入江波光、上村松篁と作品のご紹介を続けてさせていただいたのは、このページを見つけたからです。
松篁は、12歳の頃より美術工芸学校に通い、成績も大変優秀であったそうですが、18歳となり京都市立絵画専門学校の本科に通い始めた頃、担当の入江波光にその写生を見せて「あんた、こんな概念的なものの見方をしてどうするんですか。赤子が初めて物を見、驚くでしょう、そのようなさらの眼で自然を見なさい」と厳しく指導されたとこのページには書かれています。
松篁は、絵の基礎をしっかり学び、写生の技術も身につけ卒業制作でも一席金牌を得ていたので、「写生を一生懸命にやっていたから技術はあると自負していました」と当時の心境をのちに告白したそうですが、この入江波光の厳しさも、それにショックを受けた上村松篁も、特に金魚の逸話を知った後の松篁のイメージからすると、それこそ!「作品が全てを語っている」とそう思えます。
松篁はこの波光の言葉が心に入ってきたのは、それから3年経ってからのことだと言い、叱られた直後は「入江先生はリアリズムとか、もっと写実的に、などと言わはるけど、先生ご自身は天人が裸になって空を飛んでる絵を描いてはるやないか。それがリアリズムなのか」などと心の中で呟いて反抗的な気持ちになったと述懐しています。
佐橋と私は、波光と松篁でしたら、やはり波光に軍配を上げるのです。
勿論、作品としてです。
松篁さんは、やはり二階のお母さんの影響を強く受けたのだと思うのですね。
「品よく」と。
その「品よく」が、松篁の本当の強さ、ヤンチャさを少し消してしまったように感じます。
品の良い形を求め続けたように思います。
絵というのは、実は描き方でなくて見え方なのだとこの頃考えます。
物をどう見るか?どう感じるか?ということです。
写実的にというのは、自然の産物たる人間という自分と、まさに大いなる自然、宇宙がいかに繋がり、共生をしているかという見え方の書きとりテストのような物だと思います。
そのつながりを屈託なく、純粋に描けることが大事なのです。
それが概念にとらわれない作品ということになるのではないでしょうか?
長谷川利行がその代表選手と言えるかもしれません。
そういった意味で、松篁の金魚には、松篁らしさが少し窺えるように思います。
もう少し、眺めてみて、松篁と当店の相性についても感じてみたいと思います。