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「重兵器がシリア・イドリブから撤去されつつある」反体制派

2018年10月07日 | 国際
10月8日 シリア北西部イドリブの反体制派グループは、10月6日、トルコ=ロシア協定に従って、重兵器を前線から撤去しはじめたと発表しました。

 Hurriyet

自由シリア軍(FSA)と合併した「シリア自由のための国民戦線」のナジ・ムスタファ報道係は、反体制派グループは、ロシアとトルコが非武装地帯を設置することで合意したソチ協定に従って、重兵器の撤去を始めたと、アナドル通信に語りました。

「軽兵器は残す。シリア体制側の攻撃に対する対策として塹壕を掘りつづける。重兵器の撤去はトルコと協力して実行されつつある」と、ムスタファ報道係は言いました。

トルコのエルドアン大統領とロシアのプーチン大統領は、先月、ソチで会談し、シリアの反体制派最後の砦のイドリブに非武装地帯を設置することで合意しました。トルコとロシアは合意の覚書に調印し、イドリブの非武装地帯の“安定”を要請しました。この地帯内では、攻撃行為は明確に禁止されます。この協定の下に、イドリブの反体制派グループは、彼らがすでにいる地域にとどまります。ロシアとトルコは、新たな戦いを防ぐために、地域内の共同パトロールを行います。

シリアは、いまようやく、2011年に始まった惨憺たる紛争から脱しはじめました。2011年、アサド体制は想像を超える残忍さでデモ隊を厳しく取り締まりました。


300年昔の橋が消え失せた

北西部ギュミュシュハネ県で、長さ5メートルのアーチ型の石橋が、1週間内に文字通り消え失せました。村人たちはだれかが分解して盗んだのではないかと疑っています。

 Sabah
300年昔の歴史的な橋が・・・


アルスランジャ村の村人たちは、金曜、バラホル川にかかる300年昔の橋が消え失せているのを見て呆然としました。村人たちは羊を追って高地へ行くとき、この橋を使っていました。村人が最後に橋を見たのは月曜でした。彼らは村長のジョシュクン・ドーアンさんに知らせました。

Sabah
・・・あら、なくなっちゃった


水曜木曜は雨だったが、橋が壊れるような雨ではなかったと、村人たちは村長に話しました。村長と村人たちは、橋があった場所に行き、アーチの両端の橋台だけが残っているのを見ました。川が橋を壊したのだろうと言う者もいましたが、下流の堤にも橋の石はありません。村人たちは、橋が壊れたとしても、川の流れが、組み合わさった石を押し流すほどの力あったとは思えないと結論づけました。

村人たちは地元の憲兵隊に知らせ、憲兵隊は事件の調査を始めました。村人の1人、ビラル・ドーアンさんは、宝探し屋か歴史的美術品の密売屋が橋を盗んだのではないかと疑っています。「村人たちは羊を連れて、この橋を渡っていました。宝物や金めの品を探す連中が橋を壊して持って行ったのでしょう」と、彼はデミルオレンニュースに話しました。

もう1人の村人、ユルマズ・アクユルドゥスさんは、橋といっしょに子供時代の想い出が消え去ったと言いました。黒海地方東部は山々と深い谷の地域で、1年中、雨が降ります。この地方には、ビザンティン時代、セルジュク時代、オスマン時代の歴史的な石橋がたくさんあり、地元民はいまもその橋を使っています。


PKK関連容疑で137人が拘束された

トルコ当局が非合法組織PKKを対象にした2日間の全国的作戦を行い、137人を拘束したと、10月6日、アナドル通信が報じました。

 Hurriyet

13県で行われた作戦は、何十人もの死傷者を出したコバネ抗議集会の4周年に起こるかもしれない攻撃を防ぐために行われたと、内務省が声明で言いました。トルコ、EU,アメリカがテロリスト集団と認定しているPKKは、治安部隊が定期的に手入れを行なっています。

10月4日、南東部で、PKKの即製爆発物による攻撃で、トルコ兵8人が殺害されました。エルドアン大統領は10月6日のテレビ演説で、この攻撃のために、少なくとも800人のテロリストが報復を受けるだろうと言いました。


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