つれづれ

名古屋市内の画廊・佐橋美術店のブログ

今年も師走を迎えます。

2022年11月29日 | お客様よりのお便り
「玄関に架ける季節に合った細物のお軸がなく
仕方なく薫の柿を架けたところ母は随分気に入り
賞賛の声 和の場所でも絵の内容によっては油彩画も捨てた物ではありませんね 
逆に洋間にお軸も可 今や何でもありの時代です」


少し前に、お客様からこのようなメールを頂戴致しました。
以前にもこの山口薫の柿をお飾りくださっている画像を皆様にご紹介させていただいたかもしれません。
現在当店の所蔵している「柿」と同じ頃に仕入れさせていただき、お納めした懐かしい作品です。







いつかの春にはこのような感じで、同じお玄関先をお飾りになられていらっしゃいました。

いつも作品を飾る場所に、何もなくなると何だか少し寂しい気が致しますね。

コレクター道、はや30年。そのほとんど全ての作品を佐橋からお求めいただいているお客様のコレクションは日本画、油彩画のジャンルを超えてかなりの数になられました。最近ではお軸の作品も時々お求めくださいます。

当店が営業を始めさせていただいてからも20年間、私達もほぼ毎月お客様にお会いしておりますので、兄弟、姉妹よりも頻繁にお話をさせていただいている実感があります。最近では近くに住む息子よりも多く??




薫の柿に賞賛の声をあげてくださった90代になられるお母様は、この一年の間に、ご家族さまお二人とお別れをされました。


ご子息であるお客様はお仕事がお忙しくていらっしゃるので、お母様は随分と長い時間をご自宅でお一人でお過ごしになられているとお聞きしています。

そして、そのお一人で過ごされる時間に、毎日じっと絵をご覧くださっているともお聞きしました。

特に、先日お納めした梅原龍三郎の薔薇は大変お気に召してくださり、来る日も来る日も眺めてくださったそうです。







日本画を習っていらしたお母様のお目に梅原の薔薇はどのように映られたのでしょうか。

90年を生きてこられたご婦人に、ご家族をなくされてお寂しいお気持ちに、この梅原の作品はどのように寄り添ったのでしょうか。





少し早く、少しイレギュラーではありますが、今年のアッパレ!お買い物賞はこの梅原をお納め致しましたお客様、というより
この作品を毎日毎日お一人で眺めてくださったお母さまにお贈りしたいと存じます。

また年末近くなりましたら、今年当店が各お客様にお納め致しました作品につき少し書かせて頂こうと思っております。








本日、店内の掛け替えも致しましたので、また明日以降ご紹介致しますね。

全国的に天気が荒れているようです。どうぞ皆さま、お気をつけてお過ごしください。
















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堂本印象 軸 

2022年11月24日 | 堂本印象
少し前になりますが、堂本印象のお軸を入手致しました。




同じ印象の「晴雪」という作品をご紹介致しました時に、印象の雪景は大変珍しいと書かせていただきましたが、
さらにお軸でも雪景にご縁をいただきました。

印象作品が印象作品を呼び、珍しい雪景がもうひとつの雪景を引き寄せたということだろうと思えます。







「雪霽」




はれ雪 と 雪はれ

こちらのお軸の「雪霽」は、雪が今まさに降っているように見受けられます。

そして、その吹雪の中を男性らしき人が歩いています。





堂本印象はおよそ六十年に及ぶ画業に、画風の転換を多く繰り返した日本画家です。

歴史画や宗教画、仏教画、戦後の女性現代風俗画、そして晩年の抽象画。

元々西陣織の龍村工房の図案家として出発した印象のその自由な挑戦は、止まることを逆に恐れていたかのようです。

「恒世印象」のサインは、戦後間もなくから渡欧を経て抽象の作品を作り上げる前までの時期に使われたようです。

私自身が最近、堂本印象の特に戦後の60歳〜晩年の80歳までの作品に再び興味を持ち始め、その作品を多く扱わせていただくようになりました。

価格が下がり、扱いやすくなったということもありますが、戦後の風俗的な明るい色調の作品の中にさえも、印象作品には何か少しシーンと静まり返った寂しさや孤独感が感じられるような気がするのです。




降りしきる雪の中に独り。

その雪の明るさ、暗さ。

細いお軸をスルスルとほどけば、そこに一面の雪景色が広がります。


河北倫明氏が京都国立近代美術館館長でいらしたときに、堂本印象展に寄せてこんな言葉を残していらっしゃいました。

「画伯の芸業は、私には何か昔ながらの色即是空、諸行無常といった内容を、裏側に匂わせているような気がしている。あの明るく、新しく、華やかな表現が、文字通り、明るく、新しく、華やかであればあるほど、かえって果敢ないもの、空なもの、無情なものがどこかにぴったりと寄りそうている感じである。そういう点では、画伯の芸術は、無常感に裏付けられた日本的装飾観の特異な近代版であったということになろうか。いずれにせよ、日本人の性情のある一面を鋭い形で押し出した異色の仕事であったと密かに私は解釈している。」







堂本印象 軸 絹本 「雪霽」 共箱 

画面サイズ 45×51㎝
軸全体  143×66㎝  税込 297,000










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土牛の素描集より

2022年11月23日 | 奥村土牛




クリスマスには少し早いかと思いましたが、昨日お花屋さんが届けてくださったお花をツリーに見立てて🌲ショーウィンドウに飾らせていただきました。今年も残り1ヶ月と少しになりました。

⚽️W杯は楽しみだけれど、それが終わるとすぐに今年も終わってしまいますね。

来年は卯年、素描集の土牛のウサギがあまりにも可愛らしかったのでご紹介致しました。












土牛の人間性、その心の高さが素描にもよく表れていると思います。

土牛90歳の言葉🐂
私も90歳になりまして余命僅かとなりましたが、たってみると短いようで考えるとやっぱり永く、喜びも苦しみも有りましたがやっぱり苦しい一生で有りました。しかるに、平櫛先生のお言葉では有りませんが、男ざかりは先ず九十のつもりでがんばります。

土牛95歳の言葉🐂
描きたいものがあれば描くというような描き方で、九十の齢を出てやっと自分の好きなものを好きなように描くという心境になれたところでございます。

まずいものはまずいで、気になるのですが、まずいままで一生を終えるのも良いのではないかなどと思ったりもします。


土牛98歳の言葉🐂

素描などを始めますと、いつも夢中になってしまいます。私は描こうとするものをじっと凝視めることが必要ですので、どうしても時間がかかってしまいます。素描は自分だけのもので、他人に見ていただくものではないと思っていますが、キチンと描いておきたいのです。私の場合、墨線でキチッと捉えておきますと、彩色するよりも、心に残るものが強いように感じております。

〜〜


「絵のことは1時間でも忘れては駄目だ」という師小林古径の言葉を信じて、ひたすら画業に打ち込んだ奥村土牛は堂々と未完成のまま101年の人生を終えました。

「絵を見るのが好き💕」どうせそんな病気に罹っているのなら、休む事なくせっせと絵を鑑賞し、眼を鍛え、少しでも心の高いところを目指し生き、未完成のまま、その眼を静かに閉じて人生を終えたい。

寅年、想像以上に苦しかった還暦の一年を終えるにあたり、私は今明るくそう思っています。土牛には学ばせていただくことばかりです。





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「金山平三」 飛松實著

2022年11月21日 | 金山平三
上記の一冊の本から、金山に関する言葉をいくつか抜粋し掲載させていただきます。


「妻 らく」

らくは専攻の数学の他に、本多光太郞博士の講義を受け、又平三の友人画家田邊至の兄の哲学者田邊元博士に「科学概論」を学んだりしている。田邊はらくの才を高く評価し、「貴女は哲学を専攻すればよかったのに」と残念がったという。
らくは言う。哲学は理科や文化にも関係が深い。代数などは数式で解けるが、幾何学となると哲学的な部面が非常に加わってくる。そのために数学者といえど哲学をおろそかには出来ない。又数学は絶対ごまかしがきかない。嘘が入っては数学が成り立たない。
このごまかしのない点が数学の美である。金山の絵は、どこにもごまかしがなかった。省略はあっても真実を捕らえていた。「数学の好きな作家の絵はまとまりがよい」と平三も言っていたが、そこに絵画と数学と一致するところがあるのである。


思うに幸福だった最晩年は別として、帝展騒動後の画業生活の大部分は、孤独に堪えるおのれ自身との酷しい対決の連続であった。
生来人一倍感受性が強く鋭い金山平三は、この孤独な己れとの戦いに幾度か屈伏しようとする危機があった。「自殺する」「自殺したい」としばしば口走っては人を驚かせ嘆かせている。世間に絶望したのでなく、自分自身に絶望しかけたのである。こうした金山平三を背後から力強く支え励まして、その資質を遺憾なく発揮結実せしめたものが、主人の「こやし」になると決心した婦人の献身であった。これについて金山平三は晩年私に語ったことがある。「家内は、本当は絵のことはよく分からないと思います。ただ私に描きやすいように心を配り、出来た絵は私の作品だというだけで大切にしてくれます。有難いことだと思っています。」




「平三の描きぶり」

「大石田へ来て本格的に絵を描き始めた」斎藤茂吉の絵を、平三はどうみていたか。
〈斉藤さんの絵は、デッサンが実にこくめいで真面目すぎるほどで、中川一政さんも、これは真面目すぎる、もっと気楽にやりなさいと言われましたが、あそこに斉藤さんの性格が表れているのでせうね。〉
かつて平三の写生ぶりを見て、「やはり大家は違う。実に丹念に観察し、省略すべきものはドシドシ省略する。いや驚くより外ない。」と較べて興味深い。実相観入、自然自己一元の生を写す、という「短歌写生の説」の茂吉も、絵の上では所詮素人で、専門家には舌を巻かざるを得なかった。


若い頃に体を鍛えられただけあって雪の中での仕事の頑張り方は到底我々に真似が出来なかった。日が沈むと急に冷たさが身にしみてくるが、先生は納得のいくまでいつまでも描き続けておられた。「金山の剣術」と言われていた独特の方法で、無心に仕事を続けられるお姿を遠くに拝見して、一種の神々しさを覚えたものである。「金山の剣術」とは、前方の景色や画面の調子を見る場合、筆をもった右手の中指と薬指と小指を開き、それを縦にしたり、横にしたり或いは前方に突き出したり顔に近づけたりする一種独特の目まぐるしいポーズをされるのを友人画家の諸氏が名付けていたのであった。(松村菊麿)


 「金山平三の評価」


世間には、金山平三を単なる風景画家と思っている人が案外多いのではなかろうか。中略
金山の作品には、平明淡々として技巧を感じさせない美しさのものが多いため、真の鑑賞眼を持たない人々から、時にそうした誤解を受けやすい点も否めない。しかしわれわれは、一見平淡で目立たぬ技法の中に、鋭く厳しい自然観照の底知れぬ深さ、饒舌を拒否し主観の露出を抑制し、枝葉末節を惜しみなく切り捨てて、自然の内奥深く参入した本質把握の美事さ、斎藤茂吉のいう自然自己一元の生を写すところの真の風景画であることを改めて認識し直さなくてはならないのではなかろうか。

純粋生一本の性格とその生き方は、画業は言うまでもなく、余技や趣味の方面でも全て本格正統を尊び、似非、虚偽をいやしんだ。
心血を注いだ作品を愛憎し、手放すことを惜しんだのは、一人密かに自ら頼むところがあったからである。目まぐるしく変転してやまない画壇などに重きを置かなかった。五年、十年の流行に左右されるものは本物とは言えない、という確固たる信念のもと、知己を百年ののちに待つべく決意していた。若くしてその師黒田清輝の熱愛と嘱望を受け、専門作家となっては先輩藤島武二らに心から畏敬された金山平三の、赤裸々な人間性とその作の真価を熟知するのは、既述のように久しく親灸した画家たちであった。



最後の入院の時、見舞いに行った佐竹徳に苦しい呼吸の中から聞いたそうである。
「佐竹君。僕の作品の中には泰西諸大家のものにも負けないだけのものがあると思っているが、君はどう思う。本当のことを言ってくれ」誠実な作家として、最も信頼を寄せていた佐竹徳に初めて自信のほどを打ち明けたのであった。
「勿論です先生。たくさんありますよ。」この言葉に何度もうなずきながら、嬉しそうに涙を伝わせたという。



以上















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お客様のギャラリー

2022年11月13日 | 日記・エッセイ・コラム
昨日までの1週間もあっという間に過ぎました。



先日ご来店の際、「お納め致しました作品を飾ってくださっているご様子を是非拝見したい」と私がお伝えすると、お忙しい中、早速お仕事場の画像を撮影してくださったお客様がいらっしゃいます。

藤島武二のミニ作品と佐藤忠良のブロンズ。









山口薫作品と金山平三作品。

一つのお部屋の別別の壁にそれぞれの作品をお飾りくださり、その時々の成すべきお仕事の内容によってご覧になる壁、作品をかえているとも教えてくださいました。

緊張感を伴う朝にはキリッと金山を、少しホッとしてこの部屋に戻られた時には優しい山口薫を。。

そうしてお過ごしくださっているのだと思います。


お納め致しました作品が、それぞれの「場」を得て、その作品としての役目を果たしていること。

お客様それぞれの孤独を癒し、前へと進まれる元気をお届け出来ていることを知る事は、この仕事をする私どもには大きな励みになります。

このお客様がコレクターとしてとても素敵なのは、その作家にとって「良い作品」と今のご自身にとって「良いと思う作品」の色分けを瞬時になされ、その他のこと、つまり一緒に作品と暮らされるご家族のお気持ちやご予算のことを鑑み、「欲しい」という感動や衝動を大変理知的にコントロールされるところだと思います。



私達はただ安心して、作品をご覧に入れるだけで良いのです。
私達をさえも「大人」でいさせてくださいます。

金山平三の「柘榴」、あのキレキレの作品を毎日毎日こうしてご覧くださっているこの方が、「大石田の雪」を当店でご覧くださり「金山平三はこんなに優しい絵を描くんだ」とおっしゃってくださいました。

そして更にじっくりご覧くださり、「どこを見ても良い絵で、次々に感動の手がかりを探してしまう」とお褒めくださいました。

又、ご一緒にいらしてくださった奥さまが「こんなに雪が温かいなんて」とお伝えくださったことにも感動し、このお二人のお言葉はきっとずっと忘れる事はないだろうと佐橋としみじみと話合いました。





作品達だけでなく、当店にお通いくださるお客さま方の美術品に対する敬意と愛に多くを学び、私どもはまた店を開かせていただく力を得させていただきます。



先週ご来店、ご連絡、お便りをくださいました各お客様に心よりお礼を申し上げます。

まことにありがとう存じました。














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