つれづれ

名古屋市内の画廊・佐橋美術店のブログ

岡崎の空

2019年06月20日 | 日記・エッセイ・コラム

 岡崎では、先日頂いた茄子と胡瓜のお礼に伺おうと思っていたのです。

 

 

けれど、槐多展に圧倒されてしまって、疲れてさっさと高速に乗って帰ってきてしまいました。

 

 

 

 

糠漬け、出来上がりました!

とっても美味しく頂いています。

 

 

自然を第一に育てられた野菜の色はとても綺麗です。

時間が経っても、腐っていかず、萎びていき、

萎びていって水分は減りますが、最後までも甘く食べられます。

 

 

人は食べたもののようになる。

 

おばあちゃんになっても、出来たら腐らずに、、

萎びて、、パサパサしてきても、中味だけはちょっとあまい

 

死ぬまで、或いは死んでも、そういう人になりたいなぁと思います。

 

岡崎の空は青くて、綺麗で驚きました。

急ぎ戻ったこの店のある高岳の、高速道路とグレーの空になんとも悲しくなりました。

 

 

 

この場を借りてあたらめて御礼申し上げます。

また豊作の時は、よろしくお願いいたしまーす(^-^)/

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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村山槐多展へ

2019年06月18日 | おススメの展覧会、美術館訪問
 
 
日曜日に楽しみにしていた展覧会、
 
没後100 岡崎が生んだ天才 村山槐多展
 
 
に伺って参りました。
 
まず、みなさまにもぜひお出かけいただきたくご紹介申し上げます。
 
 
 
これだけの展覧会を開かれても、直接のホームページをネット上に探せないもどかしさ。。
 
 
 
村山槐多については、今までその作品を鑑賞する機会も少なく、上の作品のように、青年期の危うい感傷をエネルギッシュに画面にぶつけた夭折の画家というイメージしか持てずにいました。
 
今回、おかざき子ども美術博物館の村松先生を中心とするみなさまのご研究、ご努力の成果によって、槐多の新発見の作品が数多く見出され、この作品を鑑賞させていただいて、村山槐多の画家としてのイメージが大きく変わった事に、私達も大いに驚き、また深い感動を覚えました。
 
 
この展覧会は、きっとこれから評判を呼び、皆さまのお近くの美術館さんでも開かれることがあるかと存じますが、とりあえず岡崎市にお出かけの機会のない皆さまにも、求めて帰りました図録掲載の作品を少しご紹介させていただきたいと思います。
 
 
 
 
 
 
明治44 画家15歳屋根山村の人と家など
 
 
 
 
 
 
明治45 16歳瀧安寺冬の石など
 
 
 
 
 
 
 
大正2 17歳花
 
 
 
 
 
 
大正3 18歳素描
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 大正4 19歳素描
 
 
 
 
 
 
大正6 21歳赤ダリア
 
 
 
 
 
 
 大正8 22歳他界
 
 
 村山槐多の10代の頃の穏やかで、伸びやかな風景画に、この画家の本質を見出そうと試みれば
 
 
その分、彼の才能を見出し、この画家を支えつづけた山本鼎や小杉放庵との出逢い、そして彼自身の画家としての志や努力、若者らしい野心に 「運命の皮肉」を感ぜずにはいられません。
 
画家としての才能を持ちながらも、画家として生きていきたいと願った瞬間に、村山槐多は自らの心と体をを傷つけるという道しか選ぶことができなかった。。そう言えるのではないでしょうか。
 
 
 
 
ここにも一人、ガラス細工のような作りの人間が、
大いなる才能を持ったまま、それを短い人生に昇華しきれたのか?しきれなかったのか?の判断も待たず命を失ったいう事実があります。
 
 破茶滅茶な生活。
それでよかったのだ。
だからこそ、村山槐多は本人の望み通り天才画家として名を残せたのだ。
 
 10代の頃のあの作品たちを拝見し、
「そう思うしか道の無い」私自身にも少し哀しみを覚えました。
 
 
 
 槐多の1919年の他界後、16年のちに高村光太郎が書いた詩を最後にご紹介いたします。
 
 
 
 「村山槐多」(1935年)
 
 
槐多は下駄でがたがた上つて来た。又がたがた下駄をぬぐと、今度はまつ赤な裸足で上つて来た。風袋のやうな大きな懐からくしやくしやの紙を出した。黒チョオクの「令嬢と乞食」。
いつでも一ぱい汗をかいてゐる肉塊槐多。
五臓六腑に脳細胞を偏在させた槐多。
強くて悲しい火だるま槐多。
無限に渇したインポテンツ。
「何処にも画かきが居ないぢやないですか、画かきが。」「居るよ。」「僕は眼がつぶれたら自殺します。」
眼がつぶれなかつた画かきの槐多よ。
自然と人間の饒多の中で野たれ死にした若者槐多よ、槐多よ。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
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山本丘人に思うこと。

2019年06月17日 | 山本丘人
山本丘人という画家にみなさまはどんなイメージをお持ちでいらっしゃいましょう?
 
魂の抒情詩
 
など、丘人の展覧会には必ず似たようなサブタイトルが付きます。そして、その作品は誠に優しく、抒情的です。
 
 
 
以下丘人の図録にこんな記載を見つけましたので抜粋させていただきます。
 
丘人自身の言葉
 
「それにしても、私は従うより外れて、こわしていく方だった。研究会の集まりの日が、あまりにも窮屈だから、『先生、タバコを吸っていいですか?』と言い出し、『ああ、いいよ』なので、タバコを取り出して吸った。そんなことはめっそうもないとタバコを口にせぬ先輩たちは一斉に白い目で私をみる。おかまいなしに次は、『あぐらをかいてもいいですか』と言うと、『よろしい』であったから、並み居る正座の人たちの間で、私はあぐらになった。
末席ながら、或いは末席だから、多めに許してくれたのか。私がそうしても、威儀を正している先輩諸氏は、私に同調はしない。私は異端児というわけである。」
 
 
師・松岡映丘と丘人
 
松岡映丘の家での集まりで、取り巻きの弟子たちがおべんちゃらを使っているので面白くなく、丘人はお膳をひっくり返して部屋を出ていってしまった。
松岡が、「おい、ちょっと心配だから、だれか追っかけて、見てくれ」というと、ひとりが「なぁに、山本なら、放っといたってだいじょうぶですよ」と言った。すると松岡は「君なら放っといたって大丈夫だろうが、あいつだけはガラス細工みたいな作りの人間だから。。」と言った。
 
 
以上
 
 
作家の生い立ちと作品に深い結びつきがあることは
私は100%認めています。けれど、作品鑑賞に作家の生い立ちの知識は必要ないと感じています。
 
作品とそれを目前に鑑賞している私との対峙。
 
日本近代日本画、洋画ともに、個と個のこうした深い繋がりを求めていると思うからです。
 
上の記述に、
 
あらためて丘人という人の苦悩、迷い、そして深い悲しみを感じます。
 
そして、多くの優秀な画家を弟子として抱え、それぞれの心の奥を見抜くことのできた松岡映丘という人の懐の深さを思わずにはいられません。丘人という画家が自身を高く作品に昇華できたのは、映丘という師をはじめ、多くの深い優しい心に触れることができたからだろうと思えます。
 
丘人の大好きな佐橋とともに、また皆さまと共に
丘人という画家の作品を、長く鑑賞し続けていきたいと願っています。
 
そして、どちらかで丘人作品をご覧になった時、佐橋美術店のことを少し思い出してくださればこんな光栄なことはありません。
 
 
 
 
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名画グッズ

2019年06月13日 | 日記・エッセイ・コラム
最近美術館で売られているグッズの種類が増えました
 
また、美術館以外の雑貨屋さんでも、名画のグッズをよく見かけるようになりました。
 
と言いながら、つい買ってしまう自分も情けない気がします。
 
 
眼鏡ケースはお友達からのプレゼントです🎁
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お客様よりのお便り

2019年06月04日 | お客様よりのお便り
 
 
 
先日の宮崎智晴さんの展覧会の際にもご紹介いたしましたが、大津絵にご興味をお持ちのお客様が時々鬼の絵を描いてお便りをくださるのを私はとても楽しみにしています。
 
先日は、川端龍子の雷神図をご覧くださり、「大いに刺激を頂いた」とおっしゃってくださいました。
 
ご親友から、赤福餅の朔日餅ならぬ、「朔日鬼」を描いたらどうか?という提案を頂いたとおっしゃるので、私も大いに賛成! ご負担にならない程度に私にも朔日鬼をお送りいただくようにお願いをいたしました。
 
 
そして、お手製の封筒の数々(美術館のポスターやカレンダーを使ってお作りくださいます)と一緒に早速届けていただきました、朔日鬼。
 
 
l
 
龍子のあの雷神をご覧になった後に描かれたこの6月の朔日鬼。
 
長いあいだ背負ったままの唐傘は、いざ雨に降られて開いてみれば役たたずの破れ傘。
 
あるある!!
 
思わず笑ってしまいます。
 
問題は、さてこの破れ傘をどうするか?ですね。
 
私はせっせと捨ててしまうでしょうけれど、
佐橋はきっとまたこれも背中に背負うのですね、きっと。
 
 
佐橋美術店は、そうして今までなんとかやって参りました。
 
 
朔日鬼、また皆様にもご紹介させていただきますね。
 
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