつもと違う空間や環境の中で、あの絵を見たときにどのように感じるのか知りたいだけなのかもしれません。あるいはもっと違う意味があるのかもしれませんが、自分でもまだ整理できていないところがあります。。


ペライアがバッハに打ち込んだのは、指を怪我して3年ほどピアノを弾けない時期のことです。弾けないという辛い環境の中で研究を重ねました。無事手術が成功し復帰できたのですが、それ以降から一挙に演奏の深みが増した気がします。私もフランス組曲やパルティータを愛聴してます。気に入っていただいて何よりです。

 

 

 

 

 

 

この頃、芸術を楽しむということはつくづく孤独な作業だと思え、辛くなってしまうことがあります。

後輩のKさんとのメール交換は、そんな私に一つのヒントを与えてくれたように思います。

それはまた少しづつブログに書かせて頂こうと思っています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


 

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