つれづれ

名古屋市内の画廊・佐橋美術店のブログ

店内作業日

2023年07月26日 | 日記・エッセイ・コラム
本日は店内作業日とさせていただいていました。

ちょうど今日は前をお通りになる方たちも少なく静かでしたので、久しぶりに箱カバーの作成に挑戦してみることにしました。

若い頃、私も佐橋先輩からこの箱カバーの作り方を教えて貰いましたが、独立してからは
手伝いに来てくれていた弟や、つい最近までは佐橋がこの作業をしてくれていましたので
作り方を覚えているか?少し不安でした。

箱カバー作成は、額を仕舞う箱が汚れないよう、また古い箱の痛みがそれ以上進まないよう
厚紙で箱を覆うための納品時の作業です。

このほか、簡単な作家の資料や作品の資料をお付けするのも当店流です。

私ひとりになってしまい、それも出来なくなってしまいそうで、お客様がたに相談させていただくと
「そこまでしてくれるお店は他にないのだから、奥さん一人になられたら、無理して続ける事はないですよ。箱はむき出しのままで良いと思います」とおっしゃってくださいました。

そうおっしゃっていただくと、かえって気持ちも楽になり、気になった時だけでもカバーをお付けしようと思え、今日の練習となったわけです。

佐橋に見せたら、ちょっと笑われそうですが、、見えていないと思うので、、、

「思っていたより、案外上手に出来ました!」

今まで通りにはいかないことばかりなのはよくわかっていますが、「今まで通り」を目標にして
時々疲れて臨時休業をさせて頂きながら、何とかその先に歩みを進めたいと思っています。

私の事を心配してくれる息子たちには大変申し訳ないのですが、「今まで通り」が今の私には精神的に1番痛手が少なく、逃げ道、或いは遠回りになってしまっても「安心」に思えるのです。



大暑をすぎ、お暑さを超えたお熱さも、少し和らぐのではないかという淡い期待を持って、忙しかった7月のつごもりを迎えたいと思います。

いつもご心配をおかけするばかりでございますが、皆さまもどうぞお障りなく日々をお過ごしくださいますようお祈りしております。









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手拭い

2023年07月19日 | 手ぬぐい
このブログには、「手拭い」で検索をされて、お立ち寄りいただく方達も多くいらっしゃいます。

各季節、随分多く集め、しかも手ぬぐいというのはなかなか悪くならないので、新しいものを買い足すことを近頃やめて、その記事も減りましたが、先日「憧れの上野動物園」に出かけてきた孫が、私へのお土産にこの手拭いを選んでくれたというので、嬉しく、久しぶりに記事を書かせていただこうと思いました。

夏になると思い出す〜♪

私にとってはそれが手拭いです。

私は夏生まれということもあり、また下町の生まれで夏になるとほおずき市、朝顔市、花火大会、盆踊りなど
想い出がいっぱいで、浴衣や手拭いには特別な思い入れがあります。

関東と関西の手拭いには、それぞれ染め方に違いがありますので、そういった点からも手拭いを集め始めると、絵画を集めるのと同じようにキリが無くなるのですね。


今回のお土産の絵柄は「ハシビロコウ」
超マニアックなチョイスに驚いています。

そういえば、息子もハシビロコウをわざわざ描いたことがありました。






このところの暑さにお部屋にいけたお花さえ直ぐにダメになってしまうのに、ましてクーラーなどない自然界で
生き物達はどうしているかと思います。動物園にいる動物の方が幸せ?短絡的ですが、そんなことさえ考えます。







ハシビロコウは、ペリカン目ハシビロコウ科ハシビロウコウ属に分類されています。

一応分類はこのようにされていますが、コウノトリに似ている、首をすくめて飛ぶ姿勢はサギに似ている、など
なかなか謎の多い鳥だそうです。

アフリカ大陸、東部から中部の湿地帯に棲息し、餌とするハイギョが水面に浮かんでくるまで何時間も動きを止めていることから「動かない鳥」として知られているとありました。



餌が浮かんでくるまで、動かないで待つ!

私には絶対無理だわぁ〜と感じ、あら?雅彦さんなら案外できるかも?

主人→息子→孫

佐橋家男系に、もしかしたらハシビロコウ的要素が脈々と伝わっているのかもしれないと思いました。










この二年ほどは、佐橋は手足を中心に不調が続きましたので、私の彼への朝の挨拶は決まって
「おはよう。大丈夫?」でした。

その癖が今でも取れず、朝二階から降りてきてまず佐橋の遺影に向かい口にするのは「おはよう。だいじょうぶ?」
のままです。

かなり痛いはずなのに、決して「いたい」と嘆いたり、周りに八つ当たりなどしない人でしたので
随分我慢をしてたのだなぁと思う時、今、彼はその体をこの世に失ってしまい、動けなくなってしまったけれど、
かえって楽に、楽しく、じっとハイギョが浮かんでくるのを待てるのではないか?と思っています。

彼にとってのハイギョがコレクターの皆さま⁉️などとは決して思っておりませんのでご安心くださいね😅

「待つ」ということが1番大切であると、東洋思想史の恩師に教えていただいたことがあります。

佐橋は何事にも「待ちすぎ」ていた気もするのですが、この気の短い私のドジも成長もいつもじっと見守り、待っていてくれたなぁと
確かに思い出すことのできる日々を、この頃やっと過ごすことができています。



どのような検索項目であっても、またほんの少しの時間であっても、このブログにお立ち寄りくださる皆様は
みなお客様。

皆様とのご縁が細く、長く繋がって参りますことを祈りながら待ちたいと思っています。











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トレド

2023年07月16日 | 香月泰男
香月の「トレド」は、スペイントレドに実際にお出かけになった事のあるお客様にも、一度も訪れた事のないお客様にも、とても評判の良い作品です。

シベリアシリーズの印象から香月作品には男性ファンが多いという思い込みは、この頃すっかり捨て去りました。

香月の作品はオシャレ!

今まで近代日本洋画にご興味のなかった女性のお客様が最初に入手されたのが、香月のデッサン的な小品。そんなケースも実際にありました。





落ち着いたら、一人旅をし、いろいろな美術館さんにまた伺ってみたいなぁという淡い夢があります。

香月の出身地山口県の香月泰男美術館さんのサイトを久しぶりに覗かせていただくと
こんなチラシと美術館さんの文章を見つけることができました。





香月は1950年代”厨房の画家”と呼ばれるほど、食材を数多く描きました。とりわけ魚は種類も豊富で、近隣の漁場の豊かさが感じられます。魚は香月にとって”私の味覚神経をそだててくれた”と記すほど身近な食材でした。
海はどうでしょうか。香月の故郷、現在の長門市三隅は日本海に面していますが、積極的に選んだモチーフではなかったようです。一方、旅先では、海辺や海岸、船上から見た海を描いています。
香月の描いた魚や海からは、ユーモラスさ、命への慈しみ、自然の織り成す美しさの表現を感じていただけることでしょう。会場には香月が好んで食した魚や、美しいと感じた海が並びます。どうぞお楽しみください。


「地元の海を描かずに、旅先の海を描く・・」

結局香月の作品全体を通して感じられるのは、シベリアの体験を得て、この作家が命をどう捉え、何に「美」を感じたか?ということだろうと思います。

「トレド」は香月が旅先で出会い、美しいと感じ、描きたいと思った場所。

香月らしい描写技術も十分に発揮され、異国情緒、ある種の気分の高揚さえも感じられる作品だろうと思っています。

今回ショーウィンドウにこの作品を飾らせていただいたのは、時々当店の幾つかの作品をご覧になりに自転車を漕いでいらしてくださるお客様に、私が店にいなくても、この作品をお楽しみいただくためです。

作品をお持ちになることはできなくても、シベリアシリーズの香月作品への憧れをずっとお持ちでいらっしゃるお客様もまだ多くいらっしゃいます。

お買い物ができないからと、ご遠慮をなされて、汗びっしょりになって自転車をこがれてきても、椅子にも腰掛けず、私のお出しするお茶も遠慮される。

年金でお暮らしと聞いていますが、きっとご商売をされてきた方だろうなぁと思え、その律儀さに「買わないお客様」というレッテルを勝手につけてしまうのは良くない事と、反省をさせられます。

今の私は、皆様に大変お世話になりながら、その感謝の気持ちさえ空回りをしてしまっているように感じるのです。



この香月作品がこれからどこへ嫁いで行くのか?

佐橋のいないこの店ではその楽しみも途切れてしまうのか?

本当の感謝の心を探せるまで、私はきっとこの仕事のギリギリのところを、しばらく歩いていくのだろうと思います。


香月泰男「トレド」8M
キャンバス・油彩
香月鑑定会




追伸
ブログの記事の整理が進まず、過去の価格設定をそのまま表示させていただいている作品もございます。現在の価格につきましては、恐れ入りますが、メールなどでお問合わせくださいますようお願い申し上げます。











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七夕 2

2023年07月11日 | 日記・エッセイ・コラム
久しぶりに七夕飾りを出しました。

我が家は満中陰の日を迎える週ですので、天に還る佐橋とはひとまずお別れ、そんな気分に七夕の季節がぴったりだと感じました。












小杉放庵の小品と七夕飾りの相性は今ひとつだったかな?と思いますが、放庵作品の好みが2人は少し分かれていたように
思い出しているので、しばらく当店の放庵作品を順に見直してみたいと思っています。











ギャラリーの中はそう変化はありません。





お預かりしていた小絲源太郎の三色菫ともお別れの日が近づきました。

しばらく眺めていようと作品を出してみていると、丁度お立ち寄りくださっていた先輩画商さんがご覧くださって
「ちょっとガラスが汚れているから綺麗にしてあげるといいけれど」とおっしゃってくださいました。


私には認識のなかった事ですし、少し先にお納めの日が決まっていたので、その時は「どうすれば良いですか?」とお聞きし
方法だけお教えいただいて、「このままお納めしても問題はないな」と判断しました。

あとで額の裏を見てみると、細い釘で裏板がとめてあるので、佐橋なら器用に裏板を外し、お掃除をするだろうけれど。。と
思いながら、そういえばいつもとてもお世話になっている額装屋さんに佐橋のことをお伝えし忘れていたことを思い出しました。

ご連絡をすると驚かれましたが、快く額のお掃除を引き受けてくださいました。少し時間があれば当店での作業で綺麗にしていただけるということでしたのでお願いしました。

1番大切な事は、画商さんがお帰りになったあと、私がこの作品の前で自分の姿勢を色々変えてガラスの汚れを探そうとしたことだと思います。

そして、見つけられたら、その汚れが妙に気になり出しました。

60、いえもうすぐ61歳になりますが、額の前で身を捩りながら汚れを探している自分に気づき、笑え、それと同時にどんなに小さなことでも学べることは楽しいことだなぁと思えました。


佐橋やこの先輩画商さんには遠く及ばず、とても恥ずかしく、また穴蔵に隠れていたい気分になることも多々ありますが、それでも
学べることがあるならば、今週も店に出て作業を進めさせていただこうと思っています。




















鳥海、金山、香月の応接室。

夏に暑苦しいかと思いきや、その重厚感に気持ちが落ち着いて参ります。



今週は、佐橋が最後に発注した額装作品が戻ってくる予定です。

悲しみの「鎧」を纏い、自分を守り続けやっと50日。

薄皮を剥がすように無理なく、悲しみのベールを少しづつ脱ぎ捨てながら、
いつか、この思い鎧を天女の羽衣のように軽く、美しいお衣装にかえていきたいとばかり願っています。

天女のように、私まで天に召されては困りますけれど💦

大変お暑く、また変わりやすい天候が続いています。
どうぞ皆様、お気をつけてお過ごしくださいますようお願い致します。







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画商という仕事

2023年07月08日 | 日記・エッセイ・コラム
先日、孫が初めて筆を持ったときに、書いた文字です。

4日に丁度3歳になりましたが、この書を見た時、私はあっさり書のお稽古を辞めようと思え、本当にやめました😅

この作品を見て、専門家の妹はすぐにとらやさんの暖簾の画像を送ってくれました。



なるほど!
余白の取り方というのは、生まれた時からすでに持っている感性なのかもしれません。





一人になってしまい淋しいといえば勿論、さびしいのですが、そして本当に寂しくなるのはもっと後になるのかもしれませんが、突然目の前から居なくなった祖父がよく被っていたことを覚えてくれているのか?




帽子を被るのが大嫌いであった孫が、最近、お家でも帽子を被るようになったりする姿を見ていると目には見えない生命のつながりというものを深く感じることができますし、(ダンゴムシと遊んでいます)

以前の記事でお伝えしたように、私の住む古い家には、イモリだったり、蝶だったり、蜘蛛だったり、毎日話かけるお相手には事欠かないので、あら?今もこうして朝やはくから記事を書いていると




見たことのない猫さんが、どういうわけか我が家の住人のように外を眺めていたり。。。

とにかく「私は熊谷守一か?」というような生活は案外楽しいものだと思っています。









熊谷守一は、あの大原美術館にある「陽の死んだ日」に深い感銘を覚えてしまってからは、それ以降の特に、守一調の晩年の作品に
私は何か疑問を持つようになってしまいましたが、疑問というのは「守一はその世界に逃げ込んだのだ」と思えたからですが、守一という人間の本当の欲やずるさを1番よく感じ、知っていたのは、やはり守一自身であったのではないか?と今は思うようになり、彼が鉛筆一本、筆一本あれば他は何も要らないという生活を送れたことを初めて羨ましく感じられるようになりました。

そういえば、妻を四十代で亡った私の実父は、いつも大真面目に、ホームレスの人々の生活に憧れていたのを思い出します。

私には、例えば世を捨てても、自分の命をかけられる筆も鉛筆もありません。


佐橋を亡って残っているのは、結局この店だけです。









画商さんには色々なタイプの方がいらっしゃいます。

最も大切なのは、ひと目作品を見れば、その真贋、状態、額や表装の状態がわかるスキルを十分に身に付けていること。

そして、この業界の片隅の片隅に暮らしてきた私が書かせていただくのはおこがましい事ですが願わくば、画商は現実の世界と目には見えない非現実、超自然の世界を行ったり、来たりできる感性を必ず何処かに残しつつ仕事をしていくのが良いのではないか、それが絵がわかるという事ではないか?と思えています。


そして、このスキルと感性を併せ持つ画商さんは実際にはそうはいらっしゃらないのだと実感します。

佐橋が目指していた理想の画商の姿を、私にはそれを引き継いで追いかける事はできませんが、佐橋が教えてくれたこと、そして今私に多くの事をお教えくださるお客様、また近くにいて支えてくださる画商さんを頼りに、私なりのお仕事をさせていただけたらと思っています。

少しだけ、店内の掛け替えをさせて頂きました。

またご紹介させて頂きますね。


















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