つれづれ

名古屋市内の画廊・佐橋美術店のブログ

山口薫作品

2023年02月06日 | 山口薫
久しぶりに山口薫作品を応接室に出しました。

思うに、これほど「当店の山口薫らしい作品」はないように感じます。

詩人 < 絵描き  の作品といえましょうか?

「湖畔を飛ぶ影」

ともすると中学生も描きそうな場面に湖畔という音の響きを選ぶ薫のセンス。

計算された遠近と観る者を「人恋しくさせる」美しい色の展開。










日本人の素晴らしさは境界線を引かないこと。

こうして薫作品を見ていると日本画への理解が一層深まるような気がし、逆に日本画を鑑賞せずに日本近代洋画を味わう事はできないように思えてきます。


また明日以降、展示の様子を御覧いただこうと思います。

今週もよろしくお願い申し上げます。







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予想に反して

2022年09月18日 | 山口薫
私個人の予想に反して、皆さまに「良い」と言っていただくのが、この作品です。








正直に申し上げれば、私共の所蔵の作品の中で、私が最も「よくわからない」と感じ、私なら絶対仕入れないだろうと思えるのがこの作品なのです。


ごく馬鹿のような顔をして私は街をゆく 心の楽しいとき



さて、そこで考えます。

私がこのブログで、「良い」「素晴らしい」と皆様に各作品をご紹介する意味があるのか?と。

良い、良い!と言われても、良いと思えない作品って必ずあるものですね。






このブログ「つれづれ」を書き始めたのは2010年6月です。

あれから12年。

そして、この1週間は、珍しく連日記事を書かせていただきました。
多分、この12年で初めての事だと思います。

それには、色々な理由がありますが、連日記事を書かせて頂いて気づいたのは、「案外無責任に記事が書けてよいな」「淋しさが紛れるな」ということでした。


だからといって、私のことですので、また記事の更新がバタっと止まることが多々有ると思いますが、インスタグラムのように、連日当店の作品を画像でご紹介するだけでも、皆さまに小さな安心をお届けできるのかな?とふと感じられました。



皆さまのご意見も伺ってみたいなと思います。








読み手にお返事をねだるのは私の甘えかな?ま、いいか、、
苦しいと認識しながら、逆に私の心は今少し楽しいのかもしれないし。



予想に反して、、

もしかしたら私こそ、この「牛」に大きな影響を受けているのかもしれません。

絵と暮らすってそういう事だとも思います。














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2022年09月13日 | 山口薫
いよいよ、柿を飾るのに相応しい季節がやってきます。





向かって1番右の赤い柿は、間違いなく熟れすぎているな!と、やっと気づく私。





熟れた柿のジュクジュクは、赤い丸の背景で
まだ青い柿の背景は、青い丸の背景色で

それとなくイメージの調和を図っているように感じます。



佐橋に今更尋ねるのも怖いです。

又、ブログをお読みくださる皆さまに、こうしてお伝えするのも恥ずかしいです🫣

が、柿ほど、実の青い硬い頃からジュクジュクに熟れたところ迄楽しめる果物はありません。

渋くて食べられないものも、干し柿になります。

菊と同じように、実に日本らしい美しさをもつ植物、実です。



画家の前で、その方の画集を開き、掲載の作品の一つひとつについて、どのような意図、気持ちでこの作品を描かれたか?を尋ねてみたい気が時々します。

けれど、そんな野暮はしないように、、私達は物故作家の作品を扱っているのかもしれないなと
この頃思うのです。

余計なお喋りは要らないはずなのです。

ましてや、描いた画家の解説を正解としてしまったら、こんなにつまらない事はありません。

正解を求めて、コレクションを続ける危うさをいつも知っておかなければならないと思います。

真贋、金銭的価値、来歴、鑑定。

それらの条件を揃えることを、コレクションとするのではないはずだからです。

牛乳瓶の紙蓋を集めるように、、それがコレクション。

人の美しく、哀しいサガだと感じます。




お暑さが残ります。どうぞ、皆さまお気をつけてお過ごしくださいませ。

今週もどうぞ宜しくお願い致します。



 







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山口薫

2022年06月25日 | 山口薫
展覧会のご案内をご覧くださったお客様から、温かなメールやお電話を頂戴しております。

「日本画、洋画を問わず、佐橋さんのところの作品は自分の好みにあっていて、好きです」

そうお伝えくださるお客様のお声を何よりも嬉しく感じて居ります。

まことにありがとうございます。

長谷川利行の作品は、皆さまに関心をもっていただけるところ。
そう思いながら掲載をさせていただきましたが、申し訳ございません、まだ価格の設定をさせていただいておりません。

大変申し訳ございませんが、もうしばらくお待ちいただけますようお願い申し上げます。




さて、山口薫と言えば、やはり京都の何必館(かひつかん)さんの事を思い出される方も多くいらっしゃると思います。

今週、私はその何必館さんの図録を見て過ごしました。







「いつも自分の絵の前にあることが一番楽しい。」

「絵を描く技術を身に着けたことは、なんとありがたいことだと思うこともある。」


というのは、薫自身の言葉ですが、

「思うこともある」

ありがたいことだと思うこと、、も 、、

いかにも薫らしいですね。





そしてこの図録の詩文のページに、





「ごくありふれた馬鹿のような顔をして私は街を歩く心たのしいとき」
という文を見つけました。








当店の作品には、「ありふれた」という言葉が見当たらないので
ちがった作品、或いは詩文の中からの抜粋だと思われますが、
このフレーズを薫は気に入って幾つか書いたのかもしれないなと思いました。

いずれにしても、薫の「小さな幸せ」を感じる詩です。




この図録には他にも山口薫の言葉が幾つか載っています。




美は形式ではない。
どこかもっと奥まった所に
それは何だろう
感性なのか



品のある絵を  画格
品のある絵を考えてみたけれども
夢のようでわからなかった




きたないと思うけれど何だかきれいだ
それが美術だ






以前にも書かせて頂きましたが、仕事にはその職種それぞれの「毒」があるように思います。一つの事を極めるという事は、偏るということ。何かを得るということは、何かがするりと落ちて失ってしまうことだとも思うのです。

薫は画家という仕事に救われながら精進し、けれどそれ故に失ってしまうものも十分にわかっていたような気がしています。

迷うということの美しさ。

体裁を整えて言えば、そんなことだろうと思います。


迷える者同士のつながり。
コレクターのみなさまと画商とのご縁も、案外そういったものかもしれず、
それなら尚更、細く長く、そのご縁をいつも心に感じていたいと願います。

今週は更新が余りできませんでしたので、明日にでもまた記事を書かせていただきます。

とてもお暑いので、どうぞ皆さま、ご自愛くださいますように。








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山口薫

2022年06月05日 | 山口薫
もう一点、新しく入手致しましたのは、山口薫の水彩作品です。

まだ入手したばかりですので、こちらも飾り付けの準備ができましたら、あらためてご紹介いたしますが、何と言っても薫の詩、そして牛の顔。








私は、薫について余り調べた事はありません。作品に対する評価、批評文にも余り触れた事がありません。
ですから、皆さまが良くご存知の事を、ちんぷんかんぷんにここに書き、「え?」と思われてしまう事があるかもしれませんが
それを恐れず、いつものように勝手に書かせていただく事にすると、、



薫にとって、犬や猫は家族、馬は自身、牛は思い出や憧れを意味する様に感じられています。






「ごく馬鹿のような顔をして私は街をゆく 心の楽しいとき」



この詩を読んで佐橋は涙が出そうになったと言い、この作品を高く評価しています。

私にはこの作品も、佐橋の評価も、やはりよくわからない部分が多くありますが、


ただ、今更に驚くのは「心の楽しいとき」という言葉です。


「楽しい時は、思わず顔がほころんで街を歩いている」とだけなら普通なのですね。


けれど、薫は最後に「心の楽しいとき」と添えています。

そうした「楽しい自分」さえも冷静に見てしまう、疑いを持ってしまうのです。


その時は本当に楽しかったのでしょう。

牛の角と角の間に小鳥を乗せたい位🐥

けれど、楽しい気持ちは水彩の絵の具のように直ぐに水に溶け出し、淡い思い出になっていきます。




薫作品に皆さまは何をお求めになるのでしょうか?

私はこの作品を高く評価したいという主人に驚き、長く一緒に暮らしながら、まだちっとも薫の事も、佐橋の心も理解していないことにショックを受けました。







かと言って、若い時のように、相手を深く理解しようとは思いません。

ただ、私と違う心がそこにある、それはこんなに深い哀しみなのか、、
それだけをわかっていようと思います。そして、これからも薫からも佐橋からも離れずにいようと思います。




よく見ているとこの顔は鹿の様にも感じられてきます。

えー〜ー、しか⁉︎ 


杉山寧作品も薫作品も、店内に飾らせていただきましたら、またご紹介申し上げますね

















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