つれづれ

名古屋市内の画廊・佐橋美術店のブログ

フリージア

2024年01月16日 | 竹内栖鳳
毎月、第二土曜日はほとんどご予約もなく、また店の前をお通りになる方も極端に少ないので、今月はお休みにさせていただこうか?と思っていましたが、梱包や箱カバーなどの作業が残っていたので出社することにいたしました。






名古屋もみぞれのような雨が降り、寒い一日になりました。
この季節になると、水仙やフリージア、蝋梅などの黄色いお花が香りよく、とても美しく感じられますね。
自然というのは、季節にあった色、味、音を用意してくれているのだと思います。






今までの梱包作業は全て佐橋がしてくれていました。
昨年夏からは、ご遠方のお客様が思いがけずご厚情をお寄せくださる事が多く
私が昔を思い出しながら、梱包をさせていただいていますが
全て佐橋のしていたようにとはならず、それでも少しずつ作業に慣れてきたかなと
思っています。







エアーキャップを使おうと巻きを緩めてみると、途中からマジックで書かれた落書きが出てきました。


そういえば、ちょうど梱包作業をしている時に孫が遊びにきてくれて、「ここにお絵描きをしていいよ」とマジックを私が渡したのでした。


お絵描きは大好きで、赤ちゃんの時は面白い線を沢山書いて見せてくれましたが
2歳を過ぎてからは気に入って⭕️を描くようになりました。





左から ○Ⅰ○Ⅰ○Ⅰ○Ⅰ  そして最後は顔を描いています。

まるでこの世の構成の全てがここに表現されているようです。

何も思い悩まなくても、生まれ落ちた時から人は全てを持っていると言えるのかもしれないと
エアーキャップの孫の落書きに教えて貰っています。


今思っていること、考えていることはなかなか言葉にできません。
まだうっすらとしか見えてきていないからだと思います。

ただ、佐橋は過不足なく私を守るためのものを残していってくれた。
このブログをお読みくださる皆様がいてくださるおかげで、私はそのことに気づき始めています。

フリージアの花言葉は 親愛の情 友情  感謝 
特に黄色いフリージアには 「無邪気」も添えられるようです。


大寒が近づき、お寒さが極まっています。
みなさまご自愛くださいますようお願いいたします。

今週もどうぞよろしくお願いいたします。




竹内栖鳳 軸 村居 紙本 彩色 共箱 


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竹内栖鳳 軸

2022年06月23日 | 竹内栖鳳
又新しい栖鳳作品を仕入れさせていただきました。








「皐月雨」

皐月雨は文字通り、5月頃の長雨を指す言葉ですが、これは旧暦によるものですので、実際は梅雨の頃を描いた作品だと思われます。








制作年は、印譜などから大正末から昭和の始めにかけてだと思われます。
栖鳳は絹本の良さを充分感知し、効果的に墨をのせて雨の粒子の大きさや風の向きや強さまで鑑賞者に実感させてしまいます。

その天才的な技術だけでなく、栖鳳の「情緒」を感じることのできる優しい良品であると思っています。


竹内栖鳳 軸 皐月雨  絹・墨 127×41.5㌢ 共箱 
軸全体の長さ 220㌢ ☆





◇   ~30万円
☆  ~50万円
☆彡 ~100万円
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⏺️ 詳細はお問い合わせください


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竹内栖鳳

2022年06月13日 | 竹内栖鳳
お休みをいただいている間は、余りブログを書かないようにしていますが、前の記事に後輩のKさんがコメントをくださったので少し書かせて頂こうと思います。

「これは名作ですね。
表装は確かに残念ですが、作品自体は世が世ならという感じがします。」


ありがとうございます。

栖鳳の絵のうまさには、もう何の文句の付けようがありません。

が、この頃私達は栖鳳の作品に少し疑問を抱いていました。

栖鳳の作品は、果たして良い絵なのか?


そんな時、佐橋がこの上の画像の本を読み始めたのですね。

この本は、以前、、もう亡くなられてしまいましたが、色々な意味で影響を与えてくださったお客様の紹介で津田青楓に初めて私が出会った時に求めた本です。その時は、私もザーッと流し読みをしましたが、すっかりその内容の事は忘れていました。


今回、津田の油絵を入手しましたので、佐橋が少し勉強をしようとこの本を読み始めたのです。


そして、京都の交換会に伺う前に、2人でこんな話をしていました。



「漱石も青楓も、栖鳳の作品を評価していないんだよ。精神性を感じないってね。絵は下手だけれど、大観の方が中身があると言っている。京都画壇の作品を扱う時、栖鳳は外せないけれど、いままで感じてきた栖鳳作品への違和感はそれだったかな?と思う」


「そう言われて気づいたけれど、私もこの本を読んだ時、なるほど!その通り!と思った記憶がある。確かに、晩年の水墨画でも、軽々しく感じる事があるし、栖鳳の絵には、情感が伝わってこないことが多い。だから、かなりの栖鳳作品を手放してきたけれど
手元に残った作品を見ていると本当に栖鳳は軽いのか?京都の人の心が関東人には伝わりにくいように、栖鳳の魂が見えにくいだけではないのかな?と思いはじめたところよ」

美術、音楽、全ての芸術に精神性は必要なのか?という根本の問いもあるでしょうけれど、精神性という言葉に、宗教的な意味だけでなく、愛や情というものも含めれば、少なくとも絵画においては、精神性のない作品は飽きがくると言えるように思います。それは、抽象、具象の境もなく、画家の人間としての魅力に関わるものだと思います。




絵のうまい画家の作品の選び方。

杉山寧も含め、これから私達には大きな課題になりそうです。

明日からの一週間もどうぞよろしくお願い致します。



コメント (2)
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竹内栖鳳資料

2020年02月29日 | 竹内栖鳳

竹内栖鳳資料(たけうちせいほう)

略歴

1864年(元治 元年)   京都市の川魚料理店「亀政」の長男として生まれる。本名恒吉。

1877年(明治10年)    四条派の土田英林に絵を学ぶ。

1881年(明治14年) 幸野楳嶺の私塾へ正式入門。四条派を学ぶ。棲鳳の号を受ける。

1884年(明治17年) 京都府画学校の北宋画科に入学。フェノロサと会う。

1886年(明治19年) 京都青年絵画研究会結成。

1887年(明治20年) 京都府画学校修了。絵師として独立、結婚。

1891年(明治24年) 京都青年作家懇親倶楽部を結成。

1894年(明治27年) 如雲会委員となる。

1895年(明治28年) 京都市立美術工芸学校教諭となる。

1900年(明治33年) 渡欧。パリ万国博覧会で「犬 雪中操雀」が銅牌を受賞。

1901年(明治34年) 帰国。号を栖鳳と改める。

1907年(明治40年) 第1回文展の審査員を務める。

1909年(明治42年) 京都市立絵画専門学校開校し、専任教諭となる。

1913年(大正 2年) 帝室技芸員になる。

1917年(大正 6年) 京都市立絵画専門学校の教授となる。

1918年(大正 7年)    国画創作協会顧問になる。

1919年(大正 8年) 帝国美術院会員になる。

1920年(大正 9年)    翌年とあわせ2回にわたる中国旅行をする。

1925年(大正14年) 勲五等瑞宝章を受章。

1936年(昭和11年) 京都市美術教育顧問になる。

1937年(昭和12年) 横山大観とともに第1回文化勲章受章者となる。

1939年(昭和14年) 大礼記念京都美術館顧問になる。

1942年(昭和17年) 湯河原の別荘で逝去。78歳。

 

画風・特色

早くから各種展覧会や共進会で受賞を重ね、フェノロサに啓発されて京都青年絵画研究会を結成するなど、京都画壇における若手の花形的存在であった。もともとは円山・四条派を基礎とする古画風であったが1900年の渡欧後、ターナーやコローなどの影響から西洋の写実表現を巧みに取り入れ独自の画風を確立し多くの傑作を発表、画壇の代表的存在となった。1920、21年の中国旅行以来、軽妙洒脱な筆致による新たな画境も開拓する。又土田麦僊、上村松園など多くの画家を育成し近代日本画の発展に大きな業績を残した。

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竹内栖鳳 軸 村居

2019年11月01日 | 竹内栖鳳
 





白菜としめじと栗を描いたこの作品に「村居」と題することに、まずこの画家の「妙味」を感ぜずにはいられません。
栖鳳は「村居」という作品を昭和8年湯河原に滞在したころに幾つか残しています。したがってこの作品も文化勲章を受章する、画家70歳前後の作品かと思われます。小さな画面いっぱいに描かれた白菜の肉厚な白い芯、しめじのぷりぷりした軸。。栖鳳ならではの筆遣いをお楽しみいただける作品です。



 
栖鳳にこういう物を描かせると、何故かとても安心して鑑賞できるのですね。
 
精神性や主義主張を求めずに、、という事だと思います。
 
 
名古屋に嫁いできて、今更わかったことですが、
関東と関西の間で、この土地柄は独特の文化を育みましたが、
どちらかといえば・・やや関西より。
 
京都画壇に京都の方々のように全くの信頼を「寄せきる」ことはなく
けれど、関東画壇の作品だけでは少し寂しい。
 
結局、どちらも欲しい。
 
名古屋の風土の求める「美」は、ちょっと大袈裟ですが💦
今の当店そのもの! と言えるのかもしれません。
 
 



 
 
竹内栖鳳  紙本・彩色  軸 「村居」 26.1 ×23.1センチ  
共箱  東京美術倶楽部鑑定書有
 
軸装全体の大きさ 120×36㎝  軸先 41㎝   
 
 
 
 
 
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