つれづれ

名古屋市内の画廊・佐橋美術店のブログ

国立博物館と近代美術館の常設に。

2018年04月25日 | おススメの展覧会、美術館訪問



国立博物館も近代美術館も常設展のレベルが非常に高く、いつも驚いてしまいます。

今回は この高村光雲の木彫「老猿」と梅原の風景画「城山」がダントツに素晴らしかったと思います。

この画像は佐橋が携帯で撮影してくれたものですが、昨年のお年賀状に彼がこの木彫作品を鉛筆で描いた時のアングルにそっくりで笑えました。

佐橋はこの角度からの老猿こそ、光雲の作品なのだと思っているのだと思います。

確かに猿の眼差しが一段と深く感じられるのですね。



美術館でも最近は作品の撮影を許可してくださる所が増えました。

皆さま、是非一度お気に入りの作品の写真をお撮りになってみてください。

ご自分の感じたままの作品が映像に残ります。

気の無い方がお撮りになった写真は、残念ながら気の無い美術作品の画像になります。

ご自分が作品に何を求めているかがよくわかるのです。


梅原については、「梅原作品を選ぶ際の私達の基準は、間違えていなかった。」

そう自信を持たせてくれるような作品でした。それ以上は何も言えないくらい完璧な作品です。


野田英夫の油彩画、玉堂の屏風、国吉康雄の油彩画、須田国太郎の油彩画も素晴らしい作品でした。

そして、今回はなんと!冨田渓仙の屏風を見る事が出来ました。

優しく、明るい作品、この抜け感がたまりません。

紙をすいている女性3人がとても可愛いらしく。。私は何故か妹と姪のことを思い出しました。

一緒に家事をしたり、働くとき、一番息が合うのはやはり姉妹同士、家族同士なのかもしれないと思います。



おかげさまで風邪が随分よくなりました。

私は小さい時から、本当によく風邪をひいて寝込むことが多くて‥そんな自分を大変嫌っていましたが、

極端に弱い所のある自分だったからこそ、今のこのお仕事に巡り会えたのかもしれないとこの頃思うようになりました。

50代は自己肯定を始める年代だと書かれた本を読みましたが、私は順風満帆に加齢しているということでしょうか?




自己否定も自己肯定も、どちらも美術品に触れる時には大切なことのように思っています。

何でも有りだ! いつも画家達がそう教えてくれています。





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上京

2018年04月24日 | おススメの展覧会、美術館訪問

土曜日に臨時にお休みを頂いて、東京に行かせていただきました。

一泊で、幾つかかのオークションを覗かせて頂いたり、銀座の画廊さんに伺ったり

国立近代美術館の生誕150年横山大観展、

日本橋三井記念美術館の没後200年 大名茶人松平不昧 お殿様の審美眼




東京国立博物館の特別展名作つながる日本美術誕生

を駆け足で 巡らせて頂きました。


途中、懐かしく銀座を歩いたり致しましたので、普段から余り歩くことのない私は、疲れ果てて風邪をひいてしまい、昨日、今日と殆ど仕事を休んでいる状態ですが、

佐橋は、明日、明後日と、今度は京都で交換会の大会が有りますので、その準備にかかっています。

連休明けには、新しい作品も含め皆様にご紹介出来ればと思っています。

又展覧会の企画も進めて参ります。




拝見してきたそれぞれの展覧会のご紹介を、また少しずつさせて頂くつもりで居りますが、珍しく会期の前半にそれぞれに出かけ、皆、大変良い展覧会だと思いましたので、皆さまどうぞ、連休中にでもお出かけ頂けたら良いと存じます。

大観展は週末夜8時まで開館していましたので、私達は混雑に出会うことなく、閉館ギリギリまで常設展も楽しむことが出来ました。

一生懸命に美術品を見続けても、特に博物館などでは、
「こんなに良いものがまだまだこんなに沢山あるのだ」とちょっと気持ちも折れそうにもなりましたが、
やはり自分の好きな物はこれだ!という確認作業も出来ましたので、出掛けた甲斐はあったろうと思っています。




それから、これは偶然でしたが、1度伺ってみたかった民芸品を扱われているたくみさんに銀座を歩いて居る途中出あえました。

余りの嬉しさに、福岡のキジ車🚘を買いました。


キジ車
平安時代の806年 伝教大師 最澄が福岡県清水山に登られる際、一羽のきじが先導したという清水寺の由来伝説にちなみ、江戸後期の住職 隆安法師が井上嘉平次に指導制作させました。
 その後 開運、縁結び、家庭円満のお守り、また玩具として全国に知られるようになりました。
 清水寺のあるみやま市にて、現在、村上一三(75才)ひとりのみによって生産されています。
赤松などの胴体に車を竹の車軸で取り付けています。
上の写真は雄で、鞍があり赤と緑で彩色されています。雌は背中に切れ込みがあり、赤と黒の彩色です。


民芸品は、お若いかたを中心にまた人気が出ているようです。

当店の何時もの洗面所に飾っておきますので、キジ車、どうぞご覧くださいませね。

今週土曜日は通常通り、午後1時より営業させて頂きます。

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お便り

2018年04月17日 | お客様よりのお便り

昨日は思いがけず、お客様からお便りをいただきました。

 

 

先日ご紹介いたしました川端龍子の「花王」の絵葉書をお送りさせて頂いたお客様からは

 

この牡丹のお葉書を。

はじめはどの画家の作品かわかりませんでしたが、

裏を見てみると、納得! 

鏑木清方の素描でした。

なるほど、、

素描である為だと思いますが、この牡丹は、完全のようでほんの少し何か物足りない。。

だからといって花瓶でなく、、横に女性の顔を描いて欲しくくなるような、、そんな作品だと感じます。

いつもながらの私の勝手な感想で大変申し訳ございません。

 

 

 

関西にお住いのお客様にはメールを頂戴いたしました。

私からのお便り到着のお知らせと、

今回は、華岳作品にまつわる心温まるお話と実際の書などの画像を添付してくださいました。

 

この春から少し筆を持って文字を書く時間を設けてみようと思っていましたので、私には願ってもないタイミングで

頂いたメールです。華岳の文字をしっかり堪能させていただきました。

そして、昨日はそれからずっと華岳の画集や図録を開いていました。

 

どんなに小さな紙片の、メモ程度の走り書きや簡単な素描であっても、その全部に華岳の香りが残っています。

或いは、、残ってしまっています。

この強い強い残り香が、華岳を華岳とし、また華岳を大いに苦しめたのだと思っています。

 

すごいなぁ~とただ単純に感じ入るしかなくなってしまいます。

 

 

そして、山種美術館で御舟の黒牡丹を見て大泣きしてしまった私は、

いつかその御舟の黒牡丹とこの華岳の黒牡丹を当店に飾ってみたいという大きな夢を持っています。

 

これは「花王」でも「黒牡丹」でもはなく、まさしく過不足ない「華岳の牡丹」なのです。

 

 

 

 

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川端龍子に思う事

2018年04月11日 | 日記・エッセイ・コラム

清明 雁北へ帰る 候となりました。

それにしても今年は春嵐が吹き荒れて、北に帰る鳥たちも苦労の多いことでしょう。

春には「雁風呂」という、

青森県津軽地方に伝わる民話にもとづく季語があるそうです。

この地方では、

秋に海を渡ってくるとき、雁は、海面に浮かべて羽を休めるための木片や小枝をくわえて飛び

無事に浜辺に辿り着くと、その枝をはじめて嘴から落とすと言われているそうです。

そして、次の春、また同じ枝を拾って北へ帰るというのです。

 

けれど、浜には毎年必ずまだ残っている小枝や木片があり、それは冬の間に捕らえられたりして命を落とした雁の物だろうと思われ、、、

辺りに住む人々はその枝を拾い、風呂を焚き、この時期に雁の供養にする習わしがあるということです。

雁風呂の煙とどかぬ北の天  金子野生

何とも日本人らしい、そして北国の春を見事に連想させる言葉だろうと感じいります。

 

 

 

 

佐橋が何度か東京や関西にお邪魔して、新しい作品を仕入れて参りましたので、

ひと段落着く頃に、準備を整え皆さまにも、ご紹介をさせて頂こうと思って居りますが、

お留守番をしながら、皆様に書かせて頂く絵葉書を選ばせて頂いていて

まじまじと

この川端龍子の「花王」という作品を鑑賞いたしましたので、ここでご紹介させていただきますね。

牡丹の花はその大きさから「花王」と呼ばれることがあります。

この龍子のボタンを見たとき、何と牡丹らしい牡丹であろう!と感心致しました。

仕事柄、本物の牡丹よりも、画家の描く牡丹を数多く見て参りましたが、

「あぁ、牡丹か…」と思うほどで。。なかなか描かれた花に迫ろうとする気持ちは生まれて参りませんでした。

けれど、この牡丹は、竹内栖鳳の「獅子=ライオン」を連想させるほど立派で、堂々とし、そして

花王である牡丹としての哀しみも備え、大変美しいと感じられました。

龍子の作品の魅力は、下描きをしないということ。

直観的に筆を運び、対象の美しさを瞬時に画面におさめる事。

それに尽きると思います。

龍子のこの筆運びに見合う題材と、そうでない題材があろうかと思いますが、、

牡丹はまさにぴったりで、またこのタイトルの「花王」が作品をさらに生き生きとさせる気が致します。

「その花を名前で呼び始めた瞬間に、人はその花を見るのをやめてしまう。」と

確か小林秀雄が言っていたと思いますが、

その花の名前の先の先まで花を見て、絵を描く画家はほんのわずかであるということを

この頃つくづく思い知らされます。

浜辺に小さな枝を拾い、空を行く雁に思いを馳せる美しい心を

本当に美しい絵から取り戻したいと切に願います。

 

 

 

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池大雅展

2018年04月09日 | おススメの展覧会、美術館訪問

昨日は半日京都へ行ってまいりました。

お目当ては京都国立博物館の池大雅展です。

池大雅の佳品を以前扱わせて頂く機会がありこの画家に大変興味もありましたし、

何といってもこの規模の展覧会はそうそう出会えないだろうと思っていました。

 

今回の展覧会で

幼いころから特に書に秀で、「神童」と云われた大雅が54年の短い生涯のうち、

30代頃より国内を多く旅し、自然のなかで実際の風景を描き、

その経験をもとに40代に入るとそれまでの修業が花開いたように

一挙に画境に深まりをみせたという事実を知ることができました。

変幻自在の筆さばきの見事さに驚き、またその研究と実験の幅の広さにも驚きました。

そして、この大雅という人の人柄、下手をすると作品から見逃しかねない人物の謙虚さ

に胸をうたれました。

この作品達の発する謙虚で、微かな振動=美しさに

時代を越えて共鳴できてきた日本人は、やはり素晴らしいなぁと心の底から思えました。

 

 

例年なら、「桜の季節」ですので、

京都は外国の方達も含め、どこも大変混雑していました。

 

お天気予報は、名古屋も京都も「真冬並みの寒さ」。

 けれど、桜の咲いた後の季節に、なかなか真冬のコートやダウンジャケットまでは着る勇気もなく、「ちょっと用心」した格好ででかけた私達でしたが、博物館は作品保護のためか暖かくありませんでしたし、、何処へ行っても寒く、

展覧会後は名残りの桜を二条城に見に行こう!という当初の予定をあっさり変更し、

京都ホテルでお茶をしたり、今回は和紙のお店を中心に少し京都の町をぶらぶらと致しました。

池大雅展はそう混雑することなく、ゆったりと作品を鑑賞できました。

お近くの皆様は是非お出かけくださいませ。

 

 

 

 

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