モーリス・ドニ リトグラフ 「テラス」
以前モーリス・ドニの展覧会にいき、この画家のファンが日本に多くいらっしゃることを知りました。
最近仕入れた版画ですが、やはりどこか温かみがありホッとします。
以下、ドニについてWEB上の資料を利用させて頂きますね。
※納品のため画像を削除させていただきました。
モーリス・ドニ Maurice Denis
1870-1943 | フランス | 後期印象派・ナビ派・フランス象徴派
ナビ派、フランス象徴派を代表する画家兼版画家。装飾性に富んだ叙情性豊かな象徴的絵画や版画を手がけ、最年少ながらナビ派の画家として確固たる地位を確立。日常に典拠を得た親密的で柔和な作品の他、信仰心と精神性を感じさせる宗教画や神話画、挿絵、壁画装飾など様々な作品を制作した。また理論家としても名高く、ナビ派を象徴する作品『護符(タリスマン、ポン・タヴェンの愛の森)』の制作者でもあるポール・セリュジエと共に同派の絵画表現理論の中核を担った。敬虔なカトリック教徒であったモーリス・ドニはピエール・ボナールやエドゥアール・ヴュイヤールとは異なり、ジャポニスム(日本趣味)よりも初期ルネサンス(特にフィレンツェ派のフラ・アンジェリコ)や新古典主義に強い影響を受けるほか、アール・ヌーヴォーとの類似性も指摘されている。1870年、仏英海峡サンマロ湾に面するグランヴィルに生まれ、パリ郊外サン=ジェルマン=アン=レで幼少期を過ごした後、1882年から87年までパリのリセ・コンドルセ(コンドルセ高等学校)で学び、同校でエドゥアール・ヴュイヤールと出会う。1888年からアカデミー・ジュリアンへ入学し、ポール・セリュジエ、ピエール・ボナール、フェリックス・ヴァロットンらと知り合う。当時、ブルターニュ地方ポン=タヴェンで制作活動をおこなっていた総合主義の創始者ポール・ゴーギャン、エミール・ベルナールらの新しい絵画表現に魅了され、同年、セリュジエによる『護符(タリスマン、ポン・タヴェンの愛の森)』の完成によりナビ派(預言者の意)の結成に至る。1890年8月、20歳の時に芸術雑誌「芸術と批評(アール・エ・クリティック)」へ理論的な芸術論文「絵画とは軍馬や裸婦、或いは何かの逸話である以前に、本質的には一定の秩序の上に集められた色彩で覆われる平面であることをまずは認識すべきである~(序文抜粋)」を寄稿、ポール・セザンヌ以降の近代絵画の定義や理論考察に多大な影響を与えた。また、この頃オディロン・ルドンにも大きな関心と尊敬の念を寄せる。1893年からエミール・ベルナールやポール・セリュジエらと共にパリやヴェネツィア、カイロなど中東、スペインなどを旅行。1898年頃から古典主義的な傾向を強めつつ、翌1899年にはポン=タヴェンへ初来訪するなど、シャンゼリゼ劇場やヴェジネの教会付属礼拝堂を始めとした壁画装飾等の仕事をこなしながら、50年近くブルターニュの情景を描き続けた。1908年にブルターニュ北海岸沿いのベロ=ギレックで別荘を、晩年期には幼少期を過ごしたサン=ジェルマン=アン=レで邸宅を購入、現在、この邸宅はプリウレ美術館としてドニを始めとしたナビ派の作品が数多く展示されている。1943年、同地で死去。