つれづれ

名古屋市内の画廊・佐橋美術店のブログ

ヘレン・シャルフベック

2019年10月25日 | 日記・エッセイ・コラム
楽しみにしていた図録が届きました。

2015年に東京芸術大学大学美術館さんや仙台、広島、神奈川県葉山の各美術館さんを巡回して開かれたフィンランドの女流画家ヘレン・シャルフベックー魂のまなざし 展の図録です。

当時は、まだ私はこの作家の事を知らず、残念ながら展覧会に伺うことはできませんでした。

つい最近、上野の西洋美術館さんで改めてシャルフベックの作品をみて、図録を取り寄せてみたくなったのです。


ヘレン・シャルフベックは1862〜1948年のフィンランドを代表する芸術家の一人です。

このところの北欧文化に対する世界的な興味、人気からヘレン・シャルフベックの展覧会が日本でも企画されるようになりました。

シャルフベックは3歳の時に交通事故に遭い、左足が不自由となり、学校に通うことができず、家庭教師に学ぶうちに絵を描く才能を見出され、その後パリに渡り験算を積んだそうです。





1888年20代に描いたこの「快復期」という作品で彼女は一躍世界に画家としての名を広めることになりました。
病からの快復期にある少女と緑の小さな葉をつけた小枝を描いた作品です。













画家本人も常に病気がちであったと伝えられいますが、その後の作品からは、パリやイギリスの画家達の作品をうまく消化し、少しづつ自分のスタイルを確立していった印象を受けます。



画家は本来自己との対峙を深めれば深めるほど、その作品の内容を深めていきます。

多くの画家が自画像を描くのは、そのためであると私は勝手に思っていますが

女流画家で、それが出来た人は、なかなかいない。

また、女性の端くれとしての感じるのは、その自己との対峙を女性は得意としていないという実感です。

どこかで怖くなってしまう、頓挫してししまう。

北欧では、女性の社会的地位の確立、家庭や家族に対する立ち位置の社会的理解が日本よりかなり進んでいる印象があります。

それを私自身は「善」と捉えようとは思っていませんが、今のお若い女性達が目指している生活は、まさにここにあるように
想像しています。

さて、その時に、女性は女性性をどう超えていくのか?

ヘレン・シャルフベックはその1つの姿を私たちに表現してくれているように思えてなりません。






シャルフベック最晩年の作品です。
ここまで自分を殺す、色を殺すことができる眼を彼女は一生をかけて得たのでしょう。
この画家をこれからの日本人がどう捉えていくか?
じっくりと見て行きたいと思います。




ヘレン・シャルフベックの言葉

「私の人生が、人々と共にある人生になることは明らかです。私は、人、人、人を見たいのです。
そして、第1印象は驚くほど正しいのです。」1925年12月

「私は古い時代のエル・グレコへと向かっています。それが私の理想です。・・
そしてようやく今になって、セザンヌが私にとって重要になってきて、とても惹かれます。
誰も立ち止まっていない、セザンヌさえも、それが彼のよいところです。」 1927年1月

「ドガが彼のパステルを洗浄して、太陽の下で退色させることであの印象的な効果をもたらす(鈍い調子)を
作り出していることを知っていますか?私は、色調というものは殺してしまうまで力を得ないものだということに気づいています。
新鮮な色というものは、私にとっては生々しく弱いものでしかありません。」1927年12月


「私はスウェーデン王立アカデミー会員に選ばれるという大変な名誉を授かりました。女性の名前が他には
見当たりません。ー私だけかしら?リストの1つ前がピカソでしたが、私が彼の次に挙げられているなんてー
私は彼を永遠の探求者だと思っていますが、最近の彼は子供の視点を探求しているようです。」1942年12月






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徳川美術館 殿さまとやきもの ー尾張徳川家の名品ー

2019年10月15日 | おススメの展覧会、美術館訪問
日曜日には、お客様がお出かけになって「良い展覧会だったよ」とお知らせくださった
徳川美術館さんの    殿さまとやきものー尾張徳川家の名品ー 展に伺いました。

伺う度に徳川家の名品に圧倒されますが、今回もやきものという限定付きながら、
その量と質の高さにあらためて驚きました。

大名家は普通、所有のお道具を「面道具」と「裏道具」の2つに分けて保管するそうです。

徳川家の蔵帳は、「上御数寄御道具」と「御側御道具」という用語を使い、この2種類を分けていたようです。

簡単に言えば、儀式などの公的な場面用➕お客様用、そして家族用の2つに分けるという事です。

展覧会は  1数寄の道具      
             2文房具・調度品などのさまざまな道具   
             3会席の道具 
             4蔵帳類         が紹介され、それぞれに大変見応えがありましたが、

数寄の道具、天目茶碗が並ぶコーナーで佐橋は、
「今まで見てきた天目茶碗の中でもトップクラスに僕の好みのお茶碗を見つけたけれど、
どれだとおもう?」と急に言い出すので、

「うーん、ちょっと待って」と軽くその場を一周し、

「これでしょ!」





と私が指すと、「大当たり!よくわかったね」と褒められました。

「私は手が小さいのでこちらが好みだけれどね。。」





なんと言っても私達はこれでお茶を頂こうと想像しているのでなく、
ご飯を盛って食べることを想像しながらこの会話をしているところが大変不遜でお恥ずかしいのですが、

やきものの展覧会に伺う機会を少しづつ増やしていくと、私達のような初級者でも1つ1つの器の
手触りや重さなどが何となく自然に想像されるようになり、絵画を観る感覚とは随分違う、温かみ、懐の深さを
じわっと感じることができるような気が致します。

コレクターさまがお歳をめして、絵画を全て処分されても、手に馴染む器の1つを大切にお手元に残される
お気持ちも少しわかってきたように感じるのです。

まだまだ絵が欲しい私達ではありますので、あくまで想像の範囲ですが。。これからもやきものに多く接していきたいと
思っています。







時間が少しありましたので、久し振りに徳川園のお庭の散策もさせていただきました。
緑が気持ちよく、よい気分転換になりました。


展覧会は11月10日まで続きます。よろしければ、お出かけくださいませ。






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梅原龍三郎 ホノルル 追記

2019年10月05日 | 梅原龍三郎





当店の梅原の作品「ホノルル」につきまして、ここに描かれた場所はもしかしたら
同じオアフ島のマカプウビーチか?(上の画像)と思ったこともありましたが、




鑑定書の1971年制作「ホノルル」の記載や1987年の台北市美術館の梅原の展覧会の
図録からやはりここは檀香山(ホノルル)に間違いないということがわかりました。

そして、それを決定付けたのは、この高峰秀子さんのご著書でした。







こちらには1971年(昭和46年)に高峰秀子さんも含め梅原夫妻がハワイに旅行したこと、
ハワイでの常宿のロイヤルハワイアンのテラスから、ワイキキビーチをいつものように
スケッチされた事などが書かれています。





皆様もよくご存知かと思いますが、このピンクの建物がロイヤルハワイアン、たしかに後ろに見える風景はこの「ホノルル」の作品のなかの風景です。

もう48年も昔のハワイは、きっと今よりずっと綺麗だったのでしょう。

どこに出かけても、梅原は最高級のホテルの最高級のお部屋に泊まったとも書かれています。

そして、それは、その最高級のお部屋から見える風景がどのお部屋から臨む景色よりも「美しいはずだから」だそうです。必ず目の前に実際の風景やモデル、気に入った薔薇を置かなければ絵を描かなかったと言われる梅原らしいエピソードですね。

このご著書には、人間梅原との楽しいエピソードが満載です。
また機会があればご紹介いたしますね。











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お客様よりのお便り

2019年10月02日 | お客様よりのお便り
こちらも1週間前のことになりました。

先日入江波光作品をお求めいただいたお客様が、私どもに大変貴重な資料、興味ぶかい情報をお送りくださいました。

まだ目を通せていない物もありますが、とても嬉しく、夢中で読み進めております。


まず、1番左の入江波光の作品は、波光が甥御さんの誕生に描いた作品だそうです。
お納めした作品「遊鯉図」とほぼ同じ構図です。

遠方のお客様でいらっしゃいますので、作品を発送させて頂くと、到着のお知らせとともに作品の印象を「大変真っ当な作品(良い作品)で喜んでおります」とお聞きかせくださり、私は、この「真っ当」という言葉にいたく感激をいたしましたが、甥御さんの誕生にこうした端正な作品を描いて贈られるあたりに、やはり「画家としてある前に、人間として正しくありたい」と願った波光らしい清々しい「真っ当な」心を感じることができるのではないでしょうか。


1番右の金山平三の資料についてはまた違う形で触れさせて頂き、

やはりこの真ん中の二冊の小冊子
のお話を少しさせていただこうと思います。

まず、あの織田広喜の悲しげな「少女」、こちらの作品も東京のお客様にお納めさせていただきましたが、あの記事を書かせていただいた際に私は私の幼い頃の写真を掲載させていただいたことは皆さまにも記憶に新しいことだと存じます。

あの写真の裏書きにあった言葉「プールに〜なっちゃん」を「千住の祖母が書いてくれた」と私は書き添えさせていただいたのですね、

そして、これも過日、私が佐橋と伺った原三溪の展覧会で今村紫紅の人物画が素晴らしかったと書かせていただいた記事。

この二つの記事をきっかけにこのお客様は

今村紫紅とともに研鑽を積み、当時の活躍めざましく、将来を大いに期待されながら夭折した画家、また千住の人々に愛され、支援を受けた画家、高橋廣湖(こうこ)のご紹介をしてくださったのです。

この二冊の資料は、お客様が足立区立郷土博物館からお取り寄せになられていた物を今回私どもにお分けくださいました。

御舟だ松本楓湖だと騒ぎながら、私は御舟の周辺の運動、活動、画家たちのことを何も知りません。







(足立区立郷土博物館さんのオープンデータ、廣湖作品資料より)

廣湖のこともそうでした。こんなに素晴らしい画家がいたのか!という驚き。しかも大好きな千住に御縁がふかかったという感動。もう少し勉強をさせていただいて、この日本画家のことには後日改めて触れさせて頂きたいと思っていますが、、


このお客様がどのような豊かな感性で、私の拙いブログをお読みくださっているか、また佐橋と私を応援をしてくださろうとしているかが、静かに深く心に届き、私はとても幸せな気持ちになりました。

直接お会いすることはなくても、こうしたお客様がたとの交流が、毎日資料をあさり、ああでもないでもないと時間をかけて記事を書かせて頂く私の大きな励みになっています。このお客様にこの場を借りて心からの感謝をお伝えいたします。まことにありがとう存じました。
そして、ちゃっかり💦 これからも資料のご提供をお願いいたします。


さて、お宝映像、おまけコーナーです。
このお客様が猫ちゃんとお暮らしだと聞いて、その猫ちゃんの画像をお送りいただいたのです。お客様は、いつものように大変謙虚にご紹介くださいましたが、これがまた素晴らしく美しい猫ちゃんで。。。ご無理を言って、このブログに画像をご紹介させて頂くようにお願いをいたしました。


当店の看板犬のモノちゃんのおかげで、佐橋も私も随分動物のお顔というものへの理解がすすんでいます。やはりこの美猫ちゃんも、眼差しがですね、ご主人様にそっくりだと思います。(くしゃみはきっとフランくんではなく、お客様がされていらっしゃいますね。)

フランくん、10歳。これまた御縁があって、愛知県のお生まれだそうです。
フランくん、こんにちは。これからもどうぞよろしく、お付き合いください。




















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