つれづれ

名古屋市内の画廊・佐橋美術店のブログ

速水御舟の全貌 山種美術館

2016年10月22日 | おススメの展覧会、美術館訪問

新幹線の中からblogの更新を!というのに憧れて試してみていますが、

揺れてキーボードは叩けないし、美術館でいただいたチラシは落ちて曲がるし・・やはり私には無理です。

グリーン車で試してもそう変わらないと思います。

 

山種美術館、

速水御舟の全貌  ー日本画の破壊と創造ー に伺ってきました。

同じ都内でも実家から1時間以上かかるのでこちらも格好よく (実家からの寄り道) とは

言えませんが、今日は珍しく一人での鑑賞になりました。

御舟展は何度か見ています。ですから今日は「御舟は決して絵が上手くない」「今日は泣かない」というイメージをもって作品を鑑賞してみました。

そうしてみると、確かに あら? と思うような作品もあり

この あら? はあくまでも御舟の作品に込める狙いとは違っているところを見ているということになりますが、

なかなか楽しい発見もありました。

 

いつもなら 山種さんのあの別室の小部屋で「黒牡丹」を見て号泣するのです。

 

けれど今日は黒牡丹にはあまり感極まらず、大正10年前後の写実の作品に

ビリビリとしびれ、涙が滲み出てきました。特に桃の花、桜の花、梅の花の花びらがよかった。。

そして やはり 「炎舞」には鳥肌がたちました。

 

 

御舟を見るとき「美は振動である」と私は考えます。

鉛筆の線、色使い、作品に込められた画家自身の微かな心の振動が見るものの心を揺らす。

揺さぶれたらしばらく止められない心。

その振動を共有できた者たちだけの喜びの世界。

そしてこの振動を筆にのせられる画家はきっと世界中にもそう沢山はいないと思えます。

 

 

いよいよ明日から当店の展覧会のご案内をさせていただきます。

皆様のお心を少しでも揺さぶることのできる作品をご覧いただけることを祈り、

名古屋に戻ったら佐橋とともに一生懸命準備させていただきます。

 

 

 

 

 

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大観 玉堂 龍子 パラミタミュージアム

2016年10月19日 | おススメの展覧会、美術館訪問

日曜日に三重県三重郡菰野町のパラミタミュージアム(公益財団法人岡田文化財団)さんの

大観 玉堂 龍子  ー 循作 「雪月花」「松竹梅」によせて 

に伺って参りました。(11月13日まで)

 

この三作家は、1952年(昭和27年)から6年間、東京の画商兼素洞の主催による「雪月花」「松竹梅」循作展への

共同出品をしました。三つの画題を三人の画家に割り振り、毎年順番に画題をずらして3年で全体が完成するという

趣向の展覧会でした。

パラミタミュージアムさんがこの作品のうちの三幅対二組を収蔵されたのを機に、三作家の作品を順次収蔵され

今回のこの企画になられたようです。

私自身はまだ伺ったことのない大田区立龍子記念館さんが川端龍子作品を特別出品されると知り、興味をもち伺いましたが、

大観の関わった工芸品などの珍しい作品も鑑賞できとても満足して帰ってまりました。

 

 

それぞれの面白い作品から

玉堂 鵜飼 1944年 昭和9年 舟に乗らず肩に鵜をのせての鮎釣りです。とてもほのぼのとした鵜飼風景です。

龍子 花下晩酌 1960年 昭和35年 龍子は、河童の大家小川芋銭が亡くなるまでは決して

河童を描かなかったそうですが、その後は好んで多く描いたと解説にありました。芋銭より人間味のある

色気のある河童ですね。それにしてもやはり巧みな筆さばき、上手い!と思います。

大観 大観はとても情の深い人であったとよく聞きます。

岡倉天心とも親交のあった実業家辰澤延次郎は

天心の渡米中に日本美術院の院長代理を務めるほど美術院の経営に尽力した人で

大観はこの辰澤家に関わる工芸品によく図柄を描いたそうです。

大観の絵をまとうように、振袖や打掛を羽織り結婚式を挙げられた花嫁さまはどんなご気分でいらしたのでしょう?

 

 

 

 

 

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お客様よりのお便り

2016年10月12日 | お客様よりのお便り

鈴木信太郎作品の絵葉書でお客様よりお便りをいただきました。

よい桃の絵だなぁ~と思っていると、

こちらは2015年にノーベル医学・生理学賞を受賞された大村先生のコレクション作品だとメモ書きをお書きくださいました。現在は韮崎市にご自身の美術館ごと寄贈され、韮崎大村美術館になっているそうです。この美術館に寄せる大村先生のご挨拶文もとても素敵です。

薔薇の絵葉書にはこのような内容をお書きくださいました。

10月に入ったため夜中に荻須を出してみました。

父に「荻須を出すから手伝って」と請いましたが返事なし。

夜中に家内にたのみこんで出しました。フックにかけるのがとても一人では出来ません。

ワイヤーと違って前方に出てこないからです。

家内は「1人で掛けられない作品は買わないで」と。

いずれにしても重い作品は徐々に軽い作品に換えていきたいと思いますのでご協力のほど

お願い申し上げます。

またご商売とはいえ佐橋さんはよく重い作品を扱ってみえるものと感心いたします。

20代の若い店員さんを雇わないとそのうち佐橋さんが倒れないか心配です。

若い人の方が力がなかったりして・・

拝読していて何だかとても温かい気持ちになりました。

お父様の無言と夜中に駆り出される奥様のお意見は、とてもリアルで

失礼ながら笑ってしまいました。

他のお客様のお宅でもこのようなことはよくお有りではないでしょうか。

油絵でも、日本画でも大きな作品になると額が重たくなり、掛け替えに大変です。

大きい作品にはそれなりの魅力があり、お客様方にはぜひお楽しみ頂きたいと

思って居りますが、確かに年々掛け替えのご負担が増すのは避けられません。

少し前までは佐橋がご自宅に伺って掛け替えをさせて頂くことが多くありましたが、

お忙しいお客様にお時間を作って頂くのも申し訳なく、最近ではそうしたことも減ってきてしまいました。

(もちろんご依頼があればすぐに参上いたします)

「ご協力」というお言葉を頂いて恐縮に存じます。せめてお父様や奥様にご迷惑のかかりません

作品をご紹介させていただきますよう努力して参ります。

 

佐橋はつい最近まで100号額付きまでなら一人で壁に絵を描けられました。

ワイヤーを引き上げる際は足も使いだしますので、見ていて面白いのですが、

そういえば最近は大きい作品を一人では持たなくなりました。

加齢とともに扱う作品がどんどん小さくなってきてしまうかもしれませんが

いつもお客様とともに。。

ということでお許し頂けたらと存じます。

 

 

 

 

 

 

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入江波光 軸 護持尊

2016年10月11日 | 入江波光

これから伺おうと思っている展覧会の図録をお客様と関西の画商さんが早速お送りくださいました。

東京 

山種美術館 開館50周年記念特別展 速水御舟の全貌ー日本画の破壊と創造ー 12月4日まで

兵庫県 

篠山市立 歴史美術館 書簡で辿る❝光の画家❞の足跡 入江波光展 11月20日まで

まずは篠山に行ってみたいと思います。観光用の雑誌もわざわざお付けくださいました。

楽しみが広がります。ありがとうございます。

 

 

 

 ご縁を頂き、波光もよい作品を何点か扱わせて頂くことができました。

護持尊のこのテーマを波光は幾つも描いていますが、当店のこの作品に込めた気迫は並々ならぬものがあると思っています。軸を開く度にドキドキする作品です。

※入江波光 紙本・墨 軸 護持尊 共箱 55×22.8㎝ 要お問い合わせ

 

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お客様よりのメール 斎藤典彦 こまやまー秋

2016年10月06日 | 斉藤典彦

以前斎藤典彦先生の作品「こまやま」をお求め頂いたお客様よりメールをいただきました。

そのメールと「こまやま=高麗山」についてご紹介させていただきたいと思います。

 

 

佐橋様

 

最近北の方へ行く用がないのでご無沙汰しています。

さて、先日、10月1日の朝日新聞の土曜版を見ていたら、高麗山のことが取り上げられていました。

今の埼玉県辺りに8世紀ごろ高麗郡が置かれたこと、玄武若光という高麗の王子が、(例の斉藤さんの絵にある高麗山の麓?山頂?の)高来神社に上陸し、北へ向かい高麗郡ヘ行ったというようなことなどが触れてありました。

やはり、「こまやま」は高麗山だったんだなと納得した次第です。

 

「最近北の方へ行くことがないのでご無沙汰しています。」

なんと素敵な書き出しでしょう。

北の方?

お客様のお勤め先から高岳の当店の方角ということですね。

 

早速朝日新聞を取り寄せることから始めました。

ちょうど一昨日「無眼界展Ⅲ 11月3日~12日」の広告を載せて頂こうと

中部朝日広告さんとお会いしていたので、お願いしてみると

すぐに1日土曜版を届けてくださいました。

 

 この記事によると

○高句麗とは中国東北部から朝鮮半島北部にかけて668年まで約700年間存在した古代国家であり、日本では高麗(こま)と呼ばれ、

 多くの高句麗人が日本に渡って来たといわれていること

○続日本書紀には716年、上総(かずさ)など東国7国に住む高麗人1799人を武蔵国に移住させ、

 高麗郡を建都したこと(現在の埼玉県日高、飯能市一帯)

○この埼玉県日高市の高麗神社から約70キロ南。

 神奈川県大磯町にも高麗王、若光の伝説が残り、町内の「高麗山=こまやま」の麓にはかつて高麗神社と称した高来(たかく)神社が立つこと。

などが書かれています。

 

また

 埼玉県高麗神社はその若光(高麗王)を主祭神として祭り、高麗家系図によると宮司は若光の子孫が代々務め、現在の高麗文雄さんで60代目。

日本で脈々と高句麗の血をつないできたことになるが、鎌倉幕府が滅亡した前後には戦乱に巻き込まれ、断絶の危機もあったこと。

その後は「戦に参加しない」を家訓とし代々高麗家を守ってきた 

という文面もあり大変感動しました。

 

今年は高麗郡建都1300年を記念し、様々なイベントが企画されているそうです。

 大磯町こまやまの麓の高来神社から、埼玉県日高市の現在の高麗神社までを歩くウォークイベントまで開催され、多くの方が参加されたとありました。

 

「こまやま」について、このアドレスから更に詳しい情報を得てみると。。

 

当店からお求め頂いた作品の題材「こまやま」の名前の由来を推察され、今回この記事で高麗の王子が辿った道に

思いを馳せてくださったお客様のお気持ちが私にも十分実感され、一枚の絵から広がる心の世界に喜びを感じました。

早速斎藤先生にもお知らせしたいと思います。

 

ここから南でお仕事のお客様、メールを誠にありがとうございました。

またお会いできますのを楽しみにいたしております。

 

 斉藤典彦 4号 「こまやまー秋」  今日の佐橋美術店の応接間より

 

 

※先日佐橋がお邪魔した、斎藤典彦先生と奥様の斎藤佳代さんの作品がご覧になれる展覧会のご紹介です。

 大阪伊丹市 柿衛文庫 「歩く詩人 ワーズワスと芭蕉」 11月3日まで

 

 イギリスの詩人ウィリアム・ワーズワス(日本ではワーズワースでお馴染み)と芭蕉の作品と、

 その両者の共通点「歩く」「旅」のキーワードをテーマに日英の各分野の現代作家が作品を制作、展示するという内容です。

 

 

 どんな小さな情報、お気持ちでも構いません。
 
美術品と日々お暮らしでいらっしゃる皆様からのお便り、メール、お電話をいつも楽しみにお待ちしています。
 
 
 
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