名古屋城の周りでランニングするサンタさんを多数発見!
皆さん、色いろイベントを考えられますねぇ〜
そして、結婚30年目にしてとうとう私達にも現れました!サンタさん🤶
きっと、私達の顔を思い浮かべ、一生懸命にプレゼントを選んでくださったのだと思います。
可愛い、可愛い、サンタさん💕プレゼント🎁ありがとうございます。
上野にルーベンス展を見に行ったお友達からは、絵葉書を送って頂きました。
見応えのある企画のようです。ルーベンスの作品は見る度に新しい感動があります。
来年は1月14日から上野で書の顔真卿(がんしんけい)の展覧会も有りますので、合わせて拝見出来たら良いと思います。
さて、お正月と更にもう一度、上京できるかな?
ルーベンスは1月20日迄なので、チャンスはありそうですけれど。。
来年こそは!と今頃の季節にはいつも思うのですが、今年も実現できなかった事が多くありました。
特に旅行や美術館巡りは出来ませんでした。
が、その分ストレス発散に買った物、特に派手な柄の靴下はまたまた増え、足を増やしたくなる程の数になりました🐙💦
今年は冨田渓仙の作品を多く集めさせて頂きました。
かといって、まだまだ皆さまにお求め頂く機会は少ないのですが、まさに「自己満足の世界」で大変満足致しております^^;
今回は「雪」を二題。
竹林残雪 と 兎道春雪図 です。
雪を描き分ける。
しかもこの早い筆の運びの中に構図、墨の濃淡、余白、色彩に色々な配慮、技法を取り入れ、日本の冬から春の季節の移り変わりを見事に表現しています。
竹林残雪 では、山々にまだ雪を深く残しながら、空に高く伸びようとする竹が決して積雪を許さず、雪を次々に溶かし、それを川に勢いよく流していく印象を..
兎道(うじ)春雪図では、、京都宇治の山深い寺院の屋根を、春の水分を多く含んだ雪が少しづつずれ落ち始めている様子を
紙の素地の白を活かして表現しています。
画面の一番下、川の薄い青はとても綺麗で、竹林図の川と比べ、その流れは穏やかです。
空の明るさ、雲の流れ方、山の高さ、植物の植生、建物の美しさ、川の傾斜、水量、雪の質感、働く人の命、
全てを教え、私をこの場に誘ってくれる作品たちです。
特に春雪図の表装は、中村鶴心堂さんによるもので大変美しく、重厚感があり、56歳という若さで他界した渓仙という画家が、その短い生涯にいかに立派な境地に辿りつき、広く画壇で活躍をされていたかをよく伺える手当が施されています。
こうした作品を眺めることの楽しみ、ウキウキ感を、お若い世代の皆さまにお伝え出来れば私たちも画商として一人前であろうと思いますが、まずこうして事あるごとにギャラリーに作品を飾り、小窓の外から、またお立ち寄りくださる皆様に作品をご覧に入れることが大切だと感じています。
クリスマスのイルミネーションの美しい名駅、栄辺りのお散歩のあとに、どうぞ東区高岳の小さなギャラリーの小窓を
少し覗いていただけましたら幸いです。
※納品のため、竹林残雪図の画像を削除させていただきました。
先日兵庫の絵葉書資料館さんのHPにアクセスをさせていただき、絵葉書を何枚か選び、送って頂きました。
主に、近代日本画、洋画家の作品の絵葉書です。
その中には小林古径の絵葉書もありました。
私はこの絵葉書に描かれた少女像がとても気に入ってしまい、これを何枚か求め、手元におきましたが、
どうしてもここに書かれた文字が読めず、またこの古径の作品はどんな時期にどんないきさつで描かれたものなのかが
知りたくなり、思い切って古径作品にお詳しいお客様にこの葉書をお送りし、おわかりになることがあったら
お教え頂きたいとお願いをいたしました。
ここからは少し長くなりますので、お時間がございましたらお付き合いくださいませ。
まず、この作品について、このお客様も今年初めにこの絵葉書にご興味をお持ちになり、資料として絵葉書より大きなサイズのものを絵葉書資料館さんからお求めになられたとお知らせいただきました。
そしてこれは春陽堂発行の「新小説」の付録の絵葉書の画として、古径さんが随分お若い時に描かれたもので、
この絵葉書に書かれた文字はどうやら古径さんの手によるものではなく、付録の絵葉書をどなたかがお使いになられて書かれたものだろうと推測されているというお返事をすぐにいただきました。
念のため絵葉書資料館さんにもお問い合わせくださり、裏面の宛名などの情報をお聞きくださったようですが、回答は得られなかったそうです。
(葉書に書かれた文字、お便りの内容も読みくだしてくださいましたが、ここでは省略させていただきます)
以下はその際お教えくださったメールの抜粋です。
絵葉書資料館から入手致しましたA4サイズの古径さんの複写資料の
欄外には、「花を持つ女性」と印字されていましたが、この画は一体何な
のかと思いまして、少し調べて見ました。日本近代文学館所蔵資料に関し
て、「新小説総目次・執筆者索引」(稲垣達郎・紅野敏郎編、八木書店)が
刊行されて居りました。さっと見ただけですが、古径さんに関連する事項
は、「新小説 第八年第十二巻」(明治三十六年十一月一日発行)でした。
表紙は黄菊白菊、絵葉書(天長節)、小林古径、口絵といった項目が列挙
されています。明治天皇のお生まれになった十一月三日の天長節、菊花
も何となく分かるような気持ちが致します。現在、国立国会図書館への複
写依頼を致して居ります
そして後日、またこの作品についての情報を以下のようにお伝えくださいました。
複写資料によりますと、古径さんの描かれた絵葉書の題名は矢張り「天長節」
のようです。二枚一組の体裁による絵葉書で、マイクロフィルム資料のために
モノクローム複写となりました。明治三十年の帝国図書館設立後の納本制度
による受入資料と思われます。サイズが重いので関係箇所のみ添付ファイル
にて二度に分けて送信申し上げます。
以下が添付してお送り頂いた資料です。
まず明治36年11月1日発行の「新小説」の目次から。
ご覧になれますでしょうか?右のページの一番下に絵葉書の紹介があります。
そして
こちらが新小説の表紙と付録としてつけられた絵葉書二枚のコピーです。
私は、この資料を拝見したとき何だか涙が出てきてしまいました。
この小菊を持つ少女に「貴女にここではあえました」
そんな気持ちを持ったからです。
明治32年16歳の時に上京した古径は当店でもよくその作品をご紹介いたします梶田半古の画塾に入門しました。
その時梶田半古は30歳の若さで既に新聞挿絵の世界で実力派の画家として名前を知られましたが、まもなく病に臥すことが多くなり、古径は自分の画家としての修行とともに、塾頭として他の弟子の面倒もよくみていたといわれています。
画家としての夢と現実の生活の苦労という混沌のなかにあって、20歳の古径の心情は如何なものであったかと想像をしますが、
この可愛らしい小菊を持つ少女を観ると、古径はもうすでに古径であって、筆をもったときの古径はきっといつも無のなかにいたのではないかしらと感じられます。
古径さんに関するものは出来る得る限り蒐め、基礎的な資料にしたいと
考えて来ましたが、特に越後から上京された前後の明治三十二年頃の
原資料は中々大変です。實業之日本社の「幼年の友」や付録の「双六」
、少年雑誌に描かれたもののほか、若き画家の生活の糧の一つとして
の挿絵等も随分とあるように考えて居ります
この「つれづれ」に記事を書かせていただくようになり八年半が過ぎました。
思いがけず長い間、拙い文章を皆さまにお読みいただくようになりましたが、当初想像もつかなかったお客様とのお縁を多くいただくことが出来ました。
そして皆さまに多くの自信を頂き、益々自分達の好きな画家、作品を扱わせていただくようになりました。
私はもともと小林古径の作品が大好きでしたが、最近ではその素描に強く心を惹かれるようになり、
こうしてライフワークとして古径の作品と生涯をお調べになられているお客様ともお会いすることができました。
たった一枚の絵ハガキから、これほど豊かな情報を得られましたのは、この少女についてもっと知りたいという私の気持ちをお客様がお察しくださったから、また「古径」という画家がたとえそれが雑誌の挿絵、付録の絵葉書の上であっても、その時の古径の筆を精一杯残してくれたからだと思えます。
メールの抜粋をお読みくださればおわかりになられますように、大変お優しく、美しい文をお書きになられるお客様に古径のことばかりでなく、私は沢山のことをいつもお教えていただいております。当時の挿絵に関する資料は少なく「これは本当に古径さんの手によるものか」と思われる作品もあるようにお聞きいたしましたが、勝手ながらこれからもお身体をおいといくださり、ご研究をお続けいただきたいと切に願っております。
今年もあとわずかになりました。年末年始も少しづつブログを更新させていただきます。
どうぞ、またお立ち寄りくださいますようお願い致します。
明治30~40年代の古径の素描作品
明治35年 妙音
明治40年 闘草(くさあわせ)
皆さま、今週もお元気に週末をお迎えでしょうか。
今年の当店は
このようになっている時間が長くありました。
ご贔屓をいただいたお客様がたのお宅の代替わりに際し、お荷物の整理を手伝わせて頂くことがございます。今年は特にそのお仕事を多く頂くことがあり、佐橋が腰を痛めることにもなりました。
お預かりした荷物を一度店に運び込み、それぞれを拝見して,メモを取り、交換会などそれぞれの売り先をきめていきます。
そしてそれをまた車に運び、売り先に作品を預けに行くという作業の繰り返しになります。
出来るだけ店内を早く片付け、ご来店のお客様にこの様子をご覧に入れないように努めますが、作品が100、200になりますと、夜遅くまでや開店休業状態でこの作業を続けることになります。
昨日、今日もこの作業があり、ご来店のお客様にご迷惑をおかけしました。
この状態のまま、お客様とお話しさせて頂いたり、お見送りをさせていただいたり致しました。
画廊の仕事も色々あり、ホコリだらけになりながらの作業も多くありますが、結局、お客様に長くご厚情を賜りながら、色々な作品、お道具、雑器に一つづ触り、真贋の眼を鍛えていくことが大事なのだろうと思います。
と。。。。
ブログを書けない言い訳をさせて頂きました。
さて、小杉放菴の作品をもう一点ご紹介いたします。
天狗さんが3匹です(調べましたところ、天狗は~人でなく~匹と数えるそうです)
天狗には色々な説があるようですが、ここに描かれた天狗は平家物語に書かれている「人にて人ならず、鳥にて鳥ならず
犬にて犬ならず、足手は人、頭は犬、左右に羽根がはえ、飛び歩くなり」にぴったりの容姿です。
ちょっとお顔が犬には見えず、どちらかというと鳥?のようにも思えますが。。
また天狗は慢心の権化と言われるように普通鼻が高いというイメージがありますが、こちらは何とも剽軽なおじさんのお顔で
日本独特の山岳信仰に基づく山伏の装束も、余り似合っていませんね。
小杉放菴の作品の魅力は、放菴が国学者の父をもち、漢詩に通じ、東洋の多くの思想、神話、古典、また絵画を池大雅、浦上玉堂などに深く学びながら、結局一人の人間の「いのちの問題」に立ち返ろうとした、そのひた向きさ、純粋性にあるように感じています。
生きることは、結局貴く、明るく、清く、美しいことである。生まれてきたばかりの赤ちゃんに誰もが感じる、あの感謝と祈りの気持ちを放菴は描き続けたと言えばよいのかもしれません。
だからこそ、仙厓の作品を多く収集した出光佐三は自ら請いて放菴と出会ったのだろうとも思えます。
「愛らしく、明るかるべき日本の風景」は小杉放菴が好んだ言葉です。
こちらは「腰掛落款」といわれる印譜(放という文字と庵という文字が印影に腰を掛けているように見えるからだそうです)、昭和22年以降の作品であることがわかります。
小杉放菴 軸 「天狗」 紙本・彩色 31.7×38.7㎝ 共箱