つれづれ

名古屋市内の画廊・佐橋美術店のブログ

佐藤忠良 ブロンズ

2021年09月20日 | 佐藤忠良
佐藤忠良の小さなブロンズを飾らせていただきました。

少女。

忠良の制作のテーマに、子供達があり、見ていてとても可愛いらしく、微笑ましく感じられます。







台座は八体それぞれに違うようですが、高さはほぼ一緒だと思います。
また明日以降測り直しておきますね。



9月24日付記

このブロンズの高さは台座を含めて15㎝程になります。






はじめはお嬢さんをモデルにした作品かと思いましたが、作品集に1995年頃制作とあり、この年、忠良は82歳と
なりますので、他のお子さんを扱われたのかもしれないと考えました。

実際、忠良が子供をモデルに作品を数多く制作したのは、1960〜70代と言われています。

下記、佐川美術館さんのHPから抜粋させていただきました。



佐藤忠良の制作したブロンズ作品を語る上で、子どもと女性をモチーフにした作品群を抜きにすることはできません。

佐藤の子ども像は、主に1960年代から70年代にかけて数多く制作されました。それまでの佐藤の作品は、どこにでもいる日本人をモデルにした作品が多く、その見た目から《首狩りシリーズ》と称された頭像作品が中心でした。それから一転、佐藤が子どもをモデルに制作するようになったのは、自身の環境の変化にあるといえます。舞台美術家・朝倉摂の一人娘である亜古をはじめ、自身の孫と接する機会から、彼らをモデルに、数々の彫刻作品を制作しました。佐藤が作る一連の子ども像は、瑞々しい生命感とともに、幼いながらも個としての存在感を持っており、対象を慈しむ作者の眼差しが感じられます。

また、佐藤が造る女性像では、1970年から東京造形大学の教え子・笹戸千津子がモデルをつとめるようになります。彼女が何気なく身に着けていたファッションに、彫刻表現の可能性を見出した佐藤は、部分的に衣類をまとわせた女性像を数多く制作するようになりました。人間像としての緊張感とともに時代の感覚も表出された作品は、幅広い層の共感を呼び、佐藤忠良の新たなスタイルとして知られるようになります。



一連の子供シリーズから時間をおいての少女の、しかもこれほど小さな作品の制作には、忠良のそれなりの思い入れ、制作意図があったと想像します。





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2021年09月10日 | 佐橋美術店よりのお知らせ
「2021/9/05 日曜日に」の記事に佐橋がコメントを寄せております。

よろしければ、お読みください。またできましたら、皆様もこの記事にコメントをお残しいただけませんでしょうか?

佐橋の為にということではございません。

皆様に、「コメントをお残しください」とお願いするときは、私がブログを書くという行為自体に迷いを感じている時です。
どんなに些細なことでも皆様からのご意見がいただきたいと思っている時です。
ヒントをいただくというよりも、皆様と同じ位置にいることを確かめたい。そんなわがままに気持ちからです。

お許しいただけますなら、コメントをお残しください。

「コメントに」と最初にお書きくださいましたら、短いメールをいただいても結構です。私がコメント欄に転送いたします。
佐橋にお見舞いのお言葉は不要ですので、お好きな絵のお話や最近飾られていらっしゃる作品の感想などお聞かせください。

お願い致します。


メール先 sahasi 2009@castle.ocn.ne.jp
    sippi@docomo.ne.jp

コメント (5)
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日本近代美術史論 抜粋

2021年09月10日 | 絵画鑑賞
日本近代美術史論 高階秀爾 たかしなしゅうじ

「横山大観」より抜粋

もっとも、それでは大観は、それほど深く思想問題に興味を抱いていたかというと、必ずしもそうではない。むしろ大観は、どちらかというと知的な問題には縁遠い方である。斉藤隆三氏の思い出によると、大観は平素古典に親しみ、読書に耽るということはほとんどなかっという。彼が好んで読んだのは、おそらくその内容に共感するところが多かったためであろうが、もっぱら老荘だけで、そのほかの漢籍には興味を示さず、稀に必要に応じて唐宋の詩を近づける程度であった。日本の古典も読まない。仏典は尚のこと知らない。近代文芸から和歌連俳にも興味を持っていない。ましてキリスト教の思想など考えたこともなかった。のみならず書画骨董、歌舞音曲、角力、遊芸、歌舞伎、旅行などにもおよそ興味を示さない。絵以外に心を向けることと言えば、もっぱら酒であったという。
要するに大観は、徹底した画人であって、文人でもなければ趣味人でもなく、無論、思索家でもなかった。彼は春草の理智も、観山の教養も、寺崎広業の粋も持ち合わせていなかった。いわんや師天心とは、この点で天地のへだたりがある。彼が終生天心に頭が上がらなかったのは、一つにその余りにも大きい教養の差のためであった。

そのような大観が、明治末年には多くの思想的、歴史的主題を描いているということは、一見不可解なことのように見える。しかし、それはとりもなおさず、当時一般の風潮が思想的、歴史的なものに興味を持っていたということであろう。大観は自ら教養に乏しかったため、他人の教えに対しては極めて謙虚な一面を持っていた。天心の教えは彼には絶対であった。年少の春草からも彼は多くを学んだ。突き詰めた思索などはしない代わりに新しい風潮には敏感に反応する。よく言えば素直であるが、悪く言えば時流に乗りやすい性格を持っている。彼がアクチュアリテに対する関心が強いというのも、そういう同じ性格から来ている。時代の波は彼の鋭敏なレーダーに捉えられ、彼の内部の強力なエネルギーによって何倍にも増幅されて彼の画面に放出される。その意味で大観は時代を創る人ではないが、確かに時代を代表する人なのである。

以上


「そのような大観が、明治末年には多くの思想的、歴史的主題を描いているということは、一見不可解なことのように見える。しかし、それはとりもなおさず、当時一般の風潮が思想的、歴史的なものに興味を持っていたということであろう」

という一文がとても気になりました。大観の時代にはまだ、一般の風潮が思想的、歴史的なものに興味があったという部分です。
だからこそ、無知なる大観にアンチ的な批評もでき、また新しい時代、個性の発見することができたということでしょう。

それに比して、現代は誰も、日本画に思想的、歴史的主題を求めていません。そして、更にまして、季節的な主題にも興味を示さない風潮が顕著なのです。







大観という画家の評価を大変巧みに言葉に表現したのはやはり時の文豪夏目漱石ではないかと思います。同じこの著書の戴冠についての論考に高階氏が漱石の一文を載せていますので、それもここに抜粋させて頂きます。










大観君の「八景」を見ると、この八景はどうしても明治の画家横山大観の特有な八景であるといふ感じが出てくる。しかもそれが強いては特色を出そうとつとめた痕跡なしに、君の芸術的生活の進化発展する一節として、自然に産まれたやうに見える。
中略

一言で言うと、君の絵には気の利いたような間の抜けたような趣があって、大変巧みな手際を見せると同時に、変に無粋な無頓着なところも具えてている。君の絵にみる脱俗の気は高士禅僧のそれと違って、もっと平民的な呑気なものである。八景のうちにある雁はまるで揚羽の鶴のように不恰好ではないか。そうしてそれが平気でいくつでも蚊のように飛んでいるではないか。そうして雲だか陸だか分からない上の方に無雑作に並んでいるではないか。またいかにも屈託がなさそうではないか。同時に、雨に濡れた修竹の様や霧の腫れかかった山駅の景色などは、いかにも巧みな筆を使って手際を見せて入りているではないか。好嫌は別として、自分は大観君の画に就いてこれだけの事が言いたいのである。


以上

先程、現代の日本人の日本的情緒の喪失について触れさせて頂きましたが、思えば、もうこの大観の登場によって日本人は日本人らしさをどこかに忘れ去ろうとしていたのではないか?とさえ感じます。

思想的、歴史的教養のない大観の描く、思想的、歴史的題材の作品を一般風潮が好み、漱石が記したように大観の作品に、日本画としての美意識でなく、大観本人の個性を感じ、それを喜び楽しもうとした時、日本人はすでに近代化を果たし、絵画作品に思索的価値、歴史的解釈の深みを求めなくなり始めていたと思えるのです。


そして、その風潮は昭和の時代に一つのピークを迎え、平成、令和と続いてきました。

今後の日本画家さんに私たちは何を求めるか?それはとても大きなテーマだと思います。
すでに、現代の日本人は大観の描く壮大な富士に見向きもしなくなっているのではないでしょうか?







春草の理智 ← 飯田市美術博物館さんサイトへ





観山の教養










寺崎広業の粋


結局は、この大観時代に遡り、そこから繋がる現代にと下り、各時代の画家の個性を見抜くこと、そして、その価値を現代に探ることが大切なような気がして参りました。それが、これからの日本画を探る手がかりになるとも思えます。


大観を残すなら、海山十題でなく、佐橋美術店なら間違いなく






1939年 昭和14年 「麗日」でしょう。

その好み、その識別、そして、その眼に自信を持つこと。

そこにこそ、佐橋の「必然」が隠れているように私には思えます。






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菊の節句

2021年09月09日 | 日記・エッセイ・コラム
9月9日、重陽の節句の日となりました。





お花屋さんが丁度大輪の白菊を届けてくださいました。

撫子も桔梗も、秋の花はみな好きですが、年々菊というお花の力強さ、謙虚さ、美しさ、香りというか匂いに魅力を感じます。

お軸は竹内栖鳳の「村居」を出しました。

今年もあっという間に、この作品の季節がやってきました。

つい最近まで、栖鳳の作品は大変上手いが深みが足りない。

波光、華岳や神泉のような凄みが足りないと思っていました。

ですから、少し栖鳳の所有作品を整理しようと佐橋と話していたところでした。

けれど、こうした「いつもより崖っぷち感の強い時」には、栖鳳の上手さが決して薄っぺらなものではないと感じられます。

それは、丁度、菊の花のような確かさのように思えます。


明日も店を閉めさせていただいて、土曜日には少し作品の掛け替えをさせていただこうと思っております。

病気が本人の「気づき」の機会なら、佐橋の病気は私自身にとっても「気づき」のチャンスなのだろうと思います。

ただ、気づいたところで私たちに修正の時間がどれほど残っているのだろうか?と疑ってしまったりするのが本音のところです。

そんな時、佐橋が昨日こんな言葉を私に送ってくれました。


「ただ今度はああしたい、こうしたいではなく、必然を導き出さなければならない、今はそのための時間だと思えるところまで来ました。」



60代、退院をしたらこうしたい!ああしよう!という欲求で自分を奮い立たせるのでなく、あの入院はこの結果を産むための必然だったのだと自分で深く納得できるような仕事、生き方をこれからしたい、そういう意味であろうと思います。


「気づき」は、今ではなく、未来のいつかの日に起こること。「あの時間には私にとってそういう意味があったのか」と深く納得のいく時の訪れを、佐橋とともに信じていたいと思います。

重陽の節句日に、皆様に優しい秋が訪れ、お障りない時間をお過ごしくださいますことをお祈りしています。








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ブログの更新

2021年09月09日 | 日記・エッセイ・コラム
火曜日に総勘定元帳を完成させて会計士さんにお届けできたので、ホッと安心、昨日はお休みをいただきました。







元帳の表紙には毎年必ず絵葉書を貼っています。その年に私が通信面を書き損じた幾つかの絵葉書の中から一枚を選んでいます。

今年はセザンヌ!

どんなにミスが多くても、それなりに一生懸命に作成した経理資料を結局丁寧に見てくださるのは、佐橋でもなく、銀行さんでもなく、会計士の先生やあまり歓迎ムードではなく失礼ばかりですが、税務署員さんなのですね。

書き損じ葉書の救済とそうして見ていただく方へ気持ちとして、何となく始めたのがこの葉書貼りです。





さて、お休みをいただくといっても、佐橋の社会保険の手当の申請や病院に着替えを届けるなどして1日が過ぎてしまいますが、ブログの更新をしていないぞぉ〜そろそろ書かなくては!と思い、昨夜になって久しぶりにこの本を取り出しました。




高階先生は大変著名な方ですので、いくつかの評論を読ませていただいてきましたが、いつも私にはちょっと難しいのですね。
というか、この方の文体がどうも私には吸収?しにくいのです。特にいつも読みたいと思っている富岡鉄斎についての部分は
漢文も載っていて、そこでいつも止まってしまいます。
ですから、何度挑戦しても、読むところは一緒。新しいページになかなか進みません。



昨日も、秋らしく涼しくなったので少し長くお湯に温まろうと、この本をお風呂に持ち込みました。

が、危険!!

読んでいるうちに、浴槽の中で寝てしまいました💦

これは、現在1人暮らしをしている私には大変危険なことです。慌てて本を閉じてお風呂から出ました。

気づいてみると、いつもこの本をお風呂場に持ち込んではこうして読まずに出てきてしまっています。







ですからお気に入りのページは湿度でグチャグチャに波打ってしまっています。
高階先生、大変申し訳ございませんm(__)m

せめて、いくつか読ませていただいたうちの、大観についての記載を後日このブログに抜粋させていただき、もうお風呂場にこのご著書を持ち込まないようにしたいと存じます。










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